SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1997年12月



 

1997.12.31.(WED)

「来年の予想10」

年末スペシャル「来年の予想10」を作りました。2択を全部で10問作りましたのでどちらか選んで左クリックで投票して下さい。投票数が余りに少ないと恥ずかしくて発表できなくなってしまうのでご協力お願いいたします。合計得票数は1月に発表します。

1.橋本内閣は退陣する



2.新進党同様、自民党も分裂状態になる



3.外資系に買収される日本の大手銀行が出現する



4.新外為法で為替は一時140円まで円安になる。



5.日経平均は来年中に一度は2万円を回復する



6.アムロは出産するが離婚する



7.東京の高校生からルーズソックスが絶滅する



8.長野オリンピックで日本は金メダルゼロ



9.サッカーワールドカップ、日本は1勝もできない



10.あなたは転職・失業・破産・離婚のどれかに遭遇する



皆様一年間大変お世話になりました。良いお年を。

 

1997.12.30.(TUE)

激動の一年

こういう一年の総括は日本のマスコミと同じだと師匠に言われそうである。しかし今年一年は公私共に激動の一年というのがふさわしい年であった。

プライベートでは11年勤めた会社を退職し、同じ金融とはいえ投資顧問という新しい業界で働きはじめた。ようやく新しい生活にも慣れたがやはり世界が変ったという驚きは日々感じている。

社会全体を見ても価値観の転換があった年として位置づけられるのではないだろうか。キーワードは「日本的信用の喪失」だと思う。単に金融機関の信用が落ちたというだけではない。契約に基づかない信用という人や組識をつなぐツールの機能低下がはっきりしたのが今年だった。

企業と従業員の関係も信用喪失がはじまった。年功序列、人事ローテーション、退職金制度、年金、といったものは全て従業員が企業を信用し永続することを前提に初めて成り立つシステムである。松下の新人事制度や派遣社員の増加は長期的雇用という戦後の日本の労使の信用を前提とした慣習を崩しつつある。

会社内では従業員間の利害対立が始まった。中高年と若年層、男性総合職と女性一般職、役員と従業員。破綻後の山一の状況を見ると同じ職場で働いていても、かつてのような共同体幻想はなくなったと思わせる。日本的信用の崩壊である。

会社という共同体の信用が機能低下しただけでなく、日本にあった、家族、そして学校の友人関係といったものも次々に信用が落ちてしまった。

家族も共同体として機能しなくなってきた。携帯などの情報端末の発達により家族のコミュニケイションは減少した。自分の子供が誰と何をしているのかわからない。共働きが増えていることも家族の一体感を喪失させている。子供も親を信用しないし、親も子供を信用できない。

子供の友人関係もゲームや通信を媒体にしたもので当たり障りのない希薄な人間関係になっているという。

世の中の変化が激しすぎることと、通信手段が高度化・低コスト化してデジタルな人間関係が可能になったことが要因だろうか。「日本的信用の喪失」により「究極には人間は1人である」という当たり前だけど切ない事実が意識された一年と個人的には感じている。

 

1997.12.29.(MON)

失敗が許される社会

最近あちこちで失敗が許される社会になるべきだ、との主張が行われている。

日本の社会は失敗が受け入れられにくい仕組みになっていた。東大を頂点とする学歴ピラミッドはある意味では平等であったが、失点の少ない無難な人間が評価されるという減点主義を前提にしていた。そしてその減点法を潜り抜け有名大学に入らなければ、指定校制を取る有名企業には入れなかった。

会社は同期入社で横並びの競争をし、脱落すると再度追いつくのは容易ではない。決められたレールを外れないで上手く渡っていかないと出世できなかった。

失敗に対するペナルティが大きく、リスクを取るインセンティブが無い場合、決められたことだけをきちんとやろうとする。現状維持の選択は社会の安定には好都合なのかもしれないが、従来の枠組みを打破する力は生まれない。

だからといっていくら失敗をしてもいいという事ではない。失敗は失敗として評価し、リスクを取った勇気を正当に評価するということである。リスクを取った勇気に対する評価はセフティネットの整備で担保すればいい。セフティネットとは評価する人と評価して欲しい人を結び付ける市場を作ることである。正当な評価は市場が決める。

会社選びをもう一度したい人の労働市場、配偶者選びをやり直す出会い市場、会社経営をやりたい人と資金を提供したい人を結ぶベンチャーキャピタル市場。もう市場を作る動きは始まっている。

 

1997.12.28.(SUN)

手帳

この時期になると悩ましいことが一つある。来年の手帳を手当てしなければならないことである。

いつもは2冊の手帳を使い分けている。システム手帳と小さなスケジュール管理用手帳である。システム手帳はファイロファクスの一番薄い奴で、友達の電話番号や読みたい本のリスト、お店の電話番号などが書いてある。もう10年以上つかっているものである。書き込みやすく便利なのだが、Yシャツのポケットに入らないのが難点である。

もう一つの小さなスケジュール管理用手帳が問題である。ここ3年間はUBSの手帳を愛用していた。小さくて書きやすい形、落ち着いたデザインで大変気に入っていた。ところが来年用からデザインが変更になり、サイズが大きくなってしまった。

別のものを探してはいるが、良いものがない。ポケットに入り、スケジュール管理ができ、デザインが気に入るものというと今のところ一つもない。来年1月の予定も少しづつ入り始めた今、手帳を決めないと予定が立たなくなる前に何とかしなければと思いはじめた。

公的資金

どうやら銀行救済の為ではなく金融システムの信用維持のため「公的資金」による銀行資本の強化が必要だというのが少なくともテレビに出ているエコノミストの中では優勢な考えになっているようだ。預金者だけではなく融資先への貸し渋りや銀行間の資金取引の麻痺が実体経済に与える影響を重視する考え方である。金融機関の責任問題など後回しにして解決すべきとの意見だ。

預金者保護を含め総額30兆円で十分かどうかという議論は別にして、政府資金で銀行の経営を健全化すれば事態は収拾するのであろうか。

ディスクローズが徹底しなければ市場の信用は得られないと思う。だから根本的な解決にはならない。そして能力のない経営者が交代しなければ国民の理解は得られない。国民は自分の税金が使われるという怒りを持っていると思われているようだが、個人的には努力したものが報われないという不公平感の方に理不尽さを感じている。私財を放出し、監獄に行けとは言わないが、経営能力がない人が退職金を何億ももらって勲章を狙って相談役をして経営責任を問われないのでは勤労意欲は減退する。

結局、日本の企業が本当に健全な経営をしているかという不信感が払拭されなければ、市場の信頼は得られない。透明性の確保である。そして経営責任などうやむやにされてしまうだろうという政府に対する不信感が無くなれなければ国民は公的資金導入に反対する。筋の通った政策運営である。

いい加減なことをしてきた人が信用回復するには時間とコストがかかる。

 

