SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1998年1月

 

1998.1.31.(SAT)


<今日の一言>

ふぉれんと片手に不動産屋さん巡りをしようと計画しています。

じねんじょ

薬膳カレー「じねんじょ」(3818−5689)という風変わりな店に入った。都営三田線の白山駅の出口の前にある。カウンターとテーブル席がいくつかあるだけの小さな店である。

野菜カレーというのを頼んだ。日向鶏でとったダシをベースに様々な薬草が入っているという。といっても漢方特有の臭みはまったくない。自然の甘みのあるカレーである。かぼちゃやじゃがいもといった野菜もたっぷり。所謂スパイシーなカレーというよりからだが癒されるような味である。辛さはテーブルに備え付けのチリオイルという赤いオイルで調節できる。

食べおわると気のせいか手の先がポカポカしてきた。漢方の力であろうか。後味がよくまた食べに行きたくなるような癖になる味である。炭焼きコーヒーがついて1330円だった。ちょっと高いように思うかもしれないが、値段だけの価値はある。

 

1998.1.30.(FRI)

ファンドマネージャーとアナリスト

私が今働いている会社は投資顧問会社というジャンルに入る。金融関係者ならすぐにイメージが湧くだろうが、普通の人には何をしているのか良くわからないようだ。簡単に言えばお客さんから預かったお金を運用して銀行預金などより高い利回りを実現し、運用手数料を頂くというビジネスである。(ただし実際にお金は預からないで運用の指示をするだけである)

高い利回りを実現するには専門家が必要である。何に投資するかはリスクとリターンを考えた高度な判断が要求される。そのためにファンドマネージャーとアナリストという職種がある。

アナリストとは個別の企業や市場を担当し、それが投資する価値があるかどうかを分析するのが仕事である。例えば株のアナリストは業界毎に担当を持つ。電機の担当者は東芝、日立といった大企業から○○電機といった一般に馴染みのない企業まで株を買うべきか売るべきか分析するわけである。財務諸表を読み、企業訪問を繰り返して株価が割安か割高かを判断する。

ファンドマネージャーは実際にファンドを運用する人である。アナリストの分析を元に自分のファンドのポートフォリオ(様々な銘柄を組み入れた集合)を作っていく。ある時は株を増やし、ある時は債券を買う。そして個別にどの会社の株を買うのか売るのか、どこの国の債券を買うのか売るのかを決めていく。

この2つの仕事は同じような運用の意思決定にかかわるものであるが、必要とされる資質はかなり異なるように思う。アナリストは狭く深く分析することが必要である。電機の担当なら半導体の構造から冷蔵庫の売れ筋まで電機業界のことを掘り下げて知らなければならない。オタクになることが求められる。

一方ファンドマネージャーは物事を総合的に鳥瞰的に捉えられる人が向いていると思う。細かいデータの分析も必要であるが、投資対象を客観的に見て相対的に有利なものを選び出す能力が大切である。リスクとリターンを如何にバランスさせるか。そして決めた事を迷わずに実行できる決断力が必要である。

投資顧問ビジネスとは運用するだけではない。運用の報告書を作ったり、取引の事務を執行したり、運用の評価をしたりする仕事がある。もちろん人事やIT(情報管理)・経理といった仕事も発生する。すべての分野で優れた仕事を達成すれば顧客へのサービスの質は高まりビジネスは高い評価を受ける。安心して運用を依頼できる信用ある会社として評価されるからである。

アナリストとファンドマネージャーでさえ仕事の内容はかなり異なる。ましてや他の仕事など私には何をしているか見当も付かないことが多い。ただお互いが相手の仕事に信頼をしていれば人の仕事の領域に口を出す必要はない。自分の業務を忠実に遂行することが全体の利益につながるのである。総合職という名の下にトコロテン式の人事異動を繰り返している方法と比べ、それぞれの専門家がプロ意識を持って分業する仕組みの方が成功の可能性は高いのは明らかである。

 

1998.1.29.(THU)


<今日の一言>

1週間が経つのは早いものです。そして1ヶ月が経つのも早いものです。もうすぐ1月が終ります。

頑張れJR

日経の朝刊にJRの意見広告が全面で掲載されていた。政府から追加負担金を押し付けられるのは理不尽な要求だという主張である。

読んでみると彼らがある時は民間企業そしてある時は公営企業と都合よく使い分けられているように思われる。JRは中曽根内閣で分割民営化が行われ、その後地域独占されている面はあるとはいえ、経営努力をし、市場経済の中で改革を進めてきた。旧国鉄に比べ消費者のニーズに合った商品を提供し、サービスを向上させてきたという点では民営化後の動きは評価する人が多いのではないだろうか。れっきとした民間企業として認知されている。

そんな一生懸命親方日の丸から脱出しようとしている「株式」会社に政治家は新幹線を作らせたり、訳の判らない要求ばかりしている。今回も許認可権限までちらつかせて脅しにかかる政府に対し、意見広告と言うかたちで対抗しているJRには声援を送りたいと思う。

電話、たばこそして鉄道は未だに真の意味での民営化を成し遂げていない。公共的な側面があるのは理解できるが、だからといって安易に政治のつけを回すごみ捨て場にしてはいけない。

郵便番号

武蔵野市長が2月から始まる郵便番号の7桁に反対すると言って論議を呼んでいる。

確かに7桁に増えれば負担ではあり、企業ではシステム手当てやらでコストアップになる可能性は否定できない。ではこのような独占者の勝手な要求は断固拒否すべきなのであろうか。

大方の人は現在の郵便のサービスに満足している。民営化の議論が郵便局のサービスが無くなるから反対、と議論をすりかえられる程の絶対的な支持を得ている。だから例え他の業者が郵便番号3桁で参入してきてもくら替えする人はほとんどいないであろう。

郵便番号を7桁書くのが面倒だと言っても結局住所を書かなければならないのは同じ手間である。それに比べれは郵便番号の4桁増えるくらいは何でもない。システム改良にコストが必要だというが、パソコンの管理なら一度入力をしなおすだけの話である。市長の本当の意図がどこにあるのか今一つつかめない奇妙な行動である。今後電話番号も変更が行われる。これにはどのような対応を考えているのであろうか。これもまた断固拒否であろうか。

