SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1997年11月

 

1997.11.30.(SUN)
<今日の一言>

旅から戻りました。日記をご覧ください。

師走

もう師走がそこまで来ている。1年の総括の時期である。今年は後半に金融の破綻が続出しクローズアップされているが、そもそも神戸の忌わしい事件を始めとする不気味な出来事の多い年でもあった。年末の報道ダイジェスト番組で飽きるほど繰り返されることだろう。

個人的にも転職というものを初めて経験した。思い出の一年になるだろう。やってしまえば何という事はないのだが、決断するまでの気持ちの整理というのは数学の問題のように解答があるわけではない。最後は「明日は今日より素晴らしいと期待できるか」が決め手だった。

一連の金融破綻を見ていて思ったのはどこにいるか、より何が出来るか、がより重要になるという当たり前のことである。山一の社員の方でも専門性を持っていれば再就職先を見つけられる。日経の日曜版を見ても求人は溢れている。一番就職できないのは本部でエリート街道を走っていた現場を知らない人ではないだろうか。証券会社に勤めていて株券を見たことがないような人である。社内人脈と学歴に寄りかかり、井の中の蛙で終れるほど甘くはなかったということだ。

 

1997.11.29.(SAT)

結婚披露パーティー

午後1時過ぎに旅行から戻る。東京は雨が降っている。荷物を片づけ、シャワーを浴び、髭を剃り、スーツに着替え夕方出かける。

留学時代の友人の結婚披露パーティーが虎ノ門にあるホテル(ホテルオークラ)で行われた。出席者の中心は30代〜40代の人達。本人達の希望らしくスピーチなどは最小限で後はゆっくりと歓談。カジュアルな雰囲気でお祝い。

席が決められていない立食パーティーは知らない人との出会いが面白い。病院経営のコンサルタント、ナレーター、メーカーの経営者、ベンチャーキャピタリスト、ラジオ局の方、まぐろのどんぶり店経営者、官僚、外資系証券マンまで様々な人と話す機会があった。話は新郎新婦との関係から始まり、仕事の内容、そして日本経済論へといつものパターンである。

官庁、金融、医療、誰と話してもすべて話は同じ。優秀な人が集まっている組識が全体では機能しないのはなぜかという話題である。日本の従来のメインストリームだった官僚、銀行員、法曹関係者、医療関係者、これらすべてに共通する根本問題があることが再度確認できた。逆に言えばこの共通問題さえ解決すれば病巣の大部分が摘出されることになる。

こういった話をしている時のベンチャーキャピタリストやまぐろのどんぶり店経営者の反応が面白い。彼らにはこういった問題が無縁であり実感として理解できないようだ。そんなことがあるんですか、といった反応である。彼らにはそれより新しい技術、新しい商売のネタがどこにあるかの方が大切なのだ。大組織がシステム疲労に足をとられている間に世界は急速に変っていることを実感する。

24日から29日の「越後一人旅」はこちらをご覧ください(画像が重いのでご注意ください)

 

1997.11.23.(SUN)

1人旅

明日から旅行に出ることにした。昨年のみちのく一人旅に続く第二弾である。今回の目的地は新潟である。夜行列車で新潟に出て佐渡が島にでも渡ろうかと予定している。でも宿も旅行のコースも大まかな予定だけを立てて後は行き当たりばったり。ホントに冬の佐渡で魚と地酒を味わうのか、それとも手前の湯沢温泉で下車するのか気分で決めてみたい。

本屋で時刻表を買い、ガイドブックを頼りに気に入った場所で宿を取る。日常を離れてくつろげる貴重な時間である。観光はせずに時間に追われず、スケジュールもない贅沢な空間を堪能したい。

という訳でこの日記は週末までお休みいたします。戻ってきてから日記としてまとめて書こうと思っている。モバイルギアとデジカメが今回のお供である。

 

1997.11.22.(SAT)
<今日の出来事>山一証券経営破綻へ・小錦引退

<今日の一言>

最近久しぶりに会った人から「顔がふっくらしたね」と言われるようになりました。喜んでいいものでしょうか。

相対的

悲観的か楽観的は自分の思っているあるべき水準と現実との差で決まるものである。日本経済も悲観的に見る人と悲観的過ぎると言う人と分かれているが、要は基準をどこに置いているのかの違いかもしれない。

経済好調のアメリカやイギリスに比べれば日本の現状は満足できるものではないだろう。かつて一流と言われた日本経済も一部の製造業を除いて三流以下になり、優秀と言われた官僚への信頼も地に落ちた。政治は相変わらずの三流以下である。

しかし一方で街を歩いてみても景気後退、経済低迷の暗さは余り見られない。客足は減り、客単価は落ちたのかもしれないが、街は相変わらずクリスマスイルミネーションで華やかである。どこかの国のようにテロや戦争があるわけでもないし、干ばつで子供が栄養失調になることもない。宴の後に余った食料を大量の残飯にし翌日にカラスがあさる歪んだ豊かさは相変わらずである。「経済的には」人類史上最も恵まれた国なのかもしれない。

大磯小磯にはワゴンさんはこう書いている。

歴史上、不況で潰れた国はないし、逆に永遠の経済を得た国も存在しない。もうじき朝はやってくると信じる。夜明け前が一番暗い。しかし朝のこない夜はない。
スクラップブックを引っ張り出してみると5年半前の本家「大機小機」にはこう書いてあった。

「夜明け前が一番暗い」

日経平均が先週2万円を割った。、、、(中略)、、、7ー9月期には地平線が明るくなるだろう。今は夜明け前の一番暗い時だ。(92.3.24.)

悲観している私のような人間は今のような繁栄が永遠に続かないことを嘆いている欲張りなのかもしれない。別に1ドルが300円になっても生活を質素にし使い捨て文化を変えていけばのたれ死にすることはない。ただOLが年に2回海外旅行に行ったり、高校生がシャネルを身につけたりする社会では無くなるというだけのことである。

しかし人間は一度味わった生活水準を落とすことは大きな苦痛なのである。クラウンに乗っている人は今更カローラにはなかなか乗り換えられない。

サッカー

これだけブームになるとさすがに気になってくる。ワールドカップ出場が決まってからのマスコミと世論のはしゃぎように対してである。私のようにサッカーに興味のない者から見ると今回の熱狂はある意味では羨ましくもあり、ある意味では恐怖でもある。

羨ましいというのは人がやっていることをあそこまで真剣に応援できる純真さである。私はサッカーに限らず人が何をしているかに余り興味がない。それにスポーツなど所詮エンターテインメントなのだから勝負自体には余り興味はない。むしろスポーツ自体の持つプロの技術を見ることの方が楽しみである。

