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日記 1998年4月
1998.4.30.(THU)
<今日の一言>
もう4月も終わりです。知らない間に桜の季節から新緑の季節です。
たまたま
平安時代に美人だといわれたのはうりざね型の顔立ちだったらしい。トンガに行くと太っていることが美人の条件である。現代日本では小顔でスリムでなければ駄目なようである。美人の条件は時代と共に変る。
戦国時代なら武士として高い戦闘能力を評価されていただろう人も現代社会ではただの乱暴者である。南北戦争のころビルゲイツがいたら、ただのひ弱な兵隊に過ぎなかったかもしれない。
為替ディーラーで名を馳せる人も1ドル360円の固定相場制のころだったら活躍の場は無かった。ジョージソロスがルネサンスの頃生きていたらどんな人生になっていただろう。
つまりその人が生きている時代によって自分の持つ能力が生かされるかどうかが決まってくる。時代の追い風を受けられるかどうかは時代と自分の能力がたまたま一致したに過ぎない。
だからたまたまなのである。自分がたまたま日本に日本人として生まれ、現代に生きているからこんなことをしている。そう考えると自分は果たしてこの時代にこの国で生きているのが一番いいのかと自問することがある。
1998.4.29.(WED)
<今日の一言>
家にいるのが勿体無いような良い天気です。
春の叙勲
また勲章の季節がやってきた。もらった芸能人へのインタビューなどを見ていると何となくすっきりしない気持ちになるのは私がひねくれ者だからだろうか。
この違和感は官が人間の活躍に序列をつけて、それを喜んでいる民を見ているからである。人間には上下の差は無いという建前を堂々と破り、人間に格差があるということを政府が公認してしまっている。もちろん人間には身分の差などない、というような理想論を信じている訳ではまったく無いが、国が本音をここまで言ってしまっていいものだろうか。
勲章を欲しがる人は世の中には多い。マズローの欲求階層説によれば名誉・地位といったものへの執着は最も高い人間の欲求である。勲章欲しさに老害を撒き散らしながら会社に居座る経営者や勲章陳情活動に精を出す企業など歪みを産み出している。こんなことは欲しい人がいる限り無くならない。
勲章を辞退できる中山素平のような気骨のある人も少ない。それは確固たるポリシーを持って勇気を持って行える数少ない卓越した人間にしかできない。ほとんどの弱い人間は尻尾を振って勲章をもらいにいく。
せめて勲何等といった階級をつけるのをやめて、全員公平に扱ってはどうだろうか。行革というならこの辺から手をつければと思うが、勲章の欲しい人が行革案を出すわけだから無くなるはずはない。
いずれにしても自分には縁の無い世界の出来事であるが。
1998.4.28.(TUE)
<今日の一言>
就職相談
前の会社のある人物と会った。彼もまた転職を考えているという。
外資の幻想を説明し、それぞれに良い点悪い点があることを説明した。イメージで会社を見ることの危険性である。
30代半ばにさしかかる我々の世代は人生の分岐点に差し掛かっている。転職の上限年齢は少数の例外を除いて35歳までと言われている。今の会社において自分の能力を発揮しきれていないというフラストレーションを感じている人にとって、年齢からくる焦りは転職へのインセンティブを高める。
そして日本企業、特に金融、における時代の変化への対応の遅れはビッグバンを迎え外資系への追い風の中、魅力のないものに見えるのかもしれない。自分の10年後の絵が描けない組識への従属はリスクと感じるのは自然な思いかもしれない。
結局、残るのもリスクであるが、動くのもリスクなのである。
最近またこういった相談を受けることが多くなった。こんなことばかりしていると前の会社の人からは敵対視されるかもしれない。しかし私は決して転職をそそのかしているわけではないのである。日本の会社にいることが悪いとも言っていないし、外資系がばら色だとも思っていない。この問題には唯一の解は存在しない。その人が何に人生の価値を見出しているのか、どんなリスクを取ることができるのか、何をしたいのか、といったことで取るべき行動は異なるからである。私の役目は今まで自分が関わって来た人達に自分が知っている情報をできるだけ正確に伝えることだと思っている。といっても私の知っていることなど現実のほんの一部分に過ぎないが。
唯一はっきりしていることは最終リスクはすべて本人が取らなければならないということである。
1998.4.27.(MON)
<今日の一言>
横から降る雨は嫌なものです。月曜日は雨が多いですね。
ランド
日経は夕刊の広告が面白い。今日は東和証券のランド建ゼロクーポン債に心が動かされた。残存29年のゼロクーポン欧州復興開発銀行債券は償還は2027年と先の話だが、償還金額100に対して販売価格は4.3である。つまり為替が今と同じレベルであれば29年後に23倍になって返ってくるのである。
しかも債券の格付はAAAである。つまり潰れるリスクは低い。MDYの国のアウトルックが見直しになっているAAAの日本の国債より格付は高くなっているかもしれない。リスクはランドと円の為替リスクである。確かにランドはどうなるかわからない。友人のエマージング債券の運用担当者に聞くと、余り良い投資対象とは言えないという意見だった。
しかし29年後に向けて南アフリカがどうなっていくのか。債券を買えば興味も湧いてくる。夢のある宝くじ位に思って、少し買ってみようと思っている。
監視カメラ
自分の住んでいるマンションのエレベーターに監視カメラが設置された。犯罪事件が発生したわけではないが、玄関の鍵を2重ロックにしたり、監視カメラ設置と防犯対策は過剰な位徹底している。
個人的にはエレベーターのカメラ設置は防犯だけでなく、子供の落書き防止や公共エチケットを守らせるという意味で効果がある、と思っている。エレベーター内は密室であり、ゴミを捨てていったり、集団生活のルールを守らない人が多い。
カメラが入るという事は自分も監視されるということである。帰宅時に酔っ払ってだらしない格好でエレベーターに乗っていたが、これからは少ししゃきっとしなければ、などと少し緊張するようになった。自分でも滑稽である。
1998.4.26.(SUN)
<今日の一言>
また涼しくなってきました。気温の変化で風邪などひきませんように。
世の流れ
グローバル・スタンダードという名のアングロ・サクソン型経済の台頭はもう抑えられない流れになってしまった。このまま北朝鮮のように鎖国でもすれば別であろうが、そんなことをすれば資源輸入国日本は生きていけない。
世の中には時代の流れというものがある。どんなに実力があっても時代の流れを味方に付けなければ、思う通りにならない。ビルゲイツが成功したのもメインフレームからパソコンという流れに乗ったからであるし、戦後日本の成功も工業化・消費文化という時代に沿ったものだった。
流れを見極められない人は努力をしても成果に反映されない。流れには逆ってもロクなことにはならない。自分のできること・やりたいことと時代の流れが一致したときその人は自分の力を120%発揮できる。自分にできないこと・やりたくないことを我慢してする必要は無論ないが。
原価法・大きな政府・先送り・嘘も方便、すべて時代の流れに逆行している。
横並びGW
今週からGWが始まる。今年は飛び石になるのでゴールデンではないが、それでも4連休である。毎年この時期私はどこにも出かけず家にいることが多い。どこに行っても込んでいるからである。
日経新聞のアンケートの通り、日本社会は一斉に休む傾向が未だに強い。その理由も季節がいいからといった積極的な理由ではなく、国が決めているからである。年間の労働日数は多い割に国民の祝日は先進国で最高水準である。
国民の祝日でなければ休めないのなら前から主張している通り、不要な祝日を減らし、替わりに一定日数の休暇を強制的に取得させるように法律改正できないのだろうか。皆で休んでも観光地に人が殺到しせっかくの施設が有効に活用できない。しかも渋滞と混雑で休暇どころか疲労が溜まってしまう。
平日に休みを取ってラッシュの通勤客と逆の方向にカジュアルな格好をして走り抜ける快感。人と違うことをすることはそんなに後ろめたいのだろうか。
1998.4.25.(SAT)
<今日の一言>
残業代のつかない年俸制では、金額は固定なので給与明細を見る楽しみがありません。
「時価革命」
