SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1997年4月

今月もこつこつ続けていきます。ご意見・ご感想是非お聞かせ下さい。

 

1997.4.30.(WED)

チェッ、マズィーネ

23日に100円ランチを食べに行った「シェ・ラフィーネ」で歓送迎会をやった。最近人事異動が激しく、毎月のようにこんな会がもようされる。

「シェ・ラフィーネ」のリカバリーショットは脆くも裏切られた。飲み放題で料理込み6千円のコースは確かにシェ・ラフィーネ風としか言いようの無い独特の料理であった。しかしそれはここでしか食べられないという意味ではなく、何となく全体にぼんやりした間の抜けた料理とでも形容すべき無国籍料理だった。

シーフードサラダ、シュリンプのつまみ、ブイヤベース、グラタン、パスタ、鴨肉のロースト、デザート、コーヒーという量的には満足できるものではあった。しかし味はどれも中途半端。特にコーヒーの酸味の強さはデニーズの最後の一杯のコーヒーに匹敵した。

まあサービス料込みで6千9百円であるから文句は言えないのかもしれない。客も他には見当たらず貸し切り状態であったし。ただ、店の名前は「チェッ、マズィーネ」に変えた方がいいかもしれない。

花形商売

女性に人気のある商売と言えば、アナウンサーとスッチーであろうか。どちらも派手で才色兼備でないとなれないという幻想があることが人気の秘密であろうか。

契約スチュワーデスは時給が安く、過酷な勤務で雇用も安定していないのに未だに志望者が多いという。中国語で「空中飯盛人」と書くというのは嘘かもしれないが、スチュワーデスの仕事はほとんどが空飛ぶファミレスである。HIS系のスカイマークエアラインが出来た時、すかいらーくエアラインかと思った位である。給与水準が低く、仕事も決して面白いと思えないのになぜだろう。

それにひきかえアナウンサーは割りの良い仕事である。芸能人になりたい人にとってはアナウンサーというフロアを持ち、上手く行けばキャスターやタレントに転身できる。最悪でも局アナとして安定した生活が確保される。大卒で知的にも見られるし、レポーターで楽しい仕事もあって最高である。

共通点は女子大生が就職できる数少ない専門職という点だろうか。有名企業のOLになったところで所詮は事務の補助をしているだけ。ひどい所になると年寄り所帯のお茶くみをしているだけで何も技能は身につかない。大学時代の専門を活かす就職は教員位しかないが、誇りを持てる仕事とは言えない。アナウンサーとスッチーは真実は別として一種のスペシャリストである。丸の内OL人気が急落した今、消去法としてのアナウンサーとスッチー人気は続く。

 

1997.4.28.(MON)

国民の祝日

ゴールデンウィークが始まった。今年は飛び石で大した休みではない。シルバーウィークといった程度である。

それにしても日本はこの手の祝日がなぜ多いのであろうか。皆で一斉に休んで一斉に同じ事をする。観光地は混雑し、予約は取りにくく、サービスが低下し、満足度は低下する。

通勤時間もそうであるが、時間をずらすという発想がないのが不思議である。狭い国土に1億人以上の人が住んでいる訳だからそれなりの工夫しなければ住みにくくて仕方ない。

通勤ラッシュは時間別運賃の導入を進めるべきである。日中の運賃割引を行い、朝の7時半から9時半位の時間帯は割り増し運賃を請求する。これによって一部の企業のフレックスタイム導入が進み混雑は解消される。本来ピークタイムには運賃を値上げすべきなのに定期を持った客が安く乗っているのは経済原理に合わない。航空運賃は混んでいる時は高くなるのに電車は逆である。

国民の休日は未だに増えている。最近も海の日とかいうのが追加された。こんな休みを作るより均等に休日を取り、日本のインフラを効率よく使える方法を考えるべきと思うが。具体案となるとなかなか浮かばない。国民の祝日は交通機関の運賃に混雑税という税金をかけたらどうだろうか。集まったお金は平日の空いている時間帯の交通運賃の割引に使うわけである。

銀行員

銀行員のイメージは昔とは随分変わった。髪をきっちり整えて、眼鏡をかけた几帳面な人というのが従来の典型であった。最近でもこの手の人はいない訳ではないが少数派である。金を預かって貸すだけでは商売にならない時代に几帳面なだけでは銀行員として失格なのである。

ところが会社は未だにその几帳面さを求めているらしい。銀行には検査という制度がある。社内には検査部というセクションがある。さらに面白いのは店内検査といって一つの部の中で検査をするいわば身内検査のようなものもある。自分たちで自分たちを検査する隣組の発想である。

銀行員の基本は鍵と印鑑である。印鑑は常に身につけて持ち歩いていなければならない。机上に放置などもっての他である。そして机を離れる時は引き出しには鍵をかける。その際、重要な書類は格納しなければならない。店内検査は抜打ちでこれを検査する。例えばお昼、皆が食事に行っている間に部内の検査員に任命された人たちが各人の机を勝手に開けてチェックしていくわけである。

印鑑・現金・名刺・テレカが鍵の掛かっていないところに放置されていればアウト。引き出しに入っていてもだめである。パソコンのスクリーンに文章が残っていたりしてもアウト。とこんなチェックを月に何回かやっている。

傍から見ると滑稽でも当人たちは真剣だ。名刺は他人のものでも駄目か。飲み屋の名刺も駄目か。テレカは駄目としたら社内食堂のランチカードは駄目か、飲み屋のビール割引券は?と様々な疑問が投げかけられる。

こんな議論を真剣にしているうちに一日はあっという間に過ぎていく。

 

1997.4.27.(SUN)

体調不良

どうも調子が良くない。花粉症か過労か、それとも酒の飲みすぎか。いずれにせよ気分が今一つの状況が続いている。結局一日家の中でごろごろして、風呂に入ったりしていたら終ってしまった。夕食も軽く済ませ禁酒日になった。昼間寝過ぎたせいか、夜はなかなか寝付けなくて困ったが。

サターン

サターンの広告は変わっている。といってもセガサターンではない。アメ車のサターンである。キャッチフレーズが

礼をつくす会社
礼をつくす車
である。最初にこれを聞いた時意味が理解できなかった。礼をつくす車とはこれいかにと面食らってしまった。しかし良く考えてみれば、これは顧客の本質をついている可能性がある。サターンはモデルの数を減らし、店頭値引きもしない販売方針をとっている。不必要な機能は無くしシンプルな必要最小限の商品構成にし、値引きを無くし顧客に価格交渉に費やす無駄な時間を他に使ってもらおうということなのであろう。これが礼をつくすという事なのだろうか。

店頭値引きなしが徹底されれば価格への信頼感が増す。ぶつけてもへっこまないサイドドアなど工夫も多い。本当に礼をつくされていると感じる顧客が増えれば意外なヒットになるかもしれない。CMを見る限り、タレントを使ったイメージ広告より好感が持てる。

 

1997.4.25.(FRI)