1997.12.27.(SAT)
<今日の一言>

ようやく年賀状の印刷を始めました。

メリルリンチ

山一のリテール部門をメリルリンチが別会社を作って引き取るという。外資系のリテール証券誕生の期待が高まった。

今回の決定に当たり法人対象の会社とは別に個人専門の会社を作ったことは2つの意味がある。1つは人事の問題であり、もう一つは対顧客に対するサービスである。

メリルリンチで働くホールセール部門とこれから出来るリテールの仕事の内容は同じ証券ビジネスでも大きく異なる。リテール部門は個人の顧客に対する資産運用アドバイスが中心であろう。いい商品を安いコストで仕入れてくれば、後は営業努力で販売するだけである。ホールセールとはまったく違った人事管理が必要であろう。価格競争力維持の為には労働コストを抑える必要がある。

対顧客に対して個人だけを相手にすると明確に宣言することで個人客からは信頼度が増す。大企業に対する損失補填のような事件は発生しにくくなると思われるからである。

メリル安心証券とか、メリル幸せ証券、といった名前になるのであろうか。名前が何であれ業務を開始したら早速口座を開いてみたいと思う。逆に言えば今迄の日本の証券会社の個人客に対するサービスには不満があったということである。

E-mail

仕事におけるEメールの効用は使ってみれば実感できる。スピードが速い、多くの人に同時に送信できる、、、メリットは数多い。しかしものごとには良い面悪い面両方あるのが常である。Eメールにも弊害はある。

例えば私用メールの増大や意味のないメールやCCの多用などである。この時期になると写真付きのクリスマスカードなどを社内のメールを使って出す人が増えてシステムがダウンするといった事態が発生しているところもあるという。またメールの数が多すぎて、本当に大切なメールがどこにあるか分からないといった問題も発生している。

しかしだからといって、Eメールを否定する人はいないであろう。コミュニケイションのバリアを下げるということがそれに優るメリットを提供している。使い方を工夫すれば画期的なツールであることは間違えない。社長は現場の担当者からメールを直接受取り情報を得ることが可能になる。何重にもフィルターをかけられた陳腐化した情報ではなく現場からリアルタイムで情報が得られる。

ところが某企業の役員でメールの送信者に制限をつけるように社内ネットワーク担当者に注文を付けている人がいるという。現場から入ってくる自分にとって気分の良くない情報を読むのが不愉快だからだという。現実から目をそらし、心地よいごま擦りEメールばかり読んでいる裸の王様には文明の利器の本質的な価値は永遠に理解できないようである。

 

1997.12.26.(FRI)
<今日の一言>

久しぶりに六本木に繰り出しました。英語の勉強までして家に戻ったのは2時でした。

年賀状

コニカのページを使ったお年玉メールが何通か届きはじめた。お気軽な年始の挨拶ができる。

年賀状という風習は無駄だという人がいる。確かにどうせ会社で会う人や一度きり会ったことしかない人に義理で出し続けたり、という非効率は否めない。去年も書いたが、「年賀状はデパートの包装紙のようなもの。あると丁寧だけれど、無駄である。」 しかし一通のはがきが人生を変えたりする人もいる。高校時代のクラスメートに何となく出した年賀状がきっかけで結婚することになった人もいる。年賀状という慣習があったこそ出会いの機会が提供されたわけである。

アングロサクソン型の合理主義が幅を利かせた一年であったが、効率や合理性だけで割り切れるほど人間は簡単ではない、ということも心の片隅には留めておいた方がいいと思い始めた。こんなことを考えるのも歳をとったのか、それとも少し疲れたのだろうか。

貸し渋り

銀行で融資をしている友人と久しぶりに話をした。貸し渋りはどんな状況かを教えてもらう。結論から言うと現場の緊迫感は周りで騒いでいる以上のものらしい。とにかく回収第一というのが至上命題になっている。あるメインバンクが取引先から融資を引くと、報復で自分のメイン先から融資を引き上げるといった泥試合もあるという。もうババ抜きゲームのようになっているのである。

早期是正措置の緩和策が発表されたが、一定の効果はあるとはいえ、だからといって貸出しを再開するムードには程遠いという。原価法で有価証券を評価したり、自己資本の国内基準の達成を1年遅らせたりしたら、監督官庁は許してくれても市場は許さない。銀行も市場からノーを突きつけられれば潰れるのである。

銀行と企業の関係も変ったという。一昔前は銀行が融資先に金を借りてくれと営業していたのに、今や企業の方からやってくるという。そして資金の回収をしないでくれと要請される。「いままで御行に不義理はしたことはありませんよね」と念を押す担当者もいるという。銀行がこれほどまで頼りにされるのは久しぶりのことであろう。

企業が普段から余分なコストを払って銀行取引を続けてきたのは非常事態への保険料である。メインバンクの有難さはこんな時にある。しかし四季報のメインバンク欄がF銀行だったりS銀行だったりするとそれだけで株が売られたりする。メインバンクとしての役目を果たさないと思われているのである。

晴れた日に傘を貸し、雨が降ると傘を回収する。早期是正措置は乗り切れても取引先との信頼関係という最も大切なものは2度と戻ることはないであろう。

 

1997.12.25.(THU)
<今日の一言>

BloombergのEメール機能は便利です。インターネットも接続でき、会社ではもっぱらこれで通信しています。

呆れた話

昨日の続きになるが、呆れた話が続く。総務庁が金融検査の周期固定化傾向に対し改善するように勧告したという。金融機関に検査時期を察知されないよう「抜き打ち」的な実施を求めるという。また検査を終えてから結果の通知に100日を超す場合が3割あり、通知を早めるよう勧告した。

MOF、日銀の検査は厳しい、と一般に言われる。しかしその厳しさは主に資料作りの量的なハードワークに対するものである。どこの金融機関でも所謂MOF担と言われる人が監督官庁から検査日程について情報を仕入れる。それを元に大規模な資料作成が始まる訳である。検査前後、金融機関の通常業務は麻痺状態になる。前回と同じ資料を作るだけでも莫大な時間がかかる。それを朝から晩まで突貫工事で始める訳である。

しかしそれらの資料の中には果たして何の為に使うのか良くわからない資料も多い。そして提出しても使われた気配のない資料も数多い。本当に必要な資料を使って本質的な検査をすることより、前回と同じやりかたで同じように検査することに価値を見出しているように思える。

今更抜き打ち検査をしろ、と勧告するのもマンガの世界だが、本質的な検査がされることの方がもっと大切である。そして不必要な資料作成を減らし金融機関の健全化に必要なことだけを効率的・徹底的に検査しいるかこそ総務庁に見て欲しいものである。

そしてもう一つの呆れた話が大店法廃止である。大店法廃止の替わりに大型小売店の周辺環境への影響を審査する新法を制定するらしい。さらに中小商店街を振興する新たな法律も作る方向にあるらしい。大店法廃止と騒ぎながら新しい法律を抜け目無く作る。規制緩和されているのか規制強化しているのか良くわからない。

迷走する国家に付き合っていくのはストレスが溜まる。

 

