SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1998年3月

 

1998.3.31.(TUE)
<今日の一言>

携帯電話

古い人間なのか電車の中で携帯電話はやっぱりできない。かかってきても嫌なので電源を切っていることが多い。ただ誰かから連絡が来ると判っている時は電源をONにしておく。こんな時、電話が鳴ると車内では話せないので慌てて次の駅で降りてこちらから掛け直す。私にとっては便利なようで不便な機械である。
携帯を車内でも心置きなく使える車両を作るべきだと書いたら、ばぶさんから

携帯電話の話を読みました。ご参考に最近のテクノロジーをご紹介します。

これは劇場などで導入が検討されているのですが、携帯電話の周波数にあわせて妨害電波を発信して特定の範囲で携帯電話が利用できないようにしてしまうという装置です。

これを携帯利用不可とした車両には設置すれば良いのです。まあ具体的なスペックはよくわかりませんので可能・不可能の車両の一部で交じり合ってしまう可能性もありますが。それでもこういうものを導入して強制的に利用不可能にすればよいのではないでしょうか?

とメール頂いた。

これはテレビでも紹介されていた圏外君という商品である。6万円位の装置でスイッチを入れると周囲の携帯が圏外表示になってしまうという優れものである。これを携帯は周囲の方のご迷惑になりますのでご遠慮下さいと迷惑な車内アナウンスをしている電鉄会社は早く導入すればいい。

もちろん携帯可能車両と不可能車両に半分づつ分けてである。人の嗜好が多様化した社会では利害の衝突による不利益を避けるためには分離という手法しかない。

花見

朝20分早起きして少し家を早く出て、千鳥ヶ淵の桜を見に行った。数年前市ヶ谷に住み大手町に通っていた頃、家から桜を見ながら会社まで歩いて行ったことを思い出しながら九段下駅からフェアモントホテルの付近まで20分ほどの散歩である。

桜はまだ満開とはいかなかったが、ポカポカと暖かい気候の中桜の花を見ながら歩くのは精神衛生上非常に良い。日本人はなぜ桜が好きか、と良く話題になるが、いい気候の時に咲くきれいな花だからというのが理由だろう。桜が真冬に咲いたならこんなに人気は出ないだろう。

日記

ワゴンさんが大磯小磯を再開されたようである。ここ最近はパスワード方式でオープンにしていなかったが、今回は宣伝もせず静かに再開となった。2週間程は更新を中断されていたがこれは内容が面白くないからだという。

私の場合、とにかく毎日続けることを目標にしている。苦痛という訳ではないが、寝坊した日や、本当に書くことがない日や止めたくなった日も無いわけではない。しかしクオリティはともかく約1年半毎日書き続けることができた。最近再びスランプに陥っている。後から読んでも面白くない駄文が毎日続いている。書く量も随分減ったように思う。私にとっては日記の長さが健康のバロメーターである。

ということは今日は随分調子がいい、ということだろうか。

 

1998.3.30.(MON)
<今日の一言>

天気のいい一日でした。

通知表

中学校の頃、学期が終るごとに先生から通知表をもらった。中間テストや期末テストがあってテストの点数で成績が決まるようになってたが、所謂平常点というテスト以外の学習態度や授業中の出来も評価された。テストだけの評価では一発勝負で真の実力を必ずしも示さないからである。

政府がやろうとしている期末株価の上昇対策(PLO)はまさに期末テストに向けての一夜漬けと同じである。しかもテストの前日に徹夜してカンニングペーパーを作っているようなものであろう。

なぜ普段から日本経済のファンダメンタルズという平常点を良くしようと努力しないのであろうか。努力しようとは思っていたがどうしたらいいのか判らなかったのかもしれない。だからといって成績を上げるために何をしても良いというものではない。

政府が生徒だとすれば、マーケットが先生である。この先生は平常点を重視するのである。テスト前の一夜漬けは通用しない。

 

1998.3.29.(SUN)
<今日の一言>

経済対策

サンデープロジェクトに宮沢元首相が出演していた。自民党が発表した総額16兆円を超える過去最大の経済対策はその中身はこれから詰めるというお粗末さながら、真水で約5兆円程度になるようである。そして今後財政構造改革法の見直しを行い、3〜4兆円程度の減税を行う方向にもっていくようである。

果たしてこれでいいのであろうか。道路等を中心とした公共工事をやるということは確かに地方の建設雇用を支えるというてこ入れ効果はあるが、必要もない投資をして将来に維持コストという負の遺産まで残してしまう。

減税にしても所得税の減税は消費に対しどれだけの効果があるのであろうか。お金を返してもらっても、将来の雇用も年金も不安で、しかもモノの値段は将来の方が安いなら低金利でも誰も消費などしない。実際前回の特別減税で何か消費行動が変化があった人がいただろうか。

消費を回復させたいなら、第一にモノの値段が上昇すること、つまりインフレにならなければいけない。そして欲しいものがなければモノを買わない。買いたいモノが出てくる為には規制の緩和で新しい商品が作りやすい環境を整備する。

そして究極は住宅をもっと広くすることである。広い家になれば皆買いたいモノがたくさんある。建ぺい率、容積率の緩和だけではなく、土地の非効率活用にペナルティを課す位の意気込みで低廉で良質な住宅を作るインセンティブを与えるべきである。マンションの建設反対運動のような個人の利害を守るのではなく、土地を社会の公共資本として位置づける政策こそ根本の消費回復の鍵である。

 

1998.3.28.(SAT)
<今日の一言>

外に出るのが楽しい季節になりました

AMUSE

赤ワイン好き、蕎麦好きの私にとって今週号のAMUSEはたまらない。ワインと蕎麦の特集である。

ワインを買えるお店の紹介には知っている店もあったが、今まで知らなかった都心にある会社帰りに買って帰れるような店も何軒か紹介されている。そもそもワインとはうんちくを傾けるのもたまにはいいが、本来は美味しいと思うものを素直に飲めばいい、という当たり前の主張に大きくうなずけるのだった。やっぱり安くて美味しいのが一番である。

蕎麦の方は美味しそうな蕎麦を出す店がたくさん紹介されている。こちらもまつや、田中屋といった超有名店から、傘亭、安藤といった隠れた名店までずらり。見ているだけで蕎麦が食べたくなり、夕食は家の近くの「いしもり」でとろろそばの大盛りを食べてしまった。

AMUSEは銀座にある出版社の出しているいい加減な女性向けリージョナル情報誌と違いきちんと取材をしている。納得した店を厳選して掲載しているようで、行ってみてがっかりということは余り無さそうである。情報誌が氾濫している中、こういった真摯な取材姿勢を続けることが固定読者を掴むツボではないだろうか。掲載してある店の数を競うのは意味のあることではない。