深夜残業

久しぶりに深夜まで会社に残った。LA支店とNY支店に仕事で連絡をしているうちに次の日になってしまった。タクシーで家に戻るともう1時を回っていた。風呂に入ってビールを飲もうとしたら冷蔵庫にビールは1本も無かった。ダイエットと思ってきっぱりと諦めることにしてさっさと寝た。

夕方は会社の同期の送別会があった。同期がまた一人NYに旅立っていく。同期会はいつも部内人物評が話題になる。S君はよく見るとタイガーウッズに似ているとか、Sさんは自分は唐沢寿明似ていると思っているが周りは小松政夫だと思っているといった話から、仕事上の人間関係まで様々。仕事の話で共通していたのは、マネージャーがしっかりしたセクションは仕事がしやすいという至極当然の結論であった。

NYではハラスメントが問題になっていてローカルとの付き合いが難しいという話になった。訴えられることを考えるとローカルと気軽に会話を交わすのも難しいとか。飲みに行こうと何回も誘うのはセクハラだとか、服装を誉めてもセクハラになることがあるという。少し過剰反応のような気もするが。

NYにいると相場の情報が日本より少ないという話もあった。東京にいる方が情報が得やすいという人がいるらしい。日本人のセールスマンとしか話さなければそうなるであろうが。

こんな話を聞いていると不安になる。NYの日本人たちはたこ壺村を作っているのではないかと。同じ場所に住み、同じ電車で通勤し、アメリカ人と会話をせず、ピアノバーで日本人と日本の歌を歌い、週末は日本人同士でゴルフ。東京の港区に住んでいる外人と同じである。

さくら咲く

さくら銀行のトップが50代に若返った。ようやく眠れる獅子が目を覚ましはじめるのではないかという期待を抱かせる。野村といいさくらといい、若いトップは今後社内守旧派からの攻撃が最大の障害になるであろう。それをはねのけるためにはスピード感のある意思決定で強力なリーダーシップを早急に発揮することである。

若手に蔓延する閉塞感を人事刷新によって打破できれば、潜在能力に優れた人材を活用しサクラサク時代を創ることができる。

 

1997.4.24.(THU)

脳死

ペルーの人質解放の報道で埋め尽くされた中、衆議院で臓器移植法案が脳死を死とするとした内容で可決された。
私はこの手のことについてはまったくの素人である。脳死というのは自分では呼吸をできないが、機械の助けがあれば呼吸してホメオスタシスを維持できる状態と認識している。もしかすると全然違っているのかもしれない。しかしこれを前提に話を進める。

今回脳死が人の死としたことは例え機械の助けがあったとしても心臓が動いている人を死と認定することとなる。果たしてそんな状態の人を目の前にして、臓器を採り出すなどということが感情的に受け入れられるであろうか。

ドラマの死のシーンでよく出てくるのは脈拍が段々弱くなっていって最後にグラフが一本線になってしまい、「ご臨終です」というもの。これが一般に死として認識されているものだ。やはり心臓が止まり、脈がなくなった時が死というのが受け入れられやすいものであろう。

実際生と死はある一点で区別されるものではなく、グレーゾーンがあるのかもしれない。生きてもいるし死んでもいる状態があるということである。その場合法律的にどこで明確に線を引くのか。それは感情的に一般に受け入れられている死のイメージより死の判定基準は厳しいものにする必要がある。

いづれにせよ殆どの人が脳死の定義も知らず、法案の内容について議論もないまま物事だけが勝手に決まっていく状況は不気味な気がする。そもそもこんな根本的な問題を国会議員だけで決めていいものなのか。殆どの政党が議員の自主判断に委ねたということ自体、個人の議員の死生観で裁決に臨んでいる訳で間接民主主義で判断するには限界がある。

給料日

今日は給料日。サラリーマンを利付き債券に例えるなら、給料日はインカムの受取り日である。例えば自分の利回りが年3%と仮定すれば年収600万円の人は自分が2億円の元本だと思えばいい。そして会社勤めが30年とすれば自分は30年債だと思えばいいわけである。

債券運用で大切なのはインカムの管理と共に保有債券の時価評価である。自分が2億円の30年債としたらその価格が今いくらなのかリアルタイムで把握する必要がある。ポジション管理は債券運用の基本である。ただし今のままずっと会社勤めを定年まで続けるなら、30年債を満期まで持ち切るのと同じであるから時価評価は関係無い。

債券を値上がりしたら売却しようと思っている人は常に時価をマーケットに聞く必要がある。値下がりして売ると実現損が出るのが嫌ならば持ち続けることも可能である。今のところ低価法償却対象外なので、評価損は実現しなくてもよい。ただしその債券自体が消滅する(デフォルト)も有りうるので注意が必要である。

 

1997.4.23.(WED)

決断

昨日から報道はペルー一色になってしまった。犠牲者が3人でたとはいえ、あれだけの計画をここまできっちりと実行できる軍隊の水準の高さに驚いた。

それ以上に感銘を受けたのは、フジモリ大統領の決断力だ。強行突入が評価されるかされないかは結果論の部分が多い。今回も失敗していれば当然日本を始め各国の批判を浴びていたのかもしれない。

しかし敢えて自分で決断し最悪の事態を想定しながら行動を行う姿は、国のリーダーとして輝いて見える。強烈なリーダーシップを感じさせた。

それに引き換え.....と始めると典型的な日本のマスコミのようで気が引けるが、やはり日本政府の動きには毅然としたものが感じられなかった。事前に強行突入を知らされていないのは遺憾だが、解決してよかったなどというコメントは誰でも言える。事前に知らされていたらどう対処していたのか、3人の犠牲者の内何人かが日本人だったらどうしたのか、など日本政府の危機管理には不安を感じる。

100円ランチ

お昼は小雨の中、会社の近くにオープンした「シェ・ラフィーネ」の100円ランチを食べに行った。開店の11時半近くには50人近くの行列。何とか第一陣の中に入って食べることができた。100円はチャリティーで赤十字に寄付するらしい。つまりは開店記念の無料ランチサービスである。

100円とはいえ初めて来るお客さんに対して、店をアピールする最高の機会である。しかし残念なことにその意気込みは今一つ伝わって来なかった。水が出てくるのに10分、最初の皿が出てくるのにまた10分、メインはそれから15分という具合で間が抜けてしまった。出てきた料理も普通のサイドサラダとチキンのグラタンだけ。ファミレスの味を久々に思い出させるテイストであった。100円だから文句は言わないが、店の宣伝としては失敗だろう。

多くの人が押しかけるのが想定できるのなら、手際良く料理を出すことがサービスの重要な要素である。とすればグラタンではなくパスタのような短時間で調理可能なものを出すほうが良かったのでは。外で待つのも辛いが、席について何も出てこないのも苛々するものだ。1時間半のランチは中途半端なまま終ってしまった。でもしばらくしたらもう一度来てみようと思っている。今回は意気込みが強すぎたから空回りしているのだと祈りながら。

 