恐怖感というのはサポーターが同じユニフォームを着て、声を揃えて応援している姿に対してである。全員で同じ格好をしてしまう個性のなさを、彼らは時代の最先端で格好いいと思っているようだ。そしてサッカーに興味を示し日本を応援しなければいけないといった抑圧を感じる。先週末のテレビ中継を見ていないと言ったら「信じられない」という反応をした人が何人かいた。個人の勝手だと思うのだが。

サッカーに興味がないと言っても、別に日本を応援していないと言っても「そうですか」と軽く流してくれるのだろうか。もしそんな多様性を認めない社会になったとしたらそれこそ大政翼賛会である。もう50年以上も前に犯した集団主義による暴走と同じメンタリティを今更スポーツで再現する必要はない。

 

1997.11.21.(FRI)
<今日の一言>

スペインの銀行から仕事の電話があり話していると相手は実は前の会社の後輩でびっくりしました。世の中意外に狭いものです。

連休

今週で仕事は一区切り。来週は祝日も入れて1週間休むことにした。会社の規定で連休をとらなければいけないことになっている。一年目の場合1週間、来年からは2週間である。

俺がいないと会社は回らないと信じたい人にとって自分が休んでいる間も会社が回っている状況は見たくないものなのだろう。幸い自分にはそんな気持ちもないので安心して会社を休むことができる。

ジョブディスクリプションが明確な会社に置いては自分の仕事を真剣にやり、それ以外の仕事はそれぞれの担当者を信頼するという態度が必要である。担当外の仕事まで顔を出し関わろうとするのは会社を思う気持ちであってもルール違反である。

また仕事は長時間やっていればいいというものでもない。長時間集中力を維持することは難しい。マンネリからの脱皮には休息を入れる必要がある。知識社会においては労働時間よりも効率を考える方が重要なのである。10時間唸り続けてもいいアイディアが浮かぶ保証はない。むしろ早めに仕事を切り上げ人と語り合った方が斬新な考えをもたらすことが経験的には多い。

ただ全速力で走っていれば良い時代は終った。その意味では厳しい時代に入ったということなのである。

給料

転職してから友人に会うと、さりげなく給料の話になることが多い。どうも皆何となく外資系企業に転職すると給料が倍増したりすると思い込んでいるふしがある。

私がやっている仕事は基本的には前の会社でやっていたことと変らない。債券投資による資金運用業務である。周りの環境などは随分変ったが、毎日の仕事は8時前に会社に行き、マーケットと自分の管理しているポジションをチェックをし、投資方針を検討し、会議で決定し、決まったことを執行していく。担当の仕事だけに集中できる分、色々なことに煩わされず本業だけに集中できるようになった。

同じ仕事をしていて会社を替るだけで給料が倍増すればこれほど有り難いことはない。しかしそんなことが起きるわけないのは冷静になって考えればわかることである。世の中そんなに甘くない。

私が転職したことに今のところ満足しているのは、ジョブディスクリプションが明確で、プロ意識が徹底していること。そして自分のやっていることが顧客のニーズと同じベクトルだということである。

煩悩のある人間であるから賃金は高いに越したことはないとは思う。しかし自分のやっていることに誇りを持てなくなることの方がもっと辛い。

 

1997.11.20.(THU)
<今日の出来事>何かありましたっけ?

<今日の一言>

寒い夜には鍋が一番です。

茶楼

師匠が贔屓にしているが最近行っていない(ママによろしく言いました)茶楼に友人5人とスートーホーコを食べに出かけた。雨の寒い夜はまさに鍋日和でいつにも増して美味しい。

12キロの石で作った鍋からは遠赤外線が出て、具がやわらかくまろやかになる。中華風の味なのだが、肉野菜魚貝類がふんだんに入ったものを生卵と特製のたれで食べる。どこの国の料理か混乱するが、日本ではここでしか食べられない鍋であることは確かである。

話題は他愛も無い話から金融システムの話になり、最後は直間比率見直しの政策がなぜ実行されないのかという話に発展した。食欲が満足させられると真面目な話が始まるのである。

景気後退といいながら茶楼には客が溢れていた。スナップショットで景気を語るのはミスリードすることが多いが、雇用が確保されている限りにおいてはリーズナブルな消費は当然行うのが人間の性である。当たり前のことが確認できた夜であった。

 

1997.11.19.(WED)
<今日の出来事>Y証券株価最安値58円、メリルリンチがマーキュリーアセットマネジメントを買収

<今日の一言>

日経平均反発の要因は実はサッカーによる市場マインド改善にあると言う人が結構います。

一年前

一年前の自分の日記を読み返してみた。ホームページを作ると楽しいのは、読んだ人から頂ける反応ともう一つは自分の過去の日記を読み返すことである。世相がわかったり、自分の当時の考え方から文章表現まで懐かしく読むことができる。

当時は厚生省がエイズ問題などで叩かれていた時期である。金融システムに対する批判や規制緩和といった議論は当時からされていた。一部の分野ではアメリカ並みの競争が始まったようにも見えるが、1年間でそんなに変化があったとは思えない。

ドッグイヤーなどといっているが意外に変わったようで変わっていないのかもしれない。

一年後

メリルリンチがマーキュリーアセットマネジメントを買収すると発表した。アメリカ最大の証券会社が英国最大級の投資マネジメント会社と一緒になるわけである。モルガンのディーンウィッター、SBCのディロンリード、スミスバーニーとソロモンと金融界は世界的な再編続きである。

規模の経済もあるだろうがグローバルな体制でないと顧客にサービスを提供できなくなって来ているということか。世界経済の一体化が進んだ結果であろう。そして一体化が進めば進むほど共通のルールが強くなる。世界のルールに従わないでゲームには参加できない。自分に都合のいいルールで参加しようとすると皆にいじめられる。日本は変なルールで社会を運営しているからいじめられっ子である。共通のルールとは自由と公平である。

規制、特権、差別、統制、不平等、といったものは投機の対象として徹底的に排除される。これは一見良いことだらけのようであるが副作用も大きい。グローバル化と自由化により市場の変動率は上昇し、一方向に相場が動く所謂スパイラル状態も多くなる。不安定になるのである。

特に為替市場は市場の思惑で動きやすい。為替ディーラーには酷であるが究極の解決策は固定相場制の復活である。現在でもカリフォルニアの1ドルとニューヨークの1ドルは固定相場であるということができる。これを世界中に広げると思えばいい。しかし言うのは簡単だが現実には困難が多い。それは欧州通貨統合の壮大な実験を見ればわかる。