1997.12.24.(WED)

飛ばし

政府・自民党の金融安定化策が発表になった。政府からのクリスマスプレゼントである。早期是正措置の弾力的運用、優先株購入に3兆円などすかいらーくのメニュのように盛りだくさんである。しかし相変わらず小手先の戦略無き戦術であることには変りない。

それにしても怒りを通り越して呆れるのは、有価証券の低価法と原価法の選択性により「多額の評価損を計上しないで決算できる」ようにしたことである。これは金融安定化に役立つと本気で思っているのだろうか。

今の日本、そしてアジアが市場経済の波にのまれているのは不透明なシステムに対してノーを突きつけられているからである。金融機関の株式が売られているのは不良債権問題は解決したといいながら、79兆円もあるという事実を見て、投資家が決算内容やバランスシートの内容を信用しなくなっているからである。

必要なことは嘘をつかないで本当の事を言うこと、つまり正確なディスクローズを早急に行うことである。低価法と原価法の選択性はこの動きに逆行するものである。

決算期に株の評価損を顕在化させない方法は「飛ばし」と言われ、大きな批判を呼んだ。今回の「国家公認の飛ばし」は世間から批判されないのだろうか。世間から批判されないとしてもマーケットからはそれなりのリアクションを受けることだろう。

霞が関にはベルリンの壁が崩壊したことを知らない人がまだいるらしい。

 

1997.12.23.(TUE)

プリンタ

今迄使っていたエプソンのプリンタが壊れてしまったので、年賀状の印刷用に新宿に買いに行った。ヨドバシカメラへ行くともう大変な混雑。商品の説明を聞こうにも店員さんが見当たらない位のパニック状況。

仕方がないので諦めて、ソフマップに行く。こちらは混んでいるといっても比較的人は少ない。キャノンのBJ430とかいうのが3万円台で売っていたのでこれにしようかと思ったら、HPの694Cというのが年賀状ソフト付きで2万7百円。1世代前の機種だというが迷わすこれにした。

プリンタも安くなったものである。こんなたいそうな機械を開発・宣伝・製作・販売してたった2万円で売って利益はでるのであろうか。とりあえずいい買い物をした。

 

1997.12.22.(MON)
<今日の一言>

前の会社の人間と飲む機会が結構あります。自分が辞めた会社ですが未だに愛着があります。ただ、何とか生き残って欲しいとは思いません。生れ変わって欲しいと心から思っています。

チェック機能

人間とは間違えを犯す動物である。欲が深く、自己中心的でわがままな存在である。どんなに優れた人物でも誤った方向に進み大きな失敗を犯す可能性を持っている。でも頭のいい人間はその欠点をカバーする方法を革命や戦争を通じて構築してきた。

チェック機能というシステムである。政治家は選挙で選ばれる。選ばれた政治家が政策を決定し市民は評価する。株式会社には監査役がいる。そして株主が経営者の能力を査定する。資本を効率的に使い社会の役に立つ企業は株主の支持を得て更に発展していくことができる。この方法が完璧とは言えないが、現状では最も優れた仕組みである。

残念ながら日本そしてアジアの国ではまだこのことが理解されていないようである。政治を動かしているのは政治家ではなく大蔵官僚である。東京大学法学部を優秀な成績で卒業し、公務員試験の出来が良かった者が中心になって日本の予算を決めているのである。2度の試験だけで予算の決定能力が判定できるはずはない。失敗しても彼らには何のチェック機能も働かない。

株式会社の監査役は取締役を終えた人が行く閑職である。会社に毎日来るだけで何もしない人が殆どであろう。昔の仲間である役員に注文をつけるような人はいない。株主は株主総会に言っても発言はできない。株主総会は同じ日に一斉に行われなるべく短時間で終らせようとするからである。経営者のチェックは働かない。

信賞必罰が基本である。犬の躾と同じ事だ。良いことをしたら餌をやり、悪いことをしたらすぐに叱ることである。繰り返すが人間は殆どの人が生来怠け者なのである。

 

1997.12.21.(SUN)

今年一年

人間とは最近のことはよく覚えているが、少し前のことは簡単に忘れてしまうものである。厚生省のエイズ事件もオウムのサリン事件も遠く彼方の出来事になってしまい、報道されることも少なくなった。今年の初めのことさえ何が起こったか覚えている人は少ない。

1997年は金融破綻の一年だったように思えるが、破綻が相次いだのはここ数ヶ月である。今年前半は神戸の中学生殺人事件がニュースの中心だった。そして夏にはダイアナの交通事故死があった。この3つが今年の日本で注目を浴びたニュースということになろうか。

どのニュースも暗い。そして未だ事件の区切りがついたと思えない点でも共通している。中学生の殺人は教育や家族のあり方に疑問を投げかけ、有効な解決策は見出せていない。ダイアナの件も事件の原因は特定されていない。しかも暗殺説やら不気味な噂もあって真相は闇の中である。金融破綻はもう終ったと思っている人は殆どいない。最終的な解決策である銀行の経営情報のディスクローズと責任の明確化を行う気配はまだない。

不透明というのが今年のキーワードになるのであろうか。

 

1997.12.20.(SAT)
<今日の一言>

伊丹監督の飛び降り自殺には衝撃を受けました。自らの美学が崩れた時の完璧主義者の脆さを感じます。

「出雲そば本家」

神保町の出雲そば本家(3291−3005)は学士会館の近くにある閑静な場所にある。最近立て直したらしく新しい建物であるが、内装は相変わらずの情緒を残している。忘年会シーズンという事で予約で殆ど満員。2階で天ぷらなどのつまみを食べながら酒を飲み最後に出雲そばである。

わんこそばのように重ねられたお椀にそばが入っている。薬味とそばつゆをかけて食べる。そばはこしが強くそば粉の香りがいい。知らないうちにいくらでも食べてしまいそうな飽きの来ない味である。そば湯を入れると一段といい味わいである。古き良き江戸の下町気分が味わえる。なぜ出雲が東京にあるのか、今度行った時に聞いてみよう。

株と債券

株式投資とは上を見る投資という。先物でショートする人は別として、株式市場はダイヤの原石を掘り当てる宝捜しのような世界がある。経済が成長し企業の利益が増加していくインフレ基調の時代に有効な投資である。

債券投資は下を見る投資である。株式のような大きなゲインは期待できないが、確実に利息収入があり、元本も一定期間後には償還される。景気後退期には金利は下がり、デフレ基調になる。デフレでモノの値段が下がっても債券の利息収入は変らない。元本も減ることはない。金利が下がれば債券価格は上昇する。

アジアの混乱はいよいよ欧米の企業経営にも影響を与えはじめたようである。企業の売上減少が利益の低下をもたらし株価は下落する。アジアの通貨切り下げは現地の購買力を低下させると同時に輸出競争力を強める。

世界的デフレ傾向の中で株式と債券とどちらが投資対象として適当なのであろうか。

 