パフォーマンスが必要なのは選挙を考えればわからなくも無いが、地域エゴ丸出しで大きな視野を持てない地方首長が増えるのは困ったものである。

迷惑

仕事の帰り道山の手線に乗っていると渋谷駅で突然止まってしまった。大塚駅で人身事故のため運転停止だという。

ここ数日山の手線の人身事故が多い。こういったことは連鎖反応的に発生するものだとも聞いたが、巻き込まれる方はたまったものではない。個人的には自殺自体がよくないことだと思っている私にとっては、そんな悪いことを人に迷惑をかけながらする彼らは2重の罪を犯している。

日本人には死を美化する傾向があり、迷惑などといって亡くなった方をあれこれ批判すると、不謹慎だというような声が聞えてきそうである。しかし自殺に追い込まれた本人や周りの方の心中を思いやるだけではなく、ドライに価値判断をすることも必要である。それが連鎖反応への抑止力にもなると思う。

 

1998.1.28.(WED)
<今日の一言>

「京王線を変えよう」(随分更新していませんが、、)を「京王線はエライ」に変えようと計画しております。

てんぷら「みかわ」

3人で八丁堀の天ぷら「みかわ」(3553−4679)で久しぶりに語り合った。3人の関係は少々複雑である。

私とAは留学時代の同期、もうのBは大学の同期、そして彼らは会社の先輩後輩で2人とも子会社の証券会社と投信会社に勤務している。前の会社ではBが私の担当で証券のセールスをしていた。そして今Aが投信の運用担当者となってBの顧客である。要するに狭い世界ということである。

3人とも銀行に就職し、アメリカの大学で学び、日本の組識の意思決定能力の欠如に怒りを感じているという点で共通している。天ぷらに日本酒を飲みながらボルテージが急上昇してしまった。

天ぷらはどれも大変美味であった。地上げにあった虫食いの土地の一角にひっそりとある古い店構えだ。味わいのある店である。料理の最後は天茶である。かき揚げにをお茶づけにしたものだが、締めくくりにふさわしい味であった。

会計を聞いて更にびっくり。非常にリーズナブルであった。気の置けない接待にも使っているとのことだったが、MOFの関係者はいないようだった。

 

1998.1.27.(TUE)


<今日の一言>

喉をやられる風邪が流行中です。お気を付け下さい。

チョー複雑

携帯買ったはいいが、取扱いの機能が多すぎて使いこなすのは大変である。短縮ダイヤルやらそのグループ化、オートロック、ドライブモード、プチメール、マナーモード、特定の人からの呼び出し音変更、アラーム、ボイスメモ、と思い付くだけでもとてつもない数の機能である。これらを電話機のボタンの組み合わせで使い分けるわけである。

使いこなせるかどうかが若者世代とおじさん世代を分ける試金石となりそうである。それにしてもこんなハイテク機器が3千円で買えるのはいくら技術が進歩したとはいえ何かが間違っているような気がする。

官僚だけが悪いのか

官僚汚職が問題になっている。ついに大蔵大臣まで引責辞任した。こんなことよりもっと辞任するべき理由は別にあったと思うが、取り敢えず生け贄になってしまった。

MOF担を批判したり、ノー○ンしゃぶしゃぶに行ったことをセンセーショナルに騒ぎ立てているマスコミであるが、問題は大蔵省だけではない。日本全体のたかりの構造が変わらなければ、同じことが繰り返される。仕事をしている人なら誰だって接待をしたり受けたりした経験はあるはずだ。そしてその見返りに便宜を図ったこともあるはずだ。本質は大蔵官僚と同じである。官僚の場合、接待の見返りに手心を加えたことが国民に損失を与えたというだけの違いである。

再発防止策としてMOF担を廃止するなどという提案が検討されている。そんなことをすれば余計に話がややこしくなる。MOF担には本来の仕事をしてもらい、「1万円以上の接待は禁止」といった現実的で具体的な基準を設定するほうが現実的である。そして作った決まりを破れば厳しく罰せられるようにすればいい。良心で歯止めが掛からなければルールを作って規制するしかない。曖昧なルールではなくわかりやすいルールを作ることである。

官僚と民間人が交流し、情報交換することは決して悪いこととは限らない。その情報をMOF担が一元化しているのは効率からいえば悪いことではない。逆に今回の事件の反動でコーヒーさえ一緒に飲んではいけないというのは明らかに過剰反応である。現金はもちろんまずいが、では商品券ならいいのか、お歳暮はどうななのか、個人の倫理感ではもうコントロールできなくなったのである。

接待がなくならない根本の問題は官僚が、検査の評価や許認可の内容について明文化されない個人の裁量をもっていることである。その結果「さじ加減」が可能になり、手心を求めて接待が始まるのである。そのようなグレーゾーンこそ官僚のたかりの源泉である。

それにしてもいつも思うのは官僚の給料はたかりをしなければならないほど安いのか。どうも給料は安いが、天下りをすることを前提に生涯賃金が考えられているように思われる。給料を低く抑え、天下りで補填するいびつなキャッシュフローにするなら、責任ある仕事に応分の処遇をし汚職・天下りは一切禁止、の方が官僚もハッピーではないだろうか。

 

1998.1.26.(MON)


<今日の一言>

電気毛布というのは使いはじめるとやめられないものです。

ついに携帯

の申し込みをした。IDOの510Gという機種である。会社の向かいの小さな店に夕方行って免許証と印鑑だけで簡単に手続き完了した。

1ヶ月間何人かの携帯を持っている人の話を聞くと次のような結論に達した。中には携帯を仕事、個人用と3台持っている人や、PHSも併用している人などヘビーユーザーの人も何人かいらして思いもしないアイディアを教えていただいた。

簡単に結論をまとめると、
(1)ドコモはやはりブランドイメージがあるので割高。
(2)アンテナの数(掛かりやすさ)はドコモとIDOはそれほど変わらない。
(3)IDOのアンテナは京セラ製なので電話機を選ぶなら京セラがいい。


ということで安さとサービスを考えてIDOにすることにした。機種はIC録音機能がどうしても欲しかったので510Gにしたわけである。京セラ製なのでアンテナとの相性もいいという。(本当に関係あるのであろうか)

