SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1998年7月

 

1998.7.31.(FRI)
<今日の一言>

夏バテには美味しいものを一緒にいて楽しい人と食べるのが一番です。

真田虫ダイエット

花粉症で悩んでいた頃、真田虫をお腹に持っている人は花粉症になりにくいという話を聞いた。逆に言うと花粉症の予防には真田虫を体内で飼えばいいということである。どこまで信憑性のある話かは判らないが、何となくわかるような気がする。

花粉症とはその原因は花粉やハウスダストなど様々であるが要は体内に入ってくる菌が清潔な世の中になって減少してしまい、力を持て余した抗体が悪さをするのが原因らしい。清潔にしすぎると花粉症になるのだから少し抗体に働いてもらえるような対象を人為的に作り出せばいいのだというのが発想の原点だろう。

しかし、それが何故真田虫なのか良くわからない。聞けば真田虫は消化器系に影響を与えることからダイエットにも効果的だという。真田虫のカプセルが販売されていて飲むと腸で活動を始めるらしい。本当に具合が悪くなったら下剤を飲んで虫くだしすれば問題無いという。

しらみ、ノミ、結核といった昔は存在した病気や害虫が薬や衛生面の改善によって無くなった。それが逆に新しい病気を産み出し、今度は無くなったものを人為的に作りだろうとしているのは何だか滑稽である。

 

1998.7.30.(THU)
<今日の一言>

お蔭様でデジカメは5千円で成約いたしました。

寝る体力

夏バテだと騒いでいるが、朝は毎日5時半に起きている。こう言うとホントは夏バテでは無くて寝不足ではないのかと思う人がいるかもしれない。でも朝は無理に起きているのではなく目が覚めてしまうのである。

深夜の2時に就寝しても朝の5時を過ぎるともう寝られない。早寝して9時ごろベッドに入ると深夜の2時に目が覚める。その後は目を閉じていても寝られなくなり、浅い眠りのまま夢を見ている状態で朝を迎える。

年寄りが早起きなのは眠り続ける体力が無くなったからだと言う人がいる。その理屈からいえば、夏バテで体力が消耗し眠る力が落ちてしまったのだろうか。眠る体力の低下が体力自体の消耗を更に促進する。これではスパイラル的に調子は悪くなってしまう。

睡眠に関して当面こんな状態が続くと、後は食事でリカバリーするしかない。ということで今週から朝も無理して食べるようにしている。体重が減ったこともバテている原因の一つではないかと思っているからである。

秋になるとまた悲しい気持ちになるのではあるが、早くこの夏が峠を越さないかと心待ちにしている。

 

1998.7.29.(WED)
<今日の一言>

夏バテは食べることから、と無理してたくさん食べてます。

池波正太郎

ボストン時代のクラスメートが日本の銀行を辞めて米系の投資顧問会社に転職した。彼ともう一人の大学の同期の3人で食事をした。場所は外神田。池波正太郎が愛したという「花ぶさ」(3832−5387)である。

といっても有名店にありがちな奢り高ぶった店ではなく、下町の風情の残る裏通りにひっそりとある名店である。座敷に上がれば別料金らしいが、一階のテーブル席やカウンターの5千円のコースで十分である。

突き出しから始まり最後の穴子ごはんとデザートまで、質量共に満足できる内容である。サービスも丁寧で申し分ない。閉店から随分時間が経つまで長居をしてしまったが、嫌な顔一つせずお茶を何杯でも持ってきてくれた。帰りも入口で深々とお辞儀をして見送ってくれる。最近忘れてしまった何かを思い出させるような店だった。

酒代を入れて一人9千円でお釣りがきた。これでお腹は一杯、お酒の量も丁度良い。ガキには来て欲しくない。静かに寛ぎたい人だけにそっと教えたいような気分である。

 

1998.7.28.(TUE)
<今日の一言>

夜9時就寝、8時間睡眠でも相変わらずバテてます。

もう駄目

今日の暑さは尋常ではなかった。単に気温が高いというだけではなく、湿気と直射日光の相乗効果で体の疲労はピークである。

毎年夏の始まりに夏バテをし、8月くらいなってくると体が馴染むというのがパターンである。今年は7月のあたまの猛暑で体が馴染んだと思っていたら、その後の梅雨の涼しさで気温に対する適応力がまた衰えてしまったようである。

夏バテによる食欲不振で体重の方も着々と減少している。6月中旬にTanitaの体重計を買ったばかりの頃、69キロ台だったのに今日は65キロ台に落ちた。体のキレが少し良くなったようでそれはそれでいいのだが、気力がどうしても出ない。

睡眠時間を増やしても眠りが浅いらしく寝起きがだるい。栄養のあるものでも食べて、暑さに体が慣れるのを辛抱強く待つしかないと諦めている。このままでは体重は63キロ位まで減っても不思議はない。

 

1998.7.27.(MON)
<今日の一言>

Casioのデジカメお譲りいたします。

デジカメ購入

2台目のデジカメを衝動買いしてしまった。近所のカメラ店の宣伝チラシにフジフィルムの1世代前のデジカメが1万9千8百円で在庫処分というのを見つけた。どうせすぐ売り切れているんろうと思って諦めていたが、たまたま店の前を通ったらまだ売っていたのでつい買ってしまった。

今までのデジカメは唯一欠点があった。それはフラッシュが付いていないということである。東京で普段生活しているとき写真を撮りたいと思うのは夜が多い。フラッシュ無しだと旅行位しか使う場面が無くなってしまう。最近はデジカメ活躍の場はほとんど無くなっていた。

フジのDS−20はスマートメディアというのを使うとコードが無くても簡単に画像をパソコンに取り込めるのが特長である。テレフォンカードの8分の1くらいの小さなカードを本体から取り出し、フロッピーディスクと同じ形のアダプターに差し込む。それをフロッピーディスクドライブに入れて画像ソフトで読み込むとJpegで画像を処理できる。

さすがに2万円を切るだけあって、35万画素しかない。しかし前のカシオのデジカメも同じくらいの画像だったけど特に不満は無かった。プリントアウトして普通の写真同様に使うならともかくパソコン上で使うなら十分なレベルだと思っている。

ところで、私の使わなくなったカシオのQV100、どなたか引き取っていただけませんか?カバーケース、パソコンへの接続ケーブルとACアダプターもお付けします。フラッシュさえ必要なければ液晶画面もある優れものだと思うのですが。価格は交渉次第ですのでご興味ある方はメールを下さい。

 

1998.7.26.(SUN)
<今日の一言>

昼間新宿を歩いていたらバリ島のスコールのような凄い雨でした。またビニール傘が1本増えてしまいました。

 