 

1998.3.27.(FRI)
<今日の一言>

春になると何かを始めたくなります。天気で人間の性格なんて簡単に変わるものなのです。

豆腐

こういうのをマイブームというらしいが、最近豆腐に凝っている。会社の近くに「あたご家」という豆腐料理の店がある。お昼の定食は千2百円とちょっと高めではあるが豆腐のコロッケ、冷奴、焼き魚、ご飯、おから、味噌汁、デザートまで付いている。体が疲れている時ここでお昼を食べると元気が湧いてくる。

もう一つは「笹乃雪」(3873−1145)。台東区根岸をいう下町に300年以上も続く老舗である。はとバスのコースにも入っているらしいが、予約なしで行っても入ることができる。鶯谷という何となくいかがわしい駅から歩いて3分ほど。下足番のおじさんが玄関で出迎えてくれ靴を脱いで廊下を歩く。部屋は畳の大部屋であるが、ゆったりとした気分に浸ることができる。豆腐は8種類。更に豆腐のワインという変わり種まである。料金も良心的でどこかの老舗のような名前負けしているようなところがない。夜9時になるとラストオーダーになるので注意。

 

1998.3.26.(THU)
<今日の一言>

喫茶「石」に行ってきました。昔ながらの落ち着いたお店。次は「男寿司」です。

ポケベル並みの面白さ

金融機関に勤務している人ならお馴染みであるが、ブルームバーグという金融情報の端末がある。為替や金利、株価などを表示したり、債券の価格の計算や利子の金額を計算するには欠かせない機械である。この端末のもう一つの威力はメッセージ機能にある。

ブルームバーグの端末同士では従来からメッセージのやり取りができたが、最近はインターネットとも情報をやりとりできるようになった。ただし日本語変換の効率が悪いのでローマ字で入力することが多い。

ローマ字で入力すると読み難いようだが、これが結構面白い。例えば「今日も一日よろしくお願いいたします」が「kyoumo ichinichi yoroshiku onegai itashimasu」といった具合になる。この不便さが逆に通信の面白さを増幅しているようである。ポケベルで暗号を使ってメッセージをやり取りしていた一昔前の高校生の気持ちが想像できる。

 

1998.3.25.(WED)
<今日の一言>

眠りが浅く、春眠暁を覚えず、状態が続いています。

はんこ

仕事にはんこを使わなくなって半年以上経った。最初はかなり違和感があったが、最近でははんこの方に違和感を覚えるようになった。サインの方が圧倒的に便利である。

銀行の引き落とし口座を変更しようと思い変更依頼書を取りよせて作成しているとき、昔使っていた印鑑を紛失していることに気が付いた。新しい印鑑を登録しようとすると、紛失届け、新しい印鑑への変更、など書類手続きが待っている。

銀行の預金通帳は普通、印鑑を使ってお金を引き出すことはない。カードと暗証番号で出し入れをすることがほとんどである。実際私の印鑑も5年以上使っていなかった。今回の変更という事態で初めて必要になった訳である。

印鑑無くしておいて勝手なことをいうな、と言われるのを承知で書けば、この印鑑主義ともいえる旧態然とした制度はサインでも可能というように弾力化できないものだろうか。クレジットカードはサインで使える。銀行預金だけなぜ、という疑問が残るのである。

永遠(2)

自分がいつ死ぬかもしどこかに書いてあるとしたら、それを見に行くだろうか。と書いたら、

「何時死ぬかは見に行く。だってもし一ヶ月後に死ぬ運命だったら、死ぬ時に絶対後悔する。やらなくて後悔するなら、やって後悔した方が納得できる。

でも人生が全て書かれた本だったら絶対見ない。たとえあと60年生きるとしても、わかりきった人生じゃつまらない。」

というメールを頂いた。

確かにこの考えの方が私も賛成できる。根底にあるのは悔いのない人生を、自分で一生懸命考えて切り開いていくという姿勢であろうか。決められた人生であれば、例え物質的に恵まれていてもつまらない。別に何か特定の目的があるわけではないが、毎日を有意義に過ごすためには、いつ死ぬか知る方がいいのかもしれない。

とはいっても実際に知ってしまったらどんな気分になるのだろうか。1月後に死ぬと宣告されたら自分がどんな行動を取るのか興味はある。

 

1998.3.24.(TUE)
<今日の一言>

浜松町に「石」という喫茶店を見つけました。やっぱり変な街です。

永遠

自分がいつ死ぬかもしどこかに書いてあるとしたら、それを見に行くだろうか。見てしまえば自分の将来が確定してしまう。人生が永遠ではなくいつかは終わるものだと知る。見なければ相変わらずの生活を続けられる。でもそれは誤魔化しているにすぎない。

人の寿命がわかったら悪いことばかりでもない。残りの人生をどうするべきなのか考えて行動することができる。やりたいことをやり残したりしないで悔いの無い人生を送ることができるのである。

人生に明確な目的のあるひとはきっと自分がいつまで生きられるか知りたいであろう。作家であれば原稿の執筆スケジュールを考えるだろうし、研究者なら何を研究すべきか優先順位をつけることができる。

私は知りたいとは思わない。明確な目的がないということもあるが何より人生は決まっているよりサプライズがあったほうが楽しいと思っているからである。

 

1998.3.23.(MON)
<今日の一言>

勤務先の会社が昨日のNHKの朝のニュースに紹介されていたようです。

日本のシナリオ

独立系シンクタンクの中前国際経済研究所が作った日本のシナリオをHPで見ることができる。

この中ではシナリオ1の若者の海外流出に可能性を感じた。今後語学の壁が更に低くなれば、国を選ぶ若者が増えていくことであろう。その時日本が日本に生まれた若者に選ばれるような魅力のある国でありえるだろうか。年金制度の破綻、財政の悪化、依然残る地方利益優先構造、結果の平等といった問題は根本的に解決されるとは考え難い。能力ある若者を評価する社会にならなければ、企業同様国は活力を失う。

日本には莫大な個人金融資産がある。しかしこのお金をどこに持っていくかは個人の資産家が決めることである。日本の衰退が明らかになり円の魅力が薄れれば資産は外貨へとシフトする。誰も日本の国債を買わなくなる。株だって今の水準では留まらないだろう。1200兆円と言われる個人金融資産の持ち主は日本国ではなく日本人であることは不気味である。

日本企業の技術力がきっと日本を復活させる。本当だろうか。一部の愛国的経営者は別として、グローバルに競争力のある企業を経営する人なら、最も優秀で賃金の安い地域で生産を行う体制を作るであろう。日本企業にいくら競争力があっても、日本の労働力に競争力が無ければ海外生産シフトになり、雇用は減少する。ロバートライシュの言うとおり、ホンダのアメリカ工場で雇用の恩恵を受けるのは日本人ではなくアメリカ人である。日本企業の幸せイコール日本人の幸せでは必ずしもない。