本体と加入料で3150円であった。月々の基本料金はトクトクプラン30というので、30分の通話料が入って月額3900円である。こんな料金で利益が出るのか心配になるような安さである。

不動産の物件さがしの時にとりあえずは活躍しそうであるが、果たしてその後は何に使うのであろうか。

携帯、酔っ払い、そして痴漢

どれも電車に乗っている時には迷惑なものである。携帯は井の頭線の渋谷駅にいると3機位が一斉に鳴り出すことがあったりする。とにかく呼び出し音も甲高い声も迷惑である。

勿論酔っ払いも迷惑。吊革につかまりながら後ろから頭突きをしてくる人、とにかくうるさい人、など色々であるが、仕事で遅くなった帰り道こんな人達と同じ電車になると気分が滅入る。

そして私は男性であるから経験はないが、女性にとっては痴漢は迷惑だろう。

こういった問題解決のために携帯使用不可能、酔って無いひと専用、女性専用、といった車両を作ってはどうだろうか。

 

1998.1.25.(SUN)


<今日の一言>

ショウロンポウは「小龍包子」と書くようです。ワープロのせいか漢字が書けないことが多くなりました。

No More 鍋

鍋研主催第2回全日本鍋物コンテストが銀座の辻クッキングで開催された。大会の詳細は鍋奉行のページを是非ご覧頂きたい。天気のいい日曜日の昼間に大の大人が40人も集まってビールを飲みながら訳の判らない鍋を作り、お互いに批評する。このナンセンスな催しはやってみると意外に楽しいものである。

私の所属するチームは今年も優勝とまでは行かなかったが去年より1ランクアップの第3位。ブイヤベース風トマトスープにトウバンジャン(また漢字書けません)とサバの切り身という意外性が受けたようである。

鍋研のHPも今後グレードアップするとのことなので来年に向けて一段と盛り上がりそうで楽しみである。作っている人達の楽しそうな顔を見ているとやっぱり日本人は鍋好きであることがわかる。とはいえ個人的には金曜日から3日連続の鍋である。さすがにしばらくは違うものを食べたいなと思った。

暴行事件

体育会大学生がOLに暴行を働いたとして逮捕されるケースが続けて発生している。もちろん体育会だろうが何だろうが暴力は徹底的に糾弾しなければならない。しかし報道を聞いていて不思議に思ったのは大学当局の対応である。

私は体育会のカルチャーも体験したことが無いから知らないし、彼らが大切にしている価値観を否定しようとは思わない。しかし個人競技で部員が不祥事を起こした場合、連帯責任をどこまで取る必要があるのか議論はあるのではないだろうか。これは暴力事件を起こして高校野球の出場辞退をする高校を見ている時にも思うことである。いわんや今回の場合、大学のOBの処遇にまで論議が及んだと聞いては、私の理解を超える。

体育会で競技をしている人達は、その競技をやりたいと思ってクラブに所属している。そこにたまたま運悪く不祥事を起こす人が居合わせただけでその責任を一緒に取る必要があるのであろうか。運命も自己責任として受け入れなければ競技に参加する資格はないのであろうか。

皆で大会の出場を辞退し謹慎すれば事件の原因が解決するというものではない。被害者の気持ちを考えても事件に関係ない人まで巻き添えになっているのは逆に見ていて忍びないのではないだろうか。

今必要なのはどうしたら同様の過ちを再発しないように出来るかの具体的処方箋作りである。隣組の発想で学生を管理しようとする体制に何か違和感を感じるのであるが、これは所詮外部の体育会の精神を理解しないものの戯言であろうか。

 

1998.1.24.(SAT)
<今日の一言>

歯医者に行って歯石を取ってもらいました。何となく口の中がすっきりしました。

クリントン

アメリカではクリントン大統領の女性問題でマスコミが大騒ぎをしている。問題はホワイトハウス内で「そのような」事件があったかということと、もう一つは偽証の強要をしていたのではないかと言われる疑惑である。

大統領がホワイトハウスの中で、、、というのはさすがにまずいと思うが、基本的に個人のプライバシーに属することを政治家としての資質に結び付け、大騒ぎしているのはいかがなものか、と思う。大統領の資質として大切なことは女性に興味を示さない、ということではなく政治的な能力であろう。国の利益を最大化する人であれば仕事以外で(犯罪以外の)何をしようと個人の勝手ではないだろうか。この辺はフランスのような大人の対応をしてもらいたいと思う次第である。

ただもう一つの問題、嘘についてはアメリカは厳しい国である。日本のような「嘘も方便」などという考え方はまったくない。「利益供与など絶対にない」と言っておきながら後から「大変遺憾ながら、実はありました」などといって誤魔化せる甘い国とは違うのである。

鍋を食べる毎日が続いている。先週に引き続き夕方から茶楼にお邪魔して鍋研コンテストに出品する創作鍋の最終チェックを行った。営業中のお店の一角をお借りして鍋を作って食べる。ズバリタイトルは「どこさ鍋」。

作り方は恐らく明日の師匠のページに詳しく紹介されるだろう。今のところは秘密である。

鍋の後にご飯を入れて作ったリゾットがまた美味しかった。かなりユニークな鍋が出来上がったと自負しているが、明日他のチームがどんな鍋を作るか楽しみである。

 

1998.1.23.(FRI)


ふぐ

食べ物の話が続き恐縮であるが、会社の同僚とふぐを食べに出かけた。銀座の「岩戸」(3564−3835)である。銀座でふぐ、といっても極めて庶民的な日本料理の小さなお店。ふぐ以外にも刺し身や焼き魚など新鮮な魚貝類がとてもリーズナブルな値段だった。

店は所謂オヤジ系の人達で超混雑。最後のふぐちりと雑炊を食べるころには皆いなくなってしまった。会社帰りに美味しいものを食べてさっさと出て行くタイプの店なのだろうか。ラストオーダーが9時というのも何となくわかるような気がした。

ひれ酒も美味しかったし、日本人に生まれてよかったと思うのはこんな瞬間である。

 

1998.1.22.(THU)