欧州通貨統合はドイツがカリフォルニアにイタリアがニューヨークになるといえば話は簡単である。しかしこの実験には今後大きな混乱が待ち受けているように思う。金融政策と財政政策のポリシーミックスが新しい体制で上手く機能するとは考えにくいからである。通貨統合と国という中途半端な折衷案は上手くいかないだろう。

欧州が混乱した場合、資金はイギリスに逃げるのだろう。そのころエマージングマーケットはどうなっているのだろうか。それより自分はどこで何をしているのだろうか。

 

1997.11.18.(TUE)
<今日の出来事>政府経済対策発表、日経平均2日連続上昇、韓国ウォン1000突破 <今日の一言>

朝6時になると朝焼けが見えます。新宿高層ビルが浮かんでみえて幻想的な世界に浸れます。

車内でモバイルしている人はかっこいいか

何かの雑誌に見栄で車内でパソコン通信している人がいるというような記事が出ていたが、車内にパソコン持ち込んで操作しているのは格好良いものだろうか。

車内でパソコンを始めるのは気が重い。慌ただしくてセコセコした感じがする。時間の無い可哀相な会社人間という哀愁が漂うか、パソコン中毒のオタク系の人かどちらかに分類されてしまう。

しかも座って打っていたりすると隣のおじさんが内容をのぞき込んだりしてやりにくくてしょうがない。いずれにしても打っていて気分は余りよくないものである。ではやめればいいではないかと思うかもしれない。ほんとはやりたくないけど時間が無いので電車でパソコンに触っているのである。

決して格好良いとは私は思わない。

学生の質の低下

学生の質の低下と言われるが、教授もひどいではないか。今は随分変わったのかもしれないが昔の大学(東京大学)の授業はひどかった。同じノートを何年も使いつづける進歩のない教授。15分遅れて授業に来て10分早く終わる教授。まともな先生も少ないながらいたが、大半は手抜きでやる気がないつまらない授業だった。学生もそれを当たり前と思っている甘えの構造があった。

アメリカのビジネススクールに行って感激したのは授業には先生は遅れない。勝手に休講にしない。なぜなら最初の授業で授業内容がきちんと決められているからである。教授の気まぐれで内容を変更したりすれば学生がクレームをつける。

そして授業が時間通りに終了しないと生徒に謝ったりする。時間通りに進められなかったのは自分の責任だというプロ意識である。生徒が授業料を払って購入した授業という商品をきちんとデリバリーできなかったことに対する謝罪である。

このような状況がなぜ当たり前かといえば生徒からの評価による競争原理が働いているからである。教授はアンケートによる評価をされ一般公開される。評価が悪いと担当をはずされる。学生は素晴らしい授業をしてくれた教授をレクチャーオブザイヤーといった表彰をしてその栄誉をたたえる。

日本の大学の教授が無能だとはまったく思わない。問題は競争原理の欠如である。日本で競争原理の働いている教育機関は予備校と塾である。小学生が学校より塾の方が楽しいといっているのをきくと心地好い緊張感と言うのは人間が求める本能だという気がしてくる。

セミナー

ある著名な経済予測グループのセミナーに出かけた。マクロエコノミックモデルを使い為替、株、金利の予測を人工知能で予測するというユニークなアプローチで有名な会社である。シンプルであるが論理的整合性のあるものだった。

彼らの理論は極めて単純明快である。ユーロは弱い通貨になる。その理由は、 資本の動きは貿易による動きより圧倒的にインパクトが大きい。
資本は不確実な市場を最も嫌う
ユーロができた後の欧州市場は法律、交換レート、金融財政政策、不確実なことが多すぎる。
したがって資本は欧州から逃げ出す
つまりユーロは弱い通貨になる

ということであった。

ユーロが不透明な以上、長期の運用資金は米国の長期債券に流れるしかない。しかし財政赤字の削減により長期債券の供給は減る。したがって米国においてはフラットニングひいては長短金利の逆転が起きるとしていた。

この結論はもし自分が大資本家で資金をどこに置いておきたいかを考えれば結構納得できるのではないだろうか。

日本についても悲観的な見通しを示した。改革を成し遂げられないマーケットから資本は逃げる。そして1ドル145円から160円を予想していた。要は当面はドルの独り勝ちが続くということである。株式は最悪日経で10000円割れ、長期金利は1、25%と予想している。

金利はともかく株式は2日反発したくらいで終わりとはとても思えない。隣の国韓国では株式はまだ下げ止まらない。ウォンは1ドル=1000を越えた。この影響は日本に一番影響を与える。

株式持ち合い解消、アジアの通貨と株式の下落、金融システム不安、消費マインドの低迷、中期的には少子化、年金負担、、、。

政府はゆっくり考えている暇などない。痛みを伴っても抜本的改革を行う最後のチャンスに来ている。マーケットの警告である。まだ態度を決めかねている政府には市場は更に意思決定を迫ることだろう。通貨の急落と資産価格の下落である。極度な売られ過ぎのマーケットが到来するまでこの流れは変わらない。

円で資産を持つ理由は日本に暮らしているから為替リスクを取りたくないという事以外に現時点ではない。

悲観し過ぎと師匠に怒られそうだが最悪を考える必要はある。

 

1997.11.17.(MON)
<今日の出来事>拓銀経営破綻で日銀特融・サッカーワールドカップ出場決定

<今日の一言>

部屋の片づけをしていると懐かしいCDが出てきてつい聴いてしまったりするものです。杏里とドリカムを久しぶりに見つけました。

ワールドカップ

サッカーが盛り上がっている。ワールドカップ出場ということでめでたい事である。暗いニュースの多い日本経済とサッカー界には朗報である。

恐らくシンクタンクや銀行の調査部辺りからワールドカップの経済効果というようなレポートがたくさん出てくるだろう。やるなら早くした方が勝ちである。

それにしても監督交代の決断の早さには驚いた。あの時点でロスカットを瞬時に行ったことが今回の結果を導いた。日本では珍しい素晴らしい意思決定の早さである。

拓銀

一方の暗いニュースは拓銀経営破綻である。潰さないと約束していた20行が遂に崩れたわけである。拓銀では経営不安が伝えられてから預金の流出が続いていたと言う。確かに私のマンションの管理組合も総会決議で預金口座を拓銀から東京三菱に移した。北海道では取り付け騒ぎなど無かったのだろうか。

日銀特融というのもどこから金が出るのか良くわからない。打ち出の小槌があるわけではないから最終的には税金が原資になるのだろうか。その意味では公的資金の導入と実質同じなのだろうが、国民の反応は仕方ないといったものである。

