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日記 1998年2月
1998.2.28.(SAT)
<今日の一言>
ホームページという空間
この日記を始めたのはもう一昨年の夏のことになってしまった。知らない間に大量の日記とも雑文ともつかない文章が蓄積されてしまった。毎日書いていることは大した内容でもないし長くもない。しかしこの1年半の日記を眺めていると、世間の動きも見えるし、自分の心の動きも見えてくる。
ホームページを続けるインセンティブは誰かが常に読んでくれているという励みであり、プレッシャーである。いい加減なことは書きたくないし、人が書いているのと同じような事を書いても意味がないと思っている。
果たして自分の書いていることは世間に受け入れられているのだろうか。過激な意見を書いた後はいつも不安になる。そんな不安感を解消してくれるのが、お会いしたこともない方から頂くEメールである。ある時には間違えを指摘してくれ、意見に対する率直な意見を送っていただける方々である。
そしてもう一つはアクセスカウンターの動きである。このページのアクセス数はここ半年一日70件程度で安定している。有名ページを運営している方々が有名になり過ぎたが故にネットのマナーをわきまえない不届き者の標的になり、ページ閉鎖に追い込まれている。そんな事件を見ていると今のアクセス数は増えても減っても困る。
心地良い空間で自由にしていられることは贅沢である。この日記を読んで頂いている方に改めてお礼を申し上げたい心境である。
1998.2.27.(FRI)
<今日の一言>六本木「ブラッスリーベルナール」は安くて美味しいまさにブラッスリーでした。
仕事とは
時計が存在したことで大量生産に従事するブルーカラーの労働管理が可能になったという。つまり時間という単位によって労働単価を決定し報酬を支払うという時給の概念が確立したのである。しかしポスト工業社会では仕事よってどの位付加価値を付けたかが報酬の基準になっていく。
私の会社には残業手当がない。従って仕事の仕方は人によって様々である。朝早く来て夕方は早めに切り上げる人。朝は遅いが昼休みも弁当を机の上で食べながら仕事をする人。長時間労働をしている人。それぞれが自分に合った方法で仕事をしている。
したがって昼休みが多少長くなっても、仕事をしながらモノを食べていても常識の範囲内であれば文句を言われることはない。自分の期待された成果さえ出せばいいのである。前の会社では食事は1時間、仕事中は食べ物や飲み物は禁止であった。そして残業手当てを申請する方法だったので大違いである。
成果によって報酬を決定する能力主義は報酬を公平に評価する仕組みが完成していることが前提である。そのためには何度も書いているようにジョブディスクリプションの明確化と人事ローテーションの廃止が前提である。
自分の仕事が明確にされていないと、成果が正確に測定できない。すると結局は主観的な朝早くから頑張っている、といった好き嫌いで評価されたりしてしまう。また人事異動を繰り返し多様化した業務を広く浅く担当する人事システムでは成果に応じた報酬制度を真剣に導入すると人事異動したばかりの人が不公平になる。
仕事とは会社に何時間居たかではなく、何をしていたかで評価されるべきである。
日本は変われるか
日本は変らないと思うこともあれば、明らかに変化していると感じる時もある。政府の経済対策を見ていると総花的にメニューを並べているだけにも見えるが、その中に例えば確定拠出型年金(日本版401K)の導入など意外なものが入っていたりして驚く。
企業を見ても日本的横並びから得意分野への経営資源の集中が始まっている。財テクのファイナンス会社や不動産担保金融会社などの清算は三井不動産をはじめ各企業で進んでいる。更に資生堂が資生堂ウエルネスを清算、バンダイがピピン事業からの撤退、セゾンのインターコンチネンタルホテル売却と本業以外の事業が急速に縮小されている。
人材も流動化が激しくなってきた。山一証券の自主廃業により大量の人材が労働市場に放出されマーケットの流動性が高まった。金融界では銀行の給与カットで自分の市場価値が給料より高いと思う人はやめる可能性が更に高まる。
これらの動きは経営資源の効率化に役立つという共通点がある。まだまだ徹底さが足りないとも思うが、加速度がつくと一気に流れる日本社会の特質から見て、急速な変化が起こる予感が次第に高まってきた。
1998.2.26.(THU)
<今日の一言>もう2月も終わりです。人生に加速度がついていくのを実感します。
パスワード(2)
パスワードのことを書いたら早速師匠からメールを頂いた。さすが「スピードの経済」を実践されている方はレスポンスがはやい。
パスワード管理の方法
小生の場合wordで一つファイルを作って、それにパスワード関係を全部ぶち込んで、このFDにパスワードをかけ、そのパスワードだけは忘れないようにする。そのワード文書はハードディスクに落とさない。
まあこれでずっと問題なしできてまっせ。
なるほどである。
パスワードに関してはパソコン以外のものについての問題もある。私の場合キャッシュカードや携帯電話などの4桁の暗証番号はすべて一つに統一されており免許証で生年月日でも確認すればすぐにバレテしまう。これはどうやって管理すべきか。まさか一つ一つ別にはできないし頻繁に使うものはいちいち確認するのは面倒である。
便利な世の中は結構不便である。
懐かしい顔ぶれ
ボストン留学時代の友人たちと久しぶりに酒を飲む機会があった。89年から91年にかけて共に学んだ仲間と最近ボストンから帰国した人たちとが集まり思い出話に花が咲いた。
気がつけばもう10年近く前のことになってしまった。早いものである。当時は日米貿易摩擦が激しく湾岸戦争での日本の対応などもあって日米間に対立があった時期である。レスターサローやドーンブッシュといった経済学者を講師に呼んで日米関係について真剣に議論していたころを思い出す。
メンバーの多くは仕事だけではない何かを求めているような気がした。日本が変わらないなどと愚痴っている時間はない。そんなことを考えているより自分が何をしたいのかそしてそのために何をしたらいいのかを考えればいい。彼らと話しているとそんな風に肩の力が抜けていくような心地よい感覚があった。
私自身、物事を大袈裟に考えすぎる傾向があるが、全体のことを考えて結局何もできないより、自分が今したいことを素直にすれば何かが動き出す。一つまた道が見えてきた。
