SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1997年9月

 

1997.9.30.(TUE)
<今日の一言>

何十年ぶりかで2日続けて断酒しました。2日位で大袈裟なと言われそうですが、会う人皆に言って呆れられています。

誕生日

今日は誕生日である。といっても私のではなくこのHPのである。昨年の9月末に始めたこのHPがようやく一周年を迎えた。1年と言うと短いような気もするが短い中にも数多くの出来事があった。

今まで面識はあったけれども話をしたことのない人や一度も会ったことのない人ともコミュニケイションできる機会も増えた。自分自身の考え方に大きな影響を与えてくださった方もたくさんいた。個人的にもこの一年は印象深い年だった。7月には11年勤務した会社を辞め新しい環境で仕事を始めた。会社はかわったが仕事はほぼ同じであるけど。

一年というのは短いようで多くの出来事が詰まっている。来年の今ごろ何をしているのか楽しみである。想像できないようなことが起こっていそうで楽しみでもあり恐ろしくもある。

靴ずれ

週末に新しい靴を買った。長年愛用していたホーキンスのビニール底の靴は遂にソールが割れてしまった。同じ靴を買いに行ったらもう品切れだと言う。仕方ないのでABCマートに靴を買いに行った。今度は革底とゴム底の2足を買った。どちらも履きやすそうな靴だが2足で2万円少しである。イタリア製らしいが随分安くなったものである。

今日履いていくと早速靴ずれしてしまった。かかとの皮がむけたようになり少し痛い。しかしいずれ馴染んでくるのが皮のいいところであろう。素材技術が進歩しても皮を越える素材は現れない。木造の家がいつまでたっても一番気持ちがいいのと同じである。

皮も木も相手に合わせて微妙に変わるという特質がある。あいまいな日本人のような素材である。鉄やゴムにはアングロサクソンのような合理性を感じる。白黒はっきりさせなければいけない融通のきかなさでもある。靴の素材としては日本型を推薦したい。

ヤオハンと個人消費

ヤオハンが事実上倒産したのは個人消費の低迷が原因ではない。無謀な海外投資等原因は挙げられているが、直接の原因は一言で言えば欲しいものが売っていなかったからである。

コンビニに行くと感心するのは自分の欲しいものが一つだけあたかも自分が買うのを待っていたかのように売っていることである。都会の夜、一人暮らしの人が明るい店内でこんな場面に出くわしたら結構感動するのではないか。

 

1997.9.29.(MON)
<今日の一言>

サッカー日韓戦は残念でした。テレビで見ているだけでもナショナリズムを感じてしまいました。やはり世界のスポーツは違います。

リンゼー氏

元FRBのリンゼー氏が会社に訪ねてきた。FRBを辞めてから情報提供コンサルティング会社で役員をしている。1人でアタッシュケースを持ってやってきた。

元FRBの経済学者にしては身軽である。辞めてからは1人で日本にやってきては顧客訪問と新規開拓をしているという。アメリカのベンチャー起業家のようなバイタリティである。威張った風を見せるでもなく丁寧に自分の考えを説明してくれる。セールスとはいえなかなかできないことである。

日本の元大企業経営者で自分1人で書類を準備しアポを入れてセールスなんてことができるトップが何人いるのだろうか。専用車に乗って付き人を引き連れてやってくる馬鹿殿様は兵隊には勝てない。

2番煎じ

断筆宣言のときもワゴンさんの引用をし、筒井某の真似をしたため2番煎じとの批判を頂いた。今回摂取宣言をするといったらまた言われるかも知れない。きっかけはある人に最近顔が大きくなったと言われたことである。

昨日はアルコールを一滴も摂取しなかった。記憶によれば今年初めてではないだろうか。最近アルコールを飲みたいと余り思わなくなった。夏はどうしてもビールということになるが、この季節特に飲みたいものもない。そろそろワインの季節であるが、ワインは美味しい料理と一緒にゆっくりとくつろぎながら味わいたいものである。平日と言うよりは休みの日の飲み物であろう。

体重は余り変化していない(と思う)が下半身の成長(いや衰弱だろうか)は少し気になる。脂肪が蓄積されているような感覚である。昨年作ったスーツは店員に勧められ体にジャストフィットするものにした。これが合わなくなったらアウトである。

いっそのことそんなサイズの服をあと数着買ってしまえばもったいないからダイエットするようになるか。あるいはダイエットクラブを結成しお互いに目標体重で握るというのもいいかもしれない。いずれにしても65キロ年内達成が私の個人目標である。

今日も禁酒した。

パソコン鞄

ある雑誌でパソコンの入る鞄という特集をやっていた。鞄の専門家に言わせるとこれは発想が逆である。鞄に入るパソコンという考え方が鞄を大切にする人にはふさわしい。

パソコンはこれからも進化する可能性のあるツールである。最近でも小型化は急速に進んでいる。それに対して鞄と言うのは基本的な形はすでに完成されてしまっている。あとは素材が進化するかということになるが、結局長く使える皮に落ち着く。

パソコン用のビニールの鞄はいろいろ探してみたがデザイン的に許せるものは今のところない。慣れの問題なのかも知れないがどんなにフォーマルに作ってもスーツには似合わない。

皮の上質な鞄を探そうとするとパソコンの形から制約があるというのは選択の幅を狭める。結局、パソコンを持ち歩く人は鞄のセンスにはこだわってはいけないのか。

ダイアナと松田聖子

ダイアナ人気はどこからくるのだろうか。もちろん彼女の美貌やスタイリッシュなファッションにも理由がある。しかし最も大きな理由は王室のプレッシャーの中で自己主張をはっきりしたことにあるのではないか。最後に事故で最後を迎えたことも王室の人間にしては人間臭い。その生き方のわかりやすさに共感した人が多かったと思う。

比較するのも何だが日本で言えば松田聖子が人間臭さで人気を集めている。自己をはっきりと主張し貫く姿は反発も受けたが最後には同世代の女性を中心とする支持を受けた。

ポイントは明るく本音で生きるということだろうか。正論を堂々と主張しリスクを取る人を不確実な時代の大衆は求めている。

 

1997.9.28.(SUN)
<今日の一言>

ようやく良い気候になりました。秋になると向上心が湧いてくるのですがなかなか行動に結びつきません。

業務提携

師匠から昨日メールで教えていただいた。朝日新聞に私が前に勤務していた某信託銀行とシティバンクの業務提携の記事が載っているという。体力のある銀行同士の本格的提携の第一弾との報道である。昔勤めていた会社ではあるがもう私には直接の利害関係はない。

長銀とSBCや日生とパトナムなどと同じような提携だろうと思っている。大和証券のメガファンド(ファンズオブファンズの一種)だったとおもうがシティの元本保証を組み込んでいた商品があった。恐らくそれと同じ手法で元本保証型の投資商品を売り出すのであろう。

商品はともかく某信託で運用をしている私の元同僚の方々は今回の件をどう思っているのだろうか。提携のポイントが本当にシティの運用能力と某信託の販売力だとしたら運用セクションの存在意義が否定される屈辱である。

長銀の人からは残念ながら内部の方の意見を聞けなかったが、今回はいろいろな方からご意見伺えるのではないかと楽しみにしている。

「頑張る」と「一生懸命」

頑張るという言葉は日本人の好きな言葉である。栄養ドリンクの宣伝から、ヒット曲の歌詞にまで登場する。SMAPの歌なんか聴いているとやたらと出てきて耳につく。

頑張るという言葉には悲壮感がある。無理をしてでも今何かをしておけば後で楽になるという響きがある。アリとキリギリスのアリの世界である。そこに何かプレッシャーのようなものを感じる。マラソンランナーに頑張れと声をかける沿道の人々の声にランナーは励まされはするが頑張りすぎて体を壊してしまうこともある。自分の限界以上を発揮しようと無理をするからである。上司が目標達成に向けて頑張れ、と言うと過労死してしまったりする。

個人的には頑張るという言葉より一生懸命の方が好きな言葉である。英語で言えばDo Your Bestであろうか。やるだけやったら結果にはこだわらない潔さがある。

頑張っている人はそんなに頑張らなくてもいいのにと声を掛けたくなる。一生懸命やっている人は周りの共感を呼ぶ。

頑張りますと人に宣言したり、頑張ってと人に言ったりするのは気恥ずかしい。人知れず何かに一生懸命な人が好きである。

大機小機

最近低迷していた大機小機(大磯小磯ではない)が久々に面白い事を書いていた。にぎわう金券ショップの理由が税回避という話である。

法人の経費処理による金券が金券ショップに流れているのは法人税率が高いからという解釈である。法人税引下げの根拠というとすぐグローバルスタンダードを持ち出す人がいるが、税の歪みによる資源配分の非効率という観点からの議論の方が説得力がある。

会社経営の人に飲食の領収書をあげると喜ばれたりする。サラリーマンでも交際費を本来の目的以外に使うのは脱税といえるが罪の意識はない。

こんな不公平がサラリーマンの反乱につながらないのはリスクリターンで考えるとサラリーマンは悪くない商売だからである。サラリーマンにも自己責任というリスクを取ってもらう替わりに自営業者の税の特権も剥奪してもらいたい。こんな提案は意外にサラリーマンから反対意見が出るかも知れない。まだ植木等のようなお気楽な人も結構いるのである。

人間は結構早く死ぬ

高齢化社会人生80年などと書かれると世の全員が80歳まで生きるのかと勘違いしそうであるが、実際平均寿命まで生きられる人は少ない。平均なのだから平均を下回る人がいるのはあたりまえである。だから自分は平均余命より短命だと思っておいた方がいい。

例えば私が60歳で死ぬとする。残り約30年として1万日余りの人生である。こうやって数字にしてみても実感は湧かない。そのために人生年表というものがある。
紙に今までの生きてきた年数とこれから生きるだろう年数を同じ縮尺で書いて見ると毎日もう少し充実させなくてはと思うようになる。

死刑囚の人が毎日を懸命に生きはじめるのは人生の残りが1日かもしれないという究極の状況で生きているからだろう。病を医師に宣告された人も同じような心境かもしれない。長期的な計画はなかなか実行できないものである。

 

1997.9.27.(SAT)
<今日の一言>

寝坊により日記の更新が遅れましたことをお詫びいたします。

横並び

証券不祥事は大手4社に及び、日本企業の横並びがここでも露呈された形になった。他の会社もやってますよ、という囁きが殺し文句となって企業の経営中枢を事件に巻き込んだ。

しかしここで興味の対象となるのはこの4社ではない。4社と取引している顧客の対応である。信託銀行や生保の一部は今回の事件に伴い4社との取引を自粛しているという。総会屋への損失補填という不透明な利益供与などまったくない清廉なこれらの金融機関にとっては4社のやっていたことは許せないのであろう。