1997.4.22.(TUE)

SFC

慶応大学湘南藤沢キャンパスといえば、日本の大学の中で最も魅力的なものの一つである。郊外の敷地、英語とコンピュータに重点を置いた教育、従来の学問の境界を越えた研究と今までの日本の大学教育に欠けていたものがそこにはある。

週刊朝日でSFCの学生が就職した会社をすぐ辞める傾向があると記事にしている。「慶応SFC卒ブランドの真価を問う」との見出し。ネガティブキャンペーンの始まりであろうか。SFCの学生が辞めたという具体例も知らないし、本当に辞める人が多いのかも知らない。しかしもしそれが本当なら堪え性のない学生が悪いのであろうか。ここからは朝日の見出しが事実であるということを前提に話を進める。

日本の企業では海外帰りの社員に今までとはまったく異なる業務、例えばメーカーなら工場の現場、サービス業なら支店の国内業務を担当させ「海外の垢を落とす」場合がある。それと同様にSFCの学生に留まらず日本の企業は新卒に対し丁稚奉公をさせる傾向がある。

SFCの合理的な思考をする学生はそれが自分の人生にマイナスだと判断して会社を辞めるのではないか。すぐ辞めるのは無責任であり、会社を見る目がないといえばそれまでだが逆にすぐに見捨てられる会社側にも学ぶべきことはあるように思う。

魅力のない企業は顧客だけでなく、従業員からも見捨てられるということである。仕事に対する魅力、会社の社会に対する貢献、存在価値、経営戦略といったものが明快に示すことができる企業には人が集まる。会社は社員を雇うのではなく、社員と対等な関係で雇用契約を結ぶのである。SFCの学生を異端者扱いする前に日本の企業側の問題も取材するのが公平な視点であろう。

痛快

痛快なことが2つあった。

一つはプロ野球巨人中日戦。巨人の高額所得者を中日のピッチャーが打ち取っていく。特に清原の打席は安心して見ていられる。巨人の戦力補強を見ていると動燃がダブって見える。2兆円以上の税金が使われ成果の出ない動燃と30億円補強をして成果のでない巨人。共通しているのはコスト意識の欠如と親方日の丸主義である。

もう一つはN証券の役員15人退任のニュース。新社長は51歳だという。実際に辞めた経営陣が院政をひいて、影響力を持ち続けるかどうかは別として世代交代は確実に進む。災い転じて福となす、したたかな戦略を感じることができる。

 

1997.4.21.(MON)

プレジデント

雑誌「プレジデント」の編集をやっている友人から、最新号を送ってもらった。なんと特集が「恋愛に定年なしII」である。IIということは前回好評による企画第二弾というわけか。

渡辺淳一の「失楽園」がなぜ熟読されるのか、こんな上司なら社内恋愛OKよ、女性をその気にさせるワインのたしなみ、といったページが並んでいる。週刊文春でお馴染みOL委員会も書いている。OL不倫率42%、ピークは29歳。本当にエグゼクティブ向けの雑誌なのだろうか。

男たちよ、恋をしようとビジネス誌が呼びかけていることは世の中が浮き足立ち始めたという兆候かもしれない。これも景気回復の一つの証拠である。

世界企業

米系証券のM社の発表した持続的競争力を持つ世界的企業は引き続きインデックスをアウトパフォームするリターンになっているという。本来持続的競争力のある企業が投資対象として優れているのは中長期的スパンで見た場合であろうが、短期的にも優れたポートフォリオであることが実証されている。

知名度の高い企業ではABB、シティコープ、インテル、マイクロソフト、シンガポール航空、ソニー、といった企業、知名度が低い会社でもヘキスト、マテル、信越化学、スイス再保険、東京エレクトロンといった企業が合計40社余り挙げられている。

やはりグローバルな競争力というとアメリカの企業が圧倒的に多い。米国株式はここ数年かなりの上昇を続けて世界の株式の上昇を大幅にアウトパフォームしてきたが、これらの優良企業のポートはアメリカ以外の企業を含んでいるのにS&Pインデックスを上回る利回りを継続的に達成しているようだ。

まともな仕事をしている企業が資本市場から評価される、というのは健全な資本主義の姿である。東証の株価2極化現象も健全な資本主義が日本に浸透しはじめたことを示しているに過ぎない。

 

1997.4.20.(SUN)

中年

ナイター中継を見ていたら、巨人の川相選手が自分より年下だと知ってショックを受けた。あのおじさんより自分が年上とは。ところでおじさん・おばさんと呼ばれるのはいつからか。これは人によって千差万別であろう。

私が考えるおじさんの定義とは

  1. 週刊現代・ポスト・宝石、または日刊ゲンダイ・夕刊フジのいづれかを読んでいる。
  2. 駄洒落を言って自分で受けたりしたことがある。(所謂オヤジギャグ)
  3. 酔っ払うと昔の自慢話・思い出話しをする。(俺が若い頃は...あの頃は良かった...)
などが条件であろうか。

女が中年のおばさんになるのはいつであろうか。

  1. 電車の空いている席に人を押しのけて座り込む事ができる
  2. レストランのレジでどうせ割り勘なのに誰が払うかで騒いだことがある
  3. 同世代の会社の仲間と後輩の品評会を食事時の話題にしたことがある
といったところか。

どちらにも共通の条件としては、若いですねと言われて嬉しくなる、というのも挙げられる。若さの価値を認識するのがおじさん・おばさんなのである。

 

1997.4.19.(SAT)

休日の過ごし方

久しぶりに大滝絵画教室に土曜日の午前中に行った。4月になったので新しい人が何人か増えていた。新人といっても年齢は私より明らかに20歳は上の方だし、絵の技術でもかなわないベテランである。相変わらず私が33歳で教室の最年少という状況は変わらない。

6月の展覧会に向けて少し気合が入ってきた。いつも土曜日に目を覚ますとお昼過ぎということが多くサボりが多かったのだが。来月あと2回で何とか今の作品を完成させるのが今の目標である。デッサンはまったく駄目なので鉛筆で描いている時は気分が乗らないが、絵の具になると途端に楽しくなるという素人絵画である。

お昼は天気に若干不安があったが久しぶりに深大寺に行った。曇り空のせいか観光客も少なくお店はどこもガラガラ。いつもの多聞でいつものビール、とろろそば、野草天ぷら、そして八起の焼き饅頭を食べながら散歩した。静かな深大寺は風情があっていい。混んでいる時の深大寺は寺というよりはアミューズメントパークである。忍者のいない日光江戸村みたいなものである。

深大寺の近くに面白い干物の店がある。看板が表から見ると「こんぶ」と書いてあり裏は「わかめ」と書いてある。店の中は海産物だらけ。特に昆布の品揃えには自信があるらしく、店主のうんちくを聞くことができる。最近、ここの納豆昆布というのを愛用している。乾燥した粉末を水で戻すだけで納豆のような昆布が出来上がる。醤油、かつお節、ねぎ、胡麻を入れて食べると美味しい健康食である。