年金の資金
日本株式の低迷は年金資産の運用成績を悪化させている。そして日本の債券は長期金利が2%割れの水準が続いている。
現在も株式相場に関しては欧米の高値更新相場とは異なる、政府の景気対策督促相場が続いている。株式持ち合いも解消しておらず、アセットデフレが続き当面は大きく上昇しそうにない。日本の債券にしてもこれから景気が後退し、大きく金利が下がるとしても限界は近い。金利は原則としてマイナスにはならないからである。
とすると日本の年金資産はどこで運用したらいいのか。答えは消去法で外貨になるのであはないか。外国株式と外国債券の運用比率がこれから上がっていくのではないだろうか。それは外貨の需要を高め円安をもたらす。
為替というと4月の外為法改正をきっかけに円安になるという人が多いが、むしろ年金資産の外貨シフトのほうがインパクトは大きいと最近思いはじめた。
1998.2.25.(WED)
<今日の一言>アメリカの高校生は先進国で学力平均が最下位だそうです。テストが出来ても意思決定や意志疎通ができなければ仕方ないというのが、「学力の高い」日本人を見ていて最近思うことですが。
パスワード
セキュリティーがうるさくなったせいか、パソコンが普及してきたせいか、パスワードが増えてきた。自宅のパソコン、会社の個人用パソコン、会社の顧客データ用、ブルームバーグ端末、ロイター端末、とコンピュータ関係だけで5つもある。それらがすべて違うパスワードである。しかもその内のいくつかは毎月パスワードを更新しなければならない。
パスワードは手帳に書いたり、頭で記憶したりしているが、時々混乱して失念してしまうことがある。会社のパスワードの場合大変なことになる。インフォメーションテクノロジーの担当者に手続きしてもらうのでしばらくは仕事にならなくなってしまう。
この状況はどこの会社でも同じだとは思うが、何か解決の為の妙案はないものだろうか。
ダイエー
ダイエーが赤字に転落した。本業の不振によるもので事態は深刻である。景気の低迷により小売りが不振だからとも言えるが、それだけが原因ではない。端的に言えば消費者が買いたいものを売っていないのが原因である。
セブンイレブンなど変化に対応している企業はPOSを使って売れ筋の発見、死に筋の排除を毎日黙々と続けている。また婦人服のワールドは売れ筋商品を見つけると新しいデザインで短期間に商品を完成させ市場の変化に機敏に対応している。今まではワンシーズンの始めに流行を予測してデザインを決め、それをずっと売っていた。それがシーズン中に何回も商品構成が入れ替わることになったのである。スピードの経済である。
ダイエークラスの規模になれば個人の職人芸よりもシステムの勝負になる。マーケットの変化に機敏に対応できる体制の構築である。データベースの構築そしてそれを分析し柔軟な商品供給を行うことが必要である。
消費者が何を求めているのか。予想するより今はやっているものにすかさず対応できることが求められる。メーカーが消費者予想をリードする時代は終わり、笛吹けど消費者は踊らなくなった。
ダイエーに必要なのは息子を役員にしてトップダウンのワンマン経営を続けることではなく、権限の委譲を行い意思決定プロセスを簡素化することである。委譲を受ける能力のある人材がいることが前提であるが。
1998.2.24.(TUE)
<今日の一言>証券アナリストセミナーに行ってきました。グローバルスタンダードとはアングロサクソンではなくアメリカの基準だということを思い知らされました。
番号通知
NTTはナンバーディスプレーで発信者の番号通知をするサービスを始めた。表示させたくない人は184を付けてから電話すればよいというサービスである。
私の電話には液晶スクリーンが付いていないのでこのサービスの恩恵は受けていない。しかし私のかけた電話はもしかしたら相手先に表示されているかもしれない。
本来の目的はイタ電が多いのを防止するためということだった。しかしイタ電をかける人は184をつけて電話をかけるに決まっている。そうすると番号表示される電話はイタ電では無いという事になり、逆に184をつけて電話をするとイタ電を勘違いされて誰も電話に出てくれないリスクが発生する。
それに公衆電話からイタ電すれば番号は知られることはない。そういう意味では余り意味のないシステムだろう。
しかしビジネスに活かして使っている会社がある。通販会社やタクシー会社である。通販会社はリピーターからかかってきた電話で誰が発信者か識別し、顧客データベースから住所や過去の販売実績といった情報を引き出して注文受付時間の短縮などに役立てている。あるタクシー会社ではカーナビに電話交換手をリンクさせ、かかってきた電話から顧客の住所を自動的に表示し、営業しているタクシー車両のうちどの車が一番近くにいるかをカーナビで把握し効率的な配車を行っている。これらは常連にとっては便利なサービスであろう。
ナンバーディスプレーといえば携帯にも番号表示機能がある。そういえば仕事中に携帯に電話がかかってきた。忙しかったので取れなかったが番号表示があったので、後で折り返し電話をした。すると単なる間違え電話であった。
これからはこんな間抜けなことも増えるのであろう。
1998.2.23.(MON)
<今日の一言>
友人の海外視察の帰国報告会がありました。体だけはたくましく成長してました。
計画都市
久しぶりの外勤で海浜幕張まで出かけた。駅を出ると広くてきれいに整備されたビジネス街が広がる。正方形に区画整理され整然とした町並みであるが、面白味に欠ける街である。何か落ち着かないのである。
路地裏の暗い抜け道があったり、薄汚れた焼き鳥屋のような胡散臭いものが無いと整理整頓されたクリーンな部屋にずっといるようなストレスを感じるのであろう。自然界には直線は殆ど存在しないと言う。直線ばかりの計画都市には自然に逆らう何かがあるのである。本能的に曲線の曲がった世界の方が落ち着くのである。
普段は煙たくて道が狭いと文句を言っている浜松町の通勤路だが、きれいな幕張よりはくさやの煙のする道を歩いて通勤するほうが好きである。
疑惑
オリンピックの閉会式の翌日の日経一面のトップ見出しが安田信託の10%の給与削減である。トップにもってくるようなニュースであろうか。
銀行員の給与が云々、というのはもう議論する気はない。他人の給料を気にする前に自分のことを考える方が先である。それよりもなぜ日経はこんな記事を大きく取扱ったのだろうか。