自己勘定は自分の金だからどこと取引しようがそれでいい。しかし他人勘定というと話は別である。お客さんから預かった資産の運用に際し発注先を勝手に制限して良いものであろうか。それによって運用成績が低下したらどのような説明を行うのであろうか。あくまで顧客の要請があれば取引先の限定を行うべきであり、人の金の運用まで自主規制されては困るのである。新聞報道によればその辺が明確ではない。顧客からの要請によるものなのだろうか。

そういった明確な考えも無く単なる横並び意識で発注自粛をしているとしたらメンタリティは4社と同じである。事件に巻き込まれなかった幸運を感謝しなければならない。

バーテンダー

バーテンダーという仕事は難しい。おしゃべりはいけない。客の秘密を別の客に話すバーテンダーは誰もが安心して話せない。しかし無口で良いかというとそうもいかない。話しかけられたら話題が豊富でなければならない。酒に関するうんちく話や新聞ネタは必須アイテムである。そしてお客の言う事には何でも反発してはいけない。自慢話もどこかで聞いたような受け売り話も聞きたくもない他人の悪口もすべて聞くだけの器量が求められる。

バーの客をカウンターから見ているといろいろなことが見えたりすることだろう。客とバーテンダーは店での一期一会を楽しんでいる。例え何十年も通う常連でその場では親しくてもプライベートはよく知らなかったりする。名前さえ知らないこともある。

客が急に姿を見せなくなったと思ったら風の噂でその人が亡くなったことを知ったりする。誰かに語りたいこともたくさんあるだろうがバーテンダー本人も様々な秘密を持って静かにこの世を去っていく。

カウンターでシェーカーを振り名前も知らない人達の話を聞く。やってみたい仕事であるが人の話を聞く器量の小さい自分にはできない。

俺は見られている

相場の仕事をしていると誰かが自分のポジションを知っているのではないかと思うことがある。

ある証券を買い持ちにしてその後相場が下がった場合どうするか。相場が戻るのを待つか損切りするかである。

持ち値まで戻ってやれやれと売ったりするとそこから相場が急騰したりする。逆に評価損に耐えられずにロスカットをするとその価格が底値だったりする。

まさに自分の投資行動をマーケットが知っているような錯覚に陥るが、なぜそんなことが起きるのだろうか。

青田買いガイドライン

インターンシップの普及に伴いどこかの官庁が余計なお世話をしてくれるらしい。就職活動の過熱により学生が学問に専念できない状態を防止するのが目的らしいが余計なお世話である。そもそも学問に支障が出るほど勉強している学生はどの位いるのだろうか。

就職活動が過熱化して就職対策にわか勉強で自分の専門分野の本でも読みはじめる方がよっぽど学生の勉強になったりするのではと皮肉りたくなる。

逆に企業側から言うとガイドラインが無いと大企業に学生をとられてしまうという中小企業の論理があるのかもしれない。しかしこれもおかしな考えかたである。

学生が行きたい会社に行ってやりがいを持って仕事をするのが社会の為である。中小企業にはそんな規制にすがらなくても必要な人材を確保する手段はいくらでもある。将来性と経営方針、評価体系がしっかりしていれば大企業などよりよっぽど良い人材が入社を希望する。

そもそも大企業を志望する学生は有名大学出身かもしれないが、リスク回避型の保守人間である。そんな人材は中小企業にはたくさん必要ない。むしろ従来の慣習や、ヒエラルキーといった固定観念にとらわれない柔軟な思考のできる人材を採用すべきである。

労働市場で行わなければならないのはそんな規制ではない。採用の自由競争と労働市場の流動化である。自由に競争し採用側はいかに良い会社かをアピールする。学生も自分の能力をアピールする。条件が合えば雇用契約を結ぶ。もし仕事を始めて会社と方向性が合わない事が分れば違う会社で自分の能力を発揮する。不動産と同じように新築と中古の市場を整備すればよい。

労働市場の流動化は企業のデメリットばかりが強調されるが、人材の効率化という点ではメリットがある。人材の流出というデメリットは採用側から逆に見れば人材の獲得である。流動化したら今の社員より良い人を採用すれば良いだけのことではないか。

 

1997.9.26.(FRI)
<今日の一言>

ようやく出した挨拶状が届いたらしくたくさんの方からメールを頂いております。今はこうやってコミュニケイションを取ることができるのです。

もの食う人々

ミーティングをする時に自分の飲み物を持ち込んでやることが多い。昼食のサンドイッチをつまみながらの打ち合わせなども結構増えた。

アメリカの大学では授業を聞きながらハンバーガーを食べたり、ジュースを飲むのは普通である。日本では失礼だと怒り出す教授がいることだろう。時間に遅れて毎年同じような講義内容を聞かせている怠慢な教授の方がよっぽど失礼なのだが。閉じたギルド社会にいる人にはわからないらしい。

仕事をしながらお茶を飲む人も多い。結局は仕事の結果の問題であろうから、お茶を飲もうがお菓子を食べようが、アウトプットをきちんと出している人と仕事がしたいものである。

ただしお茶を飲んでいる人にはこぼさないのが前提ということだけは徹底しておきたい。コーヒーに滲んだ書類は見たくない。

なわばり

相変わらず無くならないのがファストフード店などで注文する前に席を荷物でとる人である。どういう心理状態なのだろうか。ひどいのになると席にハンカチを置いてから注文の列に並ぶ人がいる。電車でも通勤ラッシュの時に席に荷物を置いて買い物に行く人がいる。

今後日本も今以上に治安が悪くなれば荷物を手元から放すことが危険であることに気が付き、こんななわばりを主張する人達もいなくなる。

駅前放置自転車問題も同じである。放置した自転車を盗む人がもっと増えれば放置自転車問題は解決する。

車の駐車違反にしても婦人警官がミニパトの人海戦術でやっても限界がある。むしろ中途半端にやることで不公平感が高まっている。民間企業にレッカー異動業務を委託し、出来高払いにすれば業者は先を争ってレッカー異動を始めるだろう。結果駐車違反は減少する。

田舎では鍵をかけずに外出しても安全である。ムラ社会には相互の監視とお互い持ちつ持たれつという甘えの構造があるからである。東京は都市社会であるが、社会出身の個人の集まりである。お互いの顔の見えない都市社会にムラ社会の甘えの構造だけを持ち込まれても周りの人は迷惑なだけである。

同期会

せっかくのNorikoさんのイベントのお誘いを断ってしまった。同期会の先約があったからである。

9人で鉄板焼きを食べる。9月入社を加え更に賑やかになった。座敷で始まった宴会は予想通り異常な盛り上がりを見せる。1月前にやった時はまだ皆入社直後ということで前の会社を引きずっていたが、今ではすっかり新しい会社の人になってしまっている。

従業員100人余りの小さな会社であるから、顔と名前がすぐに一致する。名前を思い出せなくても「あの○○に似た人」というと大抵話は通じたりする。逆にインフォーマル情報があっという間に広がるムラ社会的側面もあり、この辺は痛し痒しといったところである。

当然のように二次会に突入し、一部記憶が飛んでしまうほど飲んだ。タクシーで家に辿り着いたら2時を回っていた。それにしても同期のパワーには圧倒される。皆明るくいい人ばかりなので、楽しい時間を過ごす事ができる。人に恵まれるのは有り難いことである。こういう人達は大切にしなければいけないと思っている。

手巻きコンピュータ

ロンドンで手巻き発電によるコンピュータを開発しようとしている発明家がいると聞いた。蓄音機の発想でバネの反発力を利用して発電し、パソコンの電源にするというものだ。

どの程度のエネルギーが産み出せるのか判らないが、実用化されるとバッテリー問題が解決する有力な手段になる可能性がある。アマゾンや砂漠に出かけていっても電源に悩む必要はない。

手巻きの携帯とか、万歩計や腕の振動をエネルギーに変えるような仕組みなどが開発されれば面白い。腕の振動を使った時計は実用化されている。鞄の中に入れておくと振動で充電されるパソコンができる日が来るのであろうか。

 

1997.9.25.(THU)
<今日の一言>

日記再開いたしました。再開に際したくさんのメールを頂きました。個別にお返事差し上げる事はできませんが本当にありがとうございました。変わらぬご支援そして率直なご批判をお願いいたします。

停電時間

年間の平均停電時間を国際比較すると日本は年間5分で、欧米は1時間以上だという。日本の電力会社は供給責任を十分に果たしているわけだ。

インドに昔行った時夕方になると必ず停電していた。現地の人も慣れたもので、停電の時間は驚いた風も無く普通に過していた。停電が生活パターンとして織り込まれてしまっているのである。

日本の電力会社が供給責任を果たしているからといって値段が高くて良い訳はない。2割引で停電年間1時間だったら少し不便でも私はそちらを選択したい。

同期

前の会社の同期からメールを貰った。彼とはたまに飲むといつも会社の問題点を大声で議論しあうという関係だった。彼は転職のリスクと同じ会社で仕事を替わるリスクについて考えている。

私は違う会社で同じような仕事をしている。彼は同じ会社で仕事の内容が変わったらしい。彼はそのような所謂ローテーションに非常な危機感を持っている。

リスクといえば日本の会社はレイオフしないが(今までは)、外資系はいざとなったら平気でレイオフするというイメージがある。本当かどうかは別として、その意味では外資系はリスクが高い。しかも財閥系銀行と従業員100名余りの投資顧問では規模がまったく違う。

こんな仕事のリスクリターンを考えてみるのは面白い。この問題のポイントは自分がどこの会社に勤務しているか、ではなく何ができるかの方がずっと大切だということである。

運賃値下げ

京王線が9.1%の運賃値下げを申請した。私鉄運賃の値下げは戦後初めてということである。京王線は輸送力増強の設備投資は一段落したとの判断で今回の決定をしたらしい。

京王はすでに少子社会の到来を予想しての決断であるとすれば、大英断かもしれない。既に私立の小学校などでは熾烈な児童獲得合戦が始まっている。沿線に大学が多い京王線は10年後その波の影響を受ける。

鉄道のライバルは車や平行して走る別の鉄道だけではない。通信だって競争相手である。通信コストが下がり、技術進歩によりテレビ会議が当たり前になれば当然電車の利用は減る。

都市間の競争もある。魅力の無い都市からは人が逃げ出し。その沿線人口は減少する。ロマンスカーを通勤ラッシュ時にも走らせて複々線化をしようとしている鉄道もあるが、このようなディベロッパーの発想から未だに抜けきらない会社と京王がどのような未来を迎えるかに興味がある。

銀行員の給料はなぜ下がらないか

新聞によれば一部のリストラ金融機関を除き銀行の平均給与は相変わらず高止まりしている。元銀行員として言わせていただくと銀行員の給料が高いというのは確かである。問題は高いことではない。全員が高いことである。そしてその源泉は規制から来ている。

銀行業界も今までは箱庭競争であった。決められた規制の中で小さな差異による競争を行う図式である。あっちがミッキーならこっちはスヌーピー、ピーターラビットからけろっぴまで何でもありである。

デレホンバンキングといえばどこもかしこも真似をする。まあ24時間対応もせずテレバンと言うのはシティバンクに失礼だし。外貨預金取り扱いというのなら、せめて5通貨位は取り扱って外貨払い出しを可能にする位のサービスをして欲しいが。