1997.12.19.(FRI)
<今日の一言>

昨日はクリスマスパーティー翌日のため体調不良により日記の更新を休ませていただきました。

長い夜

昨日は朝起きるのが辛かった。目を覚ますと7時を回り慌てて会社に行く。別に8時までに家を出れば間に合うのだが、混んでいる電車が苦手なので遅くとも7時過ぎには出ないと一日のリズムが崩れてしまう。

木曜日、夕方からキャピトル東急で会社のクリスマスパーティーがあった。会社を早めに出て宴会場へ。賞品の運び込みやらクイズの進め方の確認やらで忙しい。それよりも司会をするということで進行をどうするかで頭が痛い。参加者は80人程度。始まる前に水割りを3杯程飲み、酒の勢いで過激な司会をしてしまった。英語のジョークがイギリス人に通じたのは嬉しかった。寿司の屋台まである豪華な食事とクイズ、そして福引きと進み9時にはお開き。取り敢えず無難に終りホッとする。

2次会は原宿のカラオケ。20人ほどで2時まで歌いまくる。イギリス人が吉幾三の「酒よ」を歌ったりして異常な盛り上がりだった。日本人とイギリス人には酒が入ると騒ぐという共通点があるようである。3次会に行く人もいたが私は賞品の白ワインと共にここで帰る。

おせっかい

某大手銀行では会社から残業時間を実質的に大幅削減するような通知があったという。残業時間のカットが取り敢えず短期的には人件費削減に効果的な方法であろう。

時計が一般に普及し時間を測ることが誰でも出来るようになってから、労働者と資本家の間に労働の提供という関係が成立するようになったように思う。ある一定の時間に労働することに対し資本家が対価を支払う。時計で時間を測り、大量生産の仕組みができあがり、時間で仕事をするという労働力の切り売りが可能になった。しかしこれはいわゆる単純労働に対する対価の支払いとして有効なものである。

知識労働者の労働生産性とは何か。朝から深夜まで会社に居るのに歩き回っているだけで何も成果を産み出さない人もいる。一方会社には殆どいなくてもアウトプットを通じ会社の利益に貢献する人も居る。こんな仕事に残業という概念はフィットしない。時間と生産性が比例しないからである。

本当に会社の利益を上げたいなら、そして従業員に知的労働をして欲しいと思っているなら残業システム自体の廃止をすべきである。そして労働時間に関係ない給与体系を作るべきである。しかしこれには前提がある。仕事のアサインメントを明確にできること、能力や成果を正当に評価できることの2点である。

アサインメントが不明確な場合、仕事の嫌な仕事の押し付け合いが始まり誰もやらない仕事が発生する。結果として会社全体の生産性が低下する。総合職などという曖昧な職種は止め、専門職を作って仕事をクリアに割り当てなくては中途半端にしか成果は表れない。

会社が従業員の能力や成果を正当に評価できなければ市場より低い評価の人は辞めるだろうし、過大評価されている人は給料分の貢献しないのに会社に居続ける。これは会社にとって不利益である。残念ながら正当な人事評価は現場に近い人しかできない。本社の人事部で威張っている人には現場はわからない。人事機能の分権を行い評価出来る能力のある人が評価しなければ過小評価されている人は流動化していく。ソ連が崩壊したのはクレムリンからシベリアのことは良くわからなかったからである。

戦後50年閉じた社会を作ってきた日本の大企業はベルリンの壁崩壊で東欧に起こった事と同じ経験をしている。規制経済から市場経済への移行である。労働市場も例外ではない。人材会社が労働力流通市場を作りだそうとし、マーケット参加者は増えている。このような大きなトレンドを無視する、残業を減らさせるというような小手先の対応ではマーケットの流れには対抗できない。従業員の反発を招くだけマイナス効果の方が大きい。

どうしても小手先の人件費削減をしたいならもっと効果的な人件費削減の方法がある。無能な役員の数を半減(いや5分の1でもいい)し外部の有能な人と入れ替えることだ。役員室と黒塗りのハイヤーの使用も必要ない。ハイヤーに乗りながら会社の危機を訴えても社員は誰も本気にはしない。

 

1997.12.17.(WED)
<今日の一言>

会社のクリスマスパーティーの司会をやることになりました。英語で2時間の進行は大変そうです。

2兆円

お金をくれるといって嫌な気がする人は少ない。例えそれがいつか自分の負担になるかもしれないとしても、である。健康保険の自己負担が1割なら薬局で薬を買うより安いと思ってしまうのと同じである。しかし全体の負担は確実に増えている。赤字国債による減税は経済効果はともかく、これはいつかは返す金である。

午前中に突然発表された所得税の2兆円減税はアジア経済に危機感を感じた首相の「迅速な」決断のようである。明らかな政策の失敗であり、政策転換の遅れの責任は問われるべきと思うが、意外にその声は小さい。勤労者1人当たり3万円そこそこであっても金を「貰える」ことに対し怒りをもって反対するエネルギーを持てる人は少ないからである。

これで官僚の金融行政の失敗の責任追求の声も迫力不足で腰砕けであろう。マスコミも減税やめろキャンペーンはやりにくい。減税に話題が外れれば銀行も給料が高いと言われることも減るのであろう。この減税発表がもう少し早ければワゴンさんが大磯小磯を終了することも無かったのかもしれない。

巧みな目くらまし戦術に多くの人は騙されるのだろう。しかし昔から戦では戦術より戦略が勝負を決める。戦略なき巧みな戦術だけでは戦には勝てないことを橋本首相は知っているのであろうか。

 

1997.12.16.(TUE)
<今日の一言>

ICQをインストールしました。しかしはまるのが怖くて使うのをためらっています。

「RUE」

淡路町交差点にある「RUE」(3256−4455)で前の会社の人達と会った。私が91年に帰国したときに最初に同じ部にいたメンバーである。1人を除いて会社を辞めてしまっていた。

どうしても話は昔話になってしまう。当時バブル崩壊後とはいえまだ余韻は残っていた時期である。会社のクリスマスパーティーで代官山のお店を貸しきりにしてパジャマパーティーをやっていた時代である。当時の個性的な人々の近況などが語られた。

こうして昔のメンバーが集まってあの会社は良い会社だった、と語られる会社は貴重な存在である。そんな従業員に優しい会社に勤務できたのは巡り合わせとは言いながら幸運なことであった。

ただし醒めた言い方になるが、一方でその優しさも度が過ぎると最終的には組識として良い結果を招かない場合がある、ということは押さえておく必要がある。会社というのは利益を追求するのが最終目的であり優しいだけではお人好しになってしまう。

 

1997.12.15.(MON)
<今日の一言>

今年も残り2週間。激動の一年をそろそろ振り返ってみたいと思います。

言い回し

第二次世界大戦で日本は敗戦したとは余り言わない。終戦を迎えたという。日本には軍隊はない。自衛隊が存在する。海外派兵する自衛隊である。日本語にはこの手の誤魔化しが昔から存在する。