ジャパンプレミアムも縮小し、金融システム不安も遠のいたように見える。しかし本質的な改革がなされないまま先送りという体質は一向に変わっていない。不気味なエネルギーが更に蓄積された。シナリオ2を望みながらシナリオ1に備えるしかないのであろうか。

「男寿司」とは

日比谷から御成門に向かう道沿いに「男寿司」(「おとこ寿司」かもしれない)という寿司屋がある。

まず名前が奇妙である。何と言うかちょっとホモっぽい名前である。そして看板も外から見る限り寿司屋というより風俗店にありがちなレインボーカラーの色彩である。タクシーから眺めると非常に目立つ看板である。

友達と飲みに行く時でも『じゃあ「男寿司」に7時ね』などと言うのは何となく恥ずかしい。

山本譲二風の板前さんがふんどし姿で握っている寿司屋、などということはないと思うが。私にはそっちの興味は全く無いが、どんな店なのかは一度話の種に見てみたいものである。

 

1998.3.22.(SUN)
<今日の一言>

私の周りには3月生まれが多いのですが、22日は弟の誕生日です。

時雨茶屋

久しぶりに深大寺にお昼を食べに行った。小雨が降りそうな曇り空で寒かったが、そばというのは一旦無性に食べたくなるとそれくらいの障害はものともしない。

今回は久しぶりに時雨茶屋という行ったことの無い店に入ってみた。深大寺の正門の横にある山小屋風の鄙びた店である。隣が由緒ある、しかも最近改装した嶋田屋ということもあり、その素朴な建物が一層際立ってみえる。

いつもの通り、とろろそばと野草の天ぷらそしてビールを注文する。客は他には誰もいない。外でビールを飲むには少し寒い天候である。お彼岸なので人が多いかと思ったが、日曜日にしては人気が少ない。

野草の天ぷらはのびる、菊の花、たんぽぽ、といった珍しいものがでてきた。どこで採ってきたのか知らないが、たんぽぽの天ぷらなど初めての経験である。別に癖も無く普通の野菜の天ぷらのような味だった。

そばは太目で麺の味はよかった。ただつゆがとにかく塩辛い。関東風という辛さを通り越した塩分である。つけそばだからこの程度でも何とかしのげるが、工夫の余地あり。そば湯をもらってつゆを薄めると昆布だしの香りがした。太目のそばに合わせるユニークなつゆといえばそれまでだが。

お店のサービスは大変よく、いつも空いているのでゆっくりくつろぐことができる。帰り道小雨がぱらついてきて、体が一層冷え込んだ。こんな時でもせめて心くらいは温かくしたいものである。

 

1998.3.21.(SAT)
<今日の一言>

安くておいしい赤ワイン、どなたか知りませんか?

おせっかい

京王線は運賃値下げ、株主配当重視、など革新的な経営を行っている。地域独占の会社とは思えない気合の入り方である。その気合が入り過ぎたせいか、最近の車内放送はおせっかいの嵐である。

長い椅子は7人で座って下さいから始まり、座っている人は迷惑にならないように足を引いて座って下さいとアナウンス。更に通勤時間中の新聞は2つに折って読んでください、携帯電話は使わないで、降りる時は前から順序良く、リュックは前に抱えて、蒸し暑いところは窓を開けて、ウォークマンのボリュームは抑えて、、、と次から次ぎへの放送が続く。

会社としてはサービスの一環としてやっているのだろうが、何だか乗客が何も考えていないと思われているようで不愉快である。しかもとにかくいつも喋っているのでうるさい。

近頃の乗客のマナーが悪くなったとでも言うのだろうか。それとも無関心な人が増えて誰も他人に注意をしなくなったのでこんな放送を開始したのであろうか。理由はともあれ個人的には静かな電車に乗りたいと思っている。

アパルトヘイト

南アフリカのアパルトヘイトは悪名高き人種差別政策であった。人を人種で差別するのは許されないことであるが、人を好みや嗜好の違いで区別するのは必要である。

車内で携帯電話を使用しないで下さい、とはJRでもどこの電車でもアナウンスしている。しかし電車に乗っていると必ずといっていいほど誰かの携帯が鳴り出し、通話を始める。そして誰も注意などしない。皆人が携帯を使っているのは不愉快だけど、自分はかかってきたら話したいのである。結局真面目にルールを守っている人が損をしている。

だとすれば新幹線に禁煙と喫煙があるように、電車に携帯可能と携帯不可能を作ればいいのではないか。携帯可能車両は電話しほうだいで緊急連絡を待っている人や誰かと携帯で話したい人。携帯不可能車両は車内が通話圏外になるようにして、使えなくする。

これで皆がハッピーになれると思うのだが、技術的に問題でもあるのだろうか。

 

1998.3.20.(FRI)
<今日の一言>

やっと暖かい季節になってきました。花粉症の方、しばらくの辛抱です。

社内メール

社内のEメールは私用には使ってはいけないということになっている。元々キャパシティが限られているところにクリスマスや誕生日に画像入りのお祝いメールなどを送る人がたくさんいたりして収拾がつかなくなったことが原因らしい。

画像を送る人はさすがに減ったが、相変わらず私用メールは大活躍である。一番良く使われるのはランチやアフター5のお誘いである。お昼時になると密かに席を立つ一群の人達がいる。彼らは朝からメールでランチのアレンジをしていた人である。夜7時頃になると一斉に帰る人ががいる。きっと一緒に飲みに行くのであろう。

メールというのはこういった多人数のスケジュール調整をするのに非常に都合がいい。メンバーに一斉にメールするだけで人数把握ができる。電話でいちいち連絡しているより遥かに効率的である。問題はマネジメントがインフォーマルなネットワークの把握を行い難くなることだろう。ネットは会社に於いても体制に対峙する存在なのである。

 

1998.3.19.(THU)
<今日の一言>

行った人によればR.ストーンズのコンサートはやはり最高だったようです。自分の会社の社長位の歳の人がステージを走りまわれば、それだけで感動ものでしょう。

20分1本勝負

私はこの日記を毎日朝会社に出かける前に書いている。休日は起きてからゆっくり書くこともあるし、あるいは昔書いておいた文章をそのまま載せたりすることもある。そしてモバイルギアも持ち歩いているので、電車の中で思い付いたことを打ち込んだりすることもある。