どうせ規制は無くなるのだとしたら給与水準を一刻も早く市場レベルにまで下げてあげるのが最大の社員厚生である。準備運動もせずいきなり冷たいプールに飛び込むのは大量の死者を出す大変危険な行為である。

 

1997.9.24.(WED)

佐藤長官辞任

思ったよりも早く自発的辞任を強制された形になった。しかし橋本内閣はこれで許さると思ったら大間違いである。騒いで辞めたら満足というだけではただのガス抜きに利用されただけである。今回の件で首相は党内では義理を果たしたことになる。つまり得をしたわけだ。だったらそれ以上の損をしていただかなくては罪ほろぼしにはならないであろう。

一連の動きを見て国民の良識は残っていたと喜んでいる脳天気な人もいるらしいが良識を示すのは選挙である。来年の参議院選挙を見るまではわからない。日本人はもっと執念深くならなければいけない。

野末珍平

「老人栄えて国滅ぶ」という本が出版された。まさに老害の国日本を描き出した快作といえるだろう。この国では何かというと弱者であるお年寄りと子供を守れというが、彼らは今や特権階級である。

年寄りは今や若者なんかよりよっぽど金持ちである。高度成長期に土地のキャピタルゲインを享受し、年金もある。子供だって豊かな生活を送っている。確かに例外はある。神戸の震災で財産を失った人もいるだろうし、家族の看病に苦労している老人がいるのも確かである。しかしそれは個別の問題として考える事であり、年寄りだからといって全員に同じ社会政策を取るということにはならない。

病院に遊びに行く老人の笑い話があるが、年寄りにはエネルギーが余っている。なぜ全員一律に定年する必要があるのか40歳でも定年したほうが良い人もいるし、70歳でも現役でいてほしい人もいる。

老人は暇だから選挙には律義に行く。集票を期待する国会議員が甘い福祉政策を実行する。高齢者は一つの圧力団体となりつつある。

消費

休みの日の火曜日、新宿と渋谷に1人で出かけた。高島屋と公園通りを歩いてみた。

雨の休日というのに新宿高島屋は大変な混雑である。さすがに開店当初の異常な混雑は去ったが、それでも結構な繁盛である。入口で発行している高島屋カードも皆行列で作っている。消費は堅調ではないのか。

しかし渋谷に行くとやはり人が少ない。公園通りに向かう西武百貨店の前の歩道も空いている。昔は身動きが取れないほど混雑していたのに。お店も空いている。買い物は快適にできるがやはり衰退した街という印象は拭えない。

エコノミストはデフレだ恐慌だと騒いでいるが、本当にそう思っているのだろうか。確かに昔に比べて日本人の財布の紐は固くなった。しかしそれは昔が異常だったのであり今ようやく必要なものにリーズナブルだと思う価格を支払うという当たり前の消費行動ができるようになっただけである。その証拠にルイ・ヴィトン、ロエベといったブティックには相変わらずたくさんの人である。

必要なものには出費を惜しまない。そのかわり必要無いものにはビタ一文金を使わない。同じ品物は少しでも安く買う。消費者として当たり前のことである。それが今までは変な規制がたくさんあってできなかった。ヤオハンが今まで潰れなかったのはそんな規制の恩恵が主因である。

今後この流れはもう変らないだろう。気持ちよく良いものを買うデパート。どこで買っても同じ物を少しでも安く売るディスカウンター、値段は少し高いがいつでも欲しいものが手に入るコンビニ、どれかで一番になるしか小売に生き残りの道はない。

10000件突破

20日の朝10057になっていた。一万件突破である。しかしHPに関して言えば件数のことより断筆のことで頭がいっぱいになっていたので、感慨に浸る余裕は無かった。このまままったく何も書かなくなったらどうなるのだろうか。

その内誰もアクセスしなくなり、ネット社会との関係が疎遠になっていくのだろう。メールだけを誰かとやりとりしたりしているのだろうか。それともパソコン自体に余り触らなくなり気がつかないうちに使わなくなったりしているのだろうか。

ネットとは自分にとって何なのだろうか。今までの人生で出会えなかった人と出会えるメディアという価値はずっと感じてきた。自分の意見を発表することなど機会のなかった私にとって多くの方が瞬時に意見を送ってくれる場としても貴重なものだった。これが無くなると自分はどうなるのだろうか。新宿駅の地下で「私の志集」を売っている人の横で「私の日記」を売りはじめようとするのだろうか。

バーチャルの世界から逃げ出して現実に逃避するのだろうか。そしてネット社会の悪口を言いはじめるのだろうか。「俺は昔HP作って色々やったけど、あれって意味ないぜ」なんて西麻布のバーかどこかで得意げに語っていたりするのだろうか。

そうはならないと思う。ネットが自分の存在価値のかなりを占めるようになっているのは否定できないからだ。朝眠くても5時半に起きようと思う。まだ1時間は寝ていられるのに。それはネットをやろうと思うからである。どんな人からメールが来るか、あの人のページには今日どんなことが書いてあるのだろうか。今日は何を書こうか。この好奇心が睡眠より優先する。

師匠の言うとおり、ネットに対する過度の信奉は危険である。問題も多々存在することは否定できない。しかし少なくとも今の自分には無くてはならない大切なものである。断筆宣言などと大人げないことをしてしまい、戻るに戻れなくなっている。

そうは言っても書きたい事は書き溜めておこう。人には見てもらえなくても少なくとも自分の欲望は満足できる。

偉い人とえらい人はどちらがエライか。

言葉とは所詮記号である。養老孟司は「解剖学教室へようこそ」の中で名前をつけるという事はものを切ることだと言っている。言葉という記号を世の中に存在するものの範囲を決めることでそこに言葉を貼り付ける作業が解剖だという。

養老氏の言うとおり有形のものは切り取る事により言葉とものの関係を明確にできる。しかし好き嫌いのようなイメージでしか捉えられない感情の共通認識を確認するのは難しい。例えば奇麗な奥さん、と言う時の奇麗なとはどんなものか。人によって違う。ある人は黒木瞳を想像しある人は高島礼子を思い浮かべるかもしれない。言葉の上では一致していても実態は一致していない。

更に日本語は奥が深い。先生なら尊敬だがセンセーとなると軽蔑の気持ちが込められる。同じ発音でも文字で意味が変わる。文章を書いていると自分の思い通りに書けなくてもどかしい思いをする。自分の見たものをそのままに表現することの難しさ。自分で伝えようと思った事が上手く伝わらない表現力の限界。

言葉は切れない包丁のようなものである。普段は切れの悪さにいらいらしたりするが、力を入れると突然スパッと切れたりして大怪我をする。

ごめんなさい

断筆宣言などと大人げ無い事をしていたが、さらりと再開することにした。さらりと始める前に少しうだうだ書くことにする。もうこの話はうんざりという方は以下の文章は流して下さい。

なぜ断筆宣言などしてみようと思ったのかは良くわからない。師匠がどう思うだろうか興味があったのかもしれないし、普段日記を読んで頂いている方からの反応を知りたかったのかもしれない。実際20日の朝メールを開けるとたくさんの方からそれもかなり長文のメールを頂いた。皆さんそれぞれ色々とお考えはお持ちのようで参考になった。励ましのメールもあればやんわりと批判するメールもあった。共通するのは皆真剣にこの事件に対する自分の意見をはっきり持っていたということ。行間から熱気が伝わってくる。

お会いしたことさえないYさん、Sさん、Iさん、Uさん、Kさん、Iさん、一万件ゲットのNさん、岐阜のKさん、大阪のNさん、ボストンから愛のAさん、調布のOさん、NYのAさんそしていつも励まして頂いているSさん、Wさん、Vさん、Nさん本当にありがとうございました。自分がどこにいるのか冷静に考える事ができたのは皆様のお陰と思っています。助かりました。

読んでいるうちに断筆は間違えだ、とあっさり自覚してしまった。反省はすべきだが断筆というのは別に反省にもならない。自分の考えている事を正確に書き続けることの方が正しいと思うようになった。表現力が無かっただけなのだからそれを正確に伝える努力をすればいい。断筆なんて子供が親に怒られて拗ねて部屋に篭ったようなもんだ。後から出て行く時のあの気まずさを今感じている訳だ。どうせ出て行くなら早い方がいい。

でもどうやってこの状態からのこのこ出て行けるのか。引っ込みがつかないとはこのことである。昔テレビに出ないと豪語していた吉田拓郎や松山千春はどうやって落とし前をつけたのだろうか。そんな事も考えた。

この間、師匠にも長文のメールを頂いた。内容はここでは敢えて書かないが、さすが少年のように見えて(外見ではなくキャラクターが)も思慮深いと感心した。言葉に対する感性の鋭さは想像できない程鋭い。扇子をパタパタやりながらオフィス中に響き渡る大きな声でクシャミをしている人(失礼)とは思えない繊細さである。

ネット仲間からの「外から見ている人は仲間割れしていると思うかも」、という指摘も頂き気になった。本人同士は気にしていなくても周りから見ればそうも見えるのかもしれない。ネットは楽しく、お互いハッピーに、が私のモットーである。議論は真剣にして、終ったら楽しく過ごしたい。

そんな様々なことを考えている内にもう師匠は次の事を考えている。音声を使ったコミュニケイションだという。スピードの経済である。一つのことに凝り固まっている時間はない。ということで以下の訂正を持って仮出所させていただくことにした。

不適切な表現があったので修正いたします。

「インターネットの世界で『応援したくなる』のは間違っていてもいいから自分の考えやオリジナルな情報を発信しているやつ、『たまにはご意見をお聞きしたいなと思う』のはただ読んで利用しているだけのやつ、『余りお付き合いしたくない』のは批判だけするやつ」、、、最近一番『勉強させて頂いた』フレーズです。(『』内が変更部分) これで私もこの話はおしまいにしたい。断筆解除に異議を唱える方でもいらっしゃれば別ではあるが。

似た者同士

ばぶばすさんのページに行って見た。フロントページがすっかり秋になっていて素敵である。シンプルな中にもセンスを感じる一番のお気に入り画面である。青山の並木道であろうか。

彼とは会った回数も少なく、直接会話を交わした事もそんなにない。パソコンと法律に対する驚異的な知識はとてもかなうものではない。才能とパワーの持ち主である。

そんな私にとっては雲の上のような人であるが、感性は共感できるところが多い。その一つが田中康夫氏に対する彼の評価である。田中康夫氏をどう見るかというのはその人の感性を判断する上で一つの尺度になると思っている。大江健三郎氏なら誰しも評価するだろうが田中氏の場合評価は割れるからである。

女性の中には嫌悪感を示す人も多いだろう。只の女たらしの気持ちの悪い人、というのが平均的評価であろうか。興味が無いという人も多いだろう。ブランドを追いかける軽薄なテレビ文化人という位置付けをする人もいるだろう。