銀行の自己資本充実のために公的資金を導入することに都銀全行が受け入れを表明した。一方国民の多数は銀行に公的資金を使うことに生理的拒否反応を示している。
今回の記事は公的資金の導入に反対する世論を懐柔しようという意図はないだろうか。だとすれば日経新聞は政府広報とでも名前を変えた方がいい。
1998.2.22.(SUN)
<今日の一言>
久しぶりの深大寺そばを堪能しました。花粉症で喉が痛くなりましたが。
AMAZON
アマゾンの日本語のページが出来た。この会社のオンラインショッピングは非常に使い勝手がいい。安心して買い物ができる。
しかも書評やら同じ著者が書いた他の本や、関連する本のタイトルなど検索できるので便利である。是非日本にも現法を作って日本の書籍も取扱って欲しい。
保守的で自分から変れない業界には残念ながらこういった外圧による変革を期待するしか無いのである。
深大寺
久しぶりに☆深大寺☆に蕎麦を食べにいった。自宅から歩いて約20分。梅の花を見たり深大寺付近の邸宅街の批評をしながらあっと言う間に到着。
いつもの通り多聞に入りとろろ蕎麦とビール、野草の天ぷらを注文。野草は春になるとまた一段と香ばしくなる。そばも久しぶりに食べたせいか、腰があって美味しかった。
ほろ酔い気分で八起の焼き饅頭を買って食べながら帰る。結局今回も深大寺の境内には入らなかった。
G7
で日本の大蔵大臣になったばかりの人が日本の景気対策について
「一生懸命やっていることは理解していただいたと思う」
とインタビューに答えていた。本当にそう思っているのであろうか。各国首脳はプロセスにも結果にも評価を与えていないように思えたが。一年前に首相が公約した内需主導による景気拡大を実現しようとして結果が出せなかった場合、それは公約違反である。一生懸命やっているかは問題ではない。新たな対応策を具体的かつ緊急に示すことが国際社会で信頼される方法である。
自分で何も決められない大臣を国際会議に送りだし、国内でしか通用しないような間の抜けたピンボケ発言を繰り返していては世界の信頼を失うばかりである。
1998.2.21.(SAT)
<今日の一言>
シアター・ブルックとピチカートファイブにはまっています。
自殺
国会議員で自殺した人はこれで4人目だという。彼の生き方をテレビのいくつかの番組が特集してきた。大半の扱いは政治腐敗の追及をしながら結局は自分も同じ穴のムジナという2重人格扱いであった。中にはニュース23のように生い立ちにスポットを当てる番組もあったが、これまた直接は関係ないような気がした。
確かに証券会社からの利益供与の疑いはあったし、もしそれが立証されるなら処分されてしかるべきである。しかし個々人の犯罪の追及のみで終っては単なる憂さ晴らしに荷ぎない。問題はなぜ彼がそのようなことをしたのかという原因である。私腹を肥すためではなく政治家としての自己実現のための手段だとしたら犯罪の追及の奥にもう一つの問題が浮かんでくる。
接待の実態を暴いても官僚機構の根本的な改革にはならないのと同様、政治家の汚職を追及しても現状の政治の仕組みが変らなければ何も変化はない。問題の根本は、金がかかる現在の政治システム、一般大衆が政治家になり難い参入障壁である。解決法として無駄な政治家を削減し1人当たりの予算を増やすことではないか。一人の政治家が自殺によって示そうとしたこんな問題に対し、議員の反応は鈍い。自分の首を絞めるようなことは決して言わないのであろう。
ホテルパシフィックメリディアンのセラーバーのカウンターで飲みながらそんなことを考えた。
1998.2.20.(FRI)
<今日の一言>
昨日はサーバーの故障でご迷惑をかけました。
寂しい朝
朝メールボックスを開けるとメールが1通も入っていなかった。余りないことなので不思議に思いつつ、最近ちょっと日記の内容が低迷しているから誰もメールをくれなくなったんだとちょっぴり寂しい気持ちで会社に向かった。
ところが師匠から会社に連絡をもらい、どうやらプロバイダーが不調でアクセスできなくなっているらしいということが判明した。
プロバイダーに電話するとサーバーの調子が昨日から少し悪いんですとの返事。どうやらco.jpをne.jpに移行させる作業をしている時に前者の方が上手くつながらなくなったということである。
コート
気温も随分上がりもうコートを着ていると電車の中で暑く感じるようになった。今日は暖かいという天気予報だったのでコートを着ないで出かけた。車内ではこれでちょうどいい感じである。
これから冷房が入り出す季節にかけては電車の内外温度差が私にとっては最大のストレスとなる。しかも雨が降る日が多くなる。憂鬱な気分である。
暑がりで外の風が好きな私は電車に乗ると窓を開けたがる。むかし窓をいつものように開けたところ隣に立っていたおばさんに閉められてしまった経験がある。
丸い顔
最近久しぶりに会った人から顔が丸くなったねと言われた。一人だけではなく複数の人から言われたからには事実である可能性が極めて高い。これはショックである。
体重が増えたとも思えないし、着ている服はサイズがきつくなったとも思わない。体型が変ったとは思っているが、顔の形まで変りはじめたのであろうか。
フレンチパラドックス
に刺激されたわけではないが赤ワインを飲む機会が多い。今週は友人と飲みに行く機会もあり赤ワインを3本も飲んでしまった。
ワインの難しさは飲んでみるまでわからない。必ずしも価格と味が比例しないところが難しい。ほとんどのワインは銘柄名も見たことすらなく、値段で何となく判断して選んでいる。特にレストランではそうである。
価格に釣り合わなくても劣化していなければ文句が言えないのが辛い。逆に言えばそれだけミスプライスが多いと言うことでもある。堀出し物を探し出す蚤の市的な楽しみが楽しみを増すわけである。健康でミステリアスで奥が深い。まったくよくできた飲み物である。
1998.2.19.(THU)
<今日の一言>
本日は会社をお休みさせていただきました。確定申告に行ってきました。
確定申告
会社を休んで確定申告に出かけた。私の住んでいる調布市では市役所に相談コーナーが設けられ書類の書き方を指導してくれたり、提出の代行をしてくれ大変便利である。
確定申告というと年収が多い人がするものというイメージがあるが、実際に行ってみるとお金持ちの人よりマメな人が多いという印象である。医療費の領収書の束を懸命に計算している人が隣にいたりしてその迫力に圧倒される。もちろん私は年収2千万円を超える人ではない。年末調整できない控除を還付してもらう手続きである。