午後から出版記念講演会に行った。著者の織坂濠(おざか・ごう)氏は今年日銀を辞めてコンサルティング会社に移った方。官の限界を感じたことが転職のきっかけだと何度も強調されていた。100人ほどが集まり真剣に日本の現状について議論する姿は、頼もしくもあり不思議な空間でもあった。
内容の濃い本であるが要するにいいたいことは世の中の流れはすべて時価で価値を測る時代になっているということである。それが今までの日本に存在する原価法会計、企業年金の積立不足、年功序列の賃金体系、銀行の不良債権処理、などすべてに影響してくるということである。
講演に続いて師匠が著者と対談。現状を描き出し暗いと騒いでみても何の解決にもならない。また日本がどうあるべきか、などといくら全体の「べき論」を持ち出してみたところでも世の中全体は動かない。だから延々と議論しても結果は生まれない。もっと個人が心地よく生きられるには自分が何をすればいいかを考える方が先である、という意見に光を見た。
今や多くの人がサンデープロジェクトの田原総一朗状態になっている。日本が暗い、駄目だ、と嘆くのは勝手だが、だったらその中で自分の生活をどうやったら一番満足できるかを考えている人が一体何人いるのであろうか。政府はこうするべき、税制はこうあるべき、野党はこういうべき、日本の進む道はこうあるべき、などと言っている人にこう聞いてみたい。「ところで、あなたは自分の人生をどうやって生きていくつもりですか」と。
国や制度や会社に文句ばかり言って理想論をぶっている人、それなのに自分自身は現状に留まって何もしない人は、出来損ないの評論家と同じである。評論家は仕事なのでお金になるが、机上の空論を振りかざす理想主義者は自分の「時価」が下がっていくだけである。
1998.4.24.(FRI)
<今日の一言>
30代の方にはプログレファンが多いらしく、Yes、UKに関しては何人かの方からメールを頂きました。高校時代にバンドでコピーしていた、という人が多かった。ノルタスジーですね。
禁断の、、、
仕事で遅くなり会社の同僚と食事をして帰ることにした。銀座まで出て店を探すが、どの店も満員盛況である。焼肉、そば、居酒屋、焼鳥屋、 5軒以上を回りようやく地下の鄙びた九州料理の店に入る。ここも狭い店内は超満員で寿司詰め状態で九州料理を堪能した。
大学の新入生歓迎会や会社の新人歓迎会、給料日ということもあるのだろう。それにしても異常な活気であった。隣のテーブルでは人事異動の歓送迎会らしきものが行われていた。景気が悪いというよりバブルの頃を思い出す雰囲気だった。
景気の悪さも、物価の下落も、借金のない雇用が確保されている人にとっては関係ない。賃金が上がらなくても物価が下がった分実質所得は増えている。先行きに対する不安から消費は抑制しているのかも知れないが、リーズナブルなものであれば支出する。
店も価格と実質が釣り合わない店は閑古鳥が鳴いている。接待用の店などどんどん潰れているのだろう。赤坂の料亭も随分数が減った。今回の貸し渋りといい景気の後退といい、一部では歪みを生み出しているが、日本が当たり前の姿に戻っている状態ではないだろうか。
水増ししていた経済成長を実物大に戻し、不必要な銀行貸出を減らす。水脹れ体質を改善するダイエットメニューをこなしているようなものである。それなのについお腹が減って16兆円もご飯を食べてしまった。中身は中性脂肪とコレステロールの固まりである。
1998.4.23.(THU)
<今日の一言>
雑誌「Tarzan」が腹筋を鍛える、という特集をすると、夏が近づいていることを実感します。
暗い?
日記を読んで下さる方も一日に100人近くに増えてきたようである。やはり1人でも多くの人が読んでくれるというのは励みになる。最近は知らない方からメールでご意見を頂くことも多くなり、大変勉強になり有難いことである。
しかしたまに思うことだが、実際に一度もお会いしない方がこの日記を読んだ場合、私のことをどんな人だと想像しているのであろうか。いつも勝手な厳しい意見ばかり書いているし、将来に悲観的なので、暗い人間だと思われているかもしれない。
本人はそんなに暗いつもりはない。3つの言葉を常に心に留めながら生きている。
人生も自己責任
明日は我が身
最善を望みながら、最悪に備える
こういう発想自体、やっぱり暗いのだろうか。
1998.4.22.(WED)
<今日の一言>
今日は一日会社はお休みです。UKに続き今度はYesを買いました。知らない人には何のことやらさっぱりわからないでしょうが、70年代のロックグループの名前です。
ビジョン無き小手先の対応
甲子園で有名な桐陰学園は今や東大合格者数第3位だそうである。別に東大にたくさん入る学校が良い学校とも限らないし、生徒数も考えた合格比率で比較しなければ厳密には正しくない。しかし時代は変ったものである。
私が高校生の頃は都立高校に学校群制度という奇妙なシステムがあった。これは高校をグループ単位にして、合格してもどの学校に行くかわからないようにするという方法だった。こんなシステムが出来た理由は都立高が東大合格者ランキングの上位にたくさん並びこれを是正し受験戦争を緩和するためだったと聞く。
このシステムは素晴らしい効果を上げ、日比谷、戸山、西、といった所謂都立有名校の大学進学成績を低下させ、開成、麻布、といった私立が台頭した。しかし効果はそれだけではなかった。都立の学校のそれぞれの個性が無くなり、家から近い学校に行きたくても行けないといった弊害も出た。それらによってさらに都立高離れが進んでしまった。
都立高校の大学進学成績を分散させても、受験競争そのものは緩和されなかった。結局、都立高校の人気は下落し、制度を変えても生徒は戻ってこなくなった。学力の優秀な人は私立高校に流れるようになった。
結局この改革は都立高校という貧富の差が無く勉強さえすれば誰でも行ける高校の魅力を無くし、大学受験を私立という高いコストを払わなければ不利になる、不平等なシステムにしただけだった。
このことは問題を解決するとき、物事の一面だけを見て部分的に小手先の対応をしても根本的な問題は解決しないという教訓を与えてくれる。ビジョン無き小手先の対応が事態を更に悪化させる好例である。
日本の景気回復の為に減税したり、公共工事を行ったりだけするのは小手先の対応である。事態を更に悪化させるだけではないだろうか。日本の構造問題をすべて包み隠さずさらけ出し、痛みを伴う外科手術を同時に行わなければ手遅れになり、助かる患者も助からなくなる。
4月3日にMDYというアメリカのお医者さんがこのままだと余命はあと1年半から2年と患者に通告した。医者が手術をしろと勧めているのに、患者の方は未だにモルヒネを打って症状を誤魔化している。モルヒネが切れるともっとたくさんのモルヒネを注射する。遂に16兆円という史上最大量のモルヒネを打つと宣言したが、もう体が言うことをきかなくなっている。
廃人になる前に薬は止めるべきではないか。アル中の人だって勇気を出して断酒会に入り更生しようと努力するではないか。禁断症状は今までのモルヒネの量が多ければ多いほどきついだろう。だから一刻も早くしなければならないのである。
1998.4.21.(TUE)
<今日の一言>
新卒の外資指向
外資系に集まる新卒学生という記事を読んで、思ったことを書こうとしたらワゴンさんの大磯小磯に先を越されてしまった。しかも考えていることはほとんど同じである。内容が重複するがせっかく書いたのでそのまま載せることにする。
プロフェッショナル意識の高い学生が専門性を求めて外資系企業の説明会に詰めかけているらしい。あくまでも一般的な話としてであるが、果たして新卒が外資系企業に最初から就職することはいいことなのであろうか。
もちろん個別企業のカルチャーや従業員に対する位置づけもあり一概には言えない。しかし、外資系に素手で入るのは将来のビジョンがはっきりしていない新卒者の場合、危険であるというのが私の意見である。
その理由は第一にジョブローテーションが日系企業より少ないということである。配属が決まれば多くの場合人事異動の可能性は日系企業より少ない。何をしたいかわからないで入るには適当ではない。
第二に親会社の経営政策の変更などに左右されやすい。ある日、自分の所属する部門が親会社のトップの判断で日本を撤退などというリスクは覚悟すべきである。これは日本の企業でも倒産というリスクがあるので同じといえばそれまでだが。ビッグバンが不発に終れば外資系金融機関の中には撤退するところも出てくるだろう。