私自身完全に彼の考えに心酔しているわけではない。神戸の大震災でボランティアをし、それを震災日記という形で本にしてしまうメンタリティには(例え本の売上を寄付していると聞いても)違和感を覚える。また自分の私生活をイニシャルで語る「噂の真相」誌上のペログリ日記にしても昔週刊現代でやっていた黒服日記と同じ所詮「覗き見ジャーナリズム」に過ぎない。

しかし彼の思考の根底にある「すべての価値は等価である」という定理はバブル崩壊後の現代においても色褪せる事は無い。ルイ・ヴィトンのバッグのマークと芸術院会員の会員証は等価だと「なんとなくクリスタル」から10年以上も言い続ける彼の主張は記号社会の本質を突いている。

人に恵まれる

生まれてこのかた人に裏切られた事がない。社会人生活も11年以上になるが、お付き合いさせて頂いた方はいい人ばかりである。そして多くの人からたくさんの事を学ばせてもらった。

こんな事があった。ワイン好きの上司がいたので叔父さんが経営している機山ワインの話をした。是非行ってみたいと言う。そこで日にちを決めて頂ければ私がメールを送っておきます、と言うとそれは必要ないという。甥の上司が行くと知れば叔父さんも気を遣うだろうし、自分もそういった関係を利用したくない。行きたい時は勝手に行くのでと言う。

なかなか言えないことである。私なら使えるコネなら紹介してもらい、特別なはからいをしてもらえるのではないかと期待する。

こんな話を書くとこいつは上司にネット上でおべっかを使っていると思うかもしれない。実際その上司というのはパソコンにも造詣が深く、ネットも私などよりはるかに前からやっている。しかし彼は私のHPも見ないことにしている。仕事上の関係を乱す可能性があるからだという。そして私が見られていることを意識すれば書きたい事を書けなくなるだろうという配慮である。過剰なまでの禁欲主義である。

面識は無いが個人的に尊敬している住友電工の川上前社長の話を思い出す。彼は自分の部下をゴルフや麻雀に誘わない。仕事上の人間関係を仕事以外に利用する危険があるからだという。そこには仕事をビジネスとしてきっちりこなしたいというプロ意識がある。心地よい緊張感が仕事に対する意欲を高める。

社会人になるとなぜ勉強したくなるのか

学生時代勉強しなかったくせに社会人になると急に勉強したくなったりする。あるいはもっと勉強しておけば良かったと後悔している。こんな気持ちの人は結構多いのではないか。

例えば高校の時数学の時間行列の勉強をしていた時何の為にやっているのか疑問に思った。ただのパズルを解くような感覚で勉強をしていたような気がする。ところが最近仕事をしていると昔やったこんな知識が役に立ったりする。

勉強には意味も無く取り敢えず頭に入れてしまうもの、つまり体で覚えるもの、と理屈を学んで整理整頓して理解するものの2つがあると思う。語学なんかは前者だろうし、理科系は後者だろう。年齢によっても違う。小学生位までは何でもスポンジのように吸い込む脳がある。この時期には取り敢えずできるという成功体験を積ませることが大切だ。誉めるのが一番。公文式はそこを押さえているから受け入れられた。

中学高校となるとそうはいかない。大人が誉めても簡単には騙されない。なぜ・どうしてという疑問が解けないとモヤモヤする。そしてなぜ勉強するのか、という根本的疑問を持ったりする。そういう時期に勉強したいと思うには目的がなければならない。

学校教育の最大の問題はここにあるのではないか。大学受験生までに相変わらず歴史の年号や、古文の動詞の活用の丸暗記ばかりさせている。小学生なら喜んでやることも高校生には意味の無い努力に写る。

古文など歳を取って勉強したくなってからやれば良いと思うのだが。高校生にもののあはれ、といってもわかる人はそういない。修学旅行で京都に行った人は多いと思うが覚えているのは煙草や酒を飲んだりしたこと位だろう。そんな意味の無い旅行するより保証人と連帯保証人の違いとか投資の自己責任原則とか薬物の恐ろしさでも教えるのが義務教育の優先事項だと思うが。

一旦社会人として働いてみて何が必要かを実際に体験してから再び学校に戻る。こんなパターンがもっと広がってもいい。年功序列の同期並送システムは止めにして、ピラミッド型の学歴社会から八ヶ岳型のオーダーメイド教育社会を作る時期に来ている。

幸いにして最近の少子化はこれを可能にする。私が小学校の頃1クラスは50人以上いた。一人の先生で個性ある教育などできるはずはない。人が減り教師が余ればオーダーメイドもできるようになる。その分コストはかかるのだろうが、パソコン導入や能力別クラス編成で生産性は上げられる。

教育はマクロで見れば国家を挙げての巨大な投資である。そしてミクロでは個人の生き方まで大きく変えてしまう。

年齢

日本人は歳を気にしすぎる。少しでも若いことが美徳の社会である。早生まれとか遅生まれといった些細な差異に一喜一憂したりする。それは教育システムと企業の雇用システムに原因がある、といったら偏見だろうか。

6歳で小学校12歳で中学校そして高校。大学に行けば22歳で社会人だ。浪人や留年なんかしなければ同じ年に生まれた人は同じ年に卒業し、社会人になる。

会社は年功序列である。同期入社はヨーイドンで走り始める。横を見れば自分がどこにいるのか相対的には常に判る。便利で効率的な仕組みである。

効率は良いが弊害も多い。同期しか目に入らなくなり同期という均一な集団内での差異にこだわるようになる。日本という狭い社会の企業という閉じられた社会の同期という小さな集団での競争である。

そんな「箱庭競争」が生活全般にまで浸透している。シャツの胸に付いているマークがペンギンか馬かワニかで差別化する。車のナンバーが品川か練馬かで区別する。携帯の電話が030で始まるのを欲しがる奴までいるという。

その小さな差異の一つが年齢である。二十歳そこそこの小娘がもう私たちおばさんだからなどと言っているのを聞くと若さに対する執念を感じる。

しかし若さが賛美される時代はもうすぐ無くなる。急速な少子・高齢化社会がやってくるからである。消費のボリュームゾーンが中高年に移り彼ら(将来の私)が時代の主導権を取るようになる。子供の数は減り大切にはされるだろうが企業の商売にはならなくなる。ディスコはダンスホールになりサッカーショップは登山用品店に衣更えする。

ルノアール

画家の話ではない。喫茶店の話である。15年ぶり位に喫茶ルノアールに入った。店内は昔と変らない。広々として清潔である。ホテルのロビーのような内装である。椅子もゆったりとして気分が良い。アイスコーヒー510円。これは高いだろうか。

同じ値段でも雑巾を絞ったようなコーヒーを飲ませたり、サービスの悪い店はたくさんある。ルノアール、談話室滝沢といったチェーンはゆったりとした時間を売るという喫茶店の本質を守っている。顧客のニーズを確実に捉えていると見た。

ドトールの快進撃を見て中途半端な喫茶店が増えた。値段も中途半端、味も中途半端。これでは虻蜂取らずである。ゆっくりと豊かな時間を喫茶店で過したい人はたくさんいる。価格に見合ったサービスを提供すれば客は付くのである。

<断筆中のフロントページ掲示内容>

今回の騒動につきましては多くの方を巻き込んでしまい、ネット社会のエネルギーに驚いた次第です。自分自身よりもまず引用をさせていただいたワゴンさんにもご迷惑をかけたのではないかとそのことがまず気掛かりであります。

ネットは素晴らしい可能性を秘めたメディアであり、これ無しに私の生活は成り立たないといっても過言ではありません。ただ今回のようにある事件をきっかけにして思いもよらない方向に事態が発展する過激さもあるのは事実です。

断筆しようと思ったのは発言に不適切な表現があったと認め、反省したいと思ったからです。確かに「最低」とか「ダメ」という言葉はきつすぎる。不快感を示した人も結構いたようです(私には直接は入ってきませんでしたが)。それは大いに反省すべきでしょう。また「えらい」という言葉も奢りを感じる言葉ではあります。自分が人の立場に立って考えることの難しさを痛感いたしました。

ただ、このまま断筆を続けるのは何の為になるのだろうかと今は考えはじめています。読んで頂いている方も師匠も喜ばないし、私自身のフラストレイションも溜まる。何の為にもならない。とすればやはり再開したいというのが正直な気持ちです。もう日記は書き溜めており、後は断筆するといったのにのこのこ出て行く時の言い訳と恥ずかしさをどうやって克服するかの問題だと思っています。

「すっきりと謝ってさらりと再開したい」、これが私の本心であります。

たくさんの方からご意見を頂き、涙が出ました。とても親しくさせていただいている方から、まだ一度もお目にかかった事のない方まで心から感謝いたします。これからも末永いお付き合いをお願いいたします。

 

1997.9.18.(THU)
<今日の一言>

食欲の秋です。食べ過ぎないように注意しなければいけません。

「次はこうなる」

堺屋太一がいつもの調子の明快な日本の未来予測の本を書いた。この人が本を書く時の定番は (1)まず自分の昔の本で予想したことが如何に当たったかを回顧する「油断」から始まって「知価革命」など前半はいつも今までの著作のレビューである。この辺は年寄りの自慢話と軽く流すのがいい。

(2)次に歴史を振り返る。特に江戸時代の経済などを引き合いに出しながらこれからを予想するのは得意技である。

(3)そして最後に自分の予想を大胆かつシンプルに述べる。

こういう本は本屋で立ち読みするのに丁度良い。

拝啓、師匠殿

突然ではございますが一筆啓上いたします。

「インターネットの世界で一番えらいのは間違っていてもいいから自分の考えやオリジナルな情報を発信しているやつ、一番ダメなのはただ読んで利用しているだけのやつ、最悪なのは批判だけするやつ」、、、最近一番気に入っているフレーズです。
この引用に対する強い嫌悪感、大変ご立腹のご様子と拝察いたします。奢り高ぶったお調子者とお笑い下さい。HPを持たない人をホームレスといって見たり、まったくこのような高慢と誤解されるような発言は反省しなければなりません。謙虚さを忘れた人間には進歩は無いというのが私の基本的信念ではあります。

ただ正直言って私自身発言するから偉いと思ったことはございません。どちらかといえば恐る恐るインターネットを使って自己表現しているという気持ちです。偉いという他者との比較ではなく、どちらかといえば単純に自己陶酔しているというのが実態です。相対的優越感ではなく絶対的な満足感であります。

ただ読んでくださる方からの発信がないことに対する寂しさはいつも感じております。自分の声が闇に吸い込まれるような、と言えばいいでしょうか。また滅多に頂くことはありませんが、マナーを無視した一方的な批判メールや、人の揚げ足を取るような非建設的なメッセージには腹を立てているのも正直な心境であります。このような気持ちがあのフレーズに対する自分の素直な反応になったというのが私の気持ちでございます。いづれにしましてもこの程度の表現力の貧しさでは芸術家への道は遠そうです