<今日の一言>

寒い毎日の中でも、何となく春が近づいてきたように感じるのは自分だけでしょうか。

新亜飯店

会社の近くに新亜飯店という中華料理店がある。ランチにたまに出かけるのであるが、ここのショウロンポウ(すいません漢字が書けません)は東京では有名らしい。確かに熱々になったのを生姜醤油につけて食べると特に冬は暖まる。

椎茸そばというのもいける味である。手打ち風の中華麺に大きな椎茸がたくさん載っている。だしが効いていてこれも冬場には欠かせない。

ショウロンポウといえば高島屋新宿店のグルメ街にある台湾から来た店のショウロンポウは更に人気で行列の絶えることがないという。機会があれば食べ比べてみたいものである。

一年前・一年後

一年前の今ごろ何をしていただろうかと時々思うことがある。去年の今頃は、仕事に対する違和感を覚え、このまま会社にいては自分が駄目になってしまうと思いはじめたころである。レジメを英語で書くための本を買い、情報集めに走っていた。

あの頃一年後に今の会社でこんな風になっているとは予想できなかった。一年先といえばそんなに未来ではないのに、自分のことでさえどうなっているか予想するのは難しいのである。

来年の今頃はどうしているのだろうかと思うことがある。どこで誰と何をしているのだろうか。そんなに変化はないだろうと思いながら、意外なことが起こったりするのが人生である。

 

1998.1.21.(WED)


<今日の一言>

「75歳現役社会論」(NHKブックス)という本が雑誌で紹介されていた。面白そうな高齢化社会論の本らしい。

阪和銀行従業員

阪和銀行従業員に元々の規定になかった割り増し退職金が支払われたらしい。大蔵省・日銀は、組合に支払わなければストライキを実施すると脅されて、預金の払い戻しが出来なくなる事態を避けるために、割り増し退職金を容認したそうである。割り増し退職金の総額は85億円になるという。

阪和銀行の行員の行動は理解できなくもない。人間誰しも極限状況になれば、プライドでも何でも捨てて変われるものである。当局に潰されたという被害者意識があれば自分の生活を守るという大義名分も少しは立つ。問題はそういった従業員のモラルの低さよりそれを容認した大蔵・日銀の行動にあると思う。今後同様の事態が発生した場合、弱腰で容認するという態度を続けるのだろうか。これも金融システムの安定化のための「止むを得ない措置」なのだろうか。

駄々をこねると1千万円払ってくれるような過保護な親がいるから子供はいつまでも自立できない。

ふぉれんと

リクルートという会社は痒いところに手が届くサービスを得意としている。そのニーズの巧みな汲み取りはさすがである。「ふぉれんと」という賃貸住宅情報誌がある。電話帳のような280円の週刊誌に毎週3万件以上の情報が載っている。しかし自分が見るのはその内、わずか数十件である。電話帳的な使い方をする本である。

しかしこの雑誌には検索サービスというのがある。HPに入り条件登録をしておくと自分に合った物件が毎週HPにアップされる。自分専用のHPである。しかも無料である。(ただし4週間まで)

私の検索結果も毎週送られてきている。恐らく機械化され自動的に作成されるのだろうが、自分オリジナルのページが送られてくるのは楽しいものである。速報性が求められ、大量の情報から条件検索する不動産情報のようなものには、パソコンは恐るべき力を発揮する。

もう無愛想な駅前の不動産屋を一軒づつ探し回ることはないのである。

 

1998.1.20.(TUE)


<今日の一言>

ラッシュの山手線に乗りながらガラガラの東北新幹線を見ていた。日本は相変わらず何かが間違っているような気がした。

どないなってんねん大阪

故横山やすしの広告が話題になっているらしい。大阪のマナー向上ポスターである。大阪の恥部を敢えて書くことによって注目を集ようとしたものだ。大阪のワースト1コレクションである。

大阪には不名誉な一番が多い。ひったくり(21年連続)、自動車盗難(14年連続)、暴走族の団体数(104)。カラオケ著作権料の支払い契約率も最悪。面白いのでは信号が青になる前に走りだす「自動車のフライング発信」が平均4.92秒前。これは世界で一番悪い記録という。どうやって計測したのだろうか。

では大阪は住みにくい街なのかというとそういう評判は余り聞かない。田舎なのに威張っている珍しい街である。東京にやってきて方言を直さないのは関西人だけである。阪神タイガースに代表される屈折したメンタリティを持った不思議な場所である。

どないなってんねんさきがけ

財政・金融問題が決着した、とブルームバーグの見出しを見て、「これでまた少し日本も変わる」と思った。ところがその後日経新聞を見てぶっとんだ。「当分の間は」分離しないということらしい。当分の間とは「永久も含む」らしい。要は分離しないということだ。

なぜ大蔵省を分割しなければいけないかは論議があるのだろうが、チェック機能が働かない人達に権限が集中すると何が起こったかを見ればその必要性はわかる。政府がそれをしないのはなぜであろうか。

財政政策期待から上昇を続ける日経平均であるが、構造改革が一向に進まない日本の状況に市場が気が付けばまた最安値に向かって下げはじめるだろう。また同じ過ちを繰り返さなければ気が済まないのだろうか。

政治に数の論理が大切なのはわかる。しかし今回のさきがけの妥協は彼らの存在意義を自分で否定してしまった。そして国政に対する不信、いや無関心を増大させた。

 

1998.1.19.(MON)


ビッグバンは第2の敗戦?