前の日に飲みに行った時などは、朝起きてから出かける準備でシャワーを浴びるまでの時間が勝負である。一応5時半に目覚し時計をかけてはいるが、日によっては6時に朝日で目が覚めることもある。そんな時も6時半までにメールを読んで、返事を書き、それからいつも見ているいくつかのHPをブラウズし、それから日記に取り掛かる。

実際に打っている時間は10分にも満たないこともある。頭が寝ぼけてボーっとしていると何も考えられないこともある。電車に乗ってからやばい、と思ったことも何度かある。

この朝の時間に追われるパターンが完全に自分の生活のリズムになってしまった。10年後、いや1年後も同じ生活パターンを繰り返しているのであろうか。

盗人猛々しい

不動産会社から分譲一戸建てをバブルの絶頂期に「自分の意志で」「売買契約をして」購入した人達が、その後値段が下がったので差額を返せと不動産会社を訴えた。判決は返還しろという請求を退けた。

当たり前の話である。契約書に書いていないことを請求するのは法治国家ではなく痴呆国家である。値段が下がったから差額を返せというのは資本主義ではなく社会主義である。購入する時は抽選に当たって大喜びしていたような人が値段が下がると他人に自分の意思決定の責任を転嫁しようとする。

1997.8.1.(FRI) の日記にも書いたが、日本では株と不動産は下がらないというのが80年代までの神話だった。それが90年代に入り崩れたわけである。だから最後の電車に乗り遅れてババを引いた人達が騒いでいるわけである。NTTの株にしても値上がりしているうちは何も言わないで、購入価格を下回ると国の責任などといって大騒ぎする。そんなら最初から買わなければいいのに。裁判してまで金返せというのは自分が欲の皮が突っ張った、でも相場観の無い人ですと公言しているようなものである。私にはとても真似できない。

この国の人達にリスクとリターンはトレードオフという当たり前のことが理解されるのはいつのことであろう。

 

1998.3.18.(WED)
<今日の一言>

今一つ調子に乗れない日々を過ごしています

変り目

ドバイ原油が1バレル10ドルを割り込んだ。日本の国債指標金利は1.47%まで低下した。長期金利がこれほど低い状態は有史以来なかなか無かったことである。

円も変化の節目に来ているようである。95年の春を転換点とした円安は今後もしばらく留まる気配はない。

世界的に見ると80年代までは資金需要の時代、90年代は資金余剰の時代と見ることもできる。コーポレートファイナンス、プロジェクトファイナンスといった華やかな多額の資金調達スキームを投資銀行が売りまくっていたのが10年ほど前までであった。

今や調達の仕事より運用の仕事の方が比率が高くなっている。年金、投資信託、株式、ヘッジファンド。金融面を飾る威勢のいい話はアセットサイドのビジネスである。

この転換の一番大きな要因は、大規模な戦争が無くなったということだろうか。戦争によって施設を破壊し、また作り直す。この繰り返しが人間の歴史であった。

したがって今後も平和の配当を受取り続ける状況が続けば、世界中で資金がさらにダブつくことになる。それは金利の一段の低下である。

 

1998.3.17.(TUE)
<今日の一言>

会社を休んでコンタクトレンズを買いに行きました。

値段

250円だった日清のラ王が2割値下げで200円になるという。夕刊を見ていたらホテルハワイアンズ(ハワイではなく福島県にある温泉施設)の「快感ゴルフパック」というのが平日で、温泉+宿泊+朝食+キャディー付きゴルフで1万2千円である。円安を考えればアメリカのゴルフの値段とほとんど同じ水準になったと言えるだろう。

コンタクトレンズを買いに行くと使い捨てのJ&Jのレンズが割引で3ヶ月分で7665円だった。何だか知らないがモノの値段は下がり続けているように思う。

自分史

ダイヤモンド社から出版された野口悠紀雄の『「超」自分史ガイド』は中高年の人には結構受けるであろう。ノスタルジーに浸りたい時期にある人にとってこの本は強力な支援ツールとして機能することであろう。

自分史のページが今後発展していけば、自分のヒストリーにその時代の資料を組み合わせてパソコン上で充実した自分史を作れるようになる。

自分史を作るほど人生経験していない私でもこれは楽しめそうである。それにしても野口教授は商売のツボを超整理法で学び取ったようだ。

ジャック・ウエルチ

ジャック・ウエルチ会長は言っている。
『自分が決めていないことをで従業員がしたことに対し経営者が責任を取らなければいけないとすれば、従業員が自転車を盗んだだけで経営者は辞任しなければならない』

銀行では部下が使い込みをしたら上司は左遷である。しかし現実問題として部下が30人もいて、上司が2年毎に人事異動を繰り返しているような職場でどうやって部下を管理するのか。部下が変なことをするかしないかは殆ど巡り合わせの運次第である。

ジョブディスクリプションに書かれていること以外で部下が行ったことに対しては上司は責任を取る必要はない。そんなことになったら神経質な上司は24時間部下を管理しなければ眠れなくなってしまう。

辞めて責任を取るのは簡単であるが、そこには論理も進歩もない。日銀総裁が情報漏洩や接待疑惑の事実を事前に知っていたなら別であるが、末端で誰が何をしているか管理するのは課長(直属の上司)の仕事ではないか。

総裁を生け贄に差出し事件を解決させる逆トカゲの尻尾切りはやめて、本来の監督者にも是非責任を全うしていただきたい。それをしない限り曖昧な役割分担による曖昧な仕事は永遠に変わらない。それは緊張感のない馴れ合いの世界である。

 

1998.3.16.(MON)
<今日の一言>

17日は会社を休んでいます。

安藤忠雄

建築家としての活躍は知らないが、その発言に対しては尊敬をしている安藤忠雄氏が16日の日経夕刊に書いている。彼が東大教授に就任してからの教えている東大生の印象である。

実際に東大に行ってみて感じたのは、学生たちは、やはり優秀だということです。東大生のもつ知識の豊富さ、プライドの高さ、自信の強さに、普通の人々の苦しみがわかる他人への愛情、人間的な包容力が加わればすばらしいのですが、それはなかなか難しいでしょうね。

というのも、小学校からずっと他人との競争に勝って、首席を通してきた人ばかりですから、負けることを知らないのです。負けを知ると人間にもっと包容力が出てくるのにと思います。

(中略)
社会の出て役立つためには、自信やプライドだけでなく協調性、包容力が必要なはずです。特に現代のように価値が多様な時代になれば、人間としての総合力が大切になります。

私は東大生ではないし首席を通してきたような人でもない。しかし、彼が求める人間の資質は、私が今まで目標としてきた人間像に比べ、一回り大きなものがあるように感じた。他人への愛情、人間的な包容力といったものを出来るだけ排除し、知識や能力を重視するだけの考え方は限界があるのだろうか。知識や能力を持っていて、その上で他人への愛情、人間的な包容力を兼ね備えている人。そんな人の方が充実した人生を送れるのではないか。