第三に外資系だからといって優秀な人間が集まっているとは限らない。外資系に目が向きはじめたのはここ数年であり、多くの日本人は相変わらず外資系アレルギーを多かれ少なかれ持っている。外資系には個性の強い極めて優秀な方も多いが、その一方で人材のバラツキは日本の大企業よりは大きい。英語という参入障壁に守られた人が存在する。外資系にいけば凄い人達とエキサイティングな仕事ができる、と夢見るのは甘い。
また外資の日本法人は一般にせいぜい数百人と規模が小さい。日系企業のNY支店を想像してもらえばいいが、ある意味では日本法人は1つのムラ社会である。トップの方針が全体を大きく動かす。その方針に自分が合わないリスクは入ってみないとわからない。
もちろん日系にはない魅力もある。グローバルに世の中を見る習慣が最初から身につく。日本的人間関係に煩わされない(これも外資なら必ずそうだとは言い切れないが)。専門性が身につく。余剰人員がいないので仕事に無駄が無い。などであろうか。
新卒で外資系に入るのは、株式投資をしたことが無い人がいきなり店頭株に手を出すようなものである。ボラティリティの低い、充実した研修と適職を見つけられるシステムになっている日系の方がいいというのが個人的見解である。
泥棒猫
話は続くが、自分のキャリアパスとして日系で力をつけ、適職を見つけ外資で力を発揮するのが一番効率的だとしても、最初から外資に行くことを前提に日系企業で研修を受けて、外資系に転職するのは言ってみれば泥棒猫である。
ただこんな泥棒猫が横行する世の中になった大きな理由は日系企業の太っ腹にある。例えばフランス語の語学トレーニーに派遣しておいてフランス駐在事務所を閉鎖。そして地方の支店で営業をさせる。あるいはMBAコースに派遣しておいて、日本に帰国すると外人が来た時の通訳程度にしか使わず、留学前と同じ仕事をさせる。人事部長が、うちはハーバードに何人留学した、と自慢する時と、会社案内に留学制度があることを書く時位しか会社の役に立ってない。
研修と研修後の仕事に何のリンクもない。研修の費用対効果といった概念はまったくない。国の公共工事と同じでやりっぱなしである。
研修の目的も明確に出来ず研修後も能力を発揮できる場所を提供できない企業に、義理だけで残れという方が酷ではないか。しかもこれらの研修はすべて業務である。会社が仕事として命令し給料をもらって研修を受けている。だとすれば研修終了後の活用法についてまでビジョンを示されなければ、この仕事は無駄である。
泥棒猫を撲滅する根本解決は、日本の企業がキャリアパスにきちんとしたビジョンを会社が持ち、社員を使いこなしていくことである。また留学制度なども費用対効果を測定し、自己負担制度や休職制度のような会社丸抱えだけではない柔軟な仕組みを作る必要がある。
といっても総合職という名の何もできない人を20年かけて育て上げる人事システムを自らも総合職である人事担当者が変革することは難しい。自己否定につながるからである。内部崩壊か外圧を待っている間にも泥棒猫はどんどん逃げだしていく。
1998.4.20.(MON)
<今日の一言>
16日の投票は、現金なら消費は増える=15票、現金でも商品券でも消費は増えない=9票、でした。ご協力頂いた方、ありがとうございました。
不感症
明治時代に新橋/横浜間に最初の鉄道が通ったとき、発車する列車のホームに履き物を脱いで乗る人がいたという。鉄道というものを初めて見た人の反応としては当たり前なのかもしれない。
私の両親の時代は当時貴重品であったバナナをもらっても、どうやって食べるものなのか誰にもわからなかったという。
元祖日清カップヌードルを初めて食べた時は鮮明に覚えている。変な匂いがして、こんなにまずいものはないと思った。
中学生の頃、スティックシュガーを紅茶に添えて出したら、紙のスティックのまま紅茶に入れた来客がいた。当時はまだ珍しく使い方がわからなかったのだ。
私が大学に入学した1982年にはまだワープロというものは普及していなかった。当時サークルのビラを作るには、学生会館に行って和文タイプという今では運転免許更新の時位しかお目にかかれない機械を使った。活字をタイプでガチャガチャ打って、それをコピーで拡大して紙に張り付けでコピーしていた。大学を卒業する頃にはワープロで年賀状を出す人が現れた。(当時、この年賀状はワープロで作りました、と括弧書きで誇らしげに書いてあった)
1989年にアメリカに行ってアップルのマッキントッシュを見た時、今までのDOSパソコンとの余りの違いに驚いた。レーザープリンタで画面で見ているものが瞬時に紙に印刷されるのに感動した。
1996年師匠の家に行って初めてインターネットの画面を見た。ホワイトハウスのページの星条旗が動いているのを見て、「これは凄い」とパソコンを買う気になった。
今では携帯電話とインターネットでいつでもどこでも人と連絡がとれるようになった。
これから起こる驚くべきこととは何であろうか。ちょっとやそっとでは驚かない。不感症の時代である。
1998.4.19.(SUN)
<今日の一言>
CDショップに行って、UKという1970年代後半のグループのアルバムを買いました。かつてレコードで聴いていたバンドを改めてCDで聴き直すと感動してしまいました。
大勉強時代
最近通勤電車に乗ると車内で本を読んでいる人が多い。本といってもマンガや週刊誌ではなく、銀行員の業務検定や英会話の教材のような所謂問題集の類である。
証券アナリストや宅建ならまだしも、この前は横に座った人がレントゲン技師かなんかの問題集を解きはじめたのには驚いた。
不況のせいか、それとも終身雇用の崩壊の予兆を感じるせいか、勉強して資格を取ろうという雰囲気が日本中で高まっている。予備校の広告も英語で考える学院、やらANJOインターナショナルといった評判はともかくアメリカの会計士や証券アナリストといった資格のための学校がよく目に付く。
大学時代の友人にも最近合格者数を増やし易しくなったといわれる司法試験を勉強しようとしている者がいる。
大勉強時代と言う人もいるがむしろ資格時代といった方が正しいかもしれない。資格は別に必要が無いと言う人もいる。例えば証券アナリストを持っているからといって必ずしも証券の分析に長けているわけではない。宅建を持っていても仲介の手数料を稼げない無能な営業マンはいくらでもいる。
だからといって資格は必要ない訳でもない。むしろ必要条件になってくる可能性がある。一つの組識に長期間所属するなら資格では測れない能力も評価してもらえるが、労働市場の流動化が進み、面接やどちらかを選ばなければならないような状況では、短時間で人を判断する理由付けとしてこれらの資格は決定要因となりうる。
かく言う私も5月の末にCFA(アメリカの証券アナリスト)試験を受験することになっている。今年は一回目ということでもあり、準備も遅れていることもあり腕試しといったところである。取り敢えず時流には乗っているのである。
1998.4.18.(SAT)
<今日の一言>
モスバーガーを食べて、髪を切りに行きました。髪を一回切るのとモスバーガー14個が同じ値段です。何か間違っているような気がしました。
棲み分け
前の会社でお世話になった上司と昼食を共にする機会があった。彼はマーケット部門から異動し、今は個人マーケットの販売戦略を統括する仕事をしている。
ビッグバンを迎え、銀行は大きな戦略転換を迫られている。自ら資金を調達し、自ら運用する従来の収益源を捨てるのか、維持するのかという選択である。
邦銀に対する信用不安は銀行からの資金流出を招いている。この傾向はごく一部の相対的な優良行を除き共通する。そして従来の銀行の最大の運用源であった融資は、バブル崩壊以降一向に回復の兆しはない。しかも優良な融資先は資金調達を銀行借入れから社債発行による直接金融にシフトさせている。
一方でハイリスクハイリターンの中小企業融資はノンバンクの優れたリスク管理機能と迅速な融資姿勢にまったく歯が立たない。個人の融資も消費者金融のノウハウに比べ銀行の競争優位はまったくない。
市場での運用もスワップ市場などの相対市場では信用(格付)が低下することにより取引コストが増大し、リスクに対する体力低下もあり、収益を上げることは困難になってきている。
つまり自ら預金や貸付信託で資金を集め、貸出しや有価証券運用するビジネスは抜本的な構造改革が行われない限り縮小するしか道はない。多くの邦銀に残された道は投信のような商品を他の金融機関から仕入れて顧客に売るという販売チャネル機能に活路を見出せるかどうかである。
証券会社が豊富な品揃えで投信から株式まで扱っているが、銀行が本格的に投信の販売を行えば、差別化は可能である。顧客層が異なるからである。