最近の日本の金融システム不安からジャパンプレミアム(日本の銀行が資金調達するとき余計に払う金利)が再拡大している。2年前の大和銀行NY支店の事件の頃以来の水準である。調達コストが3ヶ月で6%超える時に米10年債を6%割れで買ってはなかなか商売にはならない。

前回は下位の都銀などが資金調達に苦慮しただけだったが、今回は上位都銀にまでプレミアムが波及しているという。考えてみれば上位都銀といっても株式含み損の銀行もあるし一律に語ることはできなくなった。上位都銀は営業基盤が上位というだけでなく不良債権額もやはり上位なのである。

 

1997.11.16.(SUN)
<今日の一言>

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大学教育

心配性の日経新聞は日本の大学の教育レベルの低下まで憂慮しているらしい。外国人留学生から見るとM学院大学の学生は物言わないかわいそうな羊に見える、と引用している。今後少子化で受験戦争が無くなると基礎学力の低下が心配されると言う。そんなに悲観する必要あるのであろうか。

確かに基礎学力は必要である。しかし大化の改新が西暦何年か語呂合せで覚えていることが基礎学力なのだろうか。英語の関係代名詞の限定用法と継続用法の違いなどといったことを暗記することが必要だろうか。

基礎学力とは将来の応用力発揮の為に必要な知識のことであろう。最初は職人も師匠の物まねから始める。そして理論を学び技を完成させる。勉強でいえば九九であり英単語である。これらは覚えなければ始まらない。そしてそれらを体で覚えてから創造力の為に活用するのである。

これからの基礎学力としては英語とパソコンを今まで以上に重視すべきである。世界とコミュニケイションできるツールを持たなければ他の能力が優れていても発揮できない。

これらを日本の大学が提供できなくても問題無い。海外の学校なり日本の専門学校が提供するからである。大学の競争相手は大学だけではない。今の大学に人が集まるのは過去のブランド力がまだ残っているからである。そのうちに特定の大学の学生の質が悪いということになれば人は集まらない。専門学校に人は流れる。

大学でも早くから時代の流れを捉えているところもある。KFC(慶應藤沢)は賛否両論あるようだが、新しい人材を育てようとしている数少ない大学の一つである。このような先進的な大学とブランド力を維持できる一部有名大学以外は新たなマーケティングを行わなければ他の教育機関に敗れる。この競争原理が保たれていれば質の低下は起こらない。

若者に対する批判はいつの時代にもあるものだ。発掘された古代エジプトのパピルスにも「最近の若者は...」と書いてあるそうではないか。

 

1997.11.15.(SAT)
<今日の一言>

パソコン研修で挿入するイラストを書いたら、不気味な宇宙人のようなものが描けました。絵は自分の精神状態を写しているようで怖いものです。

無い物ねだり

人間とは欲深い動物である。欲望にはきりがない。よく金持ちほどケチだというが、ケチだから金を貯めることに極限無く邁進してしまうのであろう。まさにきりのない欲望である。

人間はまた2つの相反するものを求める矛盾した動物でもある。例えば子供はかわいいと思うが自分の子供がいたら煩わしいと思う。暖かい家族は欲しいと思うが、家族に自由を奪われるのは嫌だ。一人でいたいと思う時があるがずっと誰とも口をきかないのは寂しい。親友がいたらいいと思うがいつも一緒にいるのは煩わしい。

フレンチばかり食べているとたまにはお茶漬けでも食べてみたい。遊んでばかりいると急に勉強したくなったりする。堅実な人生を歩んでいると時々思い切り道を外れたくなる。

選択の自由のある生活が送れるようになったことで欲望はかなえられることが多くなった。その一方で選択肢が多くなりすぎ目移りしてしまい本当に何がしたいのかわからないことも多い。

ファミレスでメニュが多すぎて選べないのと同じである。目移りした結果、色んなものを注文しすぎて成人病になっては元も子も無い。

もがき

最近精神的に若干不安定である。こういうことを書くと羨ましい、などと皮肉を書いてくる人(師匠)もいるが、本人は原因究明に必死である。

人生の曲がり角にいるから、というのが最近の仮説である。もうすぐ34歳。肉体のピークは越え、酒も飲む量が減ってきたし、体も無理がきかなくなりつつある。

同世代の人間と会ったりするとそれぞれの道を歩きはじめている。そして多くはその方向も将来も見えていてエキサイトするような状況ではない。諦めさえ感じているものもいる。つまりそろそろ先が読める世代になってきた。

社会においては若者からはオヤジ扱い、上司からは子供扱いされ板挟みの中間管理職状態である。20代のころはバブルに踊りヤンエグと持ち上げられていたのに、今になって資格だパソコンだ英語だと慌てて勉強しはじめている。

そして自分と社会とのギャップがある。新しい価値観で生きていきたいと思っても世間は変わっていない。変わりつつあるとは言え、相変わらずの「ムラ社会ニッポン」である。自己責任、機会平等、自由、情報公開、グローバルスタンダードといった言葉は先行しているが世の中依然として「さはさりながら」である。

じゃあ日本売りだ、日本を見捨てるんだ、といったってどこに行ける訳でもない。アメリカにグリーンカードを取って移住したところで待っているのは日系社会である。ミニチュアの「ムラ社会ニッポン」である。日本に生まれて30年以上生きたからには日本人のアイデンティティは捨てられない。

こんな時には過去からの延長線ではないブレークスルーを見つけ出す必要がある。

 

1997.11.14.(FRI)
<今日の一言>

久しぶりの雨となりました。これでまた一段と寒くなっていきそうです。

読んでもらえるページ

ホームページを更新しはじめてはや1年と少し。ヒット数も一日70〜80件位で安定し、恐らくその中に毎日読んで頂いている方が40人位はいらっしゃる。有り難いことである。

しかし最近書いていて何となく手応えが無くなって来たように思う。メールの数も季節の移り変わりと共にめっきり減った。書いている内容に今一つ気合が入っていないからだろうか。読んでもらっている人も最近はつまらなくなったと思っているのではないだろうか。

面白いページには次のような要素が必要である。

一般に知られていないような面白い情報や専門的知識が得られる

世間一般の考えとは異なる、独自のしかし説得力のある意見が書いてある

内容が暗くない。他人の悪口や攻撃は決して書かない

つまり役に立ち、ためになり、面白いページに人は集まる。さてこれからこの日記をどうしていくべきであろうか。

淡水研究室

代々木の淡水研究室(3299ー3763)に前の会社の同期たちと3人で行った。この店は2回目である。このお店名前と内装はかなり変わっているが料理はまっとうでそのミスマッチが面白い。魚を食べながら美味しいお酒を楽しむ店である。