資金運用の仕事には他人への同情、愛、といった感情は相容れないものだと思っていた。緻密で冷静な分析、知識を理論で有機的に結合していくこと。それらの優劣によって運用成績に差がつき、生き残るものと消え去るものに分かれる。冷酷非情の世界に愛だの同情など害以外の何者でもない。そんな考えで仕事を進めてきた。

人間的に感情面での包容力や愛情を深めて行ければ、もしかすると更に大きな視点で経済を社会を見渡すことが出来るようになるかもしれない。それは仕事の成果につながるだけではなく、結果的に自己の充実感を上昇させ、社会に貢献することになっていくのだろうか。

何が本物なのか、自分自身の中では迷って悩んでいるのが現状だが、西洋科学万能主義の風船にぽっかりと穴が空き、それを包み込む更に大きな思想が垣間見えたコラムだった。

 

1998.3.15.(SUN)
<今日の一言>

風が強くて寒い一日でした。

資源配分

急用ができて八王子の実家に帰った。慌てて家を出たので、薄着で出かけると外は結構寒い。大学時代に住んでいた八王子の実家は今は両親が2人で住んでいる。部屋が6つもあって2人で住むには広すぎる家である。

住宅は人生のステージによって必要なものが違う。独身時代は便利なワンルーム、新婚になればもう少し広い部屋、子どもが生まれれば庭付き一戸建て、子どもが独立してしまえばまた小さな家で十分である。

しかし実際に日本でこんな買い替えを繰り返していたら、とんでもないコストがかかる。このミスマッチを改善する方法があれば、もう新しい住宅などたくさん建設しなくても今後は供給は十分のような気がした。税制で無くとも例えばリロケーションや不動産スワップなんてものを発達させ、必要な時期に必要な家に住めるようにならないものだろうか。

不動産は一般大衆にとってはナンピン買いもできないし、ロスカットもやってしまうと大きな損失となる。どの時期に購入したかで大きな不公平も生じる。都心のマンションから郊外の一戸建てに引っ越したい若夫婦と子育ての終わった郊外に住む老夫婦が期限を決めて住居を交換する。こんな市場を作ることはできないのだろうか。

 

1998.3.14.(SAT)
<今日の一言>

浅い睡眠のせいか寝不足気味の毎日です。

言霊の国

経済企画庁は景気は後退しているとなかなか認めようとしなかった。認めると本当に景気が悪くなってしまうのを心配したからだという。これを言霊信仰の呪縛だと言う人がいる。言ったことが現実に起こるという信仰が、悪いことを言わない方がいいという発想につながる。

HPにこうして自分の意見を書いていると、自分が書いた通りのことを実践する人にならなければならないという呪縛を受ける。本来なら自分のやったことを書けばいいのに、次第に物事の順序が逆転してしまうパラドックスである。

好きで勝手に書いているとはいえ当然読んでいる人のことを意識しだし、いい格好をしたがるようになる。国家に対し、社会に対し、普段考えている矛盾や不合理なことを指摘するのは痛快であり、頭の中も整理されていく。その一方で、自分自身の実際の行動とのギャップは広がっていく。

HPという言霊に呪縛される自分を感じている。

 

1998.3.13.(FRI)
<今日の一言>

通勤電車が暑いと思う季節になりました。

本当の値段

ライオンズマンションの大京が保有する販売用不動産の一部を米系投資銀行のモルガンスタンレーに売却すると日経が報じていた。最近海外の投資家による日本の不動産購入の動きが目立っている。

彼らの理由は明快である。他の投資に比べ投資利益率に魅力があるからだ。投資リターンで8%程度が見込めればリスク分散の観点からも日本の不動産をアセットに組み入れるのは理にかなっている。

不動産市況の悪化により今購入してもキャピタルロスの発生する可能性がある。しかし重要なのは彼らの購入価格である。大京がモルガンに売却する物件の価格は1戸あたり1千万円程度だという。ワンルーム中心の物件だというが、ワンルームとしても現在の市場価格に比べれば更に割安である。

つまり世界的な不動産価格という観点から適正と思われる価格でモルガンは日本の不動産の購入を行ったわけである。

海外の投資家による日本の不動産への投資を、日本の不動産はもう底値だ、と解釈する人もいる。しかし実態はそうではないようだ。取引が殆ど無く、市場価格のよくわからない日本の不動産にはっきりとした市場価格を示しているだけである。これは日本人が最も嫌いな、「含み損の認識」を不動産保有者にさせることになる。今後不動産価格が上昇するか下落するかは不確実だが、現在日本人が認識している曖昧な水準より実態価格が低いことは確かなのである。

 

1998.3.12.(THU)
<今日の一言>

規制、接待と公共事業

改革が叫ばれる日本で今問題とされているものは規制緩和の遅れ、接待による裁量行政、そして土建中心の公共工事である。

共通点はどれも無駄で非効率、マーケットメカニズムが働かないと言う点である。人為的に高い価格設定が社会的効用を減少させている。

J証券のF氏は累進課税により交際費の方が自腹より節税になるから接待が減らないのが理由の一つだと書いている。同感である。

もう一つの非効率、公共工事はどうだろう。これも2重の意味で無駄が多い。第一に随分改善されたのかも知れないが価格が割高だということ。第2に地域別、分野別の資源配分がいびつである。毎朝山手線のラッシュ電車からガラガラの秋田新幹線を眺めていると、いつも何かが間違っていると感じてしまう。

今回の大蔵日銀接待疑惑で接待が減少すれば、次は公共事業である。これらの非効率の改善は日本のすべての価格に含まれていた超過部分を削ぎ落とす。それは最終的にアセット価格の下落をもたらすであろう。接待が無くなれば人為的に高い価格の料亭は消滅する。価格に会ったサービスを提供できる店だけが残ることになる。接待店が高かったが故に影響を受けていた他の店や、土地の値段なども正常化する。

接待を受けたことがない人も接待が無くなれば便益を受ける。

 

1998.3.11.(WED)
<今日の一言>

消費マインドが落込むと特定の店に客が集中するようです。繁華街も2極化現象でしょうか。

マクドナルド

日本マクドナルドの一日の売上が先週の日曜日に16億9千6百万円と史上最高を更新したそうである。この消費が極端に落込む中でのファストフード1人勝ちの状況は明らかに経営の資質の差である。

「勝てば官軍」という著書も出している社長の藤田田(デンと発音して下さい)は理論と現実のバランス感覚に優れた天才経営者である。イトーヨーカ堂の鈴木社長、ミサワホームの三澤社長と並ぶ数少ない日本の尊敬する経営者の1人である。