証券会社や投資信託の電話販売で投資を行う人はリスクをすでに認識している人である。一方銀行しかお金を預けない人はリスクテイクに消極的な人である。彼らに対しリスクとリターンを正確に説明し納得してもらった上で投信を購入してもらう。これが成功すれば銀行という販売チャネルは独自性を発揮し、生き残ることができる。
成功の為には良い商品の仕入れ、在庫の管理、販売のノウハウといったものが鍵になる。商品がいいものであり、それをきちんと顧客に説明して売っていくことができればメリルリンチ証券だろうがフィデリティであろうが個人資金マーケットで共存できる。
ドトールコーヒーが世に出た時、喫茶店は全滅すると言われたが今でも残っている。CDレンタルが広がった時、レコード店は無くなると思ったが、CDはその後も売れ行きを伸ばした。日本という閉鎖的な市場で規制金利商品を売ってきた邦銀はドトールが180円コーヒーを世に出す前の伝統的な喫茶店と同じである。ドトールの真似をした喫茶店の多くが中途半端な店になり潰れていった。今でも残っている喫茶店は従来の顧客を大切にし、味・雰囲気といった品質を重視することでドトールと差別化できた店である。
日本の銀行は数が多すぎるのは確かであり今後吸収合併の嵐になることは間違えない。ただいくつかの銀行は自らの競争優位を認識し、経営資源を集中させることで生き残りに成功し、ビッグバン以降の金融機関の一角を占めるだろう。その競争優位とは個人顧客基盤である。銀行で一番価値があるのはMOF担でもなければ融資の審査役でもない。支店の顧客なのである。
1998.4.17.(FRI)
<今日の一言>
投票にご協力いただいた方、ありがとうございます。まだの方もこれからでも投票していただければと思います。しばらくしたら結果を発表いたします。
漁夫の利
今政府がようやく腰を上げた減税を、1年以上も前から要求し一番まともなことを言っていたと思われる新進党は昨年末の解党で自由党となったが、人気はさっぱりである。まともなことを言っているのに人気につながらないのは、党首のキャラクターだけが原因ではないという気がしてきた。要するに日本の社会では市場原理の導入による自由な機会の平等社会は嫌なのである。
みんなで仲良く、傷を舐め合い、弱者の基準に合わせて、みんな一緒というのが心地好いという感覚が戦後の民主教育で完全に体に染み付いてしまった。結果の平等である。活力を失うこの思想でグローバルな競争に入った場合どうなるのか。漠然とした不安を持ちながら、過去の経験から現在の日本の問題もその内に自然に何とかなると殆どの人はいまだに考えている。
自由民主党の対抗軸になると期待される、民主党といったところで自民党との差別かは難しい。平成ニューディール政策を打ち出す大きな政府論では自民党と何が違うのか良くわからない。
人気はあるが差別化できない民主党と差別化しているがニッチにしかなれない自由党。漁夫の利は自由民主党である。。今回7月に予定される参議院選挙も反自民票は共産党・自由党・民主党に分散するのであろう。
それにしても民主党と自由党、足したら丁度自民党である。ネーミングからして既に飲み込まれてしまっている。
1998.4.16.(THU)
<今日の一言>
ブードュー経済学VS箱庭経済学
15日の日経新聞「大機小機」は???であった。個人消費の刺激策として商品券方式による戻し金が検討された。筆者はこれは単なる減税と同じ効果しかないという。なぜなら国民は合理的な行動をする合理的経済人であるから配布された商品券は本来使うはずだった現金消費の代わりになるだけだから、という。こうした合理的経済行動を前提としない経済学は呪術経済学だと切り捨てている。
本当に現行の給与に戻す減税を商品券にしても消費刺激効果は同じであろうか。私はそうは思わない。
よく人から合理的で冷たい人、とまで言われる私でも自分で合理的ではない経済行動を取ることがよくある。例えば財布に3万円しか入っていない時と10万円入っている時の消費行動は明らかに異なる(消費は手持ちの現金金額に左右される)。現金を持っていると気が大きくなる。クレジットカードだとつい使い過ぎてしまうこともある。宴会の幹事をしてカードで支払い現金で集金などしたら、手元の現金はもらったような錯覚に陥る。
他にも合理的ではない行動はいくらでもある。給料日の直後には金遣いが荒くなる。昼間のランチは100円にこだわるくせに、アフター5に飲みに行くと千円単位のアバウトな精算になる。このような合理的ではない行動の経験は誰にでもあるのではないか。
確かに個人差はあれ人間は大雑把には合理的である。知性があるからである。しかしあくまで大雑把にという限定付きである。皆が機械のようにいつも合理的に判断して行動しているとはとても思えない。世の中はそんなに割り切れるものではない。
近代経済学が行き詰まった理由の一つはそこにある。完全に合理的な経済行動を前提とした分析は現実から乖離し限界があることがわかっている。不自然な仮定(取引コストゼロ、税金は考えない、といったもの)を作り数学的に美しいパズルを作って答えを出しても現実離れした自己満足の箱庭の世界である。学者が勝手に自己満足しているだけなら放って置けばいいが、実際の経済に口を出されると無関心ではいられない。
減税に話を戻すと、商品券は難しいとしても振り込みにしないで現金支給にするだけでも消費に対する効果は異なる、というのが私の意見である。現金で6万円手渡されればインパクトがあるが、振り込まれたり給与に戻し入れでは気付かない人もいる。そして現金でもらえばそれを銀行にすぐ預ける人もいるかもしれないが全員ではない。少なくとも私は財布に入れておく。すると先ほどの手持ち現金の法則で使ってしまう。消費性向は高まる。
経済学者が分析すべきは、商品券に効果が無いなどと屁理屈を振りかざすことではない。現実的に現金払いや商品券方式にすることによる事務コストとそれによって得られる消費刺激効果のメリットを比較検討することである。
ブードュー経済学も危険だが、箱庭経済学(現実離れした仮定の世界の経済学)も同じくらい危険である。
1998.4.15.(WED)
<今日の一言>
「Daddy」をどこで読んだのか、と何人かの方に聞かれましたが、、、恥ずかしくて言えません。
子育て減税(2)
ワゴンさんの大磯小磯に少子化と子育て減税のことが書いてある。
SHINOBYさんの日記に少子化と子育て減税の話題が出ていた。彼と私はほぼ同年代でともに外資系企業に勤務しており、批判精神旺盛という共通点があるが、面白いことに考え方は正反対のことが多い。また私は持ち家派・子供ありだが彼は賃貸派・子供なしである。
(中略)
要するに子供をつくらない人は子供や子供のいる生活を好まないからつくらないのであって、経済的な理由で子供をあきらめている人は実際にはあまりいないであろう。逆に言えばいくらお金があっても子供が欲しくなければつくろうとは思うまい。だが一方で子供ができたが育児費で生計が圧迫されている世帯や、もう一人子供は欲しいが経済的に不安がある世帯は少なくない。こういう世帯に税制上のメリットを与え子育てを支援するのは正しい経済政策だと思う。日本はこのまま行けば人口が減少しGDPの大幅な減少の可能性もある。少子化対策は超長期の景気対策なのである。
確かにワゴンさんとは銀行員の給料論争以来意見の対立が多い。でも半年前の断筆騒動の時は私がワゴンさんのコメントに心酔してしたのが発端であったが。今回の少子化は労働力の減少をもたらし国力の衰退につながるというご意見は私とは考え方が違うようであるが、子供に対する経済的観点からの考え方は同じである。また税制上のメリットを子育て支援という観点で捉えているのも、少し見方が異なるようである。
また別の方からこういうメールも頂いた。
こんにちは。いつも反論ばかりするのに丁寧にご返事をいただいて恐縮です。さて、私は二人の息子を持つ父親でもありますが、子育てについては以下の通り考えています。
子づくり=本能(性欲、播種本能)
子育て=適者生存+学習
つまり人間の赤ちゃんって可愛くて、面倒を見なきゃというきもちになるのは、適者生存の結果(可愛くない子供しか産まれない種は、親が子育てを放棄するので種として残らない)。子育ての方法論は社会(自分の親を含めて)からの学習だと思います。小子化は日本人にとってこの本能の部分と、学習の部分が弱くなってきているせいかなという気がします。可愛い子供を育てたいという欲求(適者生存)よりも、他の欲求が勝ってしまうのですね。なら、どうしたら小子化は防げるか?