ドナルドソン・トラウトという北海道の幻の川魚の刺し身を食べた。サーモンを更にこってりとさせたような味であるが食べた後はさっぱりしている不思議な刺し身であった。しめ鯖も白子のグラタンもサンマの塩焼きも皆美味しかった。

酒はいちがえもんというこれまた飲みやすい日本酒である。掘りこたつのくつろいだ席で4時間ちかく話し込む。会社にいた頃は一度も個人的に飲んだことなど無かったのに環境の変化は不思議である。

店を出ると11時を回っていた。小雨の中、傘を差して歩く。今度会う時はお互い何をしているだろうか。

 

1997.11.13.(THU)
<今日の一言>

会社で何と明太子をもらいました。持って帰るのに一苦労しましたが美味しかったです。

研修

明日は会社でパソコン研修がある。外資系というと人材育成には余り力を入れず即戦力で勝負というイメージがあるが、むしろ日本の会社より熱心な感じさえする。パソコンなどソフトの進化が早く知識の陳腐化が早くなっているからというのも理由であろう。

ただし同期全員で一斉に昇格したり、部門間の人事異動は原則ないので、集団で受けるような研修は余り無い。そして受けた研修に対する直接的な成果は強く求められる。

受け身ではなく能動的に「これをやりたい」と言って受ける方が身も入るし成果も高いように思う。

 

1997.11.12.(WED)
<今日の一言>

朝、同じ時間に起きていると日の出が遅くなっていくのがよくわかります。最近は起きると真っ暗で朝焼けを見ることができます。

通勤経路

何となく気が向いたのでいつもと違う電車に乗ってみた。家から浜松町のオフィスまで行く経路は何通りかある。今日は中央線で神田に出て京浜東北線に乗り換えて会社に行った。違う電車に乗ると面白い発見がある。

路線によって混み具合が違うことがわかったり、客層も違うことがわかる。吊り広告の種類まで違っている。京浜線では久しぶりにアサヒ芸能の広告を見ることができた。いつもの経路より所用時間が短いことも意外であった。沿線の風景も目先が変わって新鮮だしこういう遊びはたまにはいいものである。

適者生存

独り勝ちの銀行にお勤めの方からメールを頂いた。

内藤さん、こんにちは。

今日の「明日は我が身」に大いに賛成です。私の属している○○○○銀行は世間からは勝者ともてはやされていますし、実際、預金の純増も今のところ一人勝ちのようです。
しかし、現実には今好調なのは世間のイメージによるところが大きいため、5年後にはどうなっているかわかりません。

今の○○○○銀行に必要なのは、謙虚さ、危機意識、そして、実行力だと思います。

香港では経営危機を表明した銀行の取り付け騒ぎが起こっているが、昔はあのシティバンクでも同様のことがあったという。90年代前半に不良債権に苦しんでいたシティバンクは今やリテール戦略を世界に拡大する銀行として復活した。ジョンリードのリーダーシップのもと正しい方向に従業員のベクトルが合成されたからであろう。

かつて話題になった「エクセレントカンパニー」で取り上げられた多くの企業がその後業績低迷に陥った。つまり根本は変わらなくても経営とは時代に対応して柔軟に変化していかなければならない部分が大きいという事である。

組識に所属する個人として考えるべきことは正しい方向に進んでいるリーダーと仕事をすること、そしてそれだけの自分の価値を常に保てるよう努力を続けることであろう。

 

1997.11.11.(TUE)
<今日の一言>

最近少しスランプ気味のようです。生まれて初めての5月病でしょうか。

脳天気無責任男

10時からの人気のあるニュース番組(ニュースステーション)を久しぶりに見た。総会屋への利益供与で日本を代表する企業の総務担当者が次々逮捕されていく。これは世の中がまともになっていく過程での健全な膿の摘出手術である。

不健全なのはメインキャスターの無責任な発言である。「年に一度の株主総会で時間をかけてきちんと説明くらいどうしてできないのでしょうか」などと寝ぼけたことを言っている。

なぜ株主総会に時間をかけないようにしようというインセンティヴが働くか。それはマスコミが株主総会の所要時間にばかり注目し、長くなるとすぐに荒れる総会とか株主の厳しい質問、などとセンセーショナルに書き立てるのが一因である。世間体を大切にする大企業はマスコミに書かれたくない。だから経営陣は総会を取り仕切る総務に早く終らせるようにプレッシャーをかける。それが総会屋の付け入るすきになる。

だからマスコミが糾弾すべきは株主総会を同じ日に一斉に合わせて開催し、短時間で終わらせたディスクロを軽視する閉鎖的ことなかれ企業なのである。逆説的になるが株主総会長時間ランキングを作るなら批判するためではなく称賛するために活用すべきである。

 

1997.11.10.(MON)
<今日の一言>

美容院に行ったので「髪を洗う時に『どこか痒いところありませんか』と聞いて、『ある』と言われたことありますか」、と美容師に聞いたらやっぱり無いとのこと。皆痒くても我慢しているのですね。

マッチポンプ

11月5日に書いた「違和感」に関してメールを頂いた。

内容には同感です。中堅証券が「総合金融業」を目指して大ディーリングルームを造ったり、ファイナンスの仕事に手を出すのは当時80年代後半は拍手喝采だったはず。
重要なのは彼らのやり方がまずかっただけであって、方向は意気盛んな企業としては目指してしかるべき方向だったということ。

ベンチャー育成!や創造的な仕事を!などと日経をはじめ評論家はよく言いますが、ベンチャーなり創造的というのはリスクをとることであり、華やかな成功者の裏には死屍累々なわけです。

ルールに従った公正な方法であれば、リスクをとった経営者をせめてはいけない。
むしろ彼らが次は成功するように応援するようにしたいと思うわけです。

三洋証券は相変わらず叩かれている。大きすぎたディーリングルームの批判をするものはいてもそのアントレプレナー精神を評価するものはいない。結果がすべての世界であるといえばそれまでである。しかし敗者の弱いものいじめをしているだけでは何も変わらない。ねたみそねみのムラ社会である。誤りは誤りとして指摘した上で三洋証券のベンチャースピリットを評価しなければ後に続くものはいない。

ベンチャー精神が日本のビジネスには無いとマスコミは良く叩くが、その原因の一翼は一部のサラリーマン・マスコミが担っていることを示す好例である。

明日は我が身

日本の金融株は下げ続けている。私がいた頃1500円だった信託銀行の株価は一時700円を割り込んだ。不良債権の償却が終っていないのに償却原資の株の含みが底をつきかけ、アジアに新しい不良債権が生まれているのに何も対応策を取らないのだから当たり前である。