親会社の銀行がビッグバンで潰れかかっている総合研究所の理事長がテレビで、ビッグバン反対論を唱えていた。ビッグバンは日本の誰もが望んでいない。そんなアングロサクソンのやり方を受け入れざるを得ないのは敗戦と同じという論理である。

ビッグバンに賛成している人でもアングロサクソン型の資本主義が完璧だと思っている人はほとんどいないだろう。どんなシステムにも問題はある。メルカトール図法であろうとどんな図法でも丸い地球を平面に完全に表現できないのと同じである。つまりこの種の議論にはレス・インフェリア(より劣っていない)という現実的な発想が必要なのである。

日本的経営といわれたシェア至上主義、年功序列、終身雇用、メインバンク制度などは確かに長期的な視点で安定した経営を行うという点で効果をあげた。しかしその代償として硬直的な労働市場、意思決定の遅れ、過度の平等主義による悪平等といった弊害をもたらした。安定期で目標がはっきりしている時は強い。変化には弱い。新しいことをしようとしても既存の人間関係が邪魔をする。

更に最悪なのは市場原理の替わりに官僚という管理者に企業行動をウォッチしてもらったことである。高潔な管理者が先進国の真似をさせるべく政策を実行しているうちは良かったが、今や政策の方向性もわからず、官僚は生ゴミを突っつくカラスのような醜いたかり屋に成り下がった。(もちろん高潔な官僚も多数存在する)

そして社会には歪みが顕在化している。画一的な教育制度が「失敗するとやり直せない社会」「よそ者・異質なものを排除する社会」を作り出した。沖縄では多数決という民主主義の基本原理さえ否定された。

自分達でルールを作り、それを守っていくという基本的な行動がとれない国は、他の国が作った仕組みを輸入するしかない。世界標準(といっても世界のほんの一部の国だけだが)にしてしまえば守らなければ他の国が文句を言う。市場型経済なら市場が管理者になってくれる。

時々行き過ぎた判断をする市場という管理者と、官僚という管理者。どちらがマシかといえば現状では前者ではないだろうか。

 

1998.1.18.(SUN)


ヨドバシカメラ

モバイルギアの電源が入らなくなってしまったので電話をして交換してもらうことにした。翌日店頭に行くと交換用の新しいマシンが既に準備されていた。電池を交換して作動を確認するとその場で交換。非常に迅速で良心的な対応に感心した。安売りをしながらアフターサービスでも専門店としての力を発揮する。この会社のマネジメントはかなりのものと見た。

ゴールドポイントカードによる顧客囲い込みを最初に始めたのもここである。相変わらず店舗投資には金を掛けていない。とにかく顧客第一主義が徹底している。最近YKKといった郊外の家電販売店が都心に進出してきているらしいが、品ぞろえ、従業員教育、価格においてヨドバシの牙城を崩すのは容易ではないだろう。

いずれにせよモバイル復活である。しばらく日記がまた長くなりそうである。

雨の西麻布

鍋研のコンテストの打ち合わせで雨の中西麻布へ出かけた。ところが待ち合わせ時間を2時間も間違えてしまい、しかたなく暇潰しをする。To-the-herbsで真新しいモバイルを2時間打ち続ける。この店は本来ピザが専門だが、お茶だけでもくつろぐことができる。広い空間で快適な音楽、周囲の会話が心地好いBGMになって原稿打ちに集中できる環境である。都心にはこういったインフラがよく整備されていて羨ましい。

ようやく夕方になり茶楼にて新作を作成。新しい創作鍋を試食した。随分試行錯誤を繰り返し美味しくて個性的な鍋が出来上がったが、更に改善の余地ありとの判断。コンテスト当日までにもう一度試作をすることになった。鍋研のコンテストはもう来週の日曜日に迫っている。こんどこそ優勝できるだろうか。

ワインを飲みながら作った鍋に色々な味をつけながら食べる。辛くしたり、出汁をきかせたり、材料を追加したりと工夫の仕方で味がどんどん変化していく。鍋の試作というのは初めての経験だが病み付きになる楽しさであった。

 

1998.1.17.(SAT)


1998年の予想

年末に作った来年の予想アンケートに予想以上の回答を頂いた。ご協力頂いた方、本当にありがとうございます。ここで投票を締め切り結果をお知らせしたい。以外な結果のものがあって面白い。

1.橋本内閣は退陣する

退陣する−−22票
何とか持つ−11票

2.新進党同様、自民党も分裂状態になる

分裂する−−−8票
何とか持つ−24票


3.外資系に買収される日本の大手銀行が出現する

出現する−−−25票
ありえない−−−8票


4.新外為法で為替は一時140円まで円安になる。

ありうる−−−26票
ありえない−−−5票


5.日経平均は来年中に一度は2万円を回復する

ありうる−−−18票
ありえない−−14票


6.アムロは出産するが離婚する

ありうる−−−−9票
ありえない−−24票


7.東京の高校生からルーズソックスが絶滅する

紺ラルフ全盛時代へ−−15票
しぶとく生き残る−−−15票


8.長野オリンピックで日本は金メダルゼロ

ありうる−−−−−−−−4票
1つはとるでしょう−−28票


9.サッカーワールドカップ、日本は1勝もできない

ありうる−−−−−18票
そんなことはない−14票


10.あなたは転職・失業・破産・離婚のどれかに遭遇する

1つ位ありうる−−19票
どれもありえない−13票


ちなみに私の個人的回答は第5問だけ下の回答、それ以外はすべて上を選んだ。今年の年末にどの程度当たっていたかチェックしてみたい。

 

1998.1.15.(THU)


雪の一日であった。といっても寝たのが朝の7時、起きるともう午後2時である。短い一日になってしまった。

夕方髪を切りにいこうと美容室に電話をすると大雪で午前中で店を閉めてしまったとのこと。電車も間引き運転をしているようであるし、家でゆっくりとくつろぐ一日になった

何でもあり

有価証券の原価法に続いて今度は土地の時価評価が認められることになった。これで銀行の自己資本を良く見せることができる。しかも再評価分は非課税である。

都合のいいような会計方法の変更は投資家の不信を招くということは予想できる。見栄えをよくすることに知恵を絞るより、根本的な問題解決をはかるべきである。しかもこの会計方法の変更は任意だという。選択性によって様々な決算方法が採用されれば企業間の決算の比較を困難にする。

根本的問題とは銀行の役目をもはや果たしていないのに銀行をやっているところが多すぎることである。未だに横並びでしか物事を決められないのだから、大手銀行が20行近くも存在する必要はない。

 

1998.1.14.(WED)


師匠と前の会社の上司・同僚の5人で茶楼へ出かけた。久しぶりに美味しい鍋を食べる。道が混んでいたせいで店に着くのが大幅に遅れてしまった。不景気だと言われているのにお店は大盛況。やはり寒くなると暖かいものが恋しくなるのである。