1.性欲を刺激する
今でも十分刺激されているか。また、これは下手をすると大変危険な結果を招きそう。さらに、避妊手段が発達しているのであまり有効でない?
2.他の欲求を抑える
東京中を停電にして、他にやることをなくすっていうのは良い方法かも
3.学習できる環境作り
二世帯、三世帯同居の促進ですね
いずれにしても、お金はあまり効き目はないかも。
子供の問題は人口ピラミッドといったマクロの政策と個人の家庭というミクロのレベルの間に齟齬があることに要因があるのではないか。かつては子宝と呼ばれ政府も富国強兵といっていた時期は、たくさん産んでたくさん育てることが国家と家族双方の利益になった。日本とは逆に国は少子化政策をしているのにどんどん人口が増えてしまっている国もたくさんある。
今後の日本の人口ピラミッドの歪みは世界で一番激しく、急速な高齢化が進むことは間違いない。年金制度など様々な問題が出るのは避けられないが、そういった問題には高齢化以外の根本的なシステムの欠陥があり、一概に少子化だけが問題というわけではない。
私が言いたかったのは、少子化による労働力の問題を語る前に今使われていない宝の山(女性と年寄り)を使うことも考えよ、ということと本当に子供を増やしたいなら減税だけでは不十分であり、ハード・ソフトを含めた真剣な政策を講じる必要があるということである。
1998.4.14.(TUE)
<今日の一言>
蒸し暑い気候に早くも夏ばてしました。生ビールに焼肉でも食べたい気分です。
子育て減税
子供を持つ家庭に税金控除を認める減税案を政府は考えているようだ。
少子化は労働力が減少をもたらし国力の衰退につながる可能性があるというが本当だろうか。そんなに労働力が必要なら、本人は働きたいのに定年退職させられてエネルギーが有り余っている人を雇用すればいい。ボランティアやゲートボールでエネルギーを発散している元気な年寄りにあと10年余計に働いてもらえばいい。それに子供が増えたとしても彼らが日本の労働力になる保証はない。皆シリコンバレーのハイテク企業やハリウッドの映画会社やニューヨークの投資銀行に行ってしまうかもしれない。
日本にはまだ活用されていない労働力が他にもある。女性である。扶養者控除という働き過ぎると損をする税制のせいで月に数万円のパートに人が集まる。その中には優秀な人がたくさんいるが、皆コピーやお茶くみを時給800円でやっている。
とはいえ私はこの減税は種の保存のためのコストだと解釈している。トキやアホウ鳥と同じ発想である。日本人という種を保存しなければならない。誰も子供を産まなくなったら種は滅ぶ。
今の日本は子供を育てるには余りにコストが掛かり過ぎる。そしてその苦労の割に将来親に恩返しをするかも期待できない。つまり経済的に子育ては割に合わない。教育費をせっせと費やし、そこそこに育て上げても何の経済的メリットもない。子供とは完全に精神的な面でのメリットを前提にした自己満足本能型投資である。本能ならどんなに苦労しても子育てをするだろうが、少子化が進んでいるという事は人間の本能も相当退化したということだろう。
ただし減税をやるとしてもそれだけでは少子化問題は解決しない。産休制度や保育所の充実などソフト面での子育て環境の充実が無ければ、数十万円の減税では効果は薄い。
いづれにしても私は高々数十万円の減税に目が眩んで種馬政策に乗るつもりは毛頭ない。
1998.4.13.(MON)
<今日の一言>
会社のレイアウト変更により机の場所が変わりました。スペースが広くなり、気分一新です。
明日は外貨MMF
円高より円安の可能性が高いと思うなら外貨で資産を持つべきである。円高にも円安にもならず、今の水準で為替が安定すると思うとしても外貨で資産を持つべきである。為替が動かないなら金利が高い通貨で預けたほうが得である。
では円高になるか円安になるかわからないのなら、どうすべきか。自分がこれから使うであろう支出のうち、外貨にリンクしている分は外貨で貯金するのがいいと思う。
例えばガソリンやパンなど原材料はほとんど輸入である。円で買えるといっても円安になれば値上がりする。電気代や輸入ワインやブランド品なども同様である。海外旅行に行こうと計画しているならその支払いはドルやマルク、であろう。今130円で外貨預金をしてそれを1年後の海外旅行に使うというのは為替を130円で押さえたのと同じである。円安になっても130円で旅行に行ける。しかも5%の金利で運用益のおまけつきである。
例え円高になっても4円までなら損はしない。金利差が5%あり為替手数料(証券会社なら片道ドルは50銭)を差し引いても同じだからである。それ以上円高になれば損はするが、それは円安保険だと思えば納得できる。それにその時は円の価値が上昇している訳で、持っている円資産の価値は増えていると思えば悪いことではない。
つまり為替の投機ではなく、最後は自分で使うという実需の外貨投資は発想を変えて行うことが大切である。
イースターという海外の休日で日本の薄いマーケットで執拗に円を買い、介入して為替のレベルを変えようと孤軍奮闘している姑息な中央銀行の手口を見ていると、この国の経済対策同様長期的なビジョンの無い小手先のその場しのぎの悲しさが漂う。まだマーケットを腕力でねじ伏せられると思っているらしい。
それとももしかすると、この介入は外貨で資産を持つチャンスを中央銀行が国民に与えてくれたということなのかもしれない。明日はドルのMMFを一番レートのいいD証券で更に買い増すことに決めた。
1998.4.12.(SUN)
<今日の一言>
郷ひろみの「Daddy」は余りのくだらなさに悲しくなるような本です。立ち読み30分コースをお勧めします。
日本人は相場に向かない?