アメリカにもPolitical Correctnessという差別を避けるための言葉の言い換えがあるが、日本の場合これとは目的が根本的に異なる。使い手に都合がいいように表現を変えているだけである。

今年は失楽園と援助交際であろうか。不倫も失楽園と言い換えれば高尚で真の愛を追求しているように聞こえなくもないから不思議である。援助交際というのも曲者である。要は売春のことを後ろめたくないように言い換えただけである。

公的資金とは税金のことである。公的資金の導入とは税金を使うという意味である。最近話題の新型国債というのがある。赤字国債にはならない、と政府は解釈するようである。

こういった言葉の言い換えは当事者にとっては心地いいものかもしれないが、物事の本質を曖昧にし先送りする手段になりがちである。

 

1997.12.14.(SUN)
<今日の一言>

風邪をひいてしまいました。年末の忙しい時期にしんどいものがあります。

景気

1ヶ月ぶりに髪を切りに行った。予約していった美容院は超混雑。担当の人はお昼も食べられず一日中髪を切りまくっているという。とにかく混んでいる。

日本の景気がいいのか悪いのか見方が分かれている。自分の周りで見ても特に景気が悪いと騒いでいる人は殆ど居ない。とはいえ自分の皮膚で感じる消費の動向で経済を語ることは非常に危険である。個人消費というカテゴリーのさらに表面だけをピンポイントで眺めても木を見て森を見ずの失敗を招く。

個人消費はなぜ低迷しているのかについて消費者が賢くなった、とか消費行動が変ったとかヒット商品がないからといった説明をすることが多いがどうも胡散臭い。「大機小機」が言うようにこれらは俗説である。確かにライフスタイルは変ったが今年に始まったことではない。OLがキンピカのボタンの付いた服を着たり、ビジネスマンがディスコのVIP席でシャンペンを空けるような生活はとっくに終っている。

やはりマクロからの説明が説得力がある。消費税引上げ、特別減税の廃止、医療費の自己負担率引上げが鍵である。今後さらに介護保険の負担が始まる。消費税の導入に伴う駆け込み需要とその反動が第一の要因、そして一連の税金導入後の可処分所得の減少による消費金額の低下が第二の要因であろう。

さらに不良債権の先送りをしている間にビッグバンを控えた金融機関の選別が始まり、拓銀・山一の破綻が金融不安を助長した。これによる将来の不安が消費マインドの最近のもう一段の落込みをもたらしたことである。そして第4の要因が所謂貸し渋りによる中小企業の圧迫である。

つまり4つのことが相互に関連しながら同時に発生した訳である。景気が後退しないはずがない。国民負担の増大に対する問題は予想されたことである。実質値上がりなら駆け込みで買いに走るし、実質所得が減るなら消費を減らすのは自然な行動である。問題は金融に関わる2つの要因である。

政府の新型10兆円債券がもし発行されたとして金融不安は解消されるだろうか。やらないよりはマシだろうが根本的解決にはならない。なぜなら銀行の不良債券はMOF・日銀が発表しているだけで79兆円ある。そして日本の金融機関の不十分なディスクロが変わらなければ投資家の最終的な信頼は得られないからである。

また政府の新型債券は貸し渋りの解決にもならない。貸し渋りの原因は金融システムの不安定から来ているものではない。根本原因は早期是正措置である。来年の3月までに自己資本比率の基準達成に向け銀行は貸出しを回収しなければならない。公的資金で自己資本を強化した銀行は単に資金回収のペースが遅くなるだけに終る可能性がある。しかも預金者保護以外の公的資金導入は世論から大きな反発を受ける可能性が高い。政治は世論を説得してまで実行する意志があるだろうか。

以上を勘案するとこの状態がすぐに好転するとは思わない。当面今の状態が継続し来年の前半にかけて更なる金融機関の淘汰が行われる。つまり最悪期はまだ脱していないと見るべきだろう。長期金利はまだ下がり、円安は続く。

とはいえ失業率は最悪の3.5%と言っているが、巷に失業者が溢れている訳ではない。アメリカの失業率は4%台、ドイツは10%以上である。実感がないのは当たり前なのである。

 

1997.12.13.(SAT)
<今日の一言>

忘年会シーズンになり街は活気付いています。不景気といいながらのこの風景には違和感があります。

京王

京王線は東京では知られているものの全国的にはマイナーな私鉄である。最近でこそテレビドラマなどのロケでよく使われるが、小田急、東急に比べれば地味な印象だ。でも西武や東武、京成、京急よりは洗練されているという妙なプライドを持っている通好みの私鉄である。

もうすぐ京王線は私鉄としては戦後初めての運賃の引下げを行う。京王線は乗客の増加を複々線化ではなく車両の長編成化で解決する道を選んだ。その結果使わなくなった積立金を乗客と株主に還元することにしたのである。地域独占の会社にはなかなかできないことである。

12月だけ金曜日には忘年会シーズンで混むからと23時台に快速電車を増発しているという。ダイヤ改正を控えているからできるのかもしれないが、乗客のニーズに迅速に対応する意思決定の速さには好感が持てる。

京王デパートもユニークである。新宿というデパート激戦区で独自の路線で客を集めている。それは伊勢丹や高島屋と競争しないという戦略である。高級品に頼らず、値ごろ感のある商品構成、食料品に力を入れる、クーポン券システムやカードによる囲い込みといった差別化でしぶとく生き残っている。

そういえば淀橋浄水場跡地に高層ビルが無かった頃いち早く高層のホテル、京王プラザを作ったのも京王グループである。

今迄は京王線を変えようで文句を言っていたが、最近の活躍は爽快だ。小粒でぴりりと辛い会社でいつまでもあって欲しいものである。それにしても京王グループのこの元気は何が要因なのだろうか。

 

1997.12.12.(FRI)
<今日の一言>

京王線が金曜日なので臨時の快速電車を運転していた。鉄道会社らしからぬ機敏な対応に感動した。

サヨナラ大磯小磯

銀行員の給料は高いか(2)を書こうと思っていたら、ワゴンさんが大磯小磯を終了させるという。一日に1500件ものアクセスとなり、書きたいことを書けなくなったからだという。大磯小磯は毎日楽しみにしているページだったので残念である。とはいえ私は「やめるべきではない」、とか「是非再開して下さい」、などと言うつもりはない。大磯小磯はワゴンさんのネットの世界の、いや生活のほんの一部分にすぎない。大磯小磯を毎日書くよりもっと価値のあることを見出しただけなのだ。個人の選択の自由である。

しかしベルデさんといいワゴンさんといいネット文学界のパイオニアが日記やページ自体を封鎖し限られた人達だけでのコミュニケーションに入り始める傾向が強まっているように思う。ばぶばすさんた〜ちさん がはまっているICQもそうである。HPを公開し書きたいことを書くということがやりにくい世の中になってきたのであろうか。それとも所詮ネットというものは少数の気の合うものだけが閉じられた世界を作ることにより向いているということか。