1998.7.25.(SAT)
<今日の一言>

週末も仕事を持ち帰るのが習慣になりつつあります。

社内メール

私の勤務先には社内メールシステムが全員に与えられている。当然仕事に使うのが目的であるが、やはりプライベートの連絡などに使う人もいる。勿論、会社もプライベートメールの使用を禁じているが、会社のメールはプライバシーの問題もあり、禁止されていなくてもなるべく使いたくないというのが本音である。

最近会社の人からのプライベートメールはインターネットの個人のアドレスでやり取りすることが多くなった。アドレスを取得する人も増えたらしく、日記の感想や、会社での出来事などメールを交換している。取締役からアシスタントまで送ってくれる人の肩書きは色々である。

会社の人といっても仕事の話などしない。人生論から美味しいお店の情報まで楽しい情報ばかりである。何人かの人とやり取りをしていて思うのは、意外な人が意外なことを考えていたりする面白さである。会社では滅多に話したりしない人でもしっかりとして意見に共感できたり、新鮮な考え方に感心したりすることがある。

インターネットでは年齢や性別、肩書きは関係無い。勿論顔を知っている人はいるが、メールをやり取りする上においては対等な立場で意見を交換できる。会社の中ではそれぞれのポジションで仕事をしている人が、そんなこととは関係無く意見を言ってくるのが面白い。課長だから、部長だから、、、というのは関係無い。問題は書いてあることが面白いかどうかなのである。

毎日顔を会わせている人であってもフェース・トュー・フェースでは永遠に知り得ないものがある。そんなことがネットを介すると簡単にわかってしまったりするのがネットの存在価値であり面白さである。

MMF

私が住んでいるマンションの管理組合の年次総会議事録が送られてきた。このマンションの住人の管理意識は非常に高く、毎回活発な議論が出る。また電気代やら水道料金といった支出にも厳しいチェックがはいる。私も毎年出席しているが今年は出られなかった。

今回は修繕積立金等の余剰資金の運用先が問題になった。銀行口座は昨年拓銀から東京三菱に変更したが、今年槍玉に挙がったのは証券会社のMMFである。好利回りで元本保証が無い、という事を問題にする人がいて、すべてのMMFを即刻解約して銀行の定期預金に振り替えることが決議された。

確かにMMFは元本保証はない。勿論それはリスクである。しかしそれだけの事実を取り上げ調べもせずにいきなり全額解約で振り替え先が銀行預金というのも何だか性急な話である。

「行動する無知ほど恐ろしいものはない」というゲーテの言葉をまた思い出した。

 

1998.7.24.(FRI)
<今日の一言>

自民党総裁選は「根本的な変化はどん底に落ちないと成し遂げられない」という真理を証明しました。

リゾートオフィス

留学時代のクラスメートから挨拶状が届いた。都市銀行を辞めて金融ソフトの会社に転職した彼は、今度は同じ会社のハワイのオフィスで働くという。ホノルルから車で10分。文面を読んでいると環境も良くリゾートで仕事をする、羨ましい話である。

金融業はリテールはともかく投資顧問やヘッジファンドなど、別に都会にオフィスを構える必要は無い。通信技術があれば距離のハンディはかなりの部分克服できるからである。モノを売る商売とは違い、最終的に販売するのは情報でありサービスである。したがってビットの情報伝達ができれば仕事の大部分はこなせるのである。アトムの部分は出張という形でカバーしていけばよい。

それにも関わらず日本の投資顧問会社はほとんどすべてが東京にある。しかも外資系の多くは港区にオフィスを構える。これはなぜであろうか。人材の確保、取引先へのイメージ、横並び、情報交換、情報インフラ、要因は様々に考えられる。しかし本当にこれが一番良い立地なのか。結論は良くわからないというのが本当であろう。

例えば軽井沢にオフィスのある投資顧問なんてどうだろうか。普段は地元で運用を行い、顧客説明や企業訪問は出張していくような形態である。こういった新しい企業形態が発達するには、都心のオフィスより魅力的である何かを持たなければならない。メリットが無ければ企業は移っては来ない。地方に道路や橋をいくつ作ってみても、人は動かない。だからいつまでたっても地方は自分で稼いで自分で使うという真の意味で豊かさには到達できない。

日本も地方に魅力的な企業が多数生まれて、リゾート感覚のオフィスが仕事の選択肢の一つとして現われる時代が来るのだろうか。

 

1998.7.23.(THU)
<今日の一言>

通勤電車の冷房を強くして欲しいと思う蒸し暑い天気になりました。

左脳恋愛

通信技術の進歩は人間関係のあり方にも大きな影響を及ぼす。

電話も無かった時代、人と実際に会ってしかコミュニケイションは取ることができなかった。顔を合わせ、表情やしぐさ、服装といった声だけではない情報によって相手を判断することが可能であった。

電話が普及すると声だけでコミュニケイションが可能になった。時間を超えることは出来なかったが、空間を超えることは可能になった。ただし相手を判断できるのは声と話している内容からだけである。

最近流行のEメールは空間と共に時間も超えることが可能になった。送り手と受け手が同時にコミュニケイションする必要はない。勿論、電話同様空間を超えることも可能である。しかしEメールでは声もわからないし、書いてある文字以上の情報は無い。筆跡も判らない活字の羅列の世界である。

最近Eメール恋愛というのがテレビドラマになったりして話題になっているようだ。無機質な文字をパソコンスクリーンに見て恋愛感情を盛り上げているというのも考えてみれば想像力がなければ出来ない高度な頭脳活動である。極端な例では一度も会ったことも無く、顔も名前も知らない人とネット上で知り合い特別な感情を持つようになるケースもあるという。

知っている人とネットでやりとりするならともかく、文字だけで知り合い恋におちるというのは私には理解できない。文字だけの情報から相手のイメージを構築し感情を高められる想像力の優れた人の恋愛は「左脳恋愛」とでも名づけられるのではないだろうか。フィジカルな「右脳恋愛」に対するバーチャルで論理的な頭脳活動である。

バーチャルな相手のイメージと実際の相手にどの程度のギャップがあるのかはわからない。永遠に知らない方がいいことなのかもしれない。女性だと思っていた相手が男性の可能性はだって無いとは言えない。

個人的には「右脳恋愛」の方が好みである。

 

1998.7.22.(WED)
<今日の一言>

帰り道、ひどい夕立に遭いました。いよいよ梅雨も明けるのでしょうか。

武術

スポーツクラブに行かなくなってもう1年以上経つであろうか。最近は散歩位しか体を動かすチャンスが無くなってしまった。ということで何かやりたいなと思っていたらひょんなことからNさんより空手について丁寧なメールを頂いた。私の現在の心境とかなり似たものがあるので一部引用させていただく。

私も、どこで習おうか半年近く迷いました。強くなるには極真だろうけど、この体力で続けることができるだろうか?とか、ヤクザとか恐い人たちにシゴかれるのは真っ平だし、でも、少林寺拳法等の寸止めじゃあ物足りないし、中学生のころやっていた柔道は、今更やりたくもないし、、、と、うじうじ考えていました。

(中略)

大道塾という道場を主宰している東 孝の「格闘空手」にビジネスマンクラスというものがあることを知り、住所と電話を控えてきました。

意外なことに本部道場が我が家の近所にあったので、電話で時間を尋ねて見学に行ったのですが、恐くて入れないで、外から観ていましたが、やっぱり恐いので帰ってしまいました。今思い出すと情けなさに笑ってしまいます。

次の週、勇気を振り絞って、道場に入って見学を申し込みました。「ああ、見学ですか?どうぞこれに腰掛けてみていてください」と、あっさりしたものでした。一体私は何を心配していたのでしょう?