ビッグバンで熱い視線を浴びている投資信託だが、販売状況を見ていると日本の個人投資家の投信の投資スタンスにはどうにも理解できないものがあるという。それは投信の価格が値上がりすると解約が増えて残高が減り、値下がりする投信は解約は少ないが時価残高は値下がりで減少するという奇妙な傾向である。つまり顧客が損をするか得をするかの違いはあっても残高は減っていくという現象である。
上がったものをすぐに利食い、含み損はいつまでも塩漬けにする投資では利益はあがらない。そして投信に対するイメージはいかがわしい商品ということになってしまう。
値上がりした投信が解約される理由の一つは、証券会社の営業にあった。少しでも利が乗ると顧客に連絡し、新しい商品への乗り換えをセールスする。知識の無い顧客はセールスマンの言うとおりにして、少額のキャピタルゲインを手にし、手数料、税金を差し引かれる。
しかし塩漬けの株式や投資信託は個人投資家だけではなく機関投資家も同様である。原価法という含み損を表に出さない会計手法は儲かったものだけを売って利益を出し、含み損を持つ腐りかけの資産を保有し続ける企業の投資スタンスに貢献した。その腐った資産はいつかは組識全体で支えきれないレベルまで達し気付いた時には手後れになる。
そして横並び意識が更に皆で損をすれば怖くない、というマインドを醸成している。人がやるから自分もやる。そうすれば失敗しても責任を取らなくていいというサラリーマン根性である。この意識が変らない限り相場で利益を上げることはできない。
日本人が相場に向かないのと言われるのは、実現益を重視する非合理な投資マインド、損切りするインセンティブの働き難い会計制度、そして横並びの教育と企業のリスクテイクに対するネガティブな評価が原因である。つまり資質の問題ではなく、システムの問題である。これらを早急に変えなければいくら優秀な日本人であっても効率的な投資手法には勝てない。
1998.4.11.(SAT)
<今日の一言>
ここ数日花粉症の症状が出てきました。ちょっと流行遅れで恥ずかしいものです。
ワンルームマンション
低金利と不動産価格の低下の効果であろうか、最近またワンルームマンションの投資広告を新聞で見かけることが多くなった。
1千万円台のマンションを購入し、30年の変動金利ローンを組めば月々の支払いはローン元利金プラス管理費用マイナス家賃収入で6千円程度という計算である。月々6千円の投資であなたもマンションオーナーに、が殺し文句である。
この投資の前提はローンの金利が30年間上昇しないこと、家賃が30年間下がらないそして借り主がいなくなったりしない、ことを前提にしている。それが実現したとして30年間6千円を払い続け得られるものは築30年のワンルームマンション一部屋である。
確かに30年以内に一度でもインフレが起きれば投資として成立するのかもしれない。不動産価格が10倍になり、物価が5倍になれば、ローンを返済してもお釣りがくる。そういった意味では毎月の6千円はインフレ発生というコールオプションの買いに対するプレミアムと考えることもできる。
ただしそこには人口減少リスク、流動性リスク、地震リスク、日本衰退リスク、などは織り込まれていないように思う。同じインフレに賭けるなら別の効率的な方法がある。とすれば最大のメリットは不動産の所有者になれるという満足感なのだろうか。
1998.4.10.(FRI)
<今日の一言>
急に暑くなりました。そろそろ衣替えでしょうか。
パシフィック・リンク
ボストン留学時代に現地で活動していた、パシフィック・リンクという団体の集まりがあった。1989年にアメリカに行き、当時日本バッシングといわれる日米関係を見て、日本を理解してもらう為に学生が何かをしなければ、と始めたのがきっかけでもう10年にもなる。
ロバートライシュ元労働長官やレスター・サロー、ドーンブッシュといった人を招いての討論会やジャパンフェスティバルという日本文化紹介の企画など当時としては斬新な活動をしていた。
集まったのは1989年から1997年にボストンのビジネススクールに留学していた人が中心。同じ時期に留学し、帰国後グロービスを立ち上げた堀さんにオフィスの一室を提供していただき、缶ビールを紙皿に乗せたおつまみを食べながら30人近くの人が語り合った。
彼らと話していると自分が思っていることが決して一人よがりではない一般的な認識であることを再確認できる。日本の閉塞感を語るだけではなく、1人1人が如何に自分の持ち場で能力を発揮していくのか。マスコミの日本悲観論に踊らされるだけではなく前向きな話をすることができたのは有益であった。
1998.4.9.(THU)
<今日の一言>
やはり適度な飲酒は体調を回復させるようです。
貸し渋りではなく貸し絞り
上履きでお世話になったアサヒコーポレーションが倒産した。アジアの低価格の製品により事業の利益が圧迫されたことに加え、銀行の貸し渋りが致命的打撃だったという。
マスコミは貸し渋りをしている銀行を社会的使命を果たさない諸悪の根源のように非難するが、資金回収に走る銀行の態度は非難されて当然なのであろうか。
銀行とは融資先に対し、事業リスクを審査し、リスクに応じたスプレッドを上乗せして企業に貸し付けるのが仕事である。確かに今までの過剰融資、いい加減な審査体制、そして早期是正措置以降のここ一年の急速な資金回収は多くの歪みを生み出したのも事実である。その中で事業をきちんとやっている将来性のある企業までが資金繰り倒産をしている場合もあるのであろう。
しかしそのことと銀行の本来的な機能を混同してはいけない、と思う。クレジットリスクに見合う適正な利鞘を取って融資する本来あるべき銀行業を行う場合、今の日本の産業のを見渡せば将来のクレジットリスクを抱えた会社だらけである。旧態然とした経営陣の思考、過剰人員、過剰設備、をいった問題を抱え、抜本的解決策を取らずにいる会社は銀行が融資を引き上げるのはビジネスとして当然の判断ではないか。
確かに銀行自体にも同様の問題が山積し、先送りされている。しかし何かというとすぐに銀行が悪いという論調を聞いていると、金を借りている側に借りるだけの収益を産み出しているのか、と問いたくもなる。
今起っていることは貸し渋りではなく貸し絞りという正常化に向けての動きではないかと思った次第である。
1998.4.8.(WED)
<今日の一言>
2日間禁酒しました。どうも寝つきが悪く寝不足気味です。
マイナス金利
日本の卸売物価はこの1年で0.1%のマイナスになった。そうかほぼ横ばいなのか、と考えてはいけない。消費税が昨年の4月から2%引き上げられている。それを含めると2%の物価の低下である。しかもこれは日銀の統計上の数値である。キャンペーンによる増量や技術の進歩による実質的な値下げも考慮に入れれば、円安の中でのデフレが見えてくる。
日銀は公定歩合を0.5%に据え置いたままである。エコノミストの間ではこれをマイナスにすべきだと主張しはじめる人が出始めた。メリルリンチのローゼンバーグはその代表である。
金利がマイナスになると何が起こるか。お金を預けると金利が取られる。お金を借りると金利が貰える。誰も銀行預金はしなくなるだろう。預けている人もお金を取られることになれば一斉に解約に走る。
逆にお金を借りれば手元にお金が残るのだから借りられる人は銀行に殺到する。金利がマイナス1%なら、100万円借りて一年後に99万円返せばいい。最初から1万円がポケットに入る計算になる。しかし銀行には預金が集まらないからお金は個人になど貸してくれない。しかし今ある短期金利連動の変動金利住宅ローンなどお金を借りているのに利子が付くといったことが極端な場合ありうるのである。
いずれにせよマイナス金利になれば資本市場に金が流れなくなる。今でもたんす預金をしている人達がいるというのに、金利が更に下がれば余計に市場に資金が回らなくなる。そして円は外貨に急速にシフトするだろう。大円安である。そして資金逼迫から市場金利は急上昇する。国債は大暴落。それから急速なインフレにでもなるのだろうか。想像もつかない。