ではもう終りなのだろうか。そう決め付ける前にはまだ早い。日本の金融機関にはもう一つ大きな含みがある。それは人材の含みである。勤勉で優秀なマーケット感覚に溢れる人材が今の30代にはたくさんいるというのが私の実感である。この大切な含み益を流出させないで有効に生かしきればシティバンクのような復活は不可能ではない。ただしこれは時間との闘いである。

今、成功している企業であっても手綱は緩められない。それが永遠に続く保証はないからである。金融市場のダイナミックな変化は今日の勝者を明日の敗者にする。変化を読み取り適応していく柔軟で筋肉質な変革しつづける組識が必要なのである。そのためには変化を受け入れる構成員と勇気を持って適正なリスクを取るトップの実行力が不可欠である。

そしてもう一つ大切なことは謙虚であり続けること、である。平家物語のあのフレーズを心に刻みながら毎日の努力を積み重ねることである。謙虚であることは学ぶ気持ちを高め、広い視野を持つことにつながる。

いずれにしても1年先はわからない激しい競争の世界である。「賢人は常に最善を望みながら最悪を覚悟する」「未来は過去の延長線であった試しは一度も無いことを歴史は物語っている」。

不気味な建物

気味が悪い建物というのがある。飯倉のノアビル、環七沿いにある立正校成会の建物、調布にある第百生命本社ビルなんかがそうである。人の気配がなく、形が変わっている。今日山手線に乗っている時に見つけた目黒の日の丸自動車の本社ビルも結構不気味である。

赤い大きな丸がついた不気味な形。おそらく日の丸をイメージしているのだろうが変なビルである。大きい・古い・趣味が悪いといった条件が揃っていると気味の悪いビルになる。

きっと新宿の都庁や有楽町の国際フォーラムももう少し古くなれば気味の悪い建物の仲間入りであろう。

連休

月末に1週間お休みを取ることになりそうである。会社の規則で年に1度有給の日数に応じて1週間ないし2週間連続の休みを取ることが義務づけられている。私の場合今年は1週間である。

去年のようにまた温泉旅行でも行ってみようかと思っている。今年は北陸あたりの日本海を見てみたい。どこかいい温泉を探したい。「旅の手帖」の温泉特集でも買ってみようか。

 

1997.11.9.(SUN)
<今日の一言>

トマトの輪切りにカッテージチーズとバジルを乗せ、バルサミコ酢とオリーブオイル、ホワイトペッパーをかける。このサラダに最近はまっています。

ビッグマックカレンシー

エコノミストによればビッグマックで比較した東南アジアの通貨は各国でドルに対し50%近く割安になっているという結果になった。

10月末の時点で通貨下落の影響もあり対ドルで、中国・インドネシア・香港・マレーシア・フィリピン・タイで50%前後、シンガポールが25%、日本と韓国ではほぼ適正水準と出た。これは何を意味しているのだろうか。

購買力平価が通貨の長期的な均衡点を示すとすれば、これらの割安になったアジア通貨は中長期的に見て買いである。株式相場の混乱が今後も続き金融市場の回復に時間がかかるとしても通貨の下落がこれ以上進まないと判断すれば外貨預金である。

短期でロールする高金利の外貨預金をタイバーツやインドネシアルピアで始めるのはどうであろうか。宝くじなんか買うより面白い投資だと思うが。

少しずつ変わる

少しずつ変わっていくと毎日の変化には気がつかないものである。人の家の子供にたまに会うと大きくなっているのでびっくりすることがある。しかし毎日見ている親は余り気がつかない。

知らない間に見かけなくなっている芸能人がいる。トレンディードラマに出なくなったなと思ってたらTV東京の温泉レポーターになっていたりする。旬の芸能人も少しずつ替わっている。

日本も少しずつ変わっている。毎日の生活では気がつかなくても10年単位の時間で見れば大きく変わった。いや1年単位でも変わったことは多い。

定点観測をしなければ変化の度合いは正確に知ることはできない。

チーズ

カッテージチーズのことを書いたらばぶばすさんから次のようなアイディアを頂いた。

さて、本日の一言にチーズが出ていましたね。カッテージチーズとトマトは相性が良いですよね。実は一風変ったチーズのアレンジをお伝えしようと思ってメールしました。

それはブルーチーズに蜂蜜をかけて食べるというやり方です。「ええええ、なんだそりゃ」と思われるかもしれませんが、ブルーチーズが好きな人には好評です。赤ワインにもよくあいますよ。

だまされたと思ってぜひ試してみてください。

だまされる価値がありそうな組み合わせである。ちなみにブルーチーズは私の大好物の一つであるが、リンゴを薄くスライスしたものに重ねて食べるのもなかなかいける。これは私のよく通うバーでおつまみとして出されるものである。こちらもだまされる価値は十分ある。

カコナール

10月にはいると水虫薬の宣伝が急に風邪薬の宣伝に代わる。カコナールのCMは何年も続いているが良いことを言っている。それは風邪は早めに手当てした方がいいということだ。こじらせる前に薬を飲んで直した方がいい。

日本経済は風邪気味だったのに薬を飲まないから本当に風邪をひきはじめたようだ。隣の人達(アセアン)も急性肺炎になってしまったのもいたりしてこれまでうつされたら大変だ。

今からでも遅くない。布団に入ってじっとしているのではなく、抗生物質でも飲んで一気に直した方がいい。ついでに養命酒でも飲んで体質改善もやるべきである。きちんと治ることがわかっていれば高い薬を買っても誰も文句は言わない。

 

1997.11.8.(SAT)
<今日の一言>

寒くなってくると北国に旅行をしたくなります。そのうち演歌が好きになったりしそうでちょっとこわい気もします。

理路整然と間違える

理屈で殆どのことが解決できると信じてきたが、最近その信念がぐらつきはじめた。論理的に正しいことを突き詰めていっても結果が正しくなるとは限らないケースに遭遇することが多くなってきたからである。

こんなことが起こる原因としては2つ考えてみた。正しいと思っている理論に実は限界があるケースと所謂複雑系といわれるカオスの問題による間違えである。

世の中完全な理論などなかなかないものである。どこかに割り切りやごまかしが存在している。そうしないと実用的でないからである。そんなごまかしも積み重なれば無視できないエラーになる。