夕方、髪を切りに行く。消費税が5%になっても影響はまったくないらしい。景気の回復は政府が言うとおり本当なのかもしれない。不良債権問題と景気回復が綱引きをしているのが今の日本なのである。

調布市

調布市にホームページができることになった。URLは調布市のページで5月から利用できるらしい。図書館の新着図書検索できる機能があるらしく便利になりそうだ。将来、本の予約や全ての本の検索ができるようになれば更に使い勝手がよくなると期待している。

 

1997.4.18.(FRI)

英語

50年後に日本の公用語が英語になると言ったら、絶対にないと皆に否定された。確かに日本語を好きな人は多いし、外来語が入ってきたといっても文法は日本語で変わらない。日本語を英語が駆逐するという状況は考えにくい。

自然に皆が英語を話しはじめるというより、バイリンガルが増えてきて、英語の必要性が高まる時代背景から公用語を2カ国語にするというのが順当なシナリオであろうか。公用語になるかならないかは別としてインドのように日常会話は日本語、ビジネスは英語となる時代はそう遠くはない。

Yシャツとネクタイ

一週間に1回しかクリーニング屋さんに行かない人は何枚Yシャツが必要か。週休2日の会社で毎日Yシャツを取り替えるとすれば10枚必要。意外にたくさんの数が要る。

ネクタイやYシャツには自分の心の中で自然に順位付けが行われている。一番はこれでその次に気に入っているのはこれ、といった具合に。新しいのを買ったりするとその順列が崩れたりする。でも気に入ったのを着ていった時に限って、パスタのトマトソースをYシャツに飛ばしたり、ラーメンのスープにネクタイを落としたりする。

会社勤めを辞めてYシャツやネクタイと関係ない仕事をしてみたいと思うことがある。会社が嫌な訳ではなく、服装に縛られる人生が嫌になることがあるだけだ。

 

1997.4.17.(THU)

まだ木曜日

涼しい毎日が続いている。今週は大酒を食らうこともなく、比較的健全な生活を送っている。それでも毎日5時半に起きてパソコンに向かっていると週後半はバテているのが自分でわかる。それでも一週間はあっと言う間に過ぎていく。

先週あたりから調子が悪かったが、どうやら風疹でもなく、風邪でもなく、ヒノキ花粉症ということらしい。風邪のように熱っぽく鼻が痛いという状態が続いていた。症状はそんなにひどくないが花粉症族に仲間入りしたことが少しショックである。

キャリアデザイン

キャリアデザインシートというのが会社にある。自分のキャリアパスをどのようにしていきたいかを記入していくシートらしい。例えば10年後の自分の仕事として何をしたいのか、そのために今何をしておくべきかを毎年記入していく。
個人のキャリアデザインを書かせる前に会社のビジョンデザインを先にしろ、と怒っている人がいた。会社のグランドデザインが無いの個人の絵が描けるわけないという。けだし名言である。

ポリシー

携帯を持たない、というのが今のところの私のポリシーである。将来データ通信をするために携帯やPHSを買うことはあっても、電車の中で意味の無い会話をするために買おうとは思っていない。あれば便利なのかも知れないが東京に居るぶんには公衆電話があるから問題無い。自分に急に連絡をつけたい人はこちらは余り話したくない場合であるから、携帯など持って無い方が都合がいい。腕時計をしなくなってからもう半年以上経つが、東京にいる限りにおいて不便に感じたことは殆ど無い。携帯もその程度の必要性しか私には感じられないのである。ただし人が携帯を持っていると連絡は便利だ。便利といってもアフターファイブの予定の確認といった活用だが。

インターネットをやらないというポリシーの人もいる。個人でそう言っている人は意味が無いとかどうせ使わないからという理由が多い。セキュリティー面から社内情報の流出の可能性を恐れ、外部との接続を行わないというポリシーの会社もある。

情報化社会では大量の情報が入手できる。インターネットも有益な情報もあればノイズとしか言えないようなものもある。情報は量が増えるとノイズになる。情報量を絞り込み、ノイズにフィルターをかけるという意味で携帯やインターネットをやらないというのは一つの見識である。

 

1997.4.16.(WED)

動燃

動燃の事故隠し問題についての報道を見る度に腹が立つ。動燃の体質や組織の問題はもちろんであるが、それよりもマスコミの報道スタンスが、である。相変わらずのワンパターンのヒステリー報道。平謝りしている関係者に詰問し追いつめていく弱い物いじめ。街角でセンスの無いインタビューをしてさらに事件を煽り立てるセンセーショナリズム。

確かに動燃は厳しく処分されるべきである。原子力の信頼性に疑問が投げかけられたのも事実だ。しかしそれは今回の事件の本質ではないと思う。マスコミ自身も含め今回の動燃事故が日本の法人組織の体質に大きな問題があることを明らかにした。今回問題とされた資料の改ざんや虚偽の報告など多かれ少なかれどこの会社でもやっている。「嘘も方便」などという諺があるくらいの国である。グローバル企業として世界に通用する企業になるためには技術やノウハウといったもの以前に、嘘をつかない、といったもっと根本の部分でグローバルスタンダードになっていかなければ世界からは相手にされない。

動燃の報道を見ながら、本当にひどいことだ、と思いつつもどこか自分のことを報道されているようにも感じるのは私一人であろうか。

コービス

ビル・ゲイツが個人出資しているというコンテンツ会社コービスのHPは写真の宝庫である。歴史的な写真の数々が並べられている。個人で使う分にはコピーしてもいいようなことが書いてあるが、後で何言われるかわからないので結構勇気が要る。

 

1997.4.15.(TUE)

風疹?

夕方体調がイマイチなので早く帰宅した。今、会社では風疹が流行っている。まだかかったことのない私としては、もしや、と少し心配である。家に帰っても誰もいないのでナイター見ながらHPの日記をせっせと書く。いつもは5時半に起きて50分でメールの返事を書いて、日記のネタを考えて原稿にしてサーバーの更新をしているので時間切れの中途半端な文章になってしまう。今日は少しゆっくり書けそうだ。でも野球中継も気になって集中できない。

おじさん

おじさんが怒っている。私のことではない。まだ33歳の若輩ものにおじさんを名乗る資格はない。怒っているのは最近電車内で不愉快な思いをさせられるおじさんのことである。足を踏んでしまい謝っているのに文句を言っているおじさん。電車が揺れた時にぶつかると思い切り押し返してくる人や、降りる人がいるのに人を押しのけて我先にと乗り込んでいく人。昔はこういう人は通勤のルールを知らないおばさんと相場は決まっていたがどうしたことであろうか。

最近おじさんは怒っているような気がする。世間の自分たちの扱いに苛立っているのだ。会社ではリストラの対象となり、パソコンが使えなければ新入社員にまで馬鹿にされる。上司として部下を飲みに誘っても人間的魅力の無い人には誰も付いてきてくれない。勤めている大企業も衰退産業になり、社名を語ってもステイタスでは無くなっている。せっかくローンで郊外に家を買ったのに、家庭では子供からは相手にされず、妻とも共通の話題は無い。そしてせっかくの一戸建ても地価下落で含み損。給料カットで生活は苦しくなるばかり。自分がやってきたことは何だったのかという思いである。