1万件にも到達間近でもありますし、謹慎の意味も込め、しばらくこの日記を断筆しようかと思います。皆様のご意見をゆっくり伺い自分を見詰め直すのに良い機会とも思います。筒井某ではありませんが機会を見てまた復帰したいと思っています。また日記を毎日更新できる日を楽しみにいたしております。敬具

 

1997.9.17.(WED)
<今日の一言>

雨の日は昔から嫌いでしたが、最近もっと嫌いになりました。傘が邪魔でモバイルギアを電車で打てないからです。

新聞休刊日

火曜日は新聞休刊日であった。寡占によるカルテルである。一斉に休まなくてもいいのにといった話をすると地方では販売店が全部の新聞を扱っているから全部休まないと意味が無いという人がいる。

これは今までの日本の発想である。つまり少数の弱者のために多くの一般人が不利益を被るという構図という意味だ。大店法も小さな店を保護するという名目で消費者の利益を犠牲にした。

いよいよ日本も差が付く社会に入ろうとしている。社会不安が起きて治安が悪くなると心配している人がいるがもっと心配なことがある。妬み・嫉妬の発生である。隣の芝生を見ないで自分の価値観を大切にする生き方にしないとこの問題は解決しない。

読書の秋

連休中に本を何冊か買った。

まずは
図解財政のしくみ(宮脇淳)
財政再建と世間騒ぐが、意外に皆詳しいことは知らないものである。例えば一般会計と特別会計がどのくらいの規模なのかなんてご存じだろうか。今話題の財政投融資といった知っていそうで実は体系的にわかりにくいことを図解した本。日本の行政の貧困さに寒くなる本。

経済指標の見方・使い方 (東洋経済/日銀経済統計研究会)
さすが日銀のスタッフが編集しただけあって統計の罠に陥らないようなアドバイスが随所に。大学のゼミの後輩の本幡君の名前を執筆者に見つけたときは嬉しかった。まともな本。

戦後50年の景気循環(篠原三代平/日本経済新聞社)
まだ読み始めたばかりであるが景気は循環しているという仮説に基づいた戦後日本経済の分析を試みている。というより戦後の50年を眺めていたら重患サイクルがあるとしか考えられなくなったと言うのが筆者の実感のようだ。統計学の権威が買いた本だけにデータには信憑性がある まともな本を探すとどうしても出版社が東洋経済や日経新聞になってしまう。決して総合法令や大雄社のにはならないのである。ただし「成金と資産家」だけは例外である。

 

1997.9.16.(TUE)
<今日の一言>

機山ワインを作っている親戚の叔父さんが特別編集版「じゃらんDEドライブクチコミ1539」の裏表紙のイラストに載っています。美味しいワインが飲める小さなワイナリーです。

妥協のできない冷たい人

新しい会社の人と飲みに行った時、「妥協のできない冷たい人ですね」と言われてしまった。妥協のできないというのは初めて言われた。意外に時代に流されるタイプなので「世渡り上手」と言われる事がたまにある。冷たいというのは人から良く言われる。カメレオンみたいですねと言われた時も嬉しかった。もちろん顔ではなく性格が似ていると言われたと信じているが。

冷たいと言われるは必ずしも悪いことだとは思っていない。結構嬉しかったりする。私は冷たい人にも2通りあると思っている。表面的に冷たい人と本当に冷たい人である。これをマトリックスにすると表面上冷たく本当に冷たい人から表面上も本当も冷たくない人まで4通りに類型化できる。

私がなりたいと思っているのは表面上は冷たいが本当は暖かい人である。表面上も本当も冷たくない人は只のいい人でつまらない。表面上冷たく本当に冷たい人は本当の冷血漢である。表面上は暖かく本当は冷たい人は悪人だろう。

「冷たい人だと思ってたけど、実は優しい人なんですね」と言われるのが最高の誉め言葉だと思っている。こんなこと冷静に分析しているのを見た人はやっぱりこの人冷たい人だなと思う事だろう。

同期それぞれ

挨拶状の宛名を書いている。ようやく三百枚といったところである。前の会社の同期の住所を一枚づつ書いていると顔が浮かんでくる。大学を卒業して研修していたころは皆同じと思っていたのに、10年以上経ってそれぞれの今の住所を見ているだけで人生いろいろと島倉千代子的感慨に浸る。

あるものは千葉のはずれに一戸建てを買っている。横浜に家を買ったのに千葉支店に勤務しているものもいる。海外勤務もいれば地方店の奴もいる。入社以来ずっと同じ独身寮に住み続けている奴もいる。

私の場合常に変化を求める気持ちは引越しにも現われている。社会人になってから引越しを8回している。一ヶ所に2年住んでいないことになる。入社以来一度も顔を合せたことのない人でも住所だけから色んな空想ができるものである。

 

1997.9.15.(MON)
<今日の一言>

「インターネットの世界で一番えらいのは間違っていてもいいから自分の考えやオリジナルな情報を発信しているやつ、一番ダメなのはただ読んで利用しているだけのやつ、最悪なのは批判だけするやつ((c)ワゴンさん)」、、、最近一番気に入っているフレーズです。

高齢化

日本の人口の10%が70歳以上になったという。本当はめでたい事なのに新聞報道のトーンは暗い。長生きする人が増えて高齢化社会になることはそんなに悲観的なものなのか。

統計上の数字に誤魔化されてはいけない。今の年寄りは昔より5歳は若返っている。70歳といっても実際は65歳だと思えばいい。年齢上は高齢者は増えたが実際は昔より元気なのである。70歳で援助交際の手引きをしていた人までいる時代である。政治家や「からくりテレビ」のお達者クイズを見ても80歳など若く見える。

高齢者の意識も変わっている。60歳以降の人生を余生と捉えるのではなく、第3の人生と積極的に考える人が増えてきている。この意欲をくみ上げる社会システムの整備が急務である。新しい道路なんかを作る前に高齢者に負担のない段差のない歩道や階段の少ない公共施設といったインフラを整備すべきである。環境を整備し意欲のある高齢者にも働いてもらえば労働力は確保できる。働いて社会との接点を持ち自分が生かされているという充実感を持つことを望んでいる人は多いと思う。

高齢者だからといって何もできないと決め付けてはいけない。高度な伝承技術を持った人間国宝のような人もいる。技術進歩があるとは言え、時間はかかるかもしれないが訓練によって十分労働力として貢献できる。高齢者でないとできないような仕事も多い。ただそのためには柔軟な労働市場の整備が必要だ。

例えば週2回午前中だけ仕事をしたい人をどうやって企業の業務に組み込むか。そういった工夫をし、新しい労働市場を有効に活用できる企業は業績を伸ばせる。高齢者を弱者と決め付けないである程度の自己責任を求めた方が高齢者自身にとっても幸福だと思うのだが。こんな事言うと冷たい奴と糾弾されるのだろうか。

Xデイは21日

あと300件程でアクセス数が1万件になる。ほぼ1年でこの件数は自分では大いに満足している。この調子でいけば21日が1万件到達日と予想しているがどうだろうか。

最近日記をやっている人と話していると、これをやっていて良かったかという話になる。単なる自己満足、時間の無駄あるいは恥さらしではないかとの疑問である。

自己満足であることは確かであろう。それはわかりきった事である。去年の8月からこれは究極のナルシズムだと感じていた。では時間の無駄か。そうは思わない。時間の無駄だったかどうかは他にもっと有効な時間の使い方があるかで決まる。別にHPだけに時間を忙殺されたことも余り無かったし負担も感じない。何もしないボーっとした時間を過ごしたより有効だったろう。自分史がサーバーに残っているのは何とも楽しい。

恥さらしであることは間違いない。プライバシーのかなりの部分をさらけ出していることは愚かといえばその通りである。しかしリアルタイムで自分をさらけ出し、それを評価してくれる人がいるだけで価値は十分にある。自分の位置がわかりにくい世の中でこれは大切にしなければいけないことだと思っている。

 

1997.9.14.(SUN)
<今日の一言>

最近また懐かしい音楽を聴いています。ホール&オーツ、エイジアといった80年代ものです。

月の庭

師匠と木曜日に行った「月の庭」は大通りから少し外れた閑静な場所にあり店の雰囲気もグッド。接客も良く良心的な値段でとても気に入った。面白いのは渋谷・六本木の居酒屋「ほの字」や原宿「bloomin'」と同じ系列だということ。この手の隠れ系列探し話は大好きなである。

意外な系列といえば例えば「to the herbs」が宅配のピザーラと同じフォーシーズの経営であったり、スターバックスコーヒーが最近店頭公開した雑貨屋のサザビーの経営だったりする。そういえばドトールも「オリーブの木」とかいうパスタチェーンをやっていたように思う。プロントがサントリーの経営だと知らない人も意外に多い。

しかし餅屋は餅屋である。多角化・多店舗化は意外に難しい。プロントのコーヒーの味がすべてを物語る。酒屋がお茶屋を始めても上手くはいかない。

メールのない恐怖

パソコン上でのおしゃべり好きな人にとってメールのない恐怖というのはかなりのものらしい。私も朝起きるとメールのチェックをするのが日課である。通常10通位は入っているものであるが少ない日は数通、最悪だとまったく入っていないこともある。こうなると少し寂しいものである。

これが毎日続いたらどうなるだろうか。不安感になるだろう。最初は通信回線がおかしいのでは、あるいはサーバーが故障などと思うだろう。機械の異常が無いとしたら、もしかして自分が世間から無視されているのではという不安が一気に高まる。

私よりヘヴィーな通信廃人の方々は不安感は私以上のものだろう。小学校のクラスで村八分にされた心境のようなものだろうか。携帯電話を使っている人も同じ心境であろうか。留守電にメッセージが入っていないと寂しいと感じるのだろうか。

毎日日記を更新している人が旅行に行って一番困るのは日記の更新をしないことによる恐怖感だと語っているのを読んだことがある。その気持ちは良くわかる。

嫌な予感

佐藤孝行という人を入閣させた内閣に対して国民がどのような反応を示すかほぼ予想はついている。それを承知で入閣させたという裏には何があるのだろうか。いくら仕事ができるからといってこれは余りに不自然である。R社の江副氏だって返り咲くことは無かった訳で許されてはならないことである。そうは言っても選挙に当選しているのだから地元の有権者が愚かなのだと思っていたら小選挙区で落選しているというのを聞いてさらに頭に来た。

私が懸念するのは今回の件をきっかけに、内閣支持率低下→政治の混乱→行財政改革の遅れ→規制緩和の遅れ→経済の閉塞→選挙対策の財政政策、といった悪のスパイラルを連想するからである。これでは日本は何も変らない。元の木阿弥である。

自民党にとっては自民党以外に支持を集める保守中道政党が無いことが甘えを産んでいる。共産党だけが唯一筋の通ることを言っているが共産党政権を望むかと言われれば答えに詰まる有権者が多いのが現実だろう。自民党は銀行で言えば東京三菱なのである。取り敢えず1人勝ちだ。共産党はシティバンクだろうかそれとも城南信金だろうか。やっていることは支持できるがまだ相手にはならない。