練習はきつそうでしたが、実戦を想定した動きであるにもかかわらず安全性に配慮があり、変化に富んだ練習と初心者、初級者への思いやりを感じたので好感を持ったことを覚えています。特に勧誘もなく入りたければどうぞ、という感じで結局、そのまま入門し現在に至っています。

ここで、少し長くなりますが、格闘技について私の選択にあたっての考え、というか気分を説明します。

格闘技には空手やボクシングのような打撃系と柔道やレスリングの組技系に分けられます。どちらも、それぞれの特徴がありますが、始めてから、比較的早く上達具合が自分で実感できるのは打撃系ではないか、と感じています。レスリングはわかりませんが、柔道は人を投げることができるまでかなり粘り強い練習をしなければならないのは中学のときの経験で知りました。

さて、打撃系ですが空手、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ、テコンドー、といろいろですが、グローブとはいえ直接顔を殴り合うのは、健康上の問題からパスでした。

そこで空手ですが、これも大きく分けて、パンチやキックを直接当てない「寸止めルール」と直接当てる「フルコンタクトルール」があります。

昔は殆どが「寸止めルール」でしたが、大山倍達の極真空手が「フルコンタクトルール」を採用してから一気に広まりました。極真のルールというのは手による頭部の攻撃は禁止、相手を掴むのも禁止でお互い技を出し合います。パンチでの顔面攻撃が許されないため蹴りによる攻撃が多彩になりました。また、打撃系ではパワーをもっとも重視している流派ではないかと思います。

いずれにしてもフルコンタクトルールの草分けで、このルールでは最も競技人口が多い流派ですが、大山総裁の死後、2つに分裂しています。

次に大きくて有名なのが、現在K1のプロモーターをしている石井和義氏が率いる正道会館です。ここも基本的には極真ルールを採用しています。本拠地は大坂ですが、高田馬場にも道場があります。

規模や知名度で、その次に位置するのが私の通っている大道塾です。大道塾は極真出身の東 孝(あずま たかし)が始めた流派で、顔面ルールを採用した流派です。ただし安全性を配慮してスーパーセーフという顔面を保護する面を付けます。打撃だけでなく投げや間接技も駆使して闘うルールで試合を行っています。

寸止めかフルコンかという選択は、ボールを使わずに球技をするようなものは、ツマラナイと考えてフルコンにしました。

話はそれますが、空手における事故で、死に至るような深刻な状態になるというのは意外にも殴られてというよりも、相手を蹴ろうとして足を滑らせて転んで後頭部を強打する、というのが一番多いそうです。ですから練習する道場は畳やマットの上、というのは結構大きなポイントです。私も一度、畳の上でしたが、思いっきり頭を打ってしまい、その危険性を認識しました。皮肉なことにフルコンの道場はマットや畳みが多く、寸止めは板敷きが多いそうです。(中略)

ビジネスマンクラスなので、色々な人がいます。警察官、自衛隊員、税務署長、大学や予備校の先生、会社員も広告代理店、銀行員、メーカー、出版社、旅行社など思い付くまま書いていて、あらためていろいろな人がいるなあと思っています。

練習は入門してから6回くらいは基本のパンチやキックの型を身につけます。それから、ミットやサンドバック、対人稽古の軽いスパーリング、となります。まずは白帯から始まって、しばらくしてから、審査を受けて昇級して行きます。8級と7級は青帯、6級と5級は黄帯、4級と3級は緑帯、2級と1級は茶帯で初段が黒帯です。

私の場合黒帯まで10年計画なので、今は5級です。黄帯までは極真ルールで、緑帯からスーパーセーフを付けての顔面ルールとなります。そろそろ極真ルールも飽きてきたので顔面ルールを習いたいと考えているところです。

極真も昔は、地獄道場と言われたらしいですが、今はやはり経営を考えて、親切に教えてくれるそうです。極真の場合、壮年部というのがあるそうです。

いずれにしても、最近はグレイシー柔術やサンボなど多彩な武術が道場を開いているので、いろいろ見学に行くと面白いかもしれません。それに、こればかりはテニススクールやスポーツクラブと違い、いやだけど割り切って通う、というスタンスでは長続きしません。

では、ご健闘(?)を祈ります。

ということで、私が知りたかったことをすべてすっきりと説明していただいた。あとは自分でどこかに見学に行って始めてみようかな、と思っている。今までどちらかというとテニスやらスポーツクラブといった軟派系でやってきたので、硬派系のスポーツには若干アレルギーがあるのも事実である。進展があればまた日記に書いてみたい。

 

1998.7.21.(TUE)
<今日の一言>

消費の気力

ものを買うという事はかつては楽しいことだった。日曜日にデパートに行って、洋服やおもちゃを買ったりするのは一種のイベントであり、行く前からワクワクしたものである。買ったものを家に持って帰り開けるまでの楽しさもまた格別だった。そんなことだけで一日が楽しく過ぎていったのである。

最近消費が苦痛である。そもそも人込みが嫌いでしばらくいると疲れて帰りたくなってしまう。日曜日に久しぶりに出かけたが、渋谷駅の交差点なんて苦手である。原宿の竹下通りも歩きたくない。空いている裏道を歩くようにしないと気力が続かない。

そして、買いたいものが無い。服だって昔買ったTシャツとジーンズでもあれば普段着は間に合ってしまう。インテリアなんかは買うと部屋が一層狭くなるのでできるだけ買いたくない。買うとしたら本とCD位のものであろうか。

減税しようが収入が増えようが私が消費する金額には大きな差は無いようである。物欲が無い訳では決してないが、ワクワクしながら買い物をすることも無い。消費には気力が必要で、どちらかと言えば楽しみというより苦痛を伴う作業だと感じている。

 