運命も自己責任

時間も早いので2次会に行こうということになった。これが運命も分れ目であった。師匠ご贔屓の「金魚」(3478−3000)が予約できたので六本木に向かう。金魚は本格的なショーが楽しめる所謂ショーパブである。出演者は全員が男。タカラズカのような華やかなショーを女性ではなく「男性に生まれた人」が行う。狭い舞台は変幻自在に展開し、訓練されたダンスとテンポのいいプログラムになっている。フランスのムーランルージュといったキャバレーによく似た感じである。10時過ぎに始まったショーは約1時間で終る。

そして朝まで

12時前であったが、さらに師匠行き付けのカジノバーで3次会。ここも外人・日本人入り乱れて大混雑。この時間になると遊んでいる人はもう帰るのを諦めた、ないしは最初から考えていない人々であり、パワー全開である。手品を見たり女の子と話したりしているうちに時間は過ぎていく。もう2時半である。

店を出ると、みぞれ混じりの冷たい雨が降り始めていた。朝まで過ごす場所を探し結局六本木駅近くのカラオケボックスに入る。Speedからビートルズまで何でもありである。始発が出る5時過ぎまでひたすら歌う。帰り道、早朝の雪の六本木という情景は味わいのあるものであった。相変わらず賑やかな眠らない街である。外に出るとさすがにぐったりとしてタクシーを拾い、新宿経由で帰った。もう7時前。完全朝帰りである。家に戻るとあっという間に眠りに落ちた。

 

1998.1.13.(TUE)


昨日は雪で寒い一日だった。先週のダイヤ大混乱に懲りて、会社でも皆早めに帰ろうとする人が多かった。テレビでやっていたが、8日の時は横浜駅近くのJRでは満員の車内に4時間閉じ込められて最終的に線路を歩かされた客が駅で職員をつるし上げしていた。私の知っている人も手前の駅で電車が止まり、ファミレスで夜を明かした。

ところが鉄道会社も電車が渋滞したという前回の失敗から、昨日は夕方から間引き運転をしたようだ。それなのに早く帰る人が増えてしまったので夕方は余計に電車が混んだ。逆に飲み屋は閑散としており、酒を飲んで帰る時は電車も空いていた。

電鉄会社も客も裏をかいて失敗したということである。今度雪が降ったら通勤客はどんな帰宅行動をとるのであろうか。

躁鬱?

気持ちにムラがあるようである。最近は日記の量が減り、書きたいネタも少し枯渇気味である。過去のパターンを見ているとどうも自分には躁鬱のリズムがあるように思える。怒りを爆発させ日記を書きまくっているのが躁状態、最近のような状態が鬱状態である。

こんなことを考えられるのもこの日記を書いているメリットの一つであろうか。過去の日記を読み返せば、自分の心理状態が手に取るように甦ってくる。

しばらくすればまた復活するのであろうが、その時には暴走しないように気をつけなければいけないと思っている。

 

1998.1.12.(MON)


TENG

居酒屋TENGに行った。かつての天狗はTENGとロゴが変わっていた。しかし内装は昔と変らない。学生のころ愛用していた時と同じである。会社の近くの店は学生ではなくビジネスマンで賑わっていた。

何と言っても値段が安い。そしてメニューが豊富である。4人でイタリアのキャンティワインを3本飲んですき焼きやら焼鳥やらねぎとろやら腹一杯食べても1人4千円そこそこである。顧客のツボを押さえる商品構成はコンビニに通じるものがある。そして料理ができる時間が短い。味はそれなりであるが許せる範囲である。

株主の人がいて株主優待券を使って払っていた。日経平均がダウとクロスするという不気味な予言も笑い飛ばせなくなった今、日本の株を買うのは勇気が要るが、この日銭商売は潰れることはないと思った。

モバイル故障

最近この日記が短くなった。その一つの理由がモバイルギアが故障したことである。電池を換えてしばらくすると電源が入らなくなり、リセットしても何をしても反応しなくなった。

幸い保証書は保存してあるので休みの日にヨドバシカメラにもって行くことにしようと思っている。修理が完了し、携帯も買ったらいよいよ真のモバイラーに挑戦する時である。新しいことを始めるのはわくわくする。

 

1998.1.11.(SUN)


食事会

夕方、両親と弟夫婦の計6人で食事会をした。場所は「三笠会館」である。両親が箱根からの旅行帰りだったので新宿のカジュアルなお店となった。

義妹は現在エジプトに単身で駐在しており年末に一時帰国である。エジプト生活の話で盛り上がる。断食になると皆イライラしてくること、日本食が貴重でうなぎの蒲焼きの真空パックを持っていくと非常に喜ばれること等、面白い。やはりアフリカの入口とはいっても日本からは遠い国なのである。実際に住んでみないと想像もできない環境である。

私は海外にいた時はとにかく吉野屋の牛丼とラーメンが食べたくて仕方なかった。エジプトではマグロさえたまにしか手に入らず、入荷すると魚屋さんからFaxで知らせてくれるという。レベルが違うのである。

物価水準は日本の10分の1程度らしいが、通貨はドルリンクで円安による給料の目減りが悩みだという。エマージングマーケットの通貨危機はエジプトには関係ないらしい。混乱するのも大変だが、混乱しない国に住んでもそれなりに悩みは尽きない。

 

1998.1.10.(SAT)


筋を通す

日本も随分変わってきた。相変わらず過去の価値観に生きている人もいるが、アングロサクソンが作った「世界標準」に合せていくよう柔軟に対応する個人・企業が少しずつ増えている。

世界標準に合わせる、といっても簡単なことである。しがらみを捨てて市場原理を原則とする判断を行うことである。筋を通すとでも言えばいいだろうか。親会社の系列だからとといって取引したり、銀行取引の順番で年金の委託シェアを決めたり、といったことをやめるだけでいいのである。

大江健三郎的「曖昧な日本の私」から早く脱出できた企業が現在までの勝者になっている。このような判断をする企業・個人が増えてきたという事は日本が動き出す日も近いのではないか。日本人は変わるまでは時間がかかるが、一旦変わりだすとそのスピードは速いからである。

 

1998.1.9.(FRI)