カオスの問題はまだ現在の科学では完全に解明されていない。少なくとも要素還元主義の限界を考えれば当たり前のことなのだ。しかしこれも実際に自分の身の上に降りかかってくるまでは感覚的に納得できないものである。

もしこれらの問題が解決されたとしても更に根本的な疑問を持っている。それは理屈で物事を解決していくことが常に正しいのかというさらに大きな疑問である。自己のアイデンティティを否定するようなものではあるが、感情の趣くままに行動しているのに理路整然と間違えている人より満足できる意思決定をしている人がいる。

自分が何を心の拠り所にすればいいのか、真剣に悩んでいる今日このごろである。

 

1997.11.7.(FRI)
<今日の一言>

今週は4日しかないので時間が早く経過するように感じます。

Soul・Train・Cafe・Tokyo

ソウルトレインカフェ・東京(5776−7712)に行ってきた。会社から歩いて10分位のところにある。昔バブルの頃、ウォーターフロントと騒がれお洒落な店がたくさんあった場所であるが、今やその面影はない。インクスティック芝浦ファクトリーというライブハウスの跡に作られた店はシンプルで表にはポスターが何枚か飾ってあるだけの地味な外観である。

店に入ると小さなライブホールのようになっていて、テーブルで食事をしながら生演奏を目の前で楽しむことが出来る。ショータイムは30分。アーティストのレベルもなかなかで70年代の昔の曲をガンガンやってくれる。

この手の店にしては料金設定も良心的である。チャージを入れて食事をしてワインなど飲んで1人6千円位である。会社の仲間と5人くらいで行くのに丁度いいお店である。

 

1997.11.6.(THU)
<今日の一言>

久々に美味い赤ワインと肉料理を味わいました。人には教えたくない店のリストにそっと加えました。

悲観的

ワゴンさんが日本の金融業界にかなり悲観的な見方を示している。確かに金融業界は今後も人員削減が続くであろう。会社の数が減り、1社当たりの従業員数も減るのだからダブルで効いてくる。そして給料が下がる。しかしそんなに悲観することもない。

銀行と証券会社は減るがアセットマネジメントビジネスはこれから増えるからである。今年になってからだけでも日本で投信に参入した会社は結構ある。企業年金も高齢化が進めば増えるのは当然だ。金融業界で人が減るのは固定手数料だった株の売買仲介やら、大企業向けの融資といった非効率な分野の話である。ドラッカーが言うようにファイナンスは日本の今後の成長分野なのである。日経の求人広告を見ればよくわかる。

次に給料が下がるリスクであるが、下がったとしても金融不況で景気が後退しデフレになればものの値段も下がる。今回のアジアの通貨安で輸入品は取り敢えず安くなる。デフレなら貯金の実質価値は上昇し、給料も名目で減っても実質ではそれほどではなくなる。

怖いのは中期的な円安による輸入インフレと景気低迷と構造調整による金融不況が同時に襲ってくる悪魔のシナリオである。輸入品が値上がりし、海外旅行も高くて行けなくなる。給料は減っても物価は下がらない。仕事はどんどん無くなっていく。転職したくても金融関係者の労働力が市場に流れ込んでいて需要と供給がアンバランスになっている。

この最悪シナリオに対応するには外貨で資産を持つしかない。昔からずっと思っているが外貨預金をして円高になってもいいのである。外貨を持たないで円安になった時のリスクを考えれば保険料と割り切れる。この円安インフレの最悪シナリオには国債が一番いい投資対象とは思わない。10年の金利が1.6%のままで10年も続くとは思えないからである。日本の超低金利は財政改革による構造要因であり永遠に続くものではない。私は優良な日本の株の方が魅力的だと思っている。そして外貨建の長期債券を各国に分散して持つようにしている。もちろん円のキャッシュ(MMF)も保有しているがJGBを保有するつもりはない。

入り口の競争

日本にはこれまで入り口の競争しかなかった。受験戦争も学校に入るまでの話で、大学に入ってしまえば一部の学生(役人になりたい人など)を除いて競争は無くなる。会社も入社までは会社訪問による競争があるが入ってしまえば社内の出世競争だけである。しかしそれは所詮狭い世界での差別化であり、出世競争に破れても生涯賃金はそんなに大きな差は無かった。偉くなれないということを除けば入社時からお気楽サラリーマン人生で大した努力をしなくても大企業にいればそれなりの人生が送れた。企業内の差より企業間の差の方が大きかった。つまり大企業に入口で入ってしまえば勝ちだったのである。

これからは入ってからの競争が大きくなる。能力給による社内の格差が大きくなっていく。労働市場の流動化も進む。大学生も成績が良くないと採用されなくなれば入学後も競争である。大変ではあるがそのほうが健全である。

運転免許を考えてみれば良い。20歳の時に取った免許が70歳でも使えるのはおかしな話である。定期的にレビューしていくべきである。すなわちMark-to-marketが必要なのである。簿価会計から時価会計への移行はアカウンティングの世界だけでなく労働市場にも必要なのである。

 

1997.11.5.(WED)
<今日の一言>

ある方から原宿の「オー・バカナル」は「大馬鹿なる」という日本語ではないのか、というご指摘を頂きました。真相ご存知の方教えて下さい。

違和感

違和感を覚える表現があった。日経新聞のコラム「春秋」である。今日の春秋には昔、三洋証券のディーリングルームを見に行った話が書いてあり、筆者はその時の感想を「違和感を覚えた」などと回想している。

十年前に同じ事を言っているのなら見識ある見方と言えるのかも知れないが今ごろ過去の個人的感想を言うのはフェアではない。赤ちょうちんで「だから俺はあの時そう思ったんだよ」などとくだを巻いている酔っ払いと同じである。

日本の長期金利の2%割れも、今は記事で日本経済の悲壮感を煽っておいて10年くらいしてから「違和感を覚えた」などと書くつもりなのだろうか。

郵貯民営化

郵貯を民営化すると消費が落ち込むと丸井の社長が言っている。国営金融機関以外信じられなくなってる消費者が預ける場所を失えば結果不安心理が高まりたんす預金をする人が増え消費はさらに冷え込むと言う主張である。

なるほど今や準大手証券がある日突然会社更生法を適用する時代である。どこに預けても信用できないというのが本音だろう。最近はシティバンクに円預金をする人が増えていると言う。外貨預金で名を馳せた時代とは様変わりになりつつある。

しかし日本の個人金融資産が極度なリスク回避型であると結論のは必ずしも正しくない。問題はリスクを取りたがらないことではなく、リスクが良く分からないことと、リスクに見合ったリターンが提供されていないことである。