1998.7.20.(MON)
<今日の一言>

連休なのに家で仕事。SOHOするとこんな気分なのかなと思いました。能率は上がります。

ごろごろ

3連休だというのに結局、日曜日に一人で買い物をした以外は家にいた。今日は持ち帰った仕事を片付け、あとは音楽を聴いたり考え事をしていたらあっという間に終ってしまった。

昨日、帰りの電車の横に座った人の横顔を見ていたら、鼻の先の毛穴が真っ黒になっているのが見えた。顔は良く覚えていないが女性だったように思う。人の振り見て我が振り直せと、早速今朝「ビオレ毛穴すっきりパック」をやってみた。1年くらい前に買って、しばらく使っていなかったのだが久しぶりにやってみると汚れがすっきりととれた。お陰で鼻の頭はツルツルである。気分爽快。

お昼は一人で牛丼屋に行って定食を食べる。外食が最近増えたように思う。昨日は新宿の桂花ラーメン、そして今日は牛丼。ワインとイタメシもいいが、吉野屋の牛丼やラーメンでも充分満足できる。ただしどこでもいいという訳ではない。まあ所謂B級グルメという奴であろうか。

桂花ラーメンも久しぶりだったが、味はかつてに比べ落ちたように思った。スープの味が薄くなり麺が間延びした感じになった。茹でる人の問題なのだろうか。少し悲しい気持ちになった。今日行った松屋もサービス・味とも残念ながら最低であった。開店したばかりで段取りが悪いのは仕方ないとしても、固い肉、太い千切りキャベツ、ねっちょりしたご飯。あの味ではいずれ客は来なくなるだろう。食事が不味いと途端に気分が滅入る。

とまあ、些細なことでうれしくなったり悲しくなったりしながら一日は暮れていった。

 

1998.7.19.(SUN)
<今日の一言>

原宿から渋谷にかけての明治通りは新しいお店で様相が一変しました。公園通りの裏もお店だらけになってます。街にも栄枯盛衰があるのです。

繁華街

久しぶりに新宿から原宿そして渋谷といつものお決まりコースを歩いて買い物をした。といっても新宿のバーニーズでネクタイを見て何も買わず、ABCマートで靴を見て何も買わず、LLビーンでシャツを2枚買い、原宿から渋谷までお店を覗きながら歩いて、渋谷でビームスを見て何も買わず、ヘインズの3枚790円のTシャツを買っただけである。半日歩いて1万円の買い物である。

バーゲンシーズンということでどこも混んでいたが、相変わらずものは売れているようには見えなかった。バーゲンで安くなったものには人が群がっていたが、昔に比べればそんなに人は多くない。バーゲン品も売れ残っているものもたくさんあった。選んで買っている渋い消費者が多かったようだ。

ヘインズのTシャツにしたところでかつては3枚2000円以上したものが今は800円足らずである。一枚300円足らず。これで儲かっているのだろうか。購買力で見ると随分所得が増えたように感じるのは気のせいだけではないだろう。金利は低くても物価水準を考えれば実質金利は高いのである。

しかしTシャツの値段が半分になっても2倍は買わない。価格の弾力性が低く、本当に欲しいもので無ければ安くても見向きもされないのである。そして本当に欲しいものはと言えば消費者は移り気でつかみ難い。モノを売るという商売は大変である。

 

1998.7.18.(SAT)
<今日の一言>

梶山なら円買い、小渕なら円売り、と言っている人がいます。同じ自民党の政権でどっちがなるかでそんなに世の中変るのでしょうか。

悪い情報

会社には人事部というものがある。研修や給与といったことも担当しているが、最も大切な仕事は経営資源であるヒトを如何に効率良く活用するかを考えることである。

人材の有効活用には、組識論、能力の査定と効率的配置といった要素も大切であるが、組識に潜む問題を発見し迅速に対応することも重要である。そのためには社員からの情報収集により客観的な事実を把握する必要がある。つまり悪い情報の収集である。

何か問題があっても社員はなかなか人事部には相談しない。自分の部署の悪い情報を出すことによって自分まで巻き込まれてえはたまらないという、事勿れ主義が働くからである。それに人事部に相談するというとかなり大袈裟になってしまい普通の人は二の足を踏む。結果、人事部に不満を言ってくる人はその人自身にも問題があるような一人よがりのケースが多くなる。そんなものだけを取り上げていたら我が侭な人が言ったもの勝ちの世界になり、組識は崩壊する。

日本の会社には各部に人事担当者という役職者がいた。彼らが部内の人事面での情報を部員から集めフィルターにかけて人事部に情報が集まる仕組みになっていた。人事担当者は各部の次長クラスの人が担当することが多く、現場の仕事にもある程度精通している。定期的に面接なども行い、余程人徳がない人でも無い限り、かなりの情報を集めることができた。

外資系にはこういった人事担当者制度はない。もしあったとしても人事異動がなくレポートラインが固定されている組識において、上司にすべてを話すようなリスクを犯す部下はいないであろう。だから機能はしない。しかしエグゼクティブサーチ(人材紹介会社)経由で入社した人には彼らが人事担当者と同様の役割を果たす。

彼らは所謂ヘッドハンターと言われる新聞広告に出ているような一本釣りの業者とは根本的に異なる。人材を求める企業と顧問契約を結び、長期的な経営戦略、人材の確保といった観点から企業に人材を紹介する。したがって入社後の企業・紹介者の状況もモニターし問題があれば対応する。

紹介した人材と紹介した企業がお互いにメリットを享受する状態が彼らの目的である。何らかの問題が発生している場合、その事実を客観的に把握し企業の経営サイドにフィードバックし処方箋の提示もするのが彼らの仕事である。

エグゼクティブサーチの人と話をすると会社で何が起こっているのか実に良く情報収集しているのでその正確さに驚くことが多い。会社の送別会で酒の勢いで誰がどんな発言をしたか、などと言うことまで知っていたりする。

紹介によって入社した人にとっても、彼らは利益相反しない関係である。会社の問題点を相談しても彼らはそれを解決する方向に動いてくれるという期待感がある。なぜなら紹介された人が辞めてしまうことは彼らにとってもマイナスであり、問題の放置は企業の業績の悪化につながるからである。したがって彼らには正直な社内の声が入ってくるようになり、多くの人の発言から客観的な事実を見出すことができるのである。

悪い情報を吸い上げるという観点からすれば、このエグゼクティブサーチという会社はうまく機能している。後は経営者がそれに対し迅速にどのような対応するかが問われるわけである。

 

1998.7.17.(FRI)
<今日の一言>

3連休は特に予定なし、です。

エイズとバイアグラ

ファイザー社のバイアグラについて書くと、週刊現代世代の仲間入り宣言のようで抵抗がある。アメリカで爆発的に売れているという薬。ニーズがあるから売れるのだろうが、社会状況も反映しているのではないかと思う。