確定申告はもう5年目になるので慣れたものである。しかも還付される金額は支払った金額の20%というのも判っているのでドキドキすることもない。
しかしたった年に1度の手続きでも自分で電卓を叩いて、税金を計算してみるのは意味がある。果たしてサラリーマンの人で自分が何パーセントの税率をかけられているか分かっている人が何人いることであろう。ちなみに私の税率区分は20%であるが控除金額を考慮すれば実質の税率は15%程度であろうか。こんな事さえ普段は意識しないで生活している。
私がやっている寄付金とはフォスターペアレントという発展途上国の子供への援助活動である。別に自分で体を動かしてボランティアするわけでもなく、ただ自分が里親になって金銭的な援助をする真の「援助交際」である。
こんなある意味で自己満足の偽善的なボランティアでも教えられることは多い。ボランティアとは人の為にするのではなく、自分の為にしているのだという言葉が現実味を持って感じられる。
ワイン
ブルータスは前号から三号続けてのワイン特集である。今発売になっているのがカリフォルニア・チリ・オーストラリアといった国の特集である。
ワインは好きだが、ヴィンテージものにうん蓄を傾けるような知識に乏しい私にとって特集されている国の中で特にカリフォルニアワインは面白そうである。
ワイン造りにも国民性があるようだ。アメリカというのはとにかく科学万能主義である。そして公正な評価をすることに喜びを感じるらしい。カリフォルニアには近代設備で科学の粋を集めたワイナリーがたくさん存在している。そしてそれらがフランスワインに競争を挑み評価を受けている。
また西海岸というのは自由な土地である。フランスワインというと慇懃無礼で偉そうというイメージだがカリフォルニアは誰でも受け入れる寛大さがある。ワイナリー巡りをするにしてもフランスでは迷惑がられそうだが、アメリカならオーナーと友達になれそうだ。語学の問題もあるが。
からっとして抜けるような青空の季節にサンフランシスコからコンバーティブルのレンタカーで2週間位かけてゆっくりとワイナリーを巡る。とても楽しそうである。これは今年の夢ということにしよう。
1998.2.18.(WED)
<今日の一言>
花粉症なのか風邪なのか
どうも先週末あたりから体調が優れない。お腹の調子が悪いのでてっきりインフルエンザだと思っていたら喉が痛くて体が熱っぽくなってきた。
毎年2月になるといつしか喉が痛くなり花粉が飛びはじめたことに気が付く。私の場合そんなに症状が重くないので気にならないが、ひどい花粉症の人など春が憂鬱な季節になるのであろう。
健康とは失ってその大切さを認識する、とは良く言ったものである。季節も良くなってきただし、朝のジョギングでも始めようかなどと三日坊主のプランを立てようかと思っている。
1998.2.17.(TUE)
<今日の一言>
スキージャンプ団体。原田の1回目はハラハラでした。
嫌な仕事
誰にでも嫌な仕事というのはある。そんな時私はその仕事を細切れにして好きな仕事の合間に少しずつこなしていくという方法を取る。
言ってみればニンジンが嫌いな子供にニンジンを食べさせるためにすりおろしてカレーに混ぜるのと同じ方法である。美味しいものの間に美味しくないものを挟んでいくわけである。
細切れにすると細切れの時間を有効に使えるという利点もある。電車の中やちょっとした空き時間を使ってそのような仕事が消化されていくのは気持ちのいいものである。
ワードで原稿を書くのも仕事を無意識に細切れにしている。原稿用紙に書くのとは違い、パソコン上では思い付いたキーワードをどんどん書いていく。そして気に入った言葉はさらに書き込みを進め、使えないものは消していく。最後に全体を眺め構成を考えて順序を入れ替えたり書き足しをしたりする。これで仕事は3段階位に細切れにできることになる。
嫌な仕事でなくてもパソコンが普及した現代人の仕事は細分化されている。
1998.2.16.(MON)
<今日の一言>
インフルエンザにやられたようです。消化器系がボロボロ状態になりました。皆様もくれぐれも御用心を。
コーラとMK
九州のコカコーラボトリング会社が缶入り自動販売機のコークを10円値上げして120円にするという。コストを価格に転嫁する値上げである。この値上げは消費者からは支持されないだろう。なぜなら時代に逆行しているからである。
景気が後退し、家計支出が20何年ぶりかの大幅減少になり、インフレがない世の中に100円そこそこのものを10円も値上げする経営判断が理解できない。かつて吉野屋が牛どんを300円から50円値上げしただけで客が急減し倒産に追い込まれたことを思いだす。
一方MKタクシーである。660円の業界標準運賃を600円にしたところ客が15%増えた。そこで従業員の給与を引き上げると言う。
タクシーは空間を運ぶ商売であり価格調整によって乗車率を高める戦略が効を奏したといえる。小売り製造販売業では話は別と反論されるかも知れない。しかしMKには顧客と共に栄えるという発想があり世の中を良く見ている経営者がいる。コーラも安易な値上げなどしないでコスト削減に注力して量の拡大で収益を確保するほうが賢い選択だと思うが。消費者を侮ると痛い目に会う。
堀井の涙
スピードスケート1000メートルが終り堀井選手のインタビューがあった。自分に対する悔しさが滲み出るコメントにまた感情移入してしまった。
オリンピックは4年に一度しかない。日本でやるオリンピックなどもう永遠に無いかもしれない。そんな長野に向けて懸命に努力してきたことが結果として出せなかったのは無念であろう。
新しいスケート靴の登場など不運な面もあった。自分の心の中での不安と周囲の期待の狭間で精神的には焦りを感じたり、きつかったのではないかと思う。インタビューで強気の発言を繰り返していたのもそんな気持ちを振り払うためだったのだと納得した。
オリンピックは人生の縮図である。ラッキーにも金メダルを取る人もいれば、本命と言われながら結局メダルを取れない人もいる。努力が報われるとは限らないし、自分の思う通りにすべては動かないということを悟ったりする。
オリンピック選手を見ていると1つのことに10代20代のすべてを捧げる勇気に感動する。自分には人生を賭けるに価するたった一つのことなど無いし、あったとしても追求し続ける意志の強さも持ち合わせていないからである。
1998.2.15.(SUN)
<今日の一言>
雪の日はラーメンが美味しく感じられます
髪切り