HPとは曖昧な空間である。確かに自分の城であり、その中では王様であり独裁者なのかもしれないが、公共性も求められる。書きたいことを書いてもいいが、何でも書けるわけではない。パーソナルでパブリックな空間とという矛盾が表面化している。

私がこの日記を続けているのは、自分の考えていることを客観的に評価してくれる何人かの人(殆どの方はお会いしたこともない)からの反応で自分の位置を確認してもらえるからである。そして自分の考えていたことの記録として読み返す楽しみ、後は自己満足であろうか。

幸いにして不幸の手紙や、脅迫、中傷の類のメールは来たことがない。良識をわきまえながら書きたいことは書いているつもりであり、そういった読み手を気にするといったストレスは今のところない。日記が少数の良識のある人とのコミュニケイションの媒体となっており長く続けられるのは幸せだと思っている。ただ私とてこの日記が永遠に続くとは思っていない。この世の物事には永遠に続くものなど一つもないのである。

 

1997.12.11.(THU)
<今日の一言>

香港風邪がやってくるようです。寒い毎日お気を付けください。

銀行員の給料は高いか

ワゴンさんは書いている。

批判や脅迫まがいのメールが来るのは承知で書くが、銀行員の給料が高すぎると思う人は、銀行員の仕事をなめていると思う。銀行では「給料の高い人=責任の重い仕事をしている人」であり、そういう人はみんな朝も夜も週末も、プライベートの時間を削って働いている。銀行員(金融マン全体に言えることだが)は自分のコストと会社の収益への貢献を常に把握している。だからこそ生産性が高いし、給料以上の仕事ができるのだ。悪いけれど銀行で仕事の出来る人なら、大概の会社ですぐにでも仕事ができる。銀行員の給料が高すぎると言う人にはこうお尋ねしたい。「それじゃあなた銀行員の仕事できますか?」
銀行員が皆プライベートの時間を削って仕事をしているか、銀行の仕事ができるひとなら大概の会社ですぐ仕事ができるか。これは一般化できない。大体邦銀であれば35歳位で課長に近づく時点で出世できる人と諦める人に大別される。諦めた人でも毎日会社にやってきて椅子に座っていれば15年位は年収1千5百万円以上を確保できる。そして世田谷あたりに1万円位の家賃で社宅が借りられたりする。電話の保留の仕方も知らず、ワープロさえ使えず女子行員に自分の書いた稟議書をタイプさせ、人の仕事に茶々を入れて仕事のスピードを遅らせる。こんな人が余剰人員を抱える銀行にはたくさんいる。こんな人はどこにいっても仕事は出来ない。プライドが高くて何の能力もないからである。

夜遅くまでやっている「責任の重い仕事をしている人」も生産性には疑問符がつく。官庁同様ダラダラ残業、上司との付き合い残業が多いのも事実ではないか。本当に生産性の高い仕事を給料見合い分しているひとはほんの一握りである。

では給料は下がるべきなのか。他人の給料が高いとか安いとか騒ぐのも余計なお世話である。これが私の意見である。そんなに銀行の給料がいいと思うのなら自分も中途採用で入ればいいではないか。就職するときに銀行を選ばなかったのは自分の選択の失敗である。

問題は銀行の経営・労働市場に市場メカニズムが働いていないということである。普通ならリストラされる人達が規制と談合の中に隠れて超過利潤をむさぼる構造の問題である。こんな状況になって不良債権問題で赤字を数千億出しても社員にボーナスを支給し、最後は政府の金融支援策に頼ろうという甘えがある。これでも殆どの銀行は潰れないのである。

銀行員は確かに有名大学出身が多く、勉強していて、優秀な人は多い。しかし組織としてどのような付加価値を産み出しているかが会社の利益で測られるとすれば銀行は少なくとも現状付加価値は産み出していない。確かに銀行が全て無くなれば金融機能が麻痺するわけではあるがもっと効率的な金融経営はできたはずである。金融という産業の特殊事情は良くわかるが、もっと良い運営の方法はあったはずである。そのような企業が現われなかったのも規制と談合のなせる技である。特に邦銀と監督官庁の鉄の守りは市場の効率化には貢献しなかった。

そのような組識にいる人間はいくら仕事のできる人でも高い給料は貰うべきではない。ただそれは一般大衆が週刊誌などでヒステリックに騒ぐことではなく市場メカニズムで解決すべき問題である。ここにもまだ社会主義経済は生き残っているのである。

金融関係者、いや金融に関係ない人でも是非ご意見伺いたいものである。

 

1997.12.10.(WED)

求人倍率

Y証券には多くの企業から求人の問い合わせが来ているようだ。人事部の尽力もあるのだろうが、やはり優秀な人材を求めている企業が殺到しているのであろう。

ところが日経新聞に求人倍率は高いが30代後半に絞ると求人倍率が0.7倍しかない、と報じられていた。そして女子従業員や専門的な職種でない人も求人は少ないという。要するに一部の若手総合職に人気が偏っているということである。

もと○○株式会社でしたとか○○大学出身です、というだけでは価値を持たないのである。転職の面接で「あなたは何ができますか」と聞かれ「部長ができます」と答えた人や聞かれもしないのに「東京大学を現役で卒業し、、、」と答えている人がテレビで紹介されていた。今なお日本の旧体制にすがる悲しい性である。

 

1997.12.9.(TUE)
<今日の一言>

そう言いながら今日も寝坊です。

善意

京王線に乗るとアナウンスでしつこいくらい「携帯電話のご使用はご遠慮ください」と言われる。駅前には「ここに自転車を放置しないで下さい」とお願いが書いてある。高尾山には「ごみは持ち帰りましょう」と書いてある。

しかし車内で携帯を使う人はまったく気にしていないようだし、駅前には自転車が放置してあるし、高尾山にはゴミが捨ててある。

中には誠意ある対応をしている人もいるのであろうが、このような善意を前提としたシステムは正直者が馬鹿を見るという欠点がある。

「携帯電話のご使用はご遠慮ください」と携帯電話の声より迷惑なアナウンスをするなら携帯電話を物理的に使えない車両を導入すべきである。放置自転車は直ちに撤去すればいい。ゴミを持ち帰らない人がいるなら厳しいペナルティを課すなり入山料なりメーカーからのゴミコストを徴収して回収費用に当てればいい。

万事においてあいまいなシステムが今回の金融不安を招いたと思うのは短絡的すぎるか。

 

1997.12.8.(MON)
<今日の一言>

今週は寝坊しないようにしたいと思います。

読書

久しぶりに面白い本に出会えた。「大本営参謀の情報戦記」(堀英三著、文芸春秋)そして「日本経済の本当の話」(ターガート・マーフィー、毎日新聞社)の2冊である。

「大本営参謀の情報戦記」は第2次世界大戦での日本の情報に対するお粗末な認識が敗戦に結びついた事実を描いている。その中で著者が限られた情報を組み合わせ数々の米国の作戦を予想し的中させていった理由を論理的に説明している。マッカーサーの参謀と言われ戦後その的中率から米軍のスパイ容疑までかけられたという著者の情報分析術は普遍的なものである。