この怒りが周りにぶつけられていると考えるのは穿った見方であろうか。時代が変わりヒエラルキーに変化が起きている。年功序列と大組織優先の社会が自由競争の情報化社会に入っていく中で今の40〜50代の人は時代の過渡期の犠牲者である。やっと社会的地位を確立したと思ったら高校生より下に見られてしまう。人間は人から評価されることでしか自分を位置づけることのできない悲しい動物なのである。

コギャルの最後

多分に希望的観測も入っているが、コギャルブームも今や終ろうとしているというのが個人的見解である。携帯にルーズソックス、援助交際にプリクラと一世を風靡したコギャルも衰退期に入った。その兆候は至る所に現われている。

第一にコギャルという言葉自体口にすることが恥ずかしくなってきた。ナウい、イケイケという言葉を聞く時のような時代遅れの気恥ずかしさを感じるようになった。第二にマスコミが叩き始めた。一旦持ち上げておいて、はしごをはずすのが彼らのやり方である。この攻撃に対抗する力も頭脳もコギャルは持っていない。話題になった援助交際もバイサイドから高校生は敬遠されはじめているらしい。コギャルプレミアムが剥げた。第三に時代の流れが変わった。ターニングポイントは昨年大晦日の紅白歌合戦である(私は見なかったが)。松たか子のブレークはコギャルの品の悪さにダメージを与えた。若さだけでは価値が無いことを皆が気づき始めたのだ。アムラーからマツラーへ時代はシフトしている。しかしアムラーにはなれてもマツラーになれるコギャルは少ない。せいぜいパフィーでごまかす位が関の山。

コギャルは線香花火である。一瞬は輝いて見えるかもしれないが、明るくなって見てみるとたいしたものではない。

鶴田真由

鶴田真由・壇ふみ、といった所謂NHK的なキャラクターをCMに使っている会社は意思決定の遅い官僚的な会社といったイメージがある。例えば某ビール会社。金に物言わせて贅沢にCMを作っている。そして親方日の丸の某航空会社。どちらも企業としてのダイナミズムを感じない。なぜ鶴田真由を使うのか。それは恐らく役員の決裁が取り易いからであろう。役員会での無難なキャラクター選びのプロセスが目に浮かぶようである。鶴田真由を使う会社より篠原ともえを使う会社の方が楽しい会社のような気がする。

野球解説者

野球の解説者とは何者か。流れ、勢い、ツキ、気持ち、気合、といった精神論・運命論ですべてを説明しようとする。そこには論理性もなければ理論もない。感情と気まぐれがあるだけである。たまに出てくるビートたけしや松村邦洋の話の方が聞いていてよっぽど面白い。かつてのヒーローだからといってTVの解説者をプロ野球OBの天下り先にしてはいけない。

通年採用

4月の定期採用を中止した会社が、人が足りなくなったのか突然慌てて8月入社の職員採用を始めた。なんとも間抜けな話である。そもそも定期採用など止めて、毎月足りなくなった人数を補充する方が効率的だと思うが。少しずつ入社してくると研修の手間が掛かるとか総務的な問題とか色々理由はあるのだろうが、通年採用の方がメリットは大きい。考えてみればなぜ年に一回で1年分の人材補給ができるのだろうか。少なくとも余裕ある人員配置をしていなければ仕事が回らない。つまり年1回採用は人が余っていると社外に宣言しているようなものだ。

従業員になる人に選択の幅をできるだけ与えて上げることが会社のイメージを上げ、優秀でバラエティに富んだ人材を採用できる。限られた優秀な人材に企業が擦り寄っていく時代なのである。専門職採用、業種別採用、中途採用、週休3日社員、在宅社員といった選択メニューの多様化を急ぐべきである。それと同時に多様な人材を効率よくマネージできるマネージャーと経営手法の確立が急務であるが。

通年採用は就職希望者の選択メニュの一つとして提供すべきである。セブンイレブンは商品納入を一日3回やっている。在庫を管理できているからできる芸当である。月ベースの人材管理などこれに比べれば簡単なことである。

 

1997.4.14.(MON)

失楽園

渡辺文学の最高峰「失楽園」がブームになっている。ベストセラーを「少年H」と争い、映画化もされた。日経新聞に連載されている時に斜め読みしただけだが、果たしてあれが感動的な恋愛の究極を描いた素晴らしい作品なのであろうか。死によって本当の愛を貫き通したと言えば聞こえはいいが、要するにただの自分勝手な中年カップルの色恋沙汰である。周囲との軋轢を引き起こし、死に至る訳だが、本人たちにとっての幸せは周りの迷惑というだけの話。

濃厚なラブシーンの描写もあるが、純文学というステイタスに包まれると何故か人前でも堂々と読むことができるようになる。スポーツ新聞の連載と余り差はないように思うが。要するにやっていることは同じなのである。すべてポルノである。

もう一つ気に入らないのは心中する時にシャトーマルゴーを口に含んで死ぬという設定。赤ワインブームをこれ以上盛り上げるのは止めて欲しい。それに私自身シャトーマルゴーを飲んだことが無いのがもっと悔しい。

ここまで書くと「お前文句言いながら結構読んでるじゃん」と思う人がいるでしょうが、渡辺淳一は「化身」位しか読んでいません。化身に出てくる鯖の味噌煮が好きな女は....おっとこの辺でこの話題は止めておきましょう。私は渡辺淳一の作品を純文学だと思って読んでいる人は嫌いです。

席替え

人事異動と共に会社で席替えがあった。と書くと何となく小学生の頃を思い出す。小学生の低学年の頃は机が2つくっついていたので、隣に誰が座るか結構ドキドキしていた。そんな思い出が会社に入って甦るとは思わなかった。席はともかく仕事のレベルは小学生とは言われないようにしないといけない。

ビッグマックインデックス

Economist誌による半年に一度のビックマックインデックスが発表された。これは世界中で売っているマクドナルドのビックマックの値段を為替レートに逆算して為替水準が割高か割安かを見る尺度である。それによると最も割安なのが中国で割高なのはスイスになっている。日本はビッグマックインデックスによれば121円が為替均衡水準とされた。つまり円は今や過小評価されているのである。

 

1997.4.13.(SUN)

新宿御苑

本当にいい天気だった。少し風があったものの、Tシャツ1枚でも過ごせる快適な気候。深大寺ではなく新宿御苑に弁当を持って出かけた。弁当は神田川俊郎先生に作ってもらった。サンクスで売っている2段重ね弁当だ。お昼に着いたが家族連れやカップルで混雑していた。池沿いに敷物を敷いて八重桜を鑑賞しながら、お弁当。そして追分だんごの胡麻だんごと桜餅を食べたらお腹一杯。横になっていたらつい眠ってしまった。