マイナス金利と簡単に言っても、実際やってみると世の中がひっくり返るような大変なことになるような気がする。
新装開店
会社の大先輩CubicTKさんがHPをバージョンアップして新装開店した。アクセス数113件の出来立てほやほやページである。
Photo Galleryの欧州の美しい風景と過激なエッセイのコントラストが面白い。本人を知っているとこのバランス感覚が妙に納得できる。
私にとっては「月と1200兆円」をはじめとするTalkが日本の金融行政に対する痛烈な批判と先見性を示す読み応えのあるエッセイとして楽しめた。日本の資産運用ビジネスの黎明期が生々しく描かれている。これから更に更新されていくようなので楽しみである。
1998.4.7.(TUE)
<今日の一言>
喫茶店で傘を間違えられてしまいました。何となくツキが無い今日この頃です。
シティグループ
シティーコープがトラベラーグループと合併を決めた。今や世界で最も名の知れたリテイルバンクを展開するシティだが、前にも書いた通り日本での絶賛ぶりはやや過大である。外貨預金の代名詞のような存在感のあるシティバンクだが、今週の月曜日の日経新聞で知れ渡った通り、シティバンクの外貨預金は金利が低い。預金金額にもよるがドルで3%台である。邦銀はドルが欲しくて仕方ないからという事情もあるが概ね4%半ばである。
シティはコンビニと同じ発想で徹底したリテールを行っている。コンビニがここまで消費者に受け入れられたのは、必要なものが必要な時に簡単に手にはいるからである。その利便性の対価としてスーパーより高い値段でも、コンビニでモノを買う。
シティも同様の差別化を行っている。金利が低くても便利で使い勝手がよければ客はつくことを知っている。電話で簡単に設定できる。解約するか継続して定期にするか電話ですぐに指定できる。ややこしい申込書に印鑑を押したりしなくてもいいのである。電話はフリーダイヤルである。店に行って通帳の記帳をしなくても郵便で取引明細を送ってくれる。今度はドル預金でカードの決済までできるようになる。ますます利便性が増し、コストを払ってでも利用したい人が増える。
ビッグバンでマスコミに煽られて外資系を絶賛するのは勝手だが、消費者の視点からは得なものをクールに使いこなす冷静さが大切である。私は外貨預金は会社の隣のD証券でやっている。為替の手数料が半分で、金利は5%以上だからである。
ネーミング
非喫煙者向けの保険が発売された。第百生命の「すいません」である。この商品是非大型商品に育って欲しいと応援したいが、残念ながら大手生保では取扱っていない。
なぜだろうか。可能性は2つある。行政指導が働いているのか、あるいは他の会社は売れないと思って商品化しないのか、である。前者だとすれば業界の弱者に優先的に新商品の認可を行うといった裁量行政がいまだに続いているということである。後者だとすればその理由の一つはネーミングにある。
誰しも人に謝るのは嫌なものである。何でたばこを吸わないのに謝る必要があるのか。「すいません」はやめて「吸うんじゃねえ!」にしたらどうだろうか。
1998.4.6.(MON)
<今日の一言>
本日の日記はまとまらない内容ですが時間切れでそのまま載せました。ご意見頂ければと思います。
衣・食・住、足りて
日本は豊かになったとはいえ衣食住がすべて足りているとは言い難い。衣は個人的にはLLビーンやGAPといったアメリカンカジュアルを着ていれば別にアルマーニを着たいとも思わない。食もエノテカ・ピンキオーリやタイユバン・ロブションにでも行きたいと言わなければ、何でも食べられる。
問題は住である。なぜ他のものに比べこんなに高いのであろうか。土地が少ないから、規制の影響、要因は色々あるだろう。東京だけの特殊事情なのかもしれないが、ビジネスマンが一生働いて、満員電車に1時間半揺られて通うようなところに50坪の一戸建てしか買えないような価格は異常である。最大の景気対策はここにある。公共工事で地方に道路を作るなら都心の虫食いの地上げされた土地に低廉な住宅を作れるようなサポートを国がする方が波及効果も大きいと思うが。
それにこれからは衣食住よりも「異色・自由」の方が大切になる。
「異色」とは、人と同じことが価値を持つのではなく、人と違うこと、つまり差別化できないと存在価値が否定されることである。今、学校で起こっているいじめの問題も根幹は異質なものを認めない画一的な価値観にあるのではないか。競争社会において人と同じ事をしているとどうなるかは邦銀の惨状を見ればわかる。
「自由」とは選択の自由である。裏を返せば豊富な選択肢から自分で決めてその代り自分でリスクを取る、自己責任を意味する。
多様性を受け入れ、自分で選択し自分で責任を取る、厳しいようだが心地よい緊張感のある社会になれば「住」の問題も自然に解決する。
うそつき
うそつきは泥棒の始まり、と子供の頃親に言われた。
火だるまになってもやり遂げるといっていた行財政改革はお尻に火がついて一旦棚上げすることにした。
18000円にならなかったら責任問題になるはずだった株価は16000円台で引けた。
今や景気回復優先の大合唱であるが、行財政改革は皆忘れてしまったのだろうか。構造改革なき財政支出は国を滅ぼすだけである。日本が批判されているのは景気が悪いからだけではない。お金の使い方に無駄が多く経済が効率的でないからである。道路を掘って埋めるだけでも景気浮揚効果があるという人もいるが、そうであろうか。公共工事で潤う人は一時的に消費を増やし景気回復になるかもしれない。しかしその恩恵を被らない人たちはそんな無駄な支出を見てどう思うだろうか。日本は間違った方向に進んでいる、年金も破綻する、増税になる、国の競争力が無くなり生活水準が落ちると考えるのが自然ではないだろうか。
だからそんなことをしても景気は上向かない。無駄な公共工事をしても将来に維持コストという負の遺産を残すだけである。必要なことは無駄なものを無くしシンプルなシステムを作り上げることである。無駄なものとは、予算の無駄使いだけでなない。国も企業も人も組識も、日本中にあるすべての中にある無駄が対象である。
無駄なものとはもしそれが無くなったとしても困らないもののことである。自分の胸に手を当てて考えてみたい。自分の存在価値はあるのかどうか、と。
1998.4.5.(SUN)
<今日の一言>
「じこせきにん」を変換すると事故責任になってしまう。我輩の辞書には自己責任という言葉はまだない。
銀河高原ビール
所謂地ビールと言われる小規模な生産設備で作られる個性豊かなビールが最近増えてきた。その中でも美味しいと言われる、銀河高原ビールを買って飲んでみた。確か、とことんとんとんの東日本ハウスの系列が経営している。
実は2月ほど前、とある居酒屋にこのビールが置いてあり注文したところ、ベルギービールのような爽やかな酸味が気に入り、いつか機会があったら飲みたいと思っていたのである。
ビンを見るのは初めてだったがディープブルーのスリムなワインボトルのような鮮やかなビンで幻想的なイメージである。値段は一本500円と最近の安売りワインより高かったりするが、クリーミーで独特の味わいを考えればたまには贅沢してもいいと思えてしまう。
ドイツのビール純粋令によればビールとは麦とホップと水のみを原料といいそれ以外を原料として加えたものはビールとは称さない、らしい。
要は美味しいものが飲めればそれでいいのである。消費者の選択肢が広がるということは取り敢えずまた少し豊かになったということである。
1998.4.4.(SAT)
<今日の一言>
最近、中田と似たようなサングラスをした若者をよく見かけるようになりました。でも顔が全然違うんですよね。
文句
景気の失速、格付騒動、政策転換とちぐはぐな政策運営から国民の政治に対する不信はさらに広がるだろう。マスコミは橋本首相の失政により日本の信用まで落ちてしまったと大キャンペーンを張る可能性がある。しかし昨日も書いたとおり選んだのは有権者の責任である。投票したい人がいないから棄権した、どうせ変らないと思って棄権したという人も多い。投票率30%代で過半数も取らずに当選すると実質的には1割程度の人しか支持していない候補者が議員になっていることになる。