「日本経済の本当の話」は日本の政治について書いた本だと著者は言っているが、日本社会の90年代を冷静に見詰め直すのに格好の一冊だとおもう。タイトルでちょっと損をしているが、まともなことをわかりやすく書いた本である。超円高の理由、住専が破綻した理由などすべてが一つの糸で結ばれる。

いつも思うことだがいい本は前書きや最初の数ページを読めばわかる。ひきこまれるような魅力があふれているものである。

1997.12.7.(SUN) <今日の一言>

クリスマスカードを書きはじめました。

雑念

金融機関の破綻の話ばかりで暗い毎日が続いている。年末なのに落着かない日々である。明日は我が身ととても他人事とは思えないからである。T銀の人やY証券の人は当然社内の混乱の収拾や今後の身の振り方で大変であろうと思う。私の知人に個人的にできることといえば、転職の時に自分が使ったルートを紹介すること位しかない。厳しい言い方になるが周りのサポートがいくらあったとしても最後は自分の力だけが頼りである。

まだ破綻していない金融機関の方でも心穏やかではない人は多いであろう。マーケットの過剰な反応とそれに対するマスコミの過剰な反応、そして一般大衆の行動(解約・引き出し)は多くの金融機関に波及している。マスコミに登場する日本橋系信託や渋谷系生保、株価100円割れ証券に勤務されている方はそういう余計な雑念で仕事どころではないのではないか。

そんな自分の仕事がいつ無くなるかわからない状況で与えられた仕事を懸命にやれというのは難しい。誰かが会社を休めば、リクルートの面接だろうと思い、今月もまた何人辞めた、と聞けば浮き足立つ。真面目に腰を落ち着けて仕事をやろうとしている人までまともに仕事ができない。多くの人が個人の保身に走り、従業員のモラルは確実に低下する。

この閉塞状況の打破のため金融機関の経営者は経営の実態を一刻も早く明らかにして、具体的な再建策と将来のビジョンを誠実に従業員に示すべきである。これ以上見栄をはったり嘘をついてはいけない。小手先のごまかしでもいけない。従業員に痛みを求めるなら早めに正直に言うべきである。当然経営者自らも痛みを分け合う覚悟が前提である。

これまで同様いたずらに嘘をつき続け、時間を浪費し、破綻してから記者会見で懺悔しても、雑誌の表紙になって世界の笑い者になるだけである。

 

1997.12.6.(SAT)

ゼミ同期

大学時代のゼミの同期と外苑前の「梅干し」(3402−8587)で忘年会。ゼミメンバーがほぼ全員揃い、家族も含め14人の大宴会となった。

梅干しはS信託の青山ビルの近くにある家庭料理の店である。外苑前から歩いて5分ほどの閑静な場所にある。カウンターと掘りこたつ式のテーブルのお店は気さくで居心地が良い。平日は予約しないとなかなか入れないが土曜日は比較的空いている。前菜のうの花から丸干し、おでん、から揚げ、イカの塩辛、刺し身盛り、最後は特製のじゃこおにぎりとデザート。酒はビールと泡盛のお湯割梅干し入り飲み放題。これで1人税込み5千円の大サービスであった。

1年前には規制産業にしか就職していないと思っていた同期だが、今や皆競争産業でで働いている。転職したわけではなく、環境が変ったからである。電力業界も金融(銀行・生保・損保)もいまや競争産業に変りつつある。

優しすぎる日本の大企業という話になった。組合が一番できない人の面倒を見る大企業の横並び待遇に対する不満は皆持っている。しかしその根本は公立の学校教育から始まっている。おちこぼれを作らないように授業はどんどん易しくなっていく。その結果強いものまで全体に引っ張られ弱くなっていく。

忘年会なのに何となく暗いムードになってしまった。知らない間に30代半ばに入った世代にとって最後の選択をする時が迫っている。眠れる獅子に終るか革命家になるかの選択といっては大袈裟であろうか。

利害対立

Y証券の破綻の一番の意義は、金融機関の従業員と経営者の間に大きな対立があることがはっきりしたことである。これから何十年も真面目に仕事をしていくつもりの人ともう「あがり」で勝ち逃げ(やり逃げ)しようとしている人たちの利害対立の表面化である。何もしなくても株主はもちろん従業員からさえ文句を言われなかった経営者たちはここに来て恐怖感を感じはじめているだろう。

今後金融機関への公的資金導入の議論の中で、経営者の責任が問われるようになると共に給与水準の高さ、更なるリストラといった従業員へ痛みを伴う変化が迫ってくるだろう。その時表面化する次の対立は従業員の中の守旧派と改革派の社内抗争である。最終的には市場が結論を出してくれるのだろうが、一心同体と思っていた社内が2分される事態になる。

泳げる人と泳げない人がプールに投げ出されれば泳げない人を助ける。でもプールではなく日本海の荒海だったらどうだろう。当たり前の世の中に対応できるように準備運動は早くしておいた方がいい。

 

1997.12.5.(FRI)
<今日の一言>

昨日は日記を休んでしまいました。狂った生活のリズムを早く治したいと思っています。

<今日の出来事> MOF預託でジャパンプレミアム急低下、5年ぶり1ドル130円台

日本

今日は鍋研師匠主催の鍋パーティーが隋園別館であった。

行きの地下鉄の中で心暖まる出来事があった。満員電車の中で子供を2人連れた母親がいた。子供が人に押しつぶされそうになっているとき、座っていた若者2人が席を譲り子供を抱き上げて誘導していた。こういっては悪いが外見はそんなことはしそうにない人達である。携帯を車内で使い、大股を開いて座っているような「ばか者」系の20代であった。

その態度が余りに毅然としていたので驚いた。神戸の震災の時の冷静な行動やボランティアの活躍など話には聞いていたが、今時の若者は捨てたものではない。爽やかな風のような出来事にすっかり気分がよくなった。

仕事が終らず店に着いたのが9時近く。鍋はもう無くなっていた。2次会に参加する。10時過ぎから3時間カラオケボックスに集いホームページを持つ金融機関関係者13人でよもやま話をして過ごす。

ブームが去ったと言われ、不景気の中客が集まらないといわれたカラオケボックスだが、どこも入口に人が溢れ何軒か回ってようやく入ることが出来た。フロアにごった返して騒いでいる客を見ていると社会人になって2年目の頃を思い出した。バブルに浮かれていたあの頃である。

Y証券の方のお話しや、某銀行での取り付け騒ぎの話など、最近の日本金融界で起こっている異常な出来事の実態が生々しく語られる。しかし本当はどうかは別として表面的には金融機関勤務の人達にも悲壮感は余り感じられない。会社を見放したような悟りの心境のようなものを感じた。3時間居て一曲も歌わずにひたすら話し込んだ。