ふぞろいの林檎たち

先週の金曜日からドラマ「ふぞろいの林檎たちIV」が始まった。パート1が始まったのが14年前というから大学2年の時である。ドラマと自分の生活が同時進行していたこともあり、かなりのめりこんだ。シナリオを買い求め、ビデオに録画し何回も見た。今回も新しいシリーズが始まると聞いてわくわくしたが、どうしても毎回ストーリーを追いかけたいというほどの気持ちはない。ただ、昔大学生をやっていた時任三郎なり、手塚理美なりがどんな風になっているのか確認して、今の自分と重ねあわせたいだけである。

Business Week

今週は読むとところが多かった。18ページからルービンの描く為替政策について、26ページにはデジタルテレビの記事。Economic Viewpointでは久しぶりにDornbuschが世界の金利上昇の影響について。特集はアメリカの経営者の報酬ランキング。日本とは1桁違う。53ページにはラテンアメリカの景気と株について。続いて54ページはアメリカの株について。どちらも意外に楽天的である。

 

1997.4.12.(SAT)

HPの会

師匠宅にて「第1回ホームページオーナーパーティー」が開催された。午後1時から夕方6時過ぎまで約6時間。10人以上の方が集まってワインを飲みケーキを食べながらパソコンについて語り合った。こう書くと「ホームページオーナーパーティー」ではなく「ホームページオタクパーティー」と思われるかもしれない。何をもってオタクと定義するかであろうが、知識としてはオタクな方々が多数いらしたが、所謂オタク系のノリにならなくて非常に楽しい会だった。最後は記念写真となったが、これは重いので省略。師匠のページでご覧ください。

それにしても普段お会いできない方々に直接面識を持てたのはよかった。岐阜から日帰りでいらした加藤さん始め、HPの内容と180度イメージが違ったSt.Verdeさん、物静かな中に知性を感じる白塚さん、女性唯一のHPオーナーのりこさん、同じ業界で同期だと発覚した木下さん、相変わらずクールにきめていたAMAYAさん、最年長の内藤さん、会社の先輩Tenjinさん。それ以外にも大師匠加島さんなども参加して、有益なソフト・ハードの情報を得られた。殆どは自分のレベルを超えていたので飲みながらただ聞いていただけだった。

 

1997.4.11.(FRI)

月極駐車場

この話はあちこちで聞くが、忘れた頃に話題になったりする。月極駐車場と書いて「つきぎめ」と読ませるのはなぜであろう。単なる当て字なのであろうか。全国どこに行ってもこの表記は変わらない。

私の母はこの看板を昔見てこう言った「月極(げっきょく)さんて言う方は本当にお金持ちなんだね。日本中どこ行っても駐車場を持っているんだから。きっとお金持ちの華僑の地主に違いない。」 これに似た話は結構ある。私も昔、求人広告の「若干名」というのを若い人を1000人集めるのだと勘違いしていて(わかせんにん、と読んでいた)、「こんなに採用するなんて景気のいい会社だな」と思っていた。

老舗のことを「ろうほ」と読み続けた友達もいた。「虎屋はろうほだ」と言われても最初何のことやら判らなかった。

人の名前も間違えやすい。エステのたかの友梨(ゆり)のことを「たかのともなし」だと思い込み男だとばかり思っていた。

日本語は難しいけど、面白い。

 

1997.4.10.(THU)

インフレ

インフレは死んだのか。エコノミストは論争している。先月アメリカの政策金利引き締めが行われた。失業率の低下と労働コストの上昇がインフレリスクを増大させているため潜在的インフレを顕在化させないというのが利上げの理由の一つである。一方で潜在的インフレなどあるのかというのも一方の議論としてある。

企業がコストを価格に転嫁しにくくなっている。例えばアメリカのマクドナルドは労働コストが上昇気味なのにビッグマックのセットディスカウント販売を始めようと計画している。企業のコストを価格に波及しにくい構造になっている。この裏付けとなるのが、コンピュータによる在庫管理と生産性向上、グローバル競争という2つの要因である。

アメリカよりインフレリスクが高いのは日本である。消費税引き上げと円安で物価は確実に上昇する。さらに長期的には現在の不良債権問題と政府の財政赤字を解消する方法は大幅な円安とインフレの組み合わせになるという最悪のシナリオを唱える人が出てきている。もちろん政府がこのような状況を容認するとは思えない。しかし金融引締めは金融機関の再生を困難にする。またせっかくの景気回復に水を差すので急激には行いにくい。一方で長期的にはさらに大きな構造変化がある。長期金利は財政赤字と世界的景気回復傾向から上昇に転じるであろう。日本人の貯蓄構造も変化しているとの指摘もある。子孫に美田を残す生き方(ダイナスティ仮説)から自分の生活を重視する生き方(ライフサイクル仮説)に移行しつつあるというわけである。したがって貯蓄率は今後低下傾向が予想される。来年の外為法の改正が円の海外流出を加速するかもしれない。政府財政悪化と高齢化問題も円の売り材料。日本売りの材料は依然として数多い。

 

1997.4.9.(WED)

リスク

日本の大企業に勤め上げるのと外資系企業を転職する会社生活とどちらがリスクが高いか。一見すると大企業の方が安定していて社会的地位も高くいいように見える。一つの会社にいても人事異動で仕事は変わる。営業をしていたら研究所に異動したり、経理をやっていたら法務に替わったりという具合だ。このような異動は大企業という閉じた社会では人脈を広げるという意味でメリットがあった。会社の様々なセクションの人から評価を受け自分も幅を広げ、その中から経営者を選ぶというプロセスが機能していた。

しかしこのようなやり方がワークするのは大企業が永続し、業務内容が変わらないと言う前提があってである。最近の官庁、金融、を始めとする組織の腐敗は事業会社にも波及しつつある。絶対に潰れないと言われていた企業が経営不振に陥って、倒産の危機に瀕している。

さらにコンピュータネットワークを始めとする技術革新は従来の知識を価値の無いものにする力を持ち、管理職が独占していた情報を階層に関係無く共有化する働きを持ちはじめている。つまり昔の知識に頼り管理職という立場でしか得られない情報で部下を指導するという方法では組織を動かせなくなってしまった。常にその分野の専門知識を習得し、専門性でリーダーシップを取れなければリーダーとしての見識を疑われる。

外資系企業を転々としている人は、勤務先は変わるが仕事の内容は変わらない。自分の専門分野について様々な会社で腕を磨くことが出来る。したがってその分野での専門知識を売り物に仕事をすることが出来る。ある意味では同じ会社にいて部署が替わるより安定しているとも言えるのではないか。

大企業で部門異動を繰り返すのと外資系企業を転職する会社生活、リスクはどちらが高いのであろうか。

 

1997.4.8.(TUE)