1ヶ月ぶりに髪を切りに行った。昨日は予約で一日中一杯といわれ、今日の夕方7時からの予約にした。
美容室というのは常連率が高いビジネスの一つである。毎回違うところで髪を切る人というのは殆ど見かけない。普通の人は切るお店を決めていてしかも担当者も決めていることが多い。だから予約で一杯と言われても別の店には行かないで次の日まで待つ訳である。スーパーの買い物とは訳が違う。
私の担当の女性は休みの日は15人以上の人にカットやパーマなどをするという。30分刻みで10時から夜の7時まで休みなしだという。タフでなければやっていけない。
火曜日が休みだという彼女にとって日曜日の夕方はホッとする時間のようである。月曜日は平日なのでそんなにお客さんは来ない。そして次の日は休みである。
好きで始めた仕事がいつのまにか辛いものだと感じてしまうのを見ていると、好きな仕事を楽しく続ける環境作りの難しさを感じてしまうのだった。理想と現実とでもいえばいいのでしょうか。
そういえば帰りに昨日の余りだといって、小さなチョコレートを1つ貰った。この店が繁盛しているのが何となくわかる気がした。
1998.2.14.(SAT)
<今日の一言>
神田「江戸っ子寿司」相変わらず繁盛していました。腹一杯で1人3千円です。
ないものねだり
今日はバレンタインデーである。別に意識しているわけではないが、今年はチョコレートゼロである。解約が増えて経費削減しているせいか生保のおばちゃんからもついに貰えない。
私は甘いものが好きではない。だから別にチョコレートも好きではない。かつて何回かもらったことのあるチョコレートも自分で食べることは少なく、殆どは人にあげていた。
人間にはないものねだりという習性がある。欲しくはないが、貰えないと悲しいという矛盾した心理である。ただで貰えたりするものは別に欲しいものではなくても自分だけ貰えなかったりすると寂しかったりするものである。
デパートでバレンタインフェアをやっているのなど見ていると、遠い世界の出来事のように思えてくる。自分はないものなだりなど絶対にしないと言い切れない弱い存在であることを再認識した。
コートールド・コレクション
日本橋高島屋で開催されているコートールド・コレクションを観に行った。印象派芸術の作品が数多く展示されていた。今まで見たこともない珍しいモチーフの絵があったりして個人のコレクションとは思えない充実度である。
日本ではこの手の展覧会が開催されるのはデパートか美術館であることが多い。特にデパートでやるときは開催期間が短いせいもあるが多くの人が鑑賞に詰め掛け会場はラッシュ並みの混雑になったりする。
海外から作品を運び少しでも効率的に展示したいという開催者の意図は十分理解しているつもりだが、作品を見ていて何となく虚しい気持ちになるのはなぜだろう。
美術とはゆったりとした空間で周りの事など気にせず思う存分好きな作品を鑑賞するのが最高である。1つの作品でも近くで見たり、遠くから眺めたり、椅子に座ってボーッとしながら何となく作品の前にいたりと色々な見方がある。
そんな状況では作品そのものを鑑賞するだけではなく作品と展示されているその周囲の雰囲気に存分に浸れるのが最高の贅沢だ。残念ながらデパートの展覧会ではそこまでは無理である。会場は狭いし人は多いし、壁や作品の展示間隔なども貧弱である。
確かに料金を1000円程度に抑えるためには仕方がないのであろう。しかしその一方であんな貧弱な環境でしか美術を鑑賞できない貧しさも悲しい。有名な作品をいくつ見たかを競い合うより、その作品をどんな時に見て自分がどんな気持ちになったかを積み重ねていく方が自分は好きである。ルーブル美術館に行ってモナリザとミロのヴィーナスを足早に見て次の観光スポットに急ぐの変らないメンタリティを会場にいて感じた。穿った見方であろうか。
1998.2.13.(FRI)
<今日の一言>
世のバレンタインデー騒ぎとも無縁の生活になりました。
ダフ屋
スポーツ新聞によれば長野のオリンピック会場に外国人のダフ屋が出現しているという。ヨーロッパの旅行代理店で大量に売れ残ったチケットを国内に持ち込み定価より安い価格で販売している。これに対し、長野県は条令による規制を検討し始めた。
おかしな話である。
ダフ屋を規制する論理は何であろうか。暴力団の資金源になるのを防止する。あるいは金銭トラブルなどを防止する。確かにそういった指摘は当たっているかも知れない。しかしダフ屋を規制するだけでは対処療法でいたちごっこである。それよりもなぜそんな事態になったかをよく考える必要がある。根本的な問題は価格メカニズムを無視したプライシングと需給を無視したチケット配分にあるのではないか。
だとすれば価格と需給ギャップを調整する仕組みが必要なのである。つまり長野県がするべきことはダフ屋を取り締まることではなくダフ屋がやっている経済原理に基づいた行動を側面からサポートすることである。競技を観戦しにやってきた人が堂々とダフ屋からチケットをかえるような場所を作り、安心して買えるようにすることだ。
売れ残ったチケットは値段を下げて販売すればいい。定価以下の販売により前売りの方が値段が高くなっても問題はない。差額はチケットを確保するための保険料である。公団のマンションを高値つかみした人のように差額を返せなどと理不尽なことは言わないであろう。
条令による規制は自分たちが未だ自由主義経済に適応できない化石であることを告白しているようなものである。ダフ屋は観客のニーズがあるから商売が成り立っているのである。その市場の声に応え、少しでも多くの人が気持ち良く観戦できるような方法を考えるのがせっかく長野まで応援に来てくれた人に対する開催者の礼儀である。
禁煙割引
の生命保険を第百生命とアリコジャパンが発売する。とにかく煙草大嫌いの私としてはこのような記事には拍手喝采を送りたくなる。生保に限らず非喫煙者に対して何でも割り引いて欲しいというのは禁煙者のエゴであろうか。
例えば電車ホームの喫煙所の維持コストは喫煙者が負担すべきである。道端に落ちているごみだって殆どがたばこの吸いがらである。火事の原因だってたばこの火の不始末は上位である。たばこ税は国鉄の債務返済などに使わず、消防車購入や道の掃除費用にあてて欲しいものである。
自動車保険もそうだったが、余りに事故率が違うグループに同じ料金体系を適用するのは不公平である。ただ当然分類するためにはコストがかかる。たばこを本当に吸わないかは検査しなければわからないし、保険に加入してからこっそり吸っている人をどうやって見つけるのかといった問題はある。