去年の7月6日(SUN)の日記で、候補者の最後に「棄権」という欄を作り、投票する人がいない場合「棄権」に投票する方法を提案した。そうすると選挙に行かないという言い訳はきかなくなる。選挙速報では「棄権」も一候補者として扱う。「棄権」が当選確実になりました、などと放送をする。とはいっても「棄権」は人ではないので「棄権」が第一位の場合、第二位の候補者を繰上げ当選とする。怒りの棄権票は結構集まるのではないか。
選挙のシステムに問題があることは事実である。しかしだからといってそれを言い訳にして何もしなくて現実を傍観して文句だけ言うというのも虫が良い行動である。
投票もせず、政治に文句を言っている人は、会社では自分から行動を起こそうとしないのに赤ちょうちんで「うちの会社は最低」とくだを巻いているビジネスマンと同じである。文句を言いながら会社に給料をもらい居座っている、「社内評論家」ほど厄介なものはいない。既得権益をしゃぶり尽くすたちの悪い害虫である。いやなら辞めるか変えようとするかどちらかを選択すべきである。
一人前の文句だけは言うが行動しない「総評論家現象」が日本全体に広がっているようで不安である。
1998.4.3.(FRI)
<今日の一言>
週末は花見に絶好の天気になりそうです。
MDY
金融市場はムーディーズの日本の格付アウトルック変更発表に揺れた一日だった。
山一の廃業もアメリカの陰謀だと思っている人にとって今回の格付機関の発表は、橋本首相がASEMに出かけているときという絶好のタイミングを考えれば、これもまたアメリカ政府の謀略に見えるかもしれない。真実はともかく、格付機関・政府・外国人投資家による日本売りキャンペーンに感情的反発を覚えるのは個人の勝手である。しかし本当に怖いのは誰かが書いているように日本人による日本捨てである。その兆候に政府は本気で気が付いているのだろうか。
外貨投信の驚異的な売れ行き、外貨MMFへの資金流入、そして企業年金資産の外貨シフト。お金という最もモビリティの高い資産は円から、日本から逃げはじめている。長期的には、資金の流出のみならず国家財政・年金制度の破綻、国内企業の空洞化、さらに少子化による人口減少と人口ピラミッドの歪みなどから若年層の海外移住者の増加が起きる可能性は高い。不動産と人間の流出である。
国は納税者に対するサービス競争をする時代である。日本語と日本文化という障壁によって日本人を国内に閉じ込めておいた実質的鎖国制度も変わりつつある。どうしたら日本国民に住んでいただけるか、を考え他の国より魅力的な居住地にするのが政府の役割である。
松永大蔵大臣の「民間企業のことに関してはコメントしない」というセリフは政府の理解度を端的に示す。「民間企業」に警告信号を出されても真実から目をそむけ、状況を把握しようとしない無知・無感覚。官がマーケットを動かせると思っている奢り。期末の株価操作(PLO)の失敗でもまだわからないのである。
ただ、選挙の制度面での問題はあるにせよ、彼らを選らんだのは国民である。本当にまずいと思うなら国を捨てるか、国を変えようとするか、いずれかを選択するしかない。この国はいつまでたっても外からの力でしか変革できない情けない国なのだろうか。
1998.4.2.(THU)
<今日の一言>
天気は冬に逆戻り。桜はまだ楽しめそうです。
安藤
そばに凝っていると言うほどではないが、浜田山の「安藤」(3306−0295)に行ってみた。井の頭線の駅から歩いて3分ほどひっそりとした通りにぽつんと明かりが見える。
店内は暖炉にコンクリート打ちっぱなし、椅子とテーブルは木という独特の雰囲気である。酒は升酒。つまみが卵焼き、鴨煮、揚げだし豆腐など。特に揚げだし豆腐は秀逸だった。最後はそば。麺は細くてしっかりと腰のあって甘みのある理想的な状態。つゆは残念ながら改良の余地ありか。
家の近くにこんな蕎麦やがあればなあ、と思うような店であった。閉店が9時というのも住宅地ならではである。
虎の穴(2)
虎の穴について知り合いの方からメールを頂いた。
虎の穴という店は池尻大橋にもあります。ここも、「究極の焼肉」と銘打っているのみならず、内臓系が得意な焼肉屋(炭火)なので、同じ系列ではないかと思います。
虎の穴は池尻大橋に店が昔2つありましたが、そのうち、いつのまにか一つが閉店になっていました。はやっている(店の前に列ができていること多し)にもかかわらず、どうして閉店になったのかなあと思っていたのですが。ひょっとして最近西麻布に支店を開設したのでしょうか。ただし、値段はそれ程高くないはずなのですが。個人的には、そこの焼肉はファンなので系列の店が西麻布にできたのであればのぞいてみたいと思います。
ところで、2年ほど前には、虎の穴の店長は「伊達直人」(本名かどうかは不明)ということで、名刺も配っていました。本名だとすれば、本当にタイガーマスクから名前を取っていることになりますね。
私が店長にもらった名刺も「伊達直人」になっている。タイガーマスクの本名が「伊達直人」というのはもう忘れていたが、店長の本名なのだろうか。それとも茶目っ気で使っている名前なのだろうか。この店長、肉を焼いていると焼き方のみならず食べ方まで介入するうん蓄店長である。ユニークなキャラクターで恐らくオーナーの息子ではないかというのが私の推測である。
今度予約するときは「タイガーマスクですが4人で7時に予約お願いします」位言ってみたいものである。
1998.4.1.(WED)
<今日の一言>
今日からビッグバン、ではなくもう水面下ではとっくに始まっているのです。
ビッグバン
今日からビッグバンが日本で始まるという。株式の売買手数料が5千万円以上は自由化で競争になる。有価証券取引税も少し低くなる。外為法が変わり、コンビニで外貨が買えるとかドル札が国内で流通するようになるとマスコミは騒いでいる。4月からそういったルールの変更が始まるわけだが、ビッグバンは実際には去年から始まっている。
外貨建ての投信の設定は3月だけで数千億円もあった。しかももう昨年からグローバルボンド投信や毎月分配の米国ハイイールド投信といった外貨建ての投信は数千億円規模で爆発的に売れていた。売れ過ぎてファンドが大きくなり過ぎて募集を中止した会社もあるほどなのである。富裕層にはすでにそういった商品が証券会社から提供され、彼らは円安による先行者利益を十分に味わっている。今後は小口投資家や投信アレルギーの一般人にも販売を広げようという構図である。
年金の運用資産も生命保険から外資系投資顧問へのシフトが加速してきている。運用資産も円資産から外貨資産への移行が増えてきている。これももうすでに始まっている現象である。
人より半歩先を歩くことが相場に於いて大切なことなのである。
虎の穴
虎の穴といって、タイガーマスクを想像するのは私と同世代の30代の人である。西麻布の究極の焼肉「虎の穴」(3499−0029)に師匠と会社のアシスタントを連れて出かけた。
究極というだけあって美味しい焼肉が堪能できた。特ににんにく醤油をつけて刺し身でも食べられるカルビは中トロのようなまろやかさ。岩塩を振って軽くあぶって食べるとこれも実に香ばしい。
ここの店の売りは内臓系である。小腸、食道、胃袋といった内臓がまったく臭みがなく新鮮そのものである。生で食べられると店の人は豪語していたが、さすがにO157が怖いので食べたい気持ちをぐっとこらえた。私には赤痢になったという前科がある。
最後の石焼きビビンバがまた旨い。コチジャンという自家製の味噌を入れて豪快にかき回す。鍋が温度がとても高くカリッとした深みのある味に仕上がる。
焼肉といえば足立区のスタミナ苑が有名であるが、比較すれば虎の穴に軍配を上げる(といっても両方とも1回しか言ってないので断定はできないが)。今までの焼肉の概念を変えるといっても大袈裟ではない店だった。ただし値段もそれなりの高級店である。
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