金利低下と株価の上昇、経済の持続的成長、低インフレとアメリカ経済は絶好調である。最近アメリカに行った人に聞くと、日本のバブル期のような街の雰囲気を感じるという。つまり社会が躁状態の浮かれ気分になっているのである。こんな時期にバイアグラというのはシンボリックな薬として大ブームになったのではないだろうか。

1990年の前半の不景気な時期にはエイズが社会問題として取り上げられていた。社会全体が鬱で暗い時代を反映していたように思う。

バイアグラが不景気な時代にアメリカで発売されていたら同じようなブームになったのだろうか。好景気だろうが不景気だろうかインポの人の数は変らないのだろうが、使って見ようと思うかどうかの気分には影響がありそうである。

 

1998.7.16.(THU)
<今日の一言>

南アフリカランド大暴落です。まああと29年あるので、気長に見てますけど。

いつ死ぬか

先日受けた健康診断の結果が返ってきた。再検査である。今まで健康診断といえばいつも異常無しだったので今回は正直言ってショックである。再検査すれば結果はシロなのかもしれないが、何となく初めてのことなので動揺は隠せない。まあそんな年齢に差し掛かっているというのもあるのだろうが。

最善を望みながら最悪を考える私の性格から、早速最悪のシナリオを考えてみた。白血病やガンだともしわかった場合、残りの人生をどう過ごそうとするのであろうか。

例えば余生半年としたらどうするか。死刑囚が急に聖書を読んだりもの書きを始めたりすることはよく聞くが、私の場合逆になりそうである。やけになって好き放題なことを始めるのではないだろうか。有り金を持って世界に一人旅でもするのだろうか。まだ行って見たい国はたくさんある。インドにももう一度行ってみたい。或いは、うまいものを食べまくりワインを飲みまくるのだろうか。それとも利己的な遺伝子が子孫を残そうと動きはじめるのだろうか。

たかが、再検査くらいでここまで悲観的になるのも後から見れば滑稽なことかもしれない。取り敢えず明日、再度検査を受けることになった。検査の結果がどうであれ、いつ死ぬかを考えてみることは結構役に立つということは収穫であった。(10Min)

 

1998.7.15.(WED)
<今日の一言>

相変わらず冷麺食べ続けてます。

 

1998.7.14.(TUE)
<今日の一言>

週末が3連休だと最近知りました。

お金の価値

お金を扱う仕事を銀行員から10年以上やっていると、体に金銭感覚が身についてしまっている。金融業以外の友人と話をしていると、染み付いた自分の考え方に驚くことが多い。例えば金利の概念である。

運用担当者(特に債券やスワップの担当者)はすぐにキャリーという言葉を使う。つまり金利でサヤがどの程度抜けるかという概念である。円で0.5%で調達しドルで5%で運用すれば(為替が動かなければ)キャリーは4.5%というわけである。

自分の預金もすぐ金利を計算したがったり、カードと現金の支払いがどっちが得か瞬時に判断するのも金融業の悲しき性である。

その話とは少し違うが、最近30代の100万円と60代の100万円ということを考えた。同じ経済価値であっても年齢によってその効用は異なる。

例えば今手元に100万円あるとする。これを今使うと100万円分楽しめる。美味しいものを食べてもいいし、旅行に行ってもいい。学校に通って自己啓発してもいい。使いでのある100万円である。

もしこれを30年間貯金して、その後で使ったらどうなるだろう。もう私もその頃には60代半ばである。貨幣価値がどうなっているのか判らないが、恐らく金利がついて何倍かに元本は増えているだろう。しかしその頃今と同じようにお金を使うことってあるのだろうか。

今更自己啓発も必要無いし、味覚が衰え、噛む力も無くなれば粗食を食べるだけで満足かもしれない。外に飲みに出かけるのも億劫かも知れないし、家でのんびりしているなら金もかからない。

自分が一番活動的な時こそ投資と消費の効用が最大になるときでは無いだろうか。そう考えると、同じ100万円でも使うなら将来ではなく今だな、という気分になるのである。

効用の概念は仕事では関係無いが、私生活では金利の概念よりも大切な考え方である。

 

1998.7.13.(MON)
<今日の一言>

涼しくなっても相変わらず冷たい麺類を食べまくってます。

投資利回り

しばらく前の新聞(6月26日日経)にこんなことが載っていた。東京23区の中古マンションの価格は91年に天井を付け、98年に74.7%下落したという。一方で賃料はその間30%しか下落しなかったという。結果投資利回りは上昇し、98年には8.6%に達している。実に90年の2.5%から6.1%の上昇である。

この低金利下、8%という利回りは外国債券でも達成できない高い利回りである。リターンが高いということはリスクも高いと言うことである。ではそのリスクとは何であろうか。

当然流動性が無いことによるプレミアムはあるだろう。不動産は売買に手間がかかり、買い手を探し出せなければ売却したくても不可能である。しかも売り値と買い値の所謂オファー・ビッドが開いているのでコストもかかる。

それ以外に、値下がりリスクがある。そして一番怖いのは賃料が下がるリスクであろうか。周りの物件が値下がりすれば、投資利回りは向上する。すると当然賃料を下げる大家が出てくる訳である。デフレになれば当然起こりうるリスクである。

しかし不動産とはすべてが一点もの、である。特別な立地条件があるような優良な物件であれば周囲の物件との差別化がなされ、安易な価格競争には巻き込まれない。しかも人気物件であれば買い手を見つけることも困難ではない。

不動産の底値を探すのは非常に困難なことではあるが、中途半端な物件ではなく、立地・間取り・管理といった条件の良い不動産は無理をしなければ買っても良い水準に近づいているのではないだろうか。投資でなく実需であれば最後は住み続ければいいのである。

 

1998.7.12.(SUN)
<今日の一言>

大学の後輩であり、勉強会仲間でもある「浅尾慶一郎」さんが参議院神奈川でトップ当選しました。銀行から政界へ執念と努力の結果。夢を持ち続ければ実現するのです。

アニバーサリー

昨日で丁度前の会社を退職して1年である。気がつけばもう一年も経ったのかというのが実感である。

前の会社の同僚そして上司の方々とは今も交流が続いている。会う回数は当然減ったが、ネットやメールで情報交換はしているので、たまに会ってもすぐに打ち解けられる。そしてお互いに新しい環境での出来事を語り合うのは楽しいものである。

組識を移動したことで前の人間関係が消滅し、新しい関係が発生するのではなく、今までの関係に新しい関係が重なって人間関係は深みを増した。こういった人間関係を保っていられるのは自分の周りにいる人に恵まれていたからだとつくづく思う。