煙草に関しては食事中でなければ同席者が煙草を吸うのは我慢できるようになった。ただ歩きながら煙草を吸っている人とすれ違うのと自分の部屋で吸われること、そして寿司屋のカウンターの隣席で吸われるのだけはどうしても我慢できない。
1998.2.12.(THU)
<今日の一言>
何時間寝ても眠いので困っています。春眠暁を覚えず、春が近いと言うことでしょうか。
ようやく6カ月
新しい会社で働き始めて15日で丁度半年である。入社した頃は夏バテしていたことを思えば随分月日が経つのは早いものである。私が入社してからも何人かの人が入社したし、何人かの人は辞めていった。11年間で90人いた同期が4人しか辞めなかった前の会社から見れば半年で1割近くの人が入れ替わるのは出入りの激しい会社である。
さすが外資系と言ってしまえばそれまでだ。しかしよく考えるとこの方が普通のことなのだと思うようになった。自分に合わない仕事なら無理して続けずにもっといいものを探す。洋服やレストランを選ぶ時なら当たり前の行動も仕事になると同じようにはいかなかった。
日系企業が男性社会とすれば、外資系は中性社会である。しなやかな軽さがある。そして前者がデパートだとすれば後者はカテゴリーキラーであろうか。品揃えに気を取られ凡庸になるよりどこかに強みを持つことに価値を見出す。何度も言っているように外資系の強みは意思決定の明確さと人事ローテションを行わないことによるスペシャリストの養成である。弱点は英語によるコミュニケイションとローテーションがないことによる人事評価の限界である。
当面はこのエキサイティングな環境での仕事を楽しめればと思っている。心の片隅に運命も自己責任、明日は我が身、という2つの言葉を刻みながら。
1998.2.11.(WED)
<今日の一言>
オリンピックも興味がないといいながら結構見ています。
興銀
1986年に社会人になった私にとって就職活動において日本興業銀行というのは選択肢の1つとなる会社であった。ゼミの先輩や何人かのリクルーターの方にお会いして話をさせていただくと、人格・能力の点で申し分の無い方ばかりが出てきてすごい会社だなと思った。最終的に社風の面とやりたい仕事と違うということで信託銀行を就職先に選んだ。その時、自分の入った会社が10年後に日本興業銀行と肩を並べるようなビジネスを展開しているに違いないとライバル意識を持って入社したのを鮮明に覚えている。
その後も多くの興銀マンとお付き合いさせて頂いているが、さすが「人材の宝庫」といわれる銀行である。所謂切れ者が多い会社である。
日本興業銀行の元常務が逮捕されたと聞いて最初に思ったのは、あれほど優秀な集団から選ばれた人が証券部で大蔵官僚の接待や出張のスケジュールなんかの設定に力を尽くしていたという意外性のギャップである。
贈賄自体云々という話より、それほど優秀な人にそんな程度の仕事に力を尽くさせてしまうのが不思議である。またそういった行動に何千万円もの給料を支払っていられる銀行の収益構造も外から見ると理解できないであろう。
もちろん他にも能力を生かした仕事をされていたのかもしれないが、少なくとも「シャビー」だといわれない接待の店の選定など部長のやることではない。当然自分でもあほらしいと思いながらやっていたのであろうが。
人材の宝庫とは別の見方をすれば人材の墓場でもある。戦後日本経済を牽引してきたリーディングインダストリーには優秀な人材が多数眠っている。繊維、鉄鋼、肥料、といったかつての花形産業に勤務している優秀な人材をコンピュータ、通信、ゲームといった未来産業に生かす必要がある。企業が時代の変化についていけない以上人材の流動化を進めるしかない。
同様のことが金融業にも必要だと思った次第である。
1998.2.10.(TUE)
<今日の一言>
同期のアシスタントの女性が寿退職することになりました。入社半年、人の動きは速いものです。
金メダル
テレビも新聞もこの話題で持ちきりである。スケートで日本人初の金メダル。2日目の清水選手の滑りを見ているとなぜか涙腺が緩んだ。この気持ちは自分でも説明ができない不思議な感覚だった。
ナショナリズムの高揚だろうか。自分が日本人としての一体感を感じて(急に感じたとしたら都合が良すぎるが)感動してしまったのだろうか。それとも一生懸命に努力して全力を出し切った充実感に対する共感だろうか。ゴールした瞬間実力を出し切ったという爽快な達成感を共有して味わうことができたのは事実である。
ワイドショー的な母子物語というストーリーに乗せられたというのもあるかもしれない。苦労して育てた息子がそれに努力して恩返しをする。家族関係が崩壊しているといわれる日本で最近聞かなくなった良い話である。
まあなんだかんだ理屈をいっても、要するに気持ちが良ければ素直に喜べばいいのである。
1000メートルでは今度は堀井学選手に実力を発揮してもらいたい。
ノーローン
低金利が続くとそれを上手く生かした商売が現われるものである。シンキという会社がノーローンという消費者金融商品で急成長している。お金を借りたとき最初の1週間は金利・手数料が一切掛からないというローンである。
低金利で資金調達できるようになって、最初の1週間金利をゼロにしても逆ザヤがそれほど大きくなくなった。それよりも顧客層を広げる販売促進費として割り切ってこんな商品を作ったのであろう。
消費者の立場からはこの商品を使えば、お金儲けをすることができる。ノーローンでお金を借りて、証券会社の円MMFを買うのである。円MMFは年利1%位にはなっているから、1週間だけノーローンでお金を借りてMMFで運用する。50万円借りたとして50万円X1%X7/365として100円程が手元に残る(税引き前)。
最高いくらまで借りられるのかは知らないが、実際にこんな面倒なことをする人は余りいないであろう。
1998.2.9.(MON)
<今日の一言>
スキーの疲労感がまだ残っています。
通勤時間
適度な通勤時間と言うのがあるような気がする。通勤時間は短ければいいというものではない。朝なら日経新聞が一通り読めるくらいの時間がちょうど良いと思っている。時間にして20分から30分位であろうか。
帰りは早く帰りたいこともあるからもう少し短いほうがいい。15分くらいなら気持ち良く家に帰ることができる。それにそのくらいの距離であれば深夜にタクシーで帰ってもそんなに負担にならない。
