求めることと与えること

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人生30数年間、人間関係の基本は相手から何をしてもらえるか、ということがすべてに優先していた。人と付き合う時も相手から何を得られるのか、相手から何をしてもらえるのか、ばかりを考えていたように思う。

それが数年前から相手に何ができるのか、相手に対して自分がどんな貢献ができるのか、を少しずつ考えるようになってきた。相手が喜んでもらえることによって自分が満足する。相手の笑顔を見て自分も満足するような感覚を覚えるようになった。年齢のせいなのか、それとも環境の影響なのか、理由はよくわからない。

そのときは少し考え方が進歩したように思った。でも、考えてみれば所詮2つの考えの根底は同じである。相手が何をしてくれるかを考えることも自分が何かをして相手に喜ばれることによって満足することも、最終的に自分の満足が第一であると言う意味では同じだからである。

例えばボランティア活動はすばらしいことであるが、それが相手からの感謝の気持ちを求めてやっているのであるならばどこかで壁に突き当たるのではないだろうか。自分の厚意を相手が厚意として受け入れるとは限らないし、それを強要することはできないからである。本当のボランティアとは相手の反応など関係なく自分がやりたいと思って活動している人なのである。

それと同じように相手がどう思おうが相手に何かをし続けることが成熟した人間の相手に対する対応ではないかと最近思い至った。相手から見返りを求めて何かをするのではなく自分が本当にやりたいから相手の反応を求めず何かを与える。

そんな心境になれれば自分の考え方次第で自分を幸せにすることができる。ただ問題はそんな高い志のある心境に至ることは自分の残りの人生で可能だろうか、という疑問である。


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コメント(1)

Anonymous :

ゴールは同じはずでもそのプロセスが異なるがゆえに将来乗り越えられるだろう壁に今ぶつかっているだけなのか、ゴールはもともと違うはずなのにプロセスが似ているばかりにその「違い」に途中気付かないだけなのか。。解決までには、いろんな葛藤があったり、どこかで折り合いをつけたり。やはり、相手の反応も無意識に気になりますね(笑)

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このページは、shinobyが2005年12月26日 22:47に書いたブログ記事です。

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