今回のことは有権者がしつこく覚えておく必要がある。少なくとも来年の参議院選挙では国民をなめたらあかん、ということを知らせしめる必要がある。それにしても新しい対抗軸はいつになったら現われるのか。

 

1997.9.13.(SAT)
<今日の一言>

随分新しい環境にも慣れたように思います。変化を楽しむという楽天的性格のせいでしょうか。

外資の幻想

外資系投資顧問というと特別な運用をしていると思うかもしれないが、運用には奇策はない。ヘッジファンドでは無いのだから訳の判らないリスクを取ったりもしない。顧客との契約に基づき当たり前のことをこなし長期の安定的好パフォーマンスを実現するのが使命である。

当たり前のこととはあるべき市場の姿と実際を比較し、収益機会を見つけるファンダメンタルアプローチである。これは徹底したリサーチによってのみ可能なことである。インハウスのアナリストの質と量が決め手である。

もう一つは分析結果を実際の運用に素直に反映させることである。他社との横並び意識や決算の為の益出しとか人事異動による運用担当者の交代といった相場以外の要因によって分析結果と実際の運用が一貫しない場合はせっかくの分析が活かされない。外資系にはこのような要因がない分、各社の投資哲学に基づいた長期運用ができる。その分パフォーマンスは向上する。

そんなこと、と思うかもしれないが日本の金融機関の横並び意識は簡単には変わらない。なぜならそれは日本人の性格という要因もあるのかもしれないが、むしろ今までの護送船団システムで培われた体質として会社の上層部の人達に染み付いているからである。人間何十年もやってきたことをいきなり変えるのはできないものである。この世代が企業の経営を決定している限り残念だが組識は変われない。

では金融における外資系の強みをまとめるとどうなるか。私見では人事制度とマーケティングそしてグローバルネットワークにあると思っている。

専門職で人事異動が無いことが継続性のある仕事を可能にし人材育成に貢献する。短期の運用成績にとらわれない運用ができる。また個別の給与体系で能力に応じた柔軟な報酬を与えることができる。またセールスであれば顧客との絆も深めることができる。人事異動がないことによる欠点としてセクショナリズムと顧客との癒着といった問題が指摘されるがこれは言い訳である。セクショナリズムはインセンティブを工夫することで克服できる。例えばストックオプションなどは会社全体を考えた仕事へのインセンティブを高める。また顧客との癒着はシステムで克服できる。投資判断と取引執行を2人で別々にする、2週間の強制休暇など対策は色々ある。人事異動が無くならないのは人事部の存在価値を否定することになるからである。世の中はネットワーク社会なのにに資本主義の国・日本の民間企業で中央集権方式の壮大な実験が続いている。

マーケティング技術の差は歴然としている。日本の金融機関の人が外資は話が上手いから騙されるとかイメージ先行で実際は大した事無い、といったことを言うらしい。これは自分達のマーケティング技術が劣っていると告白しているのと同じである。例えば投資信託の販売でもGS投信が成功したのは販売する証券会社に徹底したマーケティングを行い、販売方法まで木目細かく指導をしたからと言われている。単なるプレゼンテーションだけではなく販売を継続的に伸ばすシステムを持っている。日本の投信の解約率を見れば継続的に伸ばすという視点が今まで如何に欠けていたか明らかである。投信の平均保有期間はイギリスが7年に対し日本は7ヶ月であるという。回転売買を客に勧め短期の利益だけを考えた貧弱なマーケティングである。結果投信に対する投資家の不信というツケを今払っているのである。

グローバルネットワークとは自前の調査網である。インハウスの調査もせず証券会社のレポートを読んで投資判断をしているのでは独自の運用はできない。確かに優れたレポートもあるが、そのレポートは他の会社の人も当然見ている。NYとLDNに拠点を構え日本語に翻訳された外資のレポートを読んでみても運用競争には勝てない。

では外資系には死角はないかというとそんなことはない。問題は2つ。人材確保と英語による非効率であろう。

外資の仕事は英語が共通語になる。ミーティングもメモも資料も9割以上は英語である。英語を前提としたリクルートは同じスキルの人間を採用する場合当然賃金コストは割高になる。また人材の対象となるパイは小さくなりクオリティ維持は難しい。所謂「英語馬鹿」の問題が発生しやすい。要するに英語が労働市場に参入障壁を発生させる。これは企業にとってはマイナスである。

英語による非効率とは日本人どうしで英語でコミュニケーションせざるを得ないということに起因する。海外拠点とのコミュニケイションやミーティングに外国人が入ることがほとんどなので日本人同士でも英語を使う。向かい合って会話するときは日本語だが。例えば1人の外国人と10人の日本人で会議をする場合、日系なら日本語でやって外国人には通訳するだろうが外資では英語で会議をすることになる。日本人全員がネイティブのような完全な英語を話せないとすればどちらが効率的かは明らかである。

それぞれの長所と短所がどういう結果をもたらすかは市場を見ていればわかる。後はビッグバンが骨抜きにならないことを祈るばかりである。ビッグバンによる自由な競争の実現は資本の効率性を高め金融後進国の立場を変える最後のチャンスである。

皆様のご意見是非お聞かせ下さい。

 

1997.9.12.(FRI)
<今日の一言>

表参道の「てやん亭」の正式名称は「てやん亭”」だそうです。「てやんでぃ」と江戸っ子っぽく発音するのが正解です。

フランクリン

スケジュール管理のことを書いたら結構反響があった。ワゴンさんは日記で取り上げていただいたし加藤さんからはフランクリンのHPアドレスを教えていただいた。

システム手帳とは毎日のスケジュールを管理するだけではない。人生のスケジュールを管理できるというのが売りである。長期の人生目標を立て、それを短期的な目標にブレイクダウンしていく。究極的にはその目標のため今日何をしなければならないかがわかるという訳である。

ただこういったデカルト的要素還元主義で人生を生きられるほど世の中甘くない。世の中は複雑系だからである。1つの判断1つの選択で人生がガラリと変わることは猿岩石をみればわかることである。

どこに向かって走っているのかよくわからない人生を送っている人が結構世の中には存在する。将来を考えるのを避けている人である。そんな逃避をして時間稼ぎで毎日の生活を楽しむことでごまかしている人にはフランクリンのようなシステムは価値がある。人生を直視して自分がどこにいるのか、そしてどこに行こうとしているのかを発見するのである。

私は自分の手帳に人生年表というのを付けている。これは左に西暦その横に自分の年齢を書きそれぞれの年に何をしているかイメージを書いていく簡単な表である。生まれた時から70年くらいの表を作ってみると自分の人生が如何に短いかがビジュアルにわかる。これを眺めてそれぞれの年に何をしているのか何をしたいのかイメージする。これだけでも将来を考えつつ毎日楽しく充実した生活をしていきたいをいう気分にさせてくれる。

あなたは自分の10年後の姿が予想できますか?

彫刻

パソコン上で文章を作る作業は彫刻に似ている。私の場合まずネタになりそうなキーワードをどんどん打っていく。例えばアメリカンクラブガレージラーメン月の庭フランクリン、、、、といった具合に。また頂いたメールなどで引用させていただくものはコピーしてそのまま貼り付ける。キーワードについて思ったことを書き足していく。変換や文章のつながりがおかしくても気にしない。質より量を優先する。脳味噌の中身を出すような気分でやる。これらが彫刻で言えば原木になる。

それから彫りはじめる。無駄な言葉を削り、文章のつながりを考える。誤字脱字を直し、オチを考える。一連の作業は平日の朝5時半から約30分で行う。寝ぼけている状態でスムーズにいく日は調子のいい日である。

完成してからもしばらくしてみると手を入れたくなるところも彫刻と同じである。紙に書くものではこうはいかない。紙に書く文章は水彩画である。一発勝負でやり直しは効かない。手をいれるとどんどん汚くなっていく。

花金

花の金曜日のはずだったが仕事が長引き浜松町で飲んで帰るパターンになってしまった。アメリカンクラブでバーガー・ビア・ボーリング(3B)という企画があり、さすが外資系らしいイベント、とミーハーな私は楽しみにしていたのだが行けず残念である。代わりにグッとグレードダウンし浜松町のガレージラーメンというものにトライしてみた。文字どおり駐車場に屋台と椅子を並べとんこつラーメンを作っている。

ラーメン6百円と良心的でビール・ゆでたまご・冷しスパゲッティなんていうメニュまであった。ビールは缶ビール、ゆでたまごはテーブルの上に置いてあるだけで味付けたまごのような気の利いたものではない。

ラーメンは下品なとんこつラーメンとでも形容できようか。屋台のイメージ通りのワイルドな味である。といっても胃にもたれるような単に脂っこいというどこかのとんこつとは違う。最後までスープを飲み干しても後から後悔しない味である。

麺はつるつるした普通のとんこつラーメンの麺とは異なり、縮れ気味の歯ごたえのあるしっかりしたもの。チャーシューは新宿桂花のターローのような味だった。リーズナブルな値段と味のせいか行列ができている。

これは是非ラーメン大家のワゴンさんに行っていただきたい。ただ酔っ払って行き方を良く覚えていないのでまだ教えることができない。

 

1997.9.11.(THU)
<今日の一言>

まだ挨拶状が完成していません。来週あたりには何とか出したいと思っています。

やっぱり元銀行員

新しい職場で仕事を開始してから早いものでもうすぐ1ヵ月である。最近言われたのが内藤さんは几帳面ですねという指摘。銀行にいたときは帰宅するときは重要書類はすべて鍵のかかるところに格納しなければならなかった。早朝検査制度という面白い制度があり朝一番で検査委員に選ばれた人たちが自分の部の施錠状況を抜き打ち的にチェックするのである。だから帰宅前は机上に書類を残しておいてはいけない。こんな世界に11年居れば知らず知らずに几帳面になってしまうのかもしれない。

今度の会社はその辺は大らかである。考えてみれば現金や有価証券といった貴重品は一切ないし顧客情報以外は鍵をかけてしまっておく必要はない。それは前の会社でも同じであったがなぜかすべての書類が格納されていなければならなかった。顧客情報も社内の回覧物もこちらではほとんどEメールになったのでそれもしまう必要がない。

大らかなのは少人数の会社だからかもしれない。人が少ないうちは、組識は個人の協力によって全体の調和を保つことができる。組織が大きくなるにつれ画一的なルールが必要となりそれがいつしか全体を支配するようになる。一見きちんとしたその実意味のない規制が支配的になる。

個人的には良い訓練をしてもらって感謝はしているけれども。

こいつはずるい

師匠から急に電話で夕方キッチン5に同じ会社の中村さんと出かけた。キッチン5にこの前行ったのは去年の10月にこのページが完成した記念に師匠に奢ってもらって以来であるからほぼ一年経っている。

キッチン5の料理はバージョンアップして更にパワフルでダイナミックかつ繊細な味になっていた。夏の間旅行で仕入れに行ったという事で新鮮な素材と新しいアイディアが上手くミックスされたのであろう。