毎日電車に乗るということは意外に情報を得るために大切なことである。女性週刊誌の見出しを見れば芸能界のことはほぼわかるし、隣のおじさんの夕刊フジをのぞき込めば大蔵省不祥事からクリントンの下半身まで情報が入る。こういった金を出してまでは必要ないが知っていて面白い情報は皆電車の中で仕入れている。
通勤は電車の乗っている時間より車内環境のほうが重要である。ゆったりとした電車なら少々の時間は来にならない。混んでいる電車に乗るより早起きの方が好きな私にとって寿司詰めの電車は例え10分でも耐えられない。
1998.2.7.(SAT)
<今日の一言>
何かと話題のノー○ンしゃぶしゃぶですが、自腹で行った人まで接待で行った人と同列に扱われるのは不公平のように思います。もちろん私は自腹では行ったことはありません。
人権
人権とはどこまで保護されるべきか。少年のバタフライナイフ事件や新宿のホームレス火災事件でこのことを真剣に議論する必要があるのではないかと思った。
中学の教師がバタフライナイフで生徒に殺されてから、中学校で持ち物検査をしようとしたら、子供の人権保護の観点から望ましくないのではないかという意見が出ているという。また新宿のホームレスは新都心の歩道を建設するときに一旦自治体の用意した施設に収容しようとして行政側とトラブルになった。その時もホームレスの人権保護というのが論点となったように思う。
人権の保護をすべきなのは義務を果たしている人に対してだけにすべきだ、というのが私の主張である。子供の人格を尊重した学校生活、ホームレスの人と共存できる街つくり、というのは理想論としては正しいが、現実は別である。学校の先生は恐怖に脅えながら教壇に立っている。ホームレスの人によって商売に不利益を受けている人もいる。今回の火災にしてももし日中発生していたら一般人も巻き添えになっていたかもしれない。学校や社会の根本的な改革という長期の目標を短期的な対応と混同してはならない。長期戦略と短期戦術を混同しては今の政府の経済政策と同じ過ちを犯す。
人権保護の行き過ぎは資本主義経済の行き過ぎ同様、社会にとってマイナスの効果の方が大きいと思う。社会とは真面目に努力している人が最低限の生命の安心を得られるような仕組みになっていなければならない。子供たちの人権も大切だが、教師の人権も考えなければ不公平である。社会的弱者の過保護は逆差別をもたらす危険性をはらんでいる。
中学校の持ち物検査は当分の間行うべきであるし、公道を不法占拠し周囲の通行を妨げ、火災の危険のあるホームレスの住居は撤去すべきである。
ただ残念ながら私自身、教師の経験もホームレスの経験もない。現場を知らない人間が不確かな情報で意見を書くことの危険性は認識している。こうした主張にご意見・誤りのご指摘等、是非教えていただければと思っている。
1998.2.6.(FRI)
<今日の一言>
ファミリーマート、東邦生命、世の中変らないようで毎日変わっていくものです。
携帯電話
携帯を購入してもう2週間になろうとしている。当初イメージしていた使い方とは今のところ大きく乖離した状況が続いている。
まず誰からも電話は掛かってこない。番号を知っているが少ないから当たり前なのだが、街を歩いていていきなり携帯が鳴る。嬉しいような迷惑なような顔をしながら、「もしもし」と歩きながら会話をする、、、という状況は未だ一度もない。
こちらからかけることもない。不動産屋さんには直接来て下さいと言われるし、携帯に短縮ダイヤルを設定していなければ公衆電話でかける方が楽である。受話器も聞きやすいし路でかけているより落ち着く。
要するにまだ機能を完全に使いこなせていないのである。録音機能や短縮ダイヤルなどを使って便利なことがわかれば加速度的に使いはじめるのであろうが、まだその域には達していない。
新しい家電製品を買った時、取り敢えず触って使ってみるのが日本人、マニュアルを丁寧に読んで使いはじめるのがドイツ人らしい。(ホントかどうか怪しいが)とすると今の私は典型的日本人である。携帯電話はマニュアルなしで使うには複雑すぎる。
二極化
二局化といえばすぐにSONY1人勝ちといったビッグビジネスで起こっている現象をイメージするかもしれないが、もっと身近なところでも同じ傾向はある。
会社の近くに和食屋が2軒並んでいる。どちらも昼時は定食を提供している。しかし片方の店は11時半過ぎにはお客さんで狭い店は一杯である。片やもう一軒は12時過ぎてもカウンターに数人の客しか居ない。
その違いはちょっとした味の差であると思う。繁盛店は洗練された材料でいつ食べても安定した味である。もう一軒の方は一度しか行っていないので断定できないが、確かに美味しいのではあるが何か物足りないものがある。
このようなちょっとした差(といっても飲食店で味がイマイチというのは致命的だが)が極端な結果を招く。こんな状況を最近色々な場面で目にするようになった。不景気だと言っても混んでいる店は予約で入れないことが多い。いつも行っている安くて美味しい店は最近特に予約を取りにくくなった。一方でお客がまったく入っていない店も結構ある。
不動産も空いている部屋は1年以上空いているものまであるという。その一方で空室待ちになっている物件もある。変な間取りだったり、駅から遠いワンルームといった半端物件は値段を極端に下げないと借り手は現われない。
そこそこのモノを作ればそこそこ売れた時代とは違い、中途半端なものには価値が無くなりつつある。二極化の時代とは「非線形のカオス的な世界」である。つまり足して2で割る妥協調和型の意思決定は通用しない。「取り敢えず」「あいだを取って」「そこを何とか」「今は我慢して」「みんなで」「じっくり」「検討していく」ようなやり方で物事を決めると大変なことになる。
1998.2.5.(THU)
<今日の一言>
「ピチピチしゃぶしゃぶ、ランランラン」アエラを買うのは電車の吊り広告が笑えるときだけにしている。
価値観の変化(2)
1945年の敗戦の時に今までの価値観がすべて崩れた。それから50年、ようやくそれに類似した第2の変化の時が来ているのではないかと思う。
今までそれなりの尊敬を受けてきたと思われる仕事の信用がことごとく崩れている。官僚・警察官・銀行員といった堅いといわれた仕事である。そして例えば銀行においてもエリートコースとされていた企画・人事・総務・業務といった本社ビルの上の階にある奥の院と言われるようなポジションの相対的価値が低下し、亜流と言われていたシステム開発や証券関連ビジネスに脚光が当たっている。Y証券の再就職でも売れっ子はシステム、運用、証券事務といった人たちである。証券において花形とされた日本株式の売買業務担当者など売れにくい。人事や総務の人など絶望的であろう。社内ヒエラルキーが市場に出て逆転した。