「なんでやねん」

会社の同僚6人で西麻布の関西風お好み焼き屋「なんでやねん」(3407−8290)に出かける。経営者の前田さんと言う人は同僚の1人とかつてN証券で先輩・後輩だったという。片や投資顧問会社のファンドマネージャーとお好み焼き屋の経営者。N証券OBの活動エリアの広さを物語る。

関西風お好み焼きはお店の人がきれいに作ってくれる。だから均等に火が通り美味しい。ビールを飲みながらお好み焼きも久しぶりに食べるといいものである。話に夢中になっていると4時間以上が経過した。あわてて店を出て電車に乗る。何とか今日は終電で帰ることができた。

 

1998.1.8.(THU)


天気予報通り、午後から雪が激しく降り始めた。東京でこれだけの雪を見るのは記憶の限りではかつて細川首相が「Noと言える日本」と言って為替が大きく動いた3年前のとき以来ではないだろうか。

師匠と飲む約束は中止して早めに帰ることにする。今日からコートを着ることにしたのであまり寒さを感じない。7時過ぎに会社を出るが、山の手線は混んでいる。しかも徐行運転で妙に時間が掛かる。途中駅でパンタグラフの雪を除去するとアナウンス。1分ほどで「除雪終了しました」、とアナウンスが入ると車内がどっと沸く。皆、雪に迷惑していると言うより何となく嬉しそうなのである。

新宿に着くとホームは人で溢れている。小田急は町田までストップ。埼京線も止まっている。京王線は動いているだけ偉い。電車はすし詰めであるが何とか家に辿り着く。

北海道や東北の人からみれば雪で大騒ぎする東京の情景は不思議であろう。おそらく今日のニュースは街で滑って転んでいる人を映し出していることであろう。

プロパガンダ

毎日プロパガンダと呼ばれる書き物(これは手書きの「達筆」な字を含め一読の価値あり)を顧客に送ってくれる、某外資系証券会社の東京支店長は昨日の日経新聞と日経金融新聞に原稿を載せていた。この方は去年の初めから日本の長期国債金利1.5%、1ドル135円を唱えてきたその筋では超有名な方である。日経は写真入りで、日経金融はペンネームである。内容は日経金融の方が面白い。こんな内容だった。

剥げ頭の友人が日本のプールで泳いでいたら、帽子をかぶってくれと係員に注意されたという。理由を聞くと「規則だか」らの一点張りで説明できない。髪の毛が不衛生だからというのが理由なら彼には必要ないし、危ないというならそれは個人のリスクである。

アメリカでフットボールの試合をテレビ中継していたら犬がグランドに入りこんできた。すると画面の選手紹介の字幕のところに「DOG」と名前が紹介された。こんなジョークは日本ではクレームをつける人がいるだろう。

彼が言いたいのは規制を作りそのなかで生きているのは、気持ちがいいことなので変えにくいという日本の状況への警鐘だろう。理屈っぽいとか一言居士といわれる位のこだわりを持つ人がもっと増えて欲しいと思う。そして逆に力を抜く時はジョークでリラックスするといったバランス感覚を磨きたいものである。言われたことを考えずに忠実に実行できるだけでは真面目とは言わない。長良川の鵜飼いと一緒である。

 

1998.1.7.(WED)


あこがれの人

そっちの気は全く無いが、男が惚れる男というのはいるものである。

ポール・クルグマンが6日の日経に「21世紀の設計図」を書いている。技術革新は単純労働ではなく知的活動の価値を下げ、社会の不平等を抑えるかもしれない。グローバリゼイションは向こう数十年のうちに停滞する。という2つの奇想天外で不合理ではない予想をしている。

要するに未来は過去の延長では測れないということを言っているのであるが、学者がこういうことを言っているというのが魅力を感じる理由である。意外なことを説得力を持って納得させられるのはすごい。写真の顔はいつも怖いが、実物を是非見てみたいものである。

もう1人はセブンイレブンの鈴木会長。こちらは5日の日経夕刊に出ていた。流通業経営者にありながら「店回り」はしない。「日々のデータと店長の話で今何が必要かわかる」という。原理原則に厳しい姿勢で経営し冷徹な経営者と映るが透明性を持っているという。

前近代的といわれる日本の流通業界で浪花節ではなく「仮説と検証」という科学の力で流通業NO.1の座を築いたことに感銘を受ける。もちろんコンビニという30年前には日本に無かった業態をここまで普及させた先見性も、である。

 

1998.1.6.(TUE)


携帯

携帯電話について書いたら、随分多くの方からメールを頂いた。やはり興味を持っている人が増えたんだと実感。私自身、前にも書いたように携帯に対して「不良の遊び道具」あるいは「鎖につながれた社畜犬」みたいなネガティブなイメージだったのが、最近は「気軽で便利な通信ツール」に見えてきた。もう購入は時間の問題である。同じようなことを考えている方は多いようで、
(前略)

私も携帯電話についてはあまり好意的ではなかったのですが、そろそろ購入しようかと考えております。今まで持っていなかった理由は内藤様とほぼ同じです。

(中略)

携帯の問題点がなくなったとは思いませんが、少しずつマナー等、成熟してきたとは感じています。以前ほどは電車の中で使っているひとを見かけませんし。家族や親しい友人がもっていると安心、というプラス面が逆に気になりだしました。

(以下略)

明るいイメージになったのが買う気になってきた大きな理由であるが、何と言っても価格の低下が決定的要因である。IDOの502Gという機種(今これを買おうと思っている)なら3千円の加入料と数万円の本体が0円である。つまり1月の基本料金4600円だけ払えばその日から使える。重さ100g足らずで色々機能も充実しているまともなものが今やこの安さである。マナーボタンというのが付いていて電車の中で、恥ずかしい思いをすることもない。

IDOにはコミコミプランSというのがあり、これなら30分の無料通話付きで月々3900円である。単なる連絡用であればこれで十分である。携帯電話の面白いのは料金体系が複雑なこと。新しいサービスが次々出てきて、比較検討は難しい。

もう一つの問題、自分のペースが乱される。これはどうも防ぎようが無いようだ。別の方はこう言っている。

(前略)

自分のペースで携帯電話を使うデメリット。携帯電話を持っていることは,いつしか周囲にバレます。携帯電話を持っているくせに連絡がつかないのは許せんという逆恨みは覚悟した方がいいようです。