人間とは本来自分勝手であり、またそうであることが必要だとも思っている。一方でそのようなある意味ではエゴイスティックな行動ばかり取っている私に対し、冷静にそして誠意を持って付き合ってくれる人達に常に感謝しなければいけないと思っている。(行動ではなかなか示せないのであるが)

新しい組識、ネットワーク、勉強会、それぞれこの一年で数多くの有意義な出会いがあった。アニバーサリーを期に普段忘れがちなこういったことを振り返るのは自分を見つめる上でも重要だと思っている。

冷麺

暑い日が続いて早くも夏ばてである。例年7月に入って梅雨の湿気と気温の上昇が重なる時期になると体調が崩れる。こんな時はさっぱりしたものが食べたくなる。特に冷麺にお世話になる時期である。

冷麺といっても色々ある。いわゆるラーメン屋さんの冷し中華もあれば、焼き肉屋さんの歯ごたえのある冷麺もある。実は先週水曜日から毎日お昼に冷麺を連続で食べ続けている。自分でも呆れるほどの中毒状態である。

会社から歩いて5分ほどの金杉橋の近くに「天広」という広東料理料理の店がある。ここの特製冷麺(900円)がお気に入りである。さっぱりとして細い麺が歯ごたえがあり食欲が無い時でも食べられる。薄味なので最初は何も入れないで食べ、途中から辛みや酢をお好みで加えて食べると2度3度と違った味が楽しめる。水曜日から3日連続で行って同じものを頼んだら店の人に顔を覚えられた。

週末は家の近くの「徳翔楼」という中華料理店で冷し中華(800円)を食べた。こちらも一般のものとは少し違う。載っている具はきゅうり、チャーシューなど似ているが、麺の細さと腰の強さが独特である。たれは若干甘目であるが酸味がきいていてしつこくない。これまたいける味である。

来週もまた冷麺行脚が続きそうである。

 

1998.7.11.(SAT)
<今日の一言>

参議院選挙、投票率は高くなりそうです。自民党が改選議席を割ってももたらされるのは「変化」ではなく「混乱」のような気がします。

男と女

1985年の雇用機会均等法で始まった女性の総合職であるが、殆どの企業では鳴り物入りで始まった割に尻すぼみになっている。当時採用した人の定着率も総合職全体と比べれば高いとは言えない。制度を変えても社会の認識がついていかなければ結局その制度は形骸化するという典型的な例になるのだろうか。

決して能力的に劣っているとは思えなかった彼女たちに能力を充分発揮させることなく退職に追い込んでいった裏にはどのような障害があったのだろうか。はっきりしていることは人間の能力を正当に評価しなければ、過大評価された人間はその組識にしがみつき、過小評価された人間は正当な評価を求めて組識を離れるという事実である。

新卒を一斉に採用する日本企業では入口で総合職・一般職という振り分けが行われその後の職掌転換は非常に困難であった。キャリア・ノンキャリアという官僚システムと同じことをしていた訳である。そして当然の結果として、総合職の男性より優秀な一般職の女性が発生した。男性の一般職はなぜか存在しなかったこともあり、組識内における能力活用に巨大な歪みが発生していたわけである。

社会の状況は依然として男性と女性を区別し、男性に有利な仕組みになっている。男性が育児休暇を取ったり、家事に専念すると言えば違和感を感じる人が大多数ではないだろうか。そういった価値観の残る社会において女性の権利を声高に主張してもマスコミに揶揄されるだけである。

ただはっきりしていることは不当に差別された優秀な女性を巧みに活かす賢い会社が存在するということだ。市場から不当に割安な価格でプライスされている資産に早く気がついた人は超過利潤を得られるのである。オリックス、パソナ、ベネッセといった世の中が見える優れた経営者がいる企業ではそのことに気がついている。労働市場全体で見れば男性は割高、女性は割安である。アービトラージはまだ十分機能する。その歪みに社会の多数が気がついたとき、超過利潤は無くなり男と女という区別を労働市場で行う意味がなくなるのだろう。

 

1998.7.10.(FRI)
<今日の一言>

シカゴのしらさんによれば「テクテクエンジェルはちょっと前で、今やポケットピカチュウの時代」だそうです。

銀座治作

お店の紹介を書くと、たくさんの人から反応のメールを頂く。調子に乗ってもう一軒紹介することにした。その内、紹介したお店をまとめて新しいページを作ろうかと思っている。

銀座治作(中央区銀座8−12−15、3542−5877)。銀座第一ホテルの裏にあり、最寄り駅は東銀座であろうか。地下のお店の入口を入ると落ち着いた雰囲気の別世界が広がる。適度に落とした照明と店の造りが京都のお店に来たような錯覚に陥らせる。カウンターとグループ向けの仕切りのある席がある。

料理は若干単価は高いが、一工夫した酒のつまみが揃っている。そして日本酒と共にワインが一通り揃っており、和食と赤ワインという組み合わせを楽しむこともできる。ワインは3千円程度から3万円までと良心的な価格設定でグラスも本格的なものを使っている。

和牛のたたき、黒豚の角煮、おくらのサラダ、鰻入りだし巻き卵といった料理を食べながらワインを飲むのは悪くない。料理自体の味がしっかりしているので赤ワインでも合わせることができる。

私のお店選びの基準は「グッドフード・at・リーズナブルプライス」である。美味しいお店でも値段に見合っていなければ価値はない。高くて美味しいのは当たり前、高くて不味いのは論外。安くて不味いのは行く必要がない。

その点からいうとこの治作は価格はやや高めだがリーズナブルということはできる。敢えて難点を言えば2時間で次のお客さんの為に席を譲らなければならないことだろう。予約も当日では取れない位の人気の店なので仕方ないのかもしれない

ちょっと特別な日に行くようなお店と言ったらいいのだろうか。それともグルメなおじさんが若いギャルを連れて行くような店と言うべきか。私はグルメなおじさんではないが。

 

1998.7.9.(THU)
<今日の一言>

早くも夏バテです。

いけたに

銀座に旨い蕎麦やを見つけた。電通通りの一本築地側のソニープラザ通りという路沿いにある「いけたに」というお店である。予約が取れないのが難点だが、7時前までに行けば大体入れそうである。

そばは細くて腰がありなかなかの味だが、酒とつまみも充実している。卵焼きやらそば味噌やら蕎麦やの定番が美味しくいただける。銀座というわりには店の造りはカジュアルで堅苦しくない。

一人でやってきてざるそばを淡々と食べて帰っていく客が多いことからも、この店のそばのクオリティがわかる。

住所は中央区銀座7−5−15、電話番号は3571−3471。

 