要するにここ1年で起こっている急速な変化は、何とか守ってきた既得権益が崩壊する過程なのである。共産主義諸国に遅れること約10年。ようやく日本も同じ道を歩み始めた。
いずれにせよこのような時代では「今までどうだった」という前例主義より、「自分はこう考える」という自己責任を大切にしないと方向を間違える。どこまでリスクをとればいいかも自分で判断し、その結果には後悔しないような潔い生き方でもしないと精神的にやっていけない。
1998.2.4.(WED)
<今日の一言>
昨日はプロバイダーのサーバーの交換に伴うトラブルで日記更新できませんでした。まさに「コンピューター、ネットが無ければ只の箱」
価値観の変化
日本人は価値観の変化に揺れている。今まで日本人の美徳と言われてきたことや長い間に培われた慣習が否定されようとしている。
たとえばY証券である。昨年11月に経営破綻してから支店にいる多くの社員は解約する顧客の対応に必死で取り組んだという。その一方で仕事は最小限に抑え再就職活動に汗をかき、抜け目なく新しい仕事を見つけた人もいるらしい。果たしてどちらが正しい選択なのだろうか。
もちろん最後まで顧客対応に従事し職務を全うした人は尊敬に値するし、称賛される。しかし一方で家族や住宅ローンを抱え仕事を続けなければならないという立場からすれば会社の破綻処理に全精力を注ぎこんでいていいのかという疑問もある。必要最小限の仕事をしていれば、仕事時間外に何をしても何ら非難されるものではない。
労働を自分の時間と能力の切り売りと考える欧米的な発送は労働をそれ自体に価値を見いだそうとする日本的思考と対立する。そして会社を社会と見る伝統的日本企業の価値観からは抜け駆けして新しい仕事を探すと言うのは一種の裏切り行為である。
しかしそのことを感情的に批判することは出来ても、仕事を仕事としてやっていればそれ以外の時間に何をしようと勝手という論理には反駁できない。自分が同じ立場になったらどういう行動をとるのであろうか。抜け駆け派だと思っているがその時になってみないと自信がない。
1998.2.3.(TUE)
団塊ジュニア
日経新聞に団塊ジュニアのライフスタイルが紹介されていた(1月31日付)。今の20代後半世代にあたる彼らはバブルに無縁で堅実なライフスタイルをもとからしている世代だという。30代になった我々バブル経験世代とは少し違うのある。
カップルも友達感覚でいつも一緒に行動するという。服まで一緒に買いに行くので、ユニセックスのブランドが作られるまでになった。仕事でキャリアを目指すより家族の関係を大切にする。自分の好きな生き方を進める人達である。
このような行動様式はやはり私の世代(バブル世代)とは価値観に大きな違いがある。バブル世代は男女問わずキャリア思考が強い。家庭より仕事というわけではないが、仕事の面白さにも価値を見いだしている。それは出世とかサラリーマン根性からくるものではなく、自己実現の1つの手段として、である。
またカップルがいつも2人で過ごすような内向きの人間関係ではない。DINKSであればお互いの人間関係を尊重しており、休みの日までべったり、といった関係にはなりにくい。
彼らの行動が理解できないということは世代が完全にずれている訳である。
1998.2.2.(MON)
<今日の一言>
名古屋のサッカー選手で4千万円台の会社の年俸提示に対し、自ら1千万円でいいと言った人がいる。訳のわからない理由が書いてあったが理解に苦しむ話である。
毎日骨太
毎日骨太という乳飲料がある。パッケージは牛乳のようで牛乳売り場の最前列に並べて売っている。カルシウムが入っていて健康にいいミルクだと思って愛用していた。
しかし最近少し不思議に思うことがある。果たしてこれは牛乳なのだろうかという疑問である。成分表示をみると牛乳とは書いていない。乳・乳製品とカルシウムが主成分のようである。とすればこれは単純に言うと粉ミルクにカルシウムを混ぜた飲み物なのだろうか。飲む前によく振ってくださいと書いてあるのも不思議である。
コーヒーに入れるクリームポーションも植物脂肪で作ったものが多いようだ。
ネギトロもマグロにサラダ油を混ぜている偽物が結構あるという。これは明らかに不当表示である。
牛乳とは表示していないものの骨太を買っている人はパッケージデザインと売っている場所を見て牛乳だと思っている。別に嘘はついていないのだが何となく腑に落ちない話である。
1998.2.1.(SUN)
不完全情報
不動産物件を探しに歩きはじめた。「ふぉれんと」で不動産仲介業者を探し、直接行って物件を紹介してもらい、気に入ったものは実物を見せてもらう。
インターネットやファックス、携帯電話といった通信技術が進歩したことにより不動産業界も随分近代化したようだ。サービスが思った以上に良くなっている。更に地価下落や供給過剰気味の賃貸市場になり、貸し手の立場が相対的に弱くなったことも借り手にとって有利になっている。そして「ふぉれんと」をはじめとする情報誌の激しい競争も情報提供効果をもたらし価格の透明性を高める。
しかしそういったマクロの話とは別にミクロの個別物件のレベルでは昔とは余り変らない営業が行われている。電話で資料を送ってもらっても良い物件には出会えない。ましてや情報誌に載っているような物件は、「出がらし」であり本当に割安な良い物件は掲載前に成約するケースが殆どである。中には予約で空きを待っている物件もあるという。
考えてみれば当たり前の話であるが、良い物件を見つけたければ物件が豊富に集まる業者に頻繁にコンタクトを取り良い物件を気長に待つのが一番である。そのためには担当者との良好なコミュニケイションが必要である。
また不動産は個別性の強い商品であり、間取り図を見るだけでは判断できない。周囲の環境、部屋の雰囲気、建物の造りなどは実際に見てみないと判らない。家にいて電話とファックスで決められるような通販商品とは違うのである。
結局インターネットでお部屋探しなどといってもマクロの相場情報や業者の連絡先など入口で役には立つだけである。個別の良い物件に出会う為には、マメに体を動かすことが一番大切なのである。不完全情報のマーケットにおいては市場の歪みが頻繁に発生する。そのチャンスを見つける方法はハイテク機器ではなく意外に泥臭いものである。
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