マクドナルドは来年も再来年も為替予約を終えているという。そのレートは1ドル100円を割れる水準だという。円高の局面で思い切って先の為替予約まで済ませてしまった訳である。つまり今後円安になればなるほど為替予約をしていない他社とのコスト競争力に差がついてくる。極端に言えば1ドル150円になれば輸入している材料の価格は他社の3分の2でできる。ハンバーガーが100円で利益を出すにはこれは大きな武器である。

マクドナルドの1人勝ちは当面続くだろう。

 

1998.3.10.(TUE)
<今日の一言>

夢にうなされる夜が続いています。

人権

切れる中学生によるナイフを使った事件が再び新聞で報道されている。教育の問題、社会の変化、食生活、など様々な要因が指摘されているが、いずれにしても切れる本人よりも周りにいる人の身の安全を考えた対策が必要である。

少年犯罪になるとすぐに加害者の人権という問題になるが、社会の中で果たすべき義務を成し遂げられない人間に人権はない。もちろん少年であるという点は考慮されるべきだが、人を傷付けることは誰がやっても悪いことである。

文部大臣が原稿を読みながら全国の学生に呼びかけるのもやらないよりはいいのだろうが、効果は薄い。必要なことはナイフで人を刺すとどんな目に会うか、教えることである。分別のつかない社会的弱者ということで少年法があるのであれば、少年時代の犯罪が将来どれほどの後悔と苦痛を伴うものか、彼らにはっきりと知らせるべきである。

現場で生徒と丸腰で向き合っている教師の人権を守ることが、持ち物検査をすることさえ少年の人権を守るという理屈で後回しにされている。何度も書くが、弱者を過度に保護し、懸命にやっている人が損をするような社会は必ず崩壊する。

 

1998.3.9.(MON)
<今日の一言>

34歳の誕生日は淡々と過ぎていきました。メールを送っていただいた方、ありがとうございます。

誕生日

何を隠そう今日は私の誕生日である。といっても特に予定があるわけでもなく淡々といつもの一日を過ごした。20代の頃には1歳にこだわっていたのに最近は自分の年齢がいくつかよくわからないというかどうでもよくなってきた。

自然年齢よりも大切なのは心の持ちようである。20代でも老けている人もいれば40代でも若々しい人もいる。それは単に外見のことだけではなく、生きることに前向きかどうかの違いであろう。

私自身自分では年よりも老けた考え方をする傾向がある。このまま自然年齢を重ね、考え方だけはいつまでも変わらなければ、いつか年齢より若い考え方になると思っている。別に70歳の人が恋愛をしても、80歳の人がパソコンを始めてもいいのである。年相応とか年甲斐もなく、といった言い方は可能性を狭めるものでしかない。自分がやりたいことを一生懸命やっている人に人は魅力を感じるものだと思っている。

健康指向

最近、食生活を扱うテレビ番組が大はやりである。何を食べればがんにならないとか、味覚障害を防ぐ食事とか高校生のナイフ殺人が起こる食生活の理由など内容は様々である。

しかしどのケースでも出てくる食べ物はなぜか大体決まっている。豆腐、納豆といった豆類、レバー、鳥肉といった低脂肪肉、わかめ、昆布といった海草、牡蠣、ごま、ヨーグルト、赤ワインなどである。

これらはなぜか私の大好物ばかりなのである。肉の中ではチキンが好きだし、焼き鳥はレバーが一番である。納豆、豆腐は家でのご飯食には欠かせないし、いつもごまを入れて食べている。パン食の朝はブルガリアヨーグルトを食べる。ワインは赤しか買わない。わかめ、昆布、牡蠣も大好物、といった具合である。

別にストイックなヘルシー指向をしているわけではないが、私の好きなものはだいたいヘルシーなようである。これは自然の摂理なのか単なる偶然なのか。

しかし私は体が丈夫なわけでもないし、健康で引き締まった肉体を持っているわけでもない。実感としては食生活が本当に健康と結びついているかは今一つ確信が持てない。

 

1998.3.8.(SUN)
<今日の一言>

テレビ漬けの一日でした

順バリと逆バリ

いよいよビッグバンが始まる。銀行は変わるのだろうか。公的資金導入に伴う相談役やMOF担の廃止、そして賃金の一律カットなどの変革が始まっている。これらの変革によりバブル崩壊後の不良債権問題を一気に解決し、新しい経営理念を示すことが出来るかが鍵であろう。

投資という観点から見れば過去8年間、ずっと解決できなかった不良債権問題をこれから数年で解決でき、邦銀は立ち直るというのは逆バリの発想である。銀行に対する悲観的な見方はいずれ修正されるという考え方である。

一方この硬直的な組識は永遠に変らない、つまり○○は死ななければ直らないという考え方もある。順バリの発想である。一度も変革を為し得なかった組識がたった数年で変革することなどありえないというこの見方の方が私には説得力がある。

外資系の都市銀行が出現したり、あるいは外国人がマネジメントをする銀行はが現れでもしない限り順バリスタンスである。マネジメントが全員日本人の生え抜きや天下りでは変わるとしても時間がかかり過ぎる。

口先介入

マーケット参加者にとって日曜日の午前中は仕事をする時間である。

朝7時過ぎからの報道2001から始まってNHKの討論番組そしてテレ朝のサンデープロジェクトまで政治家が激しい議論を繰り広げる。これらの番組は政党間の分かり難い議論が整理されていくという利点はある。しかし朝まで生テレビがそうであったように、真に建設的で論理的な発言より、センセーショナルで大袈裟で極端な歯切れのいい発言が幅を利かせてしまっている。そして映りのいい管直人のような政治家は明らかにメリットを享受している。まあリスクを取ってテレビに出ているのだからリターンもあって然るべきだが。

テレビに政治家が出るもう一つの問題は政策担当者の政治家がこういった一つのテレビ番組で政府の政策についての情報をリークするという風潮である。今朝も山崎拓が10兆円を超える公共投資を中心とした補正予算を組むという発言をしていた。(補正という言葉は本人は認めなかったが)リークによって相場をコントロールしたり、市場や国民の反応を見るというのが目的のようだが、情報をこの手の番組だけでリークしていくという手法はいかがなものであろうか。

株価を3月末に1万8千円に持っていくという為に政府はリップサービス、見せかけのバランスシート対策など色々な対策を講じている。しかしこうした意図的な価格形成はグローバルな市場経済の中ではいつか破綻する。3月末に1万8千円になった株価は4月以降どうなるのであろうか。投機家に売り浴びせられなければいいが。

 