初夏

雨が上がったと思えば、今度は初夏のような陽気になった。表参道から歩いて会社に行くが暑くて仕方が無い。日中も20度を超えたらしく歩いていると暑い。日差しが眩しくて気分は初夏である。夜は表参道の「To the herbs」でピザとパスタを食べて渋谷まで歩いて帰った。結局一日で3駅分歩いたことになる。帰り道は気温も程よく歩いていて最高の気分だった。

円安

1ドルが遂に126円台になった。ある人は行き過ぎと言い、別の人はまだまだ円安は続くと言う。個人的には前から言っているように140円程度には円安は続くと見ている。ただし為替の予想は非常に難しい。短期的に思惑からオーバーシュートが発生し理屈が通らない水準になるからである。為替のプロと言われる方々も今まで多額の損失を出してきた。通貨の相対的な価値であるから、あるべき水準というのも計算するのが難しい。ただ日本に住んでいるのであれば貯蓄の一部は外貨で保有すべきという意味で個人も外貨投資を行うほうがいいというのが持論である。

我々が購入する商品のほとんどは輸入品である。食料品、エネルギー、といった必需品からブランド品まで。円安が進んだ時これらの値段は円ベースで値上がりする。このリスクをヘッジするという意味で外貨資産を保有すべきである。しかも日本は低金利なので金利差が大きく為替が変動しなければ外貨の方が金利収入が多い。もし円高になったら外貨資産は円ベースで目減りして為替差損が生じるが、その時は輸入品の値段が下がっているから生活全体では損にはならないと考えて納得する。

外貨資産として何がいいのか。シティバンクに口座を開いている人がいる。私もその一人である。この外貨預金は便利であるが、金利が低い、為替の手数料が高いという難点がある。そこでお薦めは証券会社の外貨MMFである。証券会社でデュアルカレンシー債ばかり宣伝しているが騙されてはいけない。広告の片隅に小さく外貨MMFと書いてあるのを見逃してはいけない。シティバンクの約半分の為替手数料で預金と同じような使い勝手がある。どうせ毎日使わないお金なら不便なところでも気にならない。ただし通貨の数はシティバンクには及ばない。NZD預金はシティバンクでしかできない。

ウイルス

会社のパソコンにウイルスが感染していて大騒ぎになっている。ネットワークを経由して侵入してきているようだ。ウイルスに感染したと言うことは逆に考えればようやくコンピュータが外部とのインターアクションを始めたとも言える。今まで鎖国状態だったスタンドアローンパソコンが開国した訳である。昔ネパールで登山ブームになり日本から大量の観光客が押し寄せた時ネパール人の間で結核が流行したという話を思い出した。

 

1997.4.7.(MON)

今日も雨だった。しかも時々雷という荒れ模様の天気。これで水不足は解消されればいいが、天気が悪いと今度は作物の成長が悪いとかいって野菜や米が影響される。物事は何でもそこそこがいいという事か。そろそろ雨も終わりにして欲しい。個人的には表参道から歩けないのが辛い。

電磁波

電磁波を気にしている人が多い。会社でも希望者に電磁波防止エプロンを配っている。スクリーンプロテクターを買ったり、胸ポケットに電磁波防止板のようなものを入れている人もいる。果たして電磁波とはどんな害があるのだろうか。害と言えるのか判らないが一説によると男性の場合、女の子が生まれる可能性が高いという。ただ害があるとしてそんな小手先の防止グッズで効果があるのであろうか。ディーリングルームの中はパソコン端末だらけで害があるとしても諦めるしかない。

これが私の生きる道

Business Weekの巻末コラムで「Smart companies are eyeing Japan」と題し、日本割安論を展開している。不良資産で経済は低迷しているとはいえ世界第2位の経済大国で、景気の回復と経済の立ち直りの兆候を見ればその魅力は大きいと見ている。

その一方ではEconomistは日本の銀行の不良債権処理に批判している。北海道銀行と北拓の合併は「2人の溺れる人が泳げるようになると期待してお互いの手を鎖で繋いだようなもの」と酷評されている。日債銀に資金を拠出させられた銀行は株価が急落している。良い銀行が悪い銀行を助ける護送船団方式を未だに続けているわけである。市場が評価する訳はない。

結局日本のしがらみから自由な日本の企業が生き残っていくのであろう。生まれが日本というだけで国が滅びても生き延びるような企業は国がどうなろうと関係無い。

 

1997.4.6.(SUN)

相変わらず天気はぐずついている。一日雨が降ったり止んだり。気温も3月に逆戻りといった感じで肌寒い。午前中は大滝絵画教室に行って絵を描いた。今回挑戦しているのは秋に旅行に行った時の青森酢ヶ湯温泉の水彩画。やっと前回下書きが出来上がり今日から色を付けはじめた。絵を描いている時も歩いている時と同じでα波が脳から出ているのか、とても落ち着いてリラックスした気分になる。すっきりとした気分で家に戻った。

昼食は近くの牛丼屋で食べる。牛丼を食べる度に思うのだが、どうして牛丼屋はどこも看板がオレンジ色なのだろうか。吉野屋も松屋もみんなオレンジ色である。缶の緑茶が緑だったり、烏龍茶が茶色なのは良くわかるが、牛肉とオレンジ色はイマイチイメージが結びつかない。

しかし牛丼というのは不思議な魅力がある。しばらく食べないと食べたくなってくるから不思議である。醤油とみりんの味は日本人にとってなくてはならない味覚なのであろうか。味噌汁の味噌とかつおだしの味と合わせて日本の味のベースなのかもしれない。昔テレビでアラスカかどこかにずっと移住している日本人に味噌汁を飲ませたら感激の余り泣き出したというシーンがあった。幼児期に覚えた味覚は忘れられないのだろう。赤ワインだのフレンチだのとグルメを気取っても最後はご飯と味噌汁に行き着くのが日本の究極のグルメなのだ。

などどくだらないことを考えながら夕方までぶらぶらと時間を過ごす。せっかく一人だからとマイルスデイビスやチックコリアの昔のCDを取り出して聴いてみる。音楽にはそれを聴いた時代の思い出が詰まっている。学生時代の思い出が甦ってきて懐かしい気分になった。またα波が出ているのだろうか。

夕方目白台の「銀八」に寿司を食べに言った。とにかくすごい寿司を食べさせてくれる。いつ行っても絶対に裏切られない味である。不思議なのはいくら食べても値段がいつもほとんど変わらないこと。料金体系が非常に不明朗である。しかしこんなことを言うのはすし屋では野暮な奴ということになるのであろう。値段を気にせずに食べられるというように考えるべきなのか。帰り道「パークハイアット」のラウンジでカクテルを飲んでいった。雨なので夜景はまったく見えない。でもそのせいか空いていてゆっくり寛ぐことが出来た。

サーバーダウン

土曜日にサーバーにつなごうとしたら昼間から回線切断中になっていたので妙に混んでいるなと思っていたら、ある人のHPでサーバーダウンしていたと指摘されてしまった。別に自分が悪い訳ではないが、引け目を感じてしまう。調布のローカルプロバイダーなのでよくサーバーダウンは発生する。でもそこが可愛いところでもある。車も故障しない日本車より、性能が悪くて故障するイタリア車の方が愛着があったりする。自分の子供も不細工であればあるほど可愛いものだと聞いたこともある。それと同じというのは強引な論理であろうか。