金融機関のディスクローズは今や誰も信じない。公表不良債権額など注射やお化粧で本当の数字は分からない。預金保険も本当に機能するのか疑わしい。とすれば郵便局以外に安心できるところはない。

郵便局さえ国民年金のように信用されなくなったらどうなるのだろうか。考えると結構恐ろしい。

 

1997.11.4.(TUE)
<今日の一言>

久しぶりに深大寺に行きました。七五三で境内は混雑していました。

倒産(2)

昨日の日記ではダウが下げたなどとトンチンカンなことを書いて赤恥を書いた。最近酒抜きの翌日は必ず寝坊して日記が満足にかけない。昨日は15分で書いたので中途半端でいい加減な日記になってしまった。と言い訳をしつつ懲りずに三洋証券の話を続ける。

三洋証券を見て思ったのはヤオハンに似ているな、ということである。どちらも大手ではなくオーナーが育ててきた堅実な会社を2代目が才能に溺れ、時代を見誤り拡大路線に転換した。そこには大手の一角に食い込まないと将来は無いという焦りがあったように思う。

差別化の為に三洋はトレーディングルームとホームトレードによる情報化を使った。ヤオハンは海外での店舗拡大で差別化した。どちらも大手がやっていないことを勇気を持って始めたという点で評価できる行動である。しかし走り出した機関車にATSは装備されていなかった。

これらの会社から得られる教訓は何であろうか。私は撤退の決断だろうと思う。拡大して時代に乗り上手く行っているときはいい。しかし世の中が変化し、ライバル企業が動き出し自分の置かれている環境が相対的に変化した時、柔軟な対応力が問われる。

過去の成功体験を捨てるのは勇気が要る。しかし傷口が浅いうちに撤退すれば新しい一手が打てる体力が残っている。大胆に積極経営を断行するのも勇気だが、自己の失敗を認めしなやかに変わっていくのも勇気ある行動である。

DM

ドイツマルクの話ではなくダイレクトメールの話である。

最近海外から英語のDMが送られてくるようになった。LLビーンのようなアパレルから文房具やコーヒー機具、本の安売り、さらにはクリスマスケーキ、寄付の依頼、まで来るようになった。

増えたのは某ボタンダウンシャツメーカー(ブルックスブラザーズ)にメールオーダーを出してからである。ということはこの会社が私の名簿を横流ししているという事なのだろうか。証拠は無いが不気味な動きである。

こういうことがあるとプライバシーの侵害だと騒ぐ人がいるが、私は余り気にしない。無駄なゴミは増えるが、送られてくるものの中には面白いカタログがあったりして結構楽しめる。

ただどうやって彼らが私の住所を知ったのか興味があるだけである。

 

1997.11.3.(MON)
<今日の一言>

ワゴンさんは車をステーションワゴンからローバーに乗り換えました。ハンドル名もローバーさんに変えたりはしないのでしょうか。

倒産

三洋証券が事実上の倒産である。NYダウも下げているようであるし、東京の株も火曜日は冴えない動きになるであろう。今回の場合、直接の原因は生保がローンの延長を拒否したため資金繰りが手当てできなくなったことだとされている。

ここで生保悪者論がマスコミで騒がれるようなことがないように祈りたい。貸し手責任というものも存在するのかもしれないが、本質を見誤ってはいけない。原因は三洋証券自身の経営の失敗である。

 

1997.11.2.(SUN)
<今日の一言>

薄着で出かけたら寒くてひどい目に会いました。また風邪などひかないよう注意しなければ。

香港

アジアの通貨危機とそれに伴う株価の急落は香港にも波及した。しかし先週末にハンセン指数が取り敢えず落ち着いた動きを見せたことで今後の見方が2つに分かれている。

エコノミストは香港ドルが米ドルリンクを続けることにより、他のアジア諸国に比べ香港ドルが割高になり競争力が低下する可能性とドルリンク(Peg)を止める可能性のどちらについてもその可能性は低いとの見方を示している。

その理由は香港がサービス業の比率が高く、他のアジア諸国とは経済構造が違うという事。従って香港ドルが割高になっても経済に与える打撃は小さい。ドルに対するリンクは豊富な外貨準備(中国を加えるとさらに強固)と金利引き上げで見せた当局のリンクに対する姿勢から可能性は低いとみる。

しかしドルペグが維持されたとしても、相対的な打撃が少ないとはいえ、東南アジア地域の経済低迷と不動産を中心とした香港市場への影響は短期的には無視できないであろう。

今年も鍋研師匠が鍋忘年会を企画するようだ。

随園別館で3階を貸切り、TV東京のアナウンサーの人やら某新聞社の方々が集まり賑やかな会になることであろう。師匠の企画は男女比率が丁度良くバランスされるのが特徴である。そしてなぜか妙齢の美女と30代の男性が多い。

鍋といえば鍋研コンテストが来年1月に行われることも決まった。今年の大会でお世話になった西麻布の茶楼にも寒くなったことだし出かけてみたい。ここの鍋と鍋の後に食べるラーメンは最高の味である。

季節はすっかり冬である。

 

1997.11.1.(SAT)
<今日の一言>

もう年賀状の季節になってきました。1年は早いものです。

食欲

お昼を食べに神田にあるうなぎのきくかわ(神田須田町1−24、рR251−1506)に行った。自前の静岡にある養殖場で育てられたうなぎは注文してから出てくるまでに30分近くかかる。本当はその間ビールとうなぎハムでも頼んでちびちびやっていれば良かったのだが、お茶だけを飲んでひたすら待つ。

出てきたうなぎは2匹が重箱にびっしり詰まっている。食べると身が非常に細かい。噛むという感覚が無くとろろごはんのように溶けていく。この舌触りが絶品である。普段家で食べているうなぎとはやはり味が根本的に違う。うなぎ好きにとってはたまらない瞬間だった。

美味しいものは食べおわってからも楽しめる。後味がいいとはこのことであろうか。幸せな気分になれる。残りの一日が気分良く過ごせる。うな重は一番安いのが2700円である。きゃべじんというきゃべつの浅漬けも頼むと一人前3000円とちょっといい値段だ。しかし夜飲みに行けば同じくらいのお金はすぐ取られる。それにこれだけの満足感があれば決して高くはないと思った。

帰り道原宿のオー・バカナルでパンを買った。ここのパンは小細工をしていないところがいい。日本のパンのようなフワフワしたやわらかさは無い。歯ごたえがあってするめのように味があるパン生地である。東京のパンでは一番気に入っている。

食欲の秋である。ダイエットをしながら充実した食生活を送りたいと矛盾した都合のいいことを考えている。


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