1998.3.7.(SAT)
<今日の一言>

今の日本を称して「自民の自民による自民のための政治」という某証券会社のF氏の文章には笑いました。強風にあおられ吹き飛ばされそうな一日でした。

勉強

いよいよ4月から外為法が変わるということでにわかに外貨預金や外貨建て投信に注目が集まっている。今までは証券会社の言うなりになって手数料だけ騙し取られていた人もこれからは自己責任の時代だということをそれなりに自覚せざるを得ない。

そもそも日本人は投資ということに対し学校でも勉強しないし、社会に出ても学ぼうとしない。お金の話をすることが卑しいと思っている風土が根底にあるのかもしれないが、これだけ複雑で不確実な世の中になって知識を持たずにいるのは大変なリスクである。

お金に対する意識の低さは納税に現れている。殆どのサラリーマンは源泉徴収で税金を払っている。消費税引き上げにはヒステリックに反対する割に自分がいくら税金を払っているか知らない人が多い。

資金の運用についても同様である。銀行の金利が低いと言って文句を言いながらもっと良い運用商品がないかなどと研究したりはしない。自分で考えもせずに人がやっていると聞けば同じ商品に殺到する。一時問題になった和牛の投資や商品先物の悪徳業者など業者も悪いが、リスクを見分けられない投資家にも非はある。(和牛や先物がすべて悪いと言っているわけではない)

義務教育で投資や納税について学ばせると同時に、消費者サイドも安易に政府に頼るのではなく自分で考え自分で判断する自己責任意識への目覚めが必要である。文句を言うならもっと勉強しろ、と言いたくなる人が世の中多すぎる。

 

1998.3.6.(FRI)
<今日の一言>

朝寝ぼけて日記を書くととんでもないことを書きそうでいつもハラハラしています。

大喜び

師匠からHPとメールで自分のページがとあるバーの経営者の方に読んでいただいていることを教えてもらった。こういった事があると私のようなミーハーな男は大喜びしてしまうのである。

前にも書いたとおり、毎日日記を更新していると時々、まったく面識のない方からメールを頂くことがある。幸いなことに私の場合、脅迫や嫌がらせといった不愉快で意味のないメールは過去1年半まったくない。頂くメールは内容の誤りを指摘していただいたり、率直な感想を書いていただいたりする方ばかりである。そういったメールがこのページを毎日続けることの大きなエネルギーになっていることは確かである。

デジタル社会の匿名性は犯罪等のネガティブな面ばかりが強調されがちであるが、こういった距離や時間を超えたコミュニケイションという今までになかったプラスの側面ももっと強調されていいのではないだろうか。

ところで私のページを読んでいる方のバーに私が行っても絶対に気が付かれない。いづれ、こっそりその店に行って、店を出る直前に名を名乗ってみたい。

企業の変遷

日経新聞の99年度大卒採用計画ランキングを見ていると時代は変わったと思う。東芝と並んでNOVAが3位である。その外エイチ・アイ・エス、サイゼリアといった所謂新興勢力の台頭が著しい。

エイチ・アイ・エスなど私が大学生の頃は学校の壁にチケット安売り業者としてビラをたくさん貼ってあったのを覚えている。卒業旅行でインドに行った時、チケットを買った覚えがあるが、当時はこう言っては失礼だがいかがわしい雰囲気の会社であった。

サイゼリアはイタリア料理のファミレスである。合理主義の経営者の才覚で急成長している。グラスワインが百円台だったりパスタが5百円以下だったりととにかく破格の値段とそれなりの味が消費者に支持されている。

産業構造の変化により一方では人減らしが発生しているが、新しい企業も現われている。古い産業構造の中で雇用維持にこだわるより、新しい産業への人材供給を円滑に進めるシステム作りの方が経営者にも労働者にも長期的にメリットがあるのではないか。

日本は一度作ったものを変えるのが苦手と言われる。大宝律令から昭和憲法まで一度作ったものは改正せずに解釈論と実際の運営で誤魔化し続けた。企業経営も一度参入した事業から撤退ができないで泥沼にはまる場合が多い。一度作った終身雇用の年功序列、結果平等主義は簡単には無くならない。

不良債権問題同様、時間が解決するのを待つしかないのであろうか。

 

1998.3.5.(THU)
<今日の一言>

華原朋美は知らない内に時代遅れのタレントに見えてきました。世の中変らないようで凄いスピードで変化しているのです。

年金コンサルタント

年金コンサルタントの人と話をする機会があった。年金コンサルタントとは運用を委託する企業年金基金からの依頼でどの投資顧問や信託銀行を選ぶべきかをアドバイスする会社である。要するに年金運用機関の評価をする審判のような会社である。

運用機関選定にあたり何を基準に選ぶのだろうか。過去の運用パフォーマンスは当然重要視される。しかし過去5年運用成績が良かったといって将来の運用成績を保証するものではない。宝くじに1回当たったからといって2回当たるかはわからない。運用パフォーマンスも単なる偶然なのか実力なのかは10年位はデータを集めなければ判断できない。

すると定量データより定性データということになる。投資哲学、意思決定プロセス、リサーチの体制、レポートの質、運用担当者の知識、といったものが評価の対象になるらしい。

一貫した投資哲学、明確な責任分担、バックオフィスの充実といったものをトータルに考えれば少なくとも定性的には外資系に軍配が上がる。部長がかわると運用方針が変わるのが人事異動のある日系の限界である。意思決定もトップを中心にした釣り鐘型の組織では各人の知識のインターアクションが起こりにくい。

何度も書いているようにだからといって外資系が特別に凄い運用をしているというわけではない。当たり前のことをしているだけなのである。きちんとリサーチの担当者が調査し、ファンドマネージャーが運用する。グローバルネットワークの有利さはあるが、人材に大きな差があるとは思えない。ただ会社の決めた明確な投資哲学をベースに各人がそれぞれの職務に責任を持ち、会社もそれに対してきちんと評価をするシステムがしっかりしている。給与を一律にカットしたりなどしない。

結局は人の問題ではなく組識の問題に帰着する。

 

1998.3.4.(WED)
<今日の一言>

取り敢えず健全な毎日を過ごしております。

年齢

ゲーセンとはゲームセンターの略、イタ電とはイタズラ電話のことを言うらしい。クソゲーというのはつまらないゲームのことだとか。

大阪に50歳以上しか入れないゲーセンができたらしい。年寄りでもゆっくりと楽しめるように工夫してある。パチンコをするより安い料金で楽しむことができるし、ゲームによっては結構な運動量があったり、頭や手を使うので老化防止にも役立つという。

さんまのからくりテレビという日曜日のバラエティ番組にご長寿お達者クイズというコーナーがある。80歳から100歳近い老人がクイズに答えるのだが、今や80歳位では皆まだ若々しい。