1998.7.8.(WED)
<今日の一言>

選挙カーが街を走ると騒音がうるさいといい、静かな選挙になると候補者がわかり難い選挙と非難する。マスコミとは相変わらず勝手なものです。

万歩計

健康の為に歩数を測る万歩計というのはおじさんの専売特許かと思っていたら、最近OLが腰のあたりに変な機械をつけているのをよく見るようになった。ハドソンのテクテクエンジェルとかいうたまごっちと万歩計の合体したようなものらしい。

歩数を記録するのはもちろんであるが、毎日歩かないと、キャラクターが豚になるらしい。逆にちゃんと歩くとキャラが成長する。これが歩数を増やそうとするインセンティブになるらしい。

少子化時代の女性が、、、などとAERAのようなコメントをするつもりはないが、ベルトに付けているのを見るとちょっと不格好である。小型化すればもっと売れるのではないだろうか。

HOPS

サントリーの「スーパーホップス 10万人飲みくらべモニター」は応募者の中から10万名にキットを送ってもらえる。締め切りは平成10年7月16日(木)当日消印有効。インターネットで応募するしかない。

 

1998.7.7.(TUE)
<今日の一言>

久しぶりに銀座で飲みました。帰り道所持金が15円になってぎりぎりセーフ。焦りました。8月8日の出版記念パーティーは既に40人位参加者が集まっているようです。会ったことの無い方でも是非いらしてください。知らない人との出会いがパーティーの醍醐味ですから。

生きる目的

スペインに住んでいる日本人と話をする機会があった。外から日本を見ていると暗い社会に見えるようである。景況感が違うというのもあるようだが、根本的にストレスがたまる社会になっているというのが原因ではないかという。

明日出来ることを今日しない。それだけでストレスが減る。それがスペインで気がついたことだという。医者が病人を治療するのであれば一刻を争うし、為替のディーリングであれば一瞬が勝負である。しかしそんな緊急の仕事以外はどうしても今日しなければならないことなど少ない。それをやらなければならないと感じることによるストレスとやらないことで失われるデメリットの比較である。日本では相変わらず時間を守ることに最大の労力を払っている。

日本人は時間に追われ過ぎている。しかし時間を守り、必要以上の品質管理をしたからこそアジア諸国で唯一先進国の仲間入りしたのである。それは今までの日本には必要なことであった。しかしこれからは発想の転換が必要ではないだろうか。お金を稼ぐ時代からお金を運用する時代である。決められた時間工場で働いて優秀な工業製品を作るより国内でせっせと貯めたお金を上手く運用して楽をする時代である。労働者から資本家になる時なのである。

没落国家の先輩、イギリスは海外に投資をし、ポンドの下落による資産の目減りを回避した。日本人も銀行預金の金利が低いと文句を言う前にもっと上手なお金の使い方を探すべきであろう。

人生の目的がどこにあるのか人によって違うのであろうが、私はあと10年位馬車馬のように働いて、それから先はスペイン人のように生活したい。「スペインは日本より貧しいけど皆楽しく生きています」。私がインドで感じたことと同じである。

 

1998.7.6.(MON)
<今日の一言>

本日健康診断のため朝食抜きです。

増税党

盛り上がりを欠く参議院選挙もあと1週間で投票となった。失業率、GDP、短観、企業収益、明らかな景気後退で一見何の変りもないような日本であるが、着実に暮らし向きは悪化している。東京にいればまだしも、地方ではその実感は強まるであろう。

不況になると公共工事期待が高まる。地方では公共工事頼みの地域も多い。「主要産業は何ですか」ときかれて「公共事業です」と答えるようなところもあるらしい。今回の参議院選挙で野党が勝てないだろうと判断した場合、こういった公共工事頼みの人々の投票行動はどうなるだろうか。自民党に勝たせて公共工事を誘導してもらおうとするだろう。自分の地域で野党が議席を得たところで世の中に変化はない。むしろ公共工事の発注を意地悪で減らされるかもしれないと懸念する。

つまり景気が悪くなればなるほど、金融システム不安が高まれば高まるほど自民党に頼るしかなくなっていくのである。選挙のパラドックスである。

野党も自民党の政策を批判するが、言っていることの違いは良くわからない。田原総一朗がテレビ人間としてわかりやすく言ったように「福祉重税党」か「自己責任減税党」かの選択なのである。ところがほとんどの政党が「福祉減税党」になってしまっている。甘いことだけをささやいて無責任に手形を乱発する。こんな政党ばかりでどうやって選んだら良いというのであろうか。

元大蔵省のキャリア組の人達で増税党という政党でも結成してはどうだろうか。甘いものばかり食べているとたまには辛口のものが欲しくなるのは私だけではないだろう。

 

1998.7.5.(SUN)
<今日の一言>

アメリカかぶれ

週末の木曜日・金曜日とプレゼンテーションスキルのセミナーに参加した。2日間缶詰になって受講である。日本ではこの手の技術はあまり重視されることは無く、むしろ軽視されがちである。話さなくてもわかってもらえるという甘え、プレゼンテーション技術でモノを売るのは胡散臭いという考えがあるからだろうか。パワーポイントなんかを使って格好の良いプレゼンをしたりするとパフォーマンスなどと言って顰蹙を買うことも多い。

しかし、グローバル化や日本人の価値観の多様化で黙っていてもわかってもらえる時代は去りつつある。それはビジネスに限らずプライベートライフでも同様であろう。家族であってもコミュニケイションを取り理解しもらうように努めなければ理解できない。夫婦の断絶、親子関係の崩壊、荒れる学校といった問題の一端はこういったコミュニケーション技術を日本の学校で教えないことにあるのではないだろうか。となるとこういった如何に見せるかという技術が仕事に限らず人との関わりすべてに大切になっていくのではないだろうか。

それはともかく、ビジネスにおいてのプレゼンという観点から2日間で学んだ最大の成果はプレゼンテーションとは相手が得をすると思わせることが大切だと言うことだ。人間は欲のかたまりである。得をするという話は誰でも聞きたいし価値の無い話は誰も聞きたくない。だから価値があって聞くと得をすると思わせなければ話を聞いてくれないのである。

究極のプレゼンはテレビショッピングだという。ゲストと専門家の掛け合いで行われる最近流行りの形態である。よく聞いていると得をするということを波状攻撃で視聴者に繰り返し語りかける。しかしあそこまで露骨にやると日本ではやっぱり胡散臭いということになるのだろう。純粋日本人の私はあれではやり過ぎと感じてしまう。長年の教育で染み付いたものは簡単には変えられない。

 