Y証券の本社の人は支店の顧客対応の応援に行っていると言う。支店では解約が殺到し、中には従業員に詰め寄る人もいるであろう。そんな中で辛い仕事を投げ出さずに責任を全うしている従業員のモラルの高さには頭が下がる。同じ事が私にはできるかどうか自信はない。


帰りのタクシーは深夜2時だと言うのに駅の反対側まで歩いていかないと一台も空車がない。街にはタクシーを拾おうとしている人達が道に並んでいる。ホントに景気は後退しているのだろうか。

日本は極度の悲観的ムードだが、この国にはまだまだすごい力が残っていることを認識することの多い一日だった。やはり厚いクッションを持つ世界の大国である。

 

1997.12.3.(WED)
<今日の出来事>

韓国、IMF融資受入合意

<今日の一言>

金融機関の破綻、カラオケの退潮、パソコンの販売苦戦。世の中の動きの激しさが増してきたように思います。ボラティリティの高い時代になりました。

東京1週間

また講談社から東京のエリアマガジンが出た。明らかに東京ウォーカーの二番煎じである。この出版社は物まね雑誌が多くずるい。ポパイにホットドッグプレス、モアにウィズ、フォーカスにフライデーといった具合に他社の成功を見て競合雑誌を投入する。出版界の松下のような会社である。

講談社が松下とすればマガジンハウスや小学館はソニーだろうか。マガジンハウスにはダ・カーポやかつては鳩よ!という詩の雑誌まであった。小学館はダイム、ポタなどニッチを狙うのが上手い。

マイナー好みの私としては東京ウォーカーの角川を応援したくなる。

カラオケ

NHKでカラオケの衰退を特集していた。カラオケボックスはカラオケ利用者の減少に伴い、厳しい価格競争に巻き込まれている。カラオケ退潮の理由として

(1)通信カラオケの発達で中高年には新しい曲、知らない曲が増えて行っても面白くなくなったこと
(2)学生は携帯電話などの通信費が増え、カラオケにお金が回らなくなったこと。
を挙げていた。

そう言われてみれば自分も最近カラオケに行かなくなった。ブームというのは恐ろしいものである。カラオケが流行らない、という報道があると余計に行かなくなってしまい更に客が減ることになる。

カラオケ退潮の最も原因は歌いたい歌が減ったということかも知れない。最近のヒット曲はサビの部分だけをドラマやCMでかけまくるが、他の部分は聴いたこともないような歌が多い。大量生産で曲のレベルが下がったのである。

カラオケボックスは高級化、低価格化など生き残りをはかっているが、都心あれば打ち合わせスペースや勉強室などに業態転換してはどうだろう。また個室で食事ができるレストランなんかも面白い。歌という切り口ではなくコミュニケイションのための場所貸しという発想で新しいビジネスを開拓するのは面白いと思うが。

 

1997.12.2.(TUE)

ビッグマック

書こうと思っていたらワゴンさんに先を越されてしまった。ビッグマックの思い出である。空想癖にも昔書いたが、30代前半の世代の人にとってビッグマックは思春期の憧れの食べ物だった。中学生の頃マクドナルドに入るのがまだ贅沢だった。ビッグマックを食べている高校生を見て「俺もいつかビッグマックを食べるようになりたい」と思いながらチーズバーガーなんかを食べていた。当時でもビッグマックは300円近くしたように思う。月の小遣いが3千円の頃である。

今マクドナルドはビッグマックを200円で売っている。店に行くと小学生までが食べている。表面的には豊かな世代である。

ところでそんなに安売りをしてマクドナルドは儲かっているのだろうか。うどん好きの藤田田社長のインタビューでは円高の時の為替予約を使い、世界の最も安い市場からの材料の効率的な仕入れを行っているのでコスト割れはしていないという。これが事実だとすれば為替予約とマーケティングが絶妙にリンクされている。

他のファストフードも値下げするらしいが、単なる安売り競争に参加しているだけでは最後に痛い目に会うことを覚悟したほうが良い。

WHO IS US?

ベルリンの壁が崩壊したのは1990年だっただろうか。あれから7年遅れて最後の社会主義大国日本はいよいよ資本主義化する時がやってきた。ソ連と違うのは内部から崩壊したか外圧であったかという違いである。江戸時代の黒船、第二次世界大戦での降伏、日本は外圧で変革することが多い。

日本の悲観論にも飽きてきたのか、最近は「日本は大丈夫だ論」を展開すると受けるようである。東海大学の先生が製造業は世界一で今でも絶好調だとテレビで力説している。

確かに日本の製造業の水準は高い。ビデオやカメラといった精密機械、液晶、自動車を始めとする輸送機械は世界で大きなシェアを維持している。

しかし多くの日本人にとって大切なことはそれらのハイテク企業がどこで雇用を行うかである。アメリカ人の多くがサウンド・オブ・ニューヨークの短縮型だと思っているSONYがどこに工場を作るかは最も効率のいい場所になる。彼らは日本企業だからといって必ずしも日本で雇用を創出するとは限らない。

日本で生まれた企業がいくら優れた製品を生み出しているといっても、日本で雇用をしていただくためには国が企業をもてなさなくてはいけない。もてなしの気持ちは税率と労働者の質で示すしかない。

製造業が安泰などと楽観的になっている場合ではないのである。

 

1997.12.1.(MON)
<今日の一言>

もう12月です。それにしては暖かい毎日で師走気分が出ません。

<今日の出来事>

銀行での投資信託窓販開始

エグゼクティブ・サーチ

エグゼクティブ・サーチという業種をご存知であろうか。山一破綻以降急速に脚光を浴びているヘッドハンターと言われる職業に似て非なる人材コンサルタントである。私がかつてお世話になった方と食事をする機会があった。といってももう次の転職を考えているわけではない。アフターケアの一環でお互いの意見交換である。

彼らは所謂ヘッドハンターと言われる方達と違い、成約したことによる出来高払いではない。採用する企業サイドに立って顧問契約を結び人材を紹介できるできないに関わらず一定の顧問料を受取る。したがって一本釣りで釣った魚を全部客(採用企業)に持っていくようなことはしない。転職希望者と採用企業が長期的にメリットがあると判断する場合のみ面接をセッティングする。

したがって彼らは単に新聞広告で応募してきた人を横流しするブローカーではない。ある時には採用企業の人事戦略にアドバイスをすることもある人事のプロである。人事をアウトソーシンングする会社でもある。

お会いした方は先週だけで50人近くの人と面接をしたという。1日に10人以上である。最近さらに面接希望者が増えたと言う。

現在のような人材流動化の過渡期には採用サイドも転職希望者も実際にどうやって活動をするのが最適なのか判っていないのが問題だと彼は言う。勝手に新聞広告や求人雑誌のイメージだけで応募するのはお互いにハッピーではない結果をもたらすことも多い。

エグゼクティブ・サーチが今後日本でさらに一般的な存在になれば人材の効率化に役立つのではないかと思った次第である。


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