どこかのマンション販売会社が60歳以上の販売員を募集しているというのもあった。円熟した高齢者の方が顧客の信頼を得られるからだというのが理由である。

人生50年といわれた頃から1.5倍位は寿命が延びている。とすれば昔20歳でやっていたことは今は30歳でやるのが丁度いいのではないだろうか。そう考えれば人生は短いがそんなに焦る必要もない。

そもそも年齢など単なる地上で過ごした時間に過ぎず、気にする必要もないのかも知れない。年甲斐もなく、とか若いくせにといった人からの評価は言わせておけばいいことなのだろう。

過去

20年前の殺人事件の犯人であることを告白した人がいた。良心の呵責に耐えられなかったからだという。刑事罰はもう時効と言うことで法律的な罪は問われない。

しかし彼にとっての20年間は刑務所に入っているのとある意味では同じような心境だったのであろう。殺人を犯したという罪悪感はこれからも彼の人生にずっと付きまとう。

この人のインタビューを聞いていて思ったのは、人間多かれ少なかれ過去に傷を持っている。そしてそれが現在の自分、将来の自分に影響を与える続けるということである。

時々子供の頃の夢を見たりすると自分が当時やっていたことを思い出したりする。そんなぼんやりとした記憶も無意識に今の自分を作っているのだとハッとする瞬間がある。

 

1998.3.3.(TUE)
<今日の一言>

今週は生活建て直し週間と位置付けております。

デフレノムコウ

全日空の管理職の給料が3%引き下げられるというのが、日経の一面に載っていた。航空業界もメガコンペティションに巻き込まれるということである。別に航空業界に限らず雇用の悪化は日本全体の傾向であり、企業の業務のアウトソーシングの流れは賃金の下方圧力として機能している。

春闘も無くなり、ベースアップがゼロなら良い方だという状況がしばらく続くのであろう。明らかにデフレである。2月の給与明細に特別減税の還付がいくらか入っていたが、こんなものはデフレ圧力の前には無力である。経済企画庁長官が雪の降る日に減税分をパーっと使って欲しいなどとテレビで言っていたが、誰がそんなことをするだろうか。

経済学の教科書によれば人の現在の消費は将来期待される所得に左右される。今日減税でお金をもらっても将来の賃金が下がるなら消費はしない。周りの会社の賃金が下がっているのに自分だけ上がると思っている人は少ないだろう。日系から外資系に転職した人が年収が上がっても貯金に勤しむのは将来の不確実性が増しているからである。(私の場合、年収は上がっていないが不確実性は減ったという逆のパターンだが。)

デフレ時代の生活術は倹約である。キャッシュをひたすら増やすことを考えるべきである。借金などもっての外である。実物資産を当てにすると命取りであることは銀行のバランスシートが証明している。

デフレは資産の効率配分を阻害する点では害もあるがストイックなプロテスタンティズムが報われるという意味では健全な経済状況とも言える。

評価機関

1周年を迎えたShiraさんのページを見ていたら、Tune Up Your Web Site Free:というコーナーを発見した。HPの出来具合を評価をしてくれる面白いページである。早速自分のHPを入力してみたら結果は普通であった。唯一誉められたのはページ間のリンクが完全だということだけだった。構成には大いに改善の余地がありそうである。

都心回帰

キャリアウーマンの人が青山一丁目に引っ越した。家賃は9万円だという。会社の後輩も六本木に10万円以下でワンルームマンションを見つけて引っ越す予定だと言う。独身者にとって広さにこだわらなければ青山・六本木といった従来手の届かなかったエリアにマンションを借りることはそんなに難しいことではなくなっている。

都心のマンションは供給が増えている。一方でバブル期に購入した人は返済に耐えられなくなり手放すケースも増えている。安い賃貸料を求めて都心から郊外に脱出する賃貸生活者、会社の家賃補給が減額されて引っ越す人も家賃の下落に貢献している。

これは価格破壊ではなく、価格の正常化である。たかだか20平方メートルの中古マンションが1億円以上もしていたことの方が異常である。現在の水準が正常化したと言えるのかどうかはあと数年すればはっきりするだろう。資産を持たざる身としてはこの程度の水準訂正で終ってもらっては困る。

 

1998.3.2.(MON)
<今日の一言>

昨日の雪にはびっくりしました。東京にしか降らないというのも変な天気です。

中吊りハンター

電車に立っている時、新聞を読んでいるか中吊りの広告をぼんやりと眺めていることが多い。最近は立ちながらのモバイルギアも控えるようになった。

そんな中吊り広告を後で見たいと思うことは多い。特に雑誌の見出しなど、どの雑誌に何が書いてあるかを知りたくなることがある。営団の作っている中吊りハンターは中吊りの広告をそのまま再現して見せてくれるユニークなページである。

残念ながら契約の関係からかすべての広告が見られるわけではないが実物の縮小が画面で見られるというのは画期的である。

沿線別や今日見たもの、昨日見たものといった検索ができるのがいい。たまに寄らせてもらう価値のあるページであろう。教えてくれたJY君ありがとう。

浜松町の謎

私の会社のある浜松町という街は一般には馴染みのない街であろう。青山や赤坂といったお洒落なイメヾジはもちろんないし、神田や新橋といったサラリーマンの街でもない。大手町のようなオフィス街でもない。雑然とした特徴のない街である。

あえて特徴を挙げれば寿司屋が多いことである。定食屋さんに行っても焼き魚や煮魚といった魚料理が多い。海が近いせいなのであろうか。

もう一つは昔ながらの純喫茶の類が多いことである。赤レンガ、モト、芝生などといった今ではアナクロな名前の喫茶店がたくさんある。共通しているのはコーヒーが白い厚手のカップで出てくること、椅子が皮張りのソファであること、ミルクがポーションではなく容器に入って出てくること、店を出るとYシャツが煙草臭くなることである。

なぜ浜松町界隈にだけこの手の店が生き残っているのか。謎の一つである。

 

1998.3.1.(SUN)
<今日の一言>

ピチカートファイブ

ピチカートファイブというバンドにはまってしまっている。CDを何枚か借りてきて聴いているのであるが、春に似合う音楽で気分がウキウキしてくるサウンドだ。

女性ボーカルと男性の2人のユニットなのだが、作詞作曲は男性の小西さんという人がほとんどやっている。ナンセンスな歌詞とビートルズやモータウンの音楽を意識した曲調がセンスを感じさせる。メジャーに成りきらないニッチな存在もナイスである。

この音楽耳に残り、頭の中をぐるぐる回って忘れられなくなる。麻薬でも入っているような不思議サウンドである。


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