(以下略)

ということだが、携帯を持っていると逆に誰からも電話が掛かって来ないというのも寂しくなるのかもしれない。人間は無いものねだりである。

 

1998.1.4.(SUN)


上杉鷹山

NHKでやっていた新春ドラマをつい見てしまった。今話題の上杉鷹山を筒井道隆が演じていた。

既存の体制・制度・組識を改革し新しいものを作るためには膨大なエネルギーが必要だということだ。そしてそれは一人の力では成し遂げられない。多数の人に納得してもらえる筋の通った考え方を説き、変えなければいけないという世論の流れを作っていかなければ失敗に終る。筋が通った考え方であると同時に、多くの人が信用できると思える一貫した行動実績が必要である。さもなければ最後にはしごを外されると思い、人はリスクを犯してまでついて行こうと思わない。

とすれば橋本首相ではもう改革は無理であろう。佐藤某を閣僚にした時点で国民の信頼を失っているからである。橋本内閣の改革は国民の為ではなく自らの為であると国民は感じている。単に後世に自分の名前を残したいという名誉欲である。

この仮説が正しければ、行財政改革が中途半端に終れば、今後は総理在職日数記録にこだわることになるだろう。とすれば参議院選挙の勝利、党内の実権掌握の為なら何でもありである。追加減税・公共工事追加発表の日は近い。

 

1998.1.3.(SAT)


携帯電話

携帯電話が随分安くなったらしい。機種を選ばなければイニシャルコストは殆ど只だし、通話料もそれほど高くなくなった。最近街で携帯を使ってる人が妙に増えたと思っていたが低コスト化が普及に弾みをつけたのであろう。

私自身は携帯電話には好意的ではない。電車の中で話している甲高い声は周囲の迷惑だし、意味のない話を歩きながらしているのもマンガを読んでいるサラリーマン同様、どちらかといえば軽蔑している。

自分の世界に誰かが常に勝手に入ってきそうなのも好きではない理由である。使いはじめて人に番号を知らせたりすると、自分のペースが乱されそうで怖い。たまには1人になりたい時だってあるのに、などと思いそうである。

そうは言いながらここまで安いと持ってみてもいいかなという気になってくる。電車の中ではスイッチを切り、連絡用にもっぱら使用し、ごく少数の人にだけ番号を知らせる。自分のペースを乱されない使い方ができないかもう少し真剣に考えてから、買うことにしようと思いはじめた。

 

1998.1.2.(FRI)


テレビ

正月のテレビは面白いものが少ない。そもそも普段から面白くないわけだから特に変ったわけでも無いのであろうが、同じようなタレントが出てきて騒いでいるだけである。

テレビを見ていて気が付くのは最近の奇妙な番組スタイルの流行である。字幕スーパーがいちいち入ることが多くなった、CMを見所のシーンの直前に露骨に挟み込みつまらないネタで視聴者を引っ張る、そして同じシーンを何度も繰り返し見せて時間を稼ぐ。とにかく中身が薄いという印象である。

映像の力はまだ音声だけのパーソナルコミュニケイションに勝っているが、携帯テレビ電話でも普及すれば現状の地上電波のコンテンツが衰退する日もそう遠くはない。

気分

去年後半から景気が悪いという人が増えた。そしてその理由の一つとして社会の気分が後ろ向きだからだというのが挙げられていた。消費者の購買活動や企業の投資行動はミクロ経済学が言うように必ずしも合理的ではない。

堺屋太一は時代変革のためには遷都が必要だと説いている。気分を変えると言う意味では効果はあるのかもしれない。問題はそれが遷都にかかるコストを上回る効果をあげるかである。

個人的にも引越しをすると気分が変るというのはある。社会人になってから既に8回引越しをしているが、引越しする度に新たな気持ちで物事に取り組めた。そろそろ今のマンションも引っ越し時かもしれないと思っている。

 

1998.1.1.(THU)


本年も宜しくお願いいたします

引き続きこの日記を毎日更新していくつもりでおります。本年もよろしくお付き合い下さい。

大晦日は遅れ馳せながら大掃除をした。私の担当は窓と照明器具、そして自分の部屋。切れた電球を取り替えてカバーを掃除。窓は網戸とガラスをクリーナーで拭いていく。外に出ての窓拭きは辛い。それにしても一年間の汚れというのは積み重なると結構なものだ。掃除が終ると窓がキラキラ光っている。要らない雑誌や郵便物が溜まっていた自分の部屋も一気に処分してすっきりした。

夕方、実家に帰る。お節を食べながら紅白を見るというお決まりのコース。元旦は近くの寺に初詣。近所の人しか行かない小さな密教のお寺である。新年の一日はのんびりと過ぎていった。

炬燵に入りながら中央公論の臨時増刊英誌「エコノミスト」の和訳本と「選択」1月号を読んだ。中央公論の方は大した内容ではなかった。日本語版オリジナルということで日本のビッグバンについての対談が付いていたが、これがつまらない内容でがっかり。出席者の選択をもう少し考えた方がいいのではないか。

「選択」1月号は城山三郎が書いていた巻頭言に大いに共感。変革期のリーダーに必要なのは

1.時代の大状況を見極める洞察力

2.あるべき姿を求めて「箱」から出る勇気

3.どんな困難にぶつかっても志を突き通す強靭な精神力

だという。しかしこれはリーダーに限らず、変革期に生きるすべての人に必要な要素ではないだろうか。居心地のよい「箱」から出る勇気、とは中山素平の言葉だという。

縁起がいい

年末にスーパーに買い物に行った。レジで会計をすると合計金額が777円だった。レジの人も気が付いたらしくニヤリと笑っていた。このレシートは大切に取っておくことにする。そして元日。お寺でおみくじを引いた。元々この手の占いのようなものは余り好きではなくおみくじなど社会人になってから殆ど引いたことが無いが、何となく引きたくなった。結果は大吉。これまた縁起がいい。

こう書いてあった。
災害自ら去り福徳集まり誠に平地を行くが如く追手の風に舟の進むが如く目上の人の助を受けて喜事あるべし信心怠りなく心素直に行い正しくすべきなり。

ということで今年はいい年になりそうだと思い込んだ次第である。


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