師匠にモバイルギアを見せたら日記を先回りして書いていることがばれてしまい、記念に「こいつはずるい、あらかじめ話題を用意している」とタイプしていただいた。

2次会は月の庭のバーへ。はじめていったがいい店だった。ここでは前の晩通信廃人の会が盛大にもようされていたらしい。呼ばれなかった私はまだ通信廃人の域には達していないということであろうか。

 

1997.9.10.(WED)
<今日の一言>

夕方6時になるともう暗くなってしまいます。ようやく秋に入ったような気分です

筆不精(2)

メール無精と書いたら早速たくさんの方からメールを頂いた。ちゃんと毎日読んで頂いているのかと思うと嬉しいものである。

おしゃべりな師匠からはさると人間の違いはしゃべるかしゃべらないかだからおしゃべりな人の方が進歩しているとおっしゃる。私もその考えには賛成である。

大阪にいる元会社同期も最近メール不精であったが久々にメールを貰った。いつもユニークなメッセージを送ってくれる。田中康夫を師と仰ぐ点は私と共通で猿岩石日記よりは噂の真相の「ぺろぐり日記」を愛読している。

出向中のAさんからもメール頂いた。しかし元会社のF君H君<平野君>Y君<矢坂君>はどうしているのだろうか。便りの無いのは良い便りということでいいのだろうか。

てやん亭

夕方7時から表参道のてやん亭という店で飲んだ。元の会社の上司、同僚の女性の計4人がメンバー。

てやん亭は最近出来た店らしい。表参道のファミレスの近くにある小奇麗な和食の店。奇抜な店名とは逆に料理はきちんとしていて安い。竹筒入り春鹿の超辛口を飲んでいたらつい飲みすぎた。

元の会社の上司は辞める時に非常にお世話になった方である。人生観が似ているせいかとても楽しく仕事をさせていただいた恩師である。勝手にいきなり退職願いをして大変迷惑をかけたにもかかわらずこうやってまたお会いできるのは大変ありがたいことである。器の大きな人とでも言えようか。

どうしても元の会社の噂話が中心となる。誰が結婚するとか、誰がロンドンに転勤するとかそんな話である。皆このページを読んでいるので私が何をしているかは大体知っている。ただ会社の本当の雰囲気といったものが日系の大銀行とはどう違うのか知りたがっていた。

人がいなくなると困るというが暫く経つとこんどはそれが当たり前になってしまう。そして会社はいつもと同じように成り立っているように見えるものなのである。

午前中は創造的に

テレビを見ていたら人間の体のリズムについて面白いことをいっていた。人間にはリズムがあり仕事をするなら午前中は創造力のいるような仕事を、午後は手作業のような単純労働をすると生産性が上がるという。3時頃には仮眠をとると更にその後の能率が上がるという。

頷ける話である。漫然と仕事をしないでまずは朝一番に段取りを決める。頭を使う仕事は午前中12時までのゴールデンタイムに片付ける。午後は作業のような単純な仕事を中心にする。そして早く仕事を終え明日に備える。これがベストである。

ただし二日酔いの場合この法則は当てはまらない。

スケジュール管理法

フランクリンシステムでスケジュール管理をしているひとが多い。これは私も初めて知ったのだが要するにシステム手帳の大きなものと思ってもらえればいい。アメリカの会社が開発した能力開発ツールらしいが、なぜか会社で流行っている。

私は昔システム手帳の大きなものを使ってすべての情報を一ヶ所にというコンセプトで使って見たことがあった。しかし結局大きいと持ち運びができず断念した。今はスイスの銀行からもらった小さな手帳をスケジュール管理に使い、住所録などはシステム手帳と使い分けている。毎日の仕事の段取りは大きめのポストイットに書いて終わったものから消していく。これを毎日更新すれば大きなシステムは今のところ必要ないと思っている。

ただフランクリンシステムの考え方自体は素晴らしいものだと思う。何とか良いところだけ上手く取り入れられないかと思っている。

 

1997.9.9.(TUE)
<今日の一言>

一雨毎に涼しくなっていきます。日も短くなって秋は少し寂しいものです。

雨の日の昼食

新しい会社に通い始めて初めて雨が降った。外勤のない仕事であるから別に余り関係ないのであるが昼食は外に出なければならない。日本の会社のような社員食堂は当然無いのである。しかし会社の通用門の真ん前に美味しい定食屋がある。焼き魚とご飯といった店だが本当は寿司屋である。
雨でもここなら濡れずに済む。店に入ると同期の女性2人に会った。と思えば人事部長やら副社長やらどんどん会社の人が入ってくる。

雨の日はこの店は社員食堂に変わるのである。

 

1997.9.8.(MON)
<今日の一言>

景気は悪いと言います。その一方で企業の求人、個人所得は回復しています。ゼネコン・銀行・生保の3つの腐敗した資産問題を別にすれば景気はいいと言ったら極論でしょうか。

筆無精

パソコンの無い時代にも手紙をなかなか書かない筆無精の人というのはいた。最近Eメールをやり取りするようになって、「Eメール不精」というタイプの人が存在することを知った。

会社で社内メールのやり取りをしていると面白いことがある。用も無いのに「How are you doing?」などと意味の無いメールを頻繁に送ってくる人がいたりする。かと思えば仕事のメールにも返事を書かず口頭で答える人もいる。私はどちらかというと(というより完全に)前者に属している。意味の無いメールをやり取りしたりするのは結構好きな方である。書くことも打つことも余り苦にならない。

Eメール不精といえば前の会社のF君も毎日このページを夫婦で見ているようだがメールは来ない。H君も一度京都から彼女と送ってくれて以来ご無沙汰である。Y君はインターネットつなげただろうか。出向しているAさんもシャイな方である。NYのM君は比較的おしゃべり好きということになるか。でも究極のおしゃべり好きはやはり師匠である。

日経新聞におしゃべりに金をかける日本人というのが特集されていた。私もおしゃべり好きになるのだろうか。メール中毒は最近の若者のポケベルや携帯を使いコミュニケイションを取ろうとする行動に類似している。

その根本にあるのは寂しさである。

 

1997.9.7.(SUN)
<今日の一言>

昼間を含めて12時間近く眠ってしまいました。「秋」眠暁を覚えずといった気分です。

English Version

師匠の好奇心は依然として旺盛のようである。為替ニュースはアクロバットで作成されるようになった。慌ててソフトをダウンロードする。

さて師匠がまだやろうとして取り組んでいないことは何か。ホームページの英語版である。ShiraさんNorikoさんそしてWagonさんばぶばすさんなど結構周りには多い。とはいえこの日記を英語にしたところで面白くない。

そこで相場に関する自分なりの考えを英語で少しずつ作ってみることにした。あくまでも会社の実際の運用とは別の自分なりの意見を書けたらと思う。私はエコノミストでもなく大学教授でもない。当局にパイプを持っている訳でもない。どこまで説得力のあるものが書けるか不安であるが間違えたら、やり直せばいいだけとの割り切りでやってみた。1週間に一度くらい書いていきたいと思っている。

いい加減

アメリカン「ファミリー」の損害保険の話を書いたらこんなメールを頂いた。

まず自動車保険についてですが、

がん保険=アメリカンファミリー生命(生保)
自動車保険直販=アメリカンホーム(損保)


となります。

両社はともに外資ですが全くの別会社です。

アメリカンホームは、日本国内において
○AIU(損保・代理店経由販売)
○アメリカンホーム(損保・通信販売)
○アリコジャパン(生保)


という形で事業展開しているAIG(米国)の一部門です。割安な自動車保険ですが、96年12月の日米保険協議決着による損害保険料率(従来、各社一律の認可が多い)の自由化

<一例>   97年9月〜 「リスク細分型自動車保険」の導入
  98年7月〜 料率の完全自由化スタート
         (算定会算出料率の遵守義務廃止)


の流れを受け、アメリカンホーム社・チューリッヒ社が年齢・性別・地域等々の違いによる「リスク細分型自動車保険」の直販を、優良顧客を対象に始めたということです。#97年9月から「リスク細分型」を導入するには、「算定会」から脱退することが条件となります。アメリカンホーム等は従来から算定会に加盟していません。

国内損保会社は、業界団体である「算定会」に事故率データを依存しているため、自社で精密なデータを持っていません。

< =条件設定した場合のリスクを正確に掴めていないため、今すぐに算定会を脱退して「リスク細分型自動車保険」を販売出来ないようです。大手他社が始めれば、泥縄でも参入するようですが。)現在、各社とも事故率データの蓄積を懸命に進めています。システム開発を同時並行で急ピッチで進めているのが現状です。また、損保業界は、顧客情報の把握において質/量両面において決定的な遅れがあり、この点からも現時点での「リスク細分型」参入に慎重になっているのではと思います。只、一部大手損保だけは全ての準備が完了したとの噂はありますが...

現時点での自動車保険料の自由化については、目先の儲けに捕らわれている面も確かにありますが、準備が出来ていないという方が正確かと思います。

ところで話が変わりますが、生命保険ではオリックス生命もいい会社ですが、私が注目している会社は「アクサ生命」です。ご存知かと思いますがフランスに本拠をおく世界第2位?の生命保険会社の日本法人です。他外資系生保と同様、コンサルティングセールスを売り物にしておられますが、保険代理店への支援体制が素晴らしい会社です。これから急成長するのではないでしょうか。

業界の方らしく「算定会」のことなど興味深い事実を教えていただいた。しかし算定率計算のノウハウこそが損保のノウハウだと思っていたがそれが業界団体に依存しているとはどういうことなのだろうか。日本の損保は結局は同じ親からデータを貰って競争する銀行の支店のような存在だったのか。

それにしてもファミリーとホームがまったく別だったとは、、、素人は愚かである。昔コスモ信組が潰れた時信組と信金を混同していた政治家がいたが、笑うことはできなくなってしまった。前の日記は取り敢えず訂正することにした。

 

1997.9.6.(SAT)
<今日の一言>

暑いとはいっても随分楽になってきました。週末は1人で家に篭ることになりそうです。

抗菌グッズ

抗菌グッズ流行である。文房具から始まって今や自動車のハンドルまで抗菌仕様である。O157騒動や清潔ブームに便乗した格好の商売ネタである。

しかしこの清潔症候群。素人ながら心配になるのは何でも抗菌にして菌のない生活にして果たして安全なのかという素朴な疑問である。例えば口の中には色々な菌や酵素があって消化を助けているという。体の表面にも雑菌が付いているらしいがこれは必要なものだという。リステリンや抗菌シャツで殺菌した場合、果たして害は無いのであろうか疑問である。無菌室で育てられた動物は外に出ると自然界に存在する菌によって死んでしまうというではないか。