 

1997.4.5.(SAT)

爆睡

よく寝る一日になってしまった。朝3時近くに寝たので起きると既に12時近かった。ブランチを食べながら「王様のブランチ」を見て昼から風呂に入った。ゆっくり浸かっているとだんだん眠くなってきた。また夕方4時頃からベッドに入り2時間ほど熟睡。夕食を食べて12時には寝た。天気も悪いし何もしない一日が終ってしまった。

プロ野球

いよいよシーズンが始まった。マスコミの注目は相変わらずイチローと巨人の松井・清原が中心とワンパターンである。ところで開幕の巨人・ヤクルト戦は非常に面白い。巨人が負けたと言うアンチ巨人ファンとしての立場もあるが、野村監督の采配が痛快だ。見劣りする戦力を効率よく使い巨人のバブル戦力を圧倒している。ヤクルトならクリーンアップを打てる打者が巨人では代打でしかなく、出番も無いうちに試合が終ってしまう。宝の持ち腐れ、勿体無い話である。そして移籍選手も違いがある。3億円以上で華々しくFA移籍した清原と広島に戦力外通告され2千万円でヤクルトに拾われた小早川。ホームランを打った時の感動をどちらの選手に感じるだろうか。小早川は清原の高校の先輩であるというのもドラマチックだ。

 

1997.4.4.(FRI)

辞職勧告決議

友部議員の辞職勧告決議に二院クラブの佐藤道夫議員が一人だけ反対し、参議院の全会一致を阻止した。起訴されただけで有罪が確定していない人に対しては、無罪推定の原則で裁判を見守るべきと言う論理には説得力がある。実際ロッキードの田中角栄には辞職勧告決議をしていない。弱い物いじめという見方はできる。オレンジ共済に対する世間のヒステリックな非難が高まっている中での筋を通した行動には、感情に流され付和雷同していく日本人のなかで勇気ある行動として拍手を送りたい。こんな筋の通し方をする人が一人くらいいてもいい。

雇用統計

アメリカ雇用統計が夜発表になった。夜10時半発表は辛い。来週から夏時間なので時差が1時間縮むことになるがそれにしても9時半である。仕事を終えて家に帰ると2時を回っていた。明日も大滝絵画教室には行けそうにない。6月に作品展があるのに最近サボりぎみになっている。

エリートOL殺人

電力会社OLの事件は連日大報道が続いている。それにしてもマスコミの取材の方法には疑問を感じる。本人の過去を暴いたり、確証の無いまた聞きのような噂や、風評をそのまま報道したりとやりたい放題。一流企業のOLの意外な事件という事でセンセーショナルに取材したいのは良くわかるが、プライバシーや人権について普段声高に叫んでいる割には分裂症気味である。死人に口無しとはまさにこの事である。

ジャパン・プレミアム

日本の銀行員に「AYA」というアイスクリームは売れないだろう。「ジャパンプレミアムAYA」という名前では気分も悪いし、割高なイメージになってしまう。ジャパンプレミアムとは信用力の落ちた日本の銀行が支払う割高な金利のことだからである。ネーミングした企業の担当者は日経新聞を読んでいないのだろう。和製英語には時々変なものがある。

 

1997.4.3.(THU)

ぐずついた天気が続いている。午後から雨が降り出し気温も随分下がった。せっかく咲いてきた桜が散ってしまわないか心配。会社の前の桜はほぼ満開に近い状態になっている。このまま雨の週末を迎えると本格的な花見ができずに今年は終りそうで少し寂しい。

天気が悪いと気分も悪い。人間とは感情的な動物である。特に通勤は苦痛になる。まず電車の中が蒸し暑くなる。湿度が高い上に窓を開けられないからミストサウナ状態になってしまう。そして傘が面倒くさい。隣の人の濡れた傘が当たったりすると気分が悪いし、自分も傘を手に持っていると車内で新聞や本を読んだりできない。そして雨が大降りだと、途中下車して歩いて会社に行くということもできなくなる。お昼も雨が降っていると外で食事をするのが億劫になる。体の調子も崩れるし雨の日はろくなことがない。

退会

代々木上原のスポーツクラブを3月末で退会した。結局最後は余り行かなくなってしまった。6月に仙川にオープンするルネサンス仙川に入会するかどうか今考えている。入会金無料で入れるなら取り敢えず入会してみるかという気になっている。でもなかなか行く時間が取れないというのも事実である。

 

1997.4.2.(WED)

そこを何とか

ええ、あの件ですけど。まあそんな感じでなんとかやっていただいて。そういうことでよろしくお願いいたします。え、無理ですか。いやー、そう言わずにそこを何とか頑張ってお願いします。

これでは日本は動かない。

ワイン通とワイン愛好家

「ワイン通が嫌われる理由」(レナード・バーンスタイン/時事通信社)は読みはじめたら止まらない非常に面白い本。ワイン通になるための心得が自身の体験談を織り交ぜながら書かれている。ワイン愛好家に対する皮肉っぽい見方は「見栄講座」や「Official Preppie Handbook」のノリに似た部分がある。と思っていたらやはり原題は「The Official Guide To Wine Snobbery」であった。役に立つ知識が満載されているが、全て真剣に受け取ってはいけない。あくまで遊び心を忘れないことである。

ワイン愛好家とワイン通の違い
ワイン愛好家は飲むためにワインを貯蔵するが、ワイン通はそれについて語る楽しみのためにワインを貯蔵する。

ワイン通がワインを表現するのにふさわしい単語はコンプレキシティ・バランス・フィニッシュの3語。このキーワードでワインの表現をすればワイン通になれる。フィニッシュとはワインを飲み干した後の口中に残る風味のこと。ただしボージョレーのフィニッシュが長いなどと言ってはいけない。もともとボージョレーのフィニッシュは短いということになっているから。雉も鳴かずば撃たれまい。

 

1997.4.1.(TUE)

エイプリル・フール

昔子供の頃はこの日がとても楽しみだった。弟を騙したりして喜んでいたものだ。最近エイプリル・フールが楽しみで無くなったのは、自分が大人になったからだと思っていた。実はそうではなく嘘のような本当の事が日常茶飯事で起きるから、エイプリル・フールの新鮮さが無くなったためだ。

ウオーキング

帰り道、外苑前から渋谷まで歩いてみた。気候も少し気温が低い程度で歩いていると丁度良い気分。ストレスも発散されてすっきりした。渋谷から井の頭線に乗った。どうも先週あたりから人が多いような気がする。気候が良くなったから外出する人が増えたのか、それとも通勤のアマチュアである新人が乗り込んできたので要領の悪さから混んでいるように感じられるだけなのか。いずれにせよ快適な通勤はなかなか難しい。


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