そこで思い当たるのが最近流行のアトピーである。アトピーの原因は排気ガスとかストレスとか要因は色々挙げられている。それらもあるだろうが抗菌しすぎというのも理由の一つではないか。子供のころから紙おむつで育ち、食事も殺菌された清潔なもの、泥遊びもせず、砂場は汚いと敬遠する。もちろん病気になってしまっては仕方ないがある程度の不潔さに目をつむることをしないと体の防御機能が間違えた方向に使われるリスクがあるのではないかと思う。

冷房で快適に暮らしていると体が弱くなるのと同じ理屈である。適度のストレスを与えないと人間はおかしな方向に行くことがある。

隠れキャラ

師匠が<>を使えば隠れキャラを書き込めるというアイディアを書いていた。しかしネットスケープでブラウズしている場合、「表示」を選び「文章のソース」を選択すれば誰でも読めてしまう。しかし毎日文章のソースを見る人もいないだろうし、ちょっとプライベートなコメントなどを書くのは悪くないアイディアである。

早速私も何ヶ所かに文章を追加した。興味のある方は文章のソースを目を凝らしてご覧ください。

オリックス

アメリカンホームのことを書いたが、生保では先週オリックス生命が通信販売の3割引生命保険の宣伝を新聞で大規模にやっていた。人件費などのコストを下げて安くするという発想である。外資系で無くともやればできると誉めたくなるが、そもそもオリックスだからできたのである。

オリックスは虐げられた会社である。本業はリース・ノンバンクという伝統的金融業からは差別される業界であり、今までは銀行以下という扱いを受けていた。オリックスグループ自体が丸の内のエスタブリッシュされた衰退企業とは一線を画す新興勢力である。

宮内氏のカリスマ的パワーでここまで伸びてきたオリックスは金融界のダイエーである。要するにデパートが殿様商売していたところにダイエーが安売りを始めたようなことが生保業界でやっと起きたということだ。小売業界より生保業界が20年以上遅れていることがわかっただけの出来事である。

オリックスにはディスカウントだけでなく商品の差別化も是非お願いしたい。煙草を吸わない人だけの保険というのがあればすぐに加入したい。他にも車を運転しない人の保険や酒を飲まない人の保険、結婚していない人の保険など、死亡率の統計から商品は作れると思う。それともまた官僚の行政指導でもあるのだろうか。

ディスカウントだけではいつかは行き詰まる。ダイエーのハイパーマートやパソコンのステップを見れば明らかなことである。

 

1997.9.5.(FRI)
<今日の一言>

遂に寝坊してしまいました。目覚しを止めてまた寝入ってしまいました。今日の日記は短めですがご勘弁を。

社長と飲み会

夕方、社長と最近入社した若手(?)3人で会社近くの小料理屋へ飲みに行った。「今日は夜空いてる?」と夕方言われ、7時前に会社を出る。カジュアルな飲み会である。社長の正確な年齢は知らないが、恐らく年の差20才はあるだろう。向こうからすれば息子のような歳である。そんな上司と飲んだ割には緊張感が無かったのはなぜであろうか。自分の鈍感な感性のせいかそれとも社長の気さくな人柄のせいであろうか。

「おかめ」という名前の店であったが、気の利いた酒のつまみが次々に出てきて日本酒をぐいぐい飲んでしまった。そしていつもの調子で好き勝手に言いたいことを全部言ってしまった。少しやり過ぎたと後で反省。

社長は元はN興証券にいたということで私の前の会社の偉い方とも随分面識があるという。先日もあるパーティーで私の話題をしていたと言っていた。この狭い業界では人の噂と評判には気を付けなければならない。

ポタとスパ

最近雑誌を買っていなかったが、久しぶりに2冊買って電車で読んだ。最近はポタとスパそしてブルータス、Dancyuあたりがお気に入りの雑誌である。

SPAは企画が命の当たりはずれの大きな雑誌である。面白い時は読み応えがあるがつまらない時は本当に損した気分になる。「45歳課長世代の罪」という見出しにつられたが何のことはなかった。「川島なお美という生き方」も突っ込みがイマイチ。今回は残念ながらはずれであった。

一方ポタは新鮮な記事が多く面白かった。下町特集であるが、取材が丁寧で30代向きの落ち着いた遊び方が提案されていた。これで300円は安い。

 

1997.9.4.(THU)
<今日の一言>

最近の暑さでまた少しバテて来ました。エルニーニョで冷夏というのは少なくとも日本では当たらなかったようです。

しぶとい暑さ

また暑い日が続いている。体調を崩している人も多いのではないだろうか。
私も冷房を夜付けたまま寝ているのだが、やはり眠りが浅いらしく寝起きの気分が悪い。冷房が無い時代はどうやって過ごしていたのかと思う。しかしこの残暑ももうあと2週間くらいの辛抱である。

出世?

師匠は今度の会社でも有名人である。最近ある人から、「あの人は昔は室長だったのに審議役になってるけどこれって出世したの?」と聞かれた。偉くなったのは確かだが、外からはよくわからない。

銀行には本店支配人とか主管営推役とか審議役とか、良くわからない役職が多い。ちなみに私の昔の役職は調査役補であった。ちなみに今は課長である。課長といっても部下がいるわけではない。責任者という位の意味で大した意味はない。外資系にはエグゼクティブという役職もある。これはバイスプレジデント同様自分で言うのはちょっと恥ずかしい名前である。

いずれにせよどうやら役職のわかりにくさは世界共通のようである。

 

1997.9.3.(WED)
<今日の一言>

再び寝苦しい日が続いています。冷房による風邪にはくれぐれも御用心を

生まれ変わったら

電車の中吊りを見ていたら週刊現代の特集が目についた。生まれ変わったら入りたい会社ベスト50という見出しに苦笑した。週刊現代世代がこの期に及んでも、未だに会社という看板に頼って生きている人たちだと再確認できたからである。せめて生まれ変わったらやってみたい職業位にして欲しいものである。でもそれでは読者が納得しないのだろう。

サラリーマンの欲望のツボを押さえた雑誌なのであろう。金・権力・女が欲望のキーワードである。そのうち生まれ変わったら結婚したい女優なんていう企画もでてきそうである。イメージトレーニングして楽しむ危険なバーチャルリアリティの世界である。

黒船以来変わりません

アメリカンホームの自動車保険料が規制緩和に伴い、年齢・住所・性別・車の使用目的によって保険料を変えることになった。アメリカなどでは当たり前のことがようやく日本でも導入されることになった。

私は車を持っていないので関係ない。しかし、考えてみれば未成年の免許取り立ての暴走族と同じ保険料を払うというのはどうにも納得がいかない。自動車免許に限らず、生命保険だって年齢だけではなく酒を飲むかとかたばこを吸うかとか両親の健康状態などからリスクに応じた保険料にすべきである。

国内保険会社はこういった商品は規制緩和で結局市場に出てくるのはわかっている。だったら外資系が始める前に自分たちでなぜ始められないのだろう。今の規制下のシステムの方が超過利潤が得られるから、敢えて自分からは変えないという理屈は経済学的には一見正しいように見える。しかしがん保険などを見ればわかるように先行者の得るメリットは将来的には大きい。

目先の儲けに捕らわれて将来の果実を失うリスクを保険を取り扱うリスクのプロに説明するのは釈迦に説法であろうか。

 

1997.9.2.(TUE)
<今日の一言>

テレビを見ているとソニープレーステーションの勢いが衰えセガサターンの逆襲が始まった気がします。ゲーム業界はまさに「スピードの経済」そのもののようです。

パパラッチは君たちだ

ダイアナの事件以来マスコミはパパラッチを取り上げ連日過剰報道が如何にひどいものであった報じている。確かにあの取材攻勢は常人では耐えられないものであろう。常に誰かから監視されているのは辛い。

しかしそのパパラッチ批判報道の後で早速ワイドショーを流して視聴率競争をしているテレビ局の節操の無さにはあきれる。自分たちがパパラッチそのものであることにまだ気がついていないようだ。人の批判はするが自分は別だと思っているとしたら困ったものである。ワイドショーでインタビューでもして自分たちマスコミがどう思われているか聞いてみるのがいい。ダイアナの昔のビデオで冥福を祈りますなどとお茶を濁しているだけでは何も変わらない。

日債銀の隠し玉

日債銀は分社して3本の矢として生まれ変わるらしい。これが彼らの隠し玉だったのだろうか。一方、長銀はSBCと一緒になって歯を食いしばる覚悟をしたようだ。とするともう一つのところはどうするのでしょうか。今ごろ経営陣は毎日会議でもしているのだろう。それともアット驚く裏技でも?

たまには優雅に昼食を

大門近くのトック・ブランシェというレストランで昼からフレンチを食べる。スープ、メイン、コーヒーのランチで1800円。丁寧な味付けはクオリティが高く、非常にリーズナブルであった。味も良いが雰囲気がパリっぽい簡素な内装で気に入った。窓から見える緑も眺めがいい。

浜松町界隈にはフレンチは少ない。街の印象としては神田・新橋のオヤジノリである。そば屋・ラーメン屋などのオジサンの好きな麺類の店は多いが、同じ麺類でもパスタの店は少ない。

普段は食事は30分以内であるからたまにはこんな時間もいいものである。午後の仕事に気分良く向かうことができる。

 

1997.9.1.(MON)
<今日の一言>

早いものでもう9月です。ビールが秋バージョンになり、日が短くなっていく。快適なでも少し人恋しい季節になります。

外資用語の基礎知識

どこの会社にも社内用語というのがある。聞きようによっては何か身内の隠語みたいで外部の人間が聞くと不愉快になったりする。新しい会社は新しい人が多いのでまだ伝統ある丸の内の大手企業のような社内用語は少ない。でも外資系ならでは変な用語がある。良く使われる言葉を挙げてみた。

cc
カーボンコピーのことだけど、E-mailを使う会社ならこれは良く使われるかもしれない。「メールを社長にもccしておいて」といった具合に多用されている。ccのやりすぎは無駄なメールが増えて迷惑だが、これをやらない人はほとんどいない。ccの使い方を間違えると会社で生き残れないというのが持論の人もいる。

アジェンダ
議題のこと。なぜか英語で言う。「今日のミーティングのアジェンダ何?」といった具合。これも毎日数回聞く言葉。事前に資料を配ることが多いので、会議の目的がはっきりしていないとミーティングは開催できなくなる。

ミニッツ
議事録のこと。これもなぜか英語で言う。ミーティングの後は必ずこれを書く。英語で書くのは慣れるまでは辛い。その日に書いておかないと次の日書くのはもっと辛い。

カンファレンスコール
日本語で言えば電話会議。スピーカーの付いた電話を使い会議室で拠点間の情報交換を行う。ちなみにイギリス人の電話の英語は非常に聞き取りづらく、何を言っているかわからないことが多い。

フォワードする
誰かに貰ったメールをそのまま別の人にも転送すること。「良いレポートがあったのでフォワードしときます。」てな具合。

こうやって見ると外資用語というより単に日本語を使わず英語にしているだけである。このような英語ばっかりの言い回しは外から見たらやっぱり気障で嫌味っぽいのであろうか。中にいると違和感を感じないのだが。


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