1998.7.4.(SAT)
<今日の一言>

青山アクアパッツア

猛暑といっていいような熱風地獄の中、青山アクアパッツア(南青山6−6−20、03−3406−9586)へイタメシを食べに行った。赤ワイン好きの私でもさすがに最初は白ワインである。冷えたソアベを冷房の効いた部屋で飲むとやっと気分が落ち着く。気分は南イタリアの夏である。(行ったことは無いが。)

Cucina、Tokioneseというだけあって、料理はイタリアの豪快で陽気な料理というより、気の利いて洗練された都会のレストランのノリである。店自体もこじんまりとしたフレンチレストランのような内装で、店員も天現寺にあるイタリアンレストランの陽気さとは正反対の几帳面な応対である。

大好きなモッツェレーラチーズや穴子といった前菜は和食といっても通じるさっぱり系。パスタはハーブが何種類も入った初めて食べる味。香草の香りとパスタが爽やか。でもちょっと物足りない。あまりにあっさりし過ぎて、イタリアンという感じがしないのである。リゾットはイタリアの味を感じたが、これはありがちな一皿である。メインはアクアパッツアという魚の蒸し焼き、比内鳥の半熟卵かけなどを注文したが、イタリア離れしたシェフの創造力はかなりのもの。後を引く美味さである。

食べていてズーンとくるイタリアンではなく、食べおわって骨董通りを歩いていると爽やかな気分になってくる不思議な味だった。野菜や肉の洗練された素材の良さを実感できる味。つまりいい材料をなるべく手を加えないで素材自身の味を楽しんでもらおうというコンセプトなのであろうか。そのための調理に一番適しているのがたまたまイタリアンだったということなのかもしれない。

客層はあっさりした料理の内容からして年配が多いのかと思えば、若者のカップルだらけである。こんなさっぱり料理で若者は満足できるのだろうか。

イタリアンは陽気に皆でワイワイたくさん食べるものだという思い込みがあるので、アクアパッツアはイタリア料理とはどうしても思えない。素材を美味しく食べるレストランだと思って行った方が良いのかもしれない。

 

1998.7.3.(FRI)
<今日の一言>

暑いからといって冷房をかけると今度は喉が痛い。この天気なんとかならないものでしょうか。

2つ

世はスピードの経済の世の中になり朝令暮改でも早くやったほうが勝ちの時代になっている。つまり世の中がマーケット主義になってきたということである。スピードの経済は匿名の世界を前提としている。市場参加者はプライステイカーとして行動する。例えば為替相場でドルを売る場合、誰が自分のドルを買うのかはわからない。誰に売っても値段が同じなら関係ない。

従来の世の中はそうではなかった。物々交換の社会では同じ値段を買値にする人がいてもどちらか気に入っている相手を選んだりすることがよくあった。相手の顔の見える長期的な取引や義理人情の世界である。

スピードの経済のもう一つの前提は可逆性であろうか。間違えたことは訂正すれば元に戻るという判断である。新製品を売り出して売れなければ止める。新しい経営者を雇って業績が上がらなければ解雇する。しかし機械ならともかく人間関係では算数のように2マイナス1イコール1というように、話は簡単ではない。

友達と喧嘩別れしたら修復には大変なエネルギーが必要だ。もう2度と会えないかも知れない。取引先の信用を失ったら取り戻すには大変な努力がいる。これはスピードの経済ではない。覆水盆に帰らずの世界である。長期的な取引関係、人間関係、終身雇用などは一旦やめてしまえば修復は殆ど不可能である。

極端な市場万能主義は結果として効率的な結果をもたらさない場合があるということである。すべてを一つの考え方で割り切るのは人間の思考能力の退化と言えよう。

スコット・フィッツジェラルドは言う「一流の知性といえるかどうかは2つの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される。」(ビジョナリーカンパニー)

 

1998.7.2.(THU)
<今日の一言>

麻布台のアメリカンクラブは足が見えるトイレの構造、エレベータの香水の香り、「大胆な」味付けの食事、とアメリカそのものでした。

最近また面白そうな本がたくさん出版されている。堺屋太一がR・クー、ターガート・マーフィー、ピーター・タスカと書いた「未来はいま決まる」(フォレスト出版)は久々にタスカ節が聞けそうで楽しみな本である。それにしても堺屋の本はタイトルがいつも時代を捕らえたキャッチーなもので感心する。売れ筋を押さえたはずさない作家である。

もう一冊は「この国の仇」(福田和也、光文社)である。著者のことはまったく知らなかったが論客にして作家として有名な人らしい。反論できない正論を討つということで、「男女平等」「こどもの権利」「民主主義」「暴力反対」といった正論を論破しようとする本である。

銀行系と証券系

私の勤務する会社は生え抜きの日本人は1人しかいない。去年学卒で採用した女性1人だけである。残りは皆中途採用である。元の勤務先は銀行・証券・事業会社・生保と様々であるが多いのはやっぱり金融関係になる。

金融といってもマジョリティーの銀行系と証券系には大きな違いがあるようだ。元銀行員は仕事が几帳面でオーソドックスである。計画性を重んじ社内のラインやポジションを考慮して仕事を進める。プロセス重視型である。

証券系は結果型といえようか。多少の軋轢を生み出しても結果がうまく行けばそれでよしとする風潮がある。売ったもの勝ちの評価である。仕事も顧客に対する食い込みなど銀行系とはひと味違うが、事務処理などは銀行から見ると驚くほどラフだったりする。

どちらが良いとは一概には言えないが、このような傾向を認識しながら仕事をしていくのも寄り合い所帯での大切な知識である。

最近話題の銀行の合併の際、行風の違いが問題になることがあるが、所詮同じ銀行員。大した差はないのである。問題はあの銀行より格が上とか下とかいった面子やプライドといった心理的な側面であり、仕事をしてみれば銀行員は大体皆似たようなものである。

 

1998.7.1.(WED)
<今日の一言>

本日と明日はセミナー参加のため会社には行きません。

景気回復

為替協調介入をきっかけとした政府の一連の金融システム対策、銀行合併報道、そして政治家が福岡の選挙演説で言ったという恒久減税。これらの一連の素早い動きを株式市場は好感し日経は大幅に上昇している。長期金利も指標銘柄で30b.p.近い調整である。為替も130円台後半に戻り一時の急速な円安の動きは取り敢えず止まった。

市場は不良債権問題の解決と景気回復を織り込み始めたようであるが、そんなに簡単に世の中行くものだろうか。

構造改革を伴わない経済対策にはもう効果はない。今減税しても将来財政赤字が増えて税金に上乗せされる訳だから国民は不安になるということには変りない。明らかに規制により過剰な産業を市場原理により整理し、同時に新しい産業を育成できなければ日本はかつてのイギリスと同じ道を辿る。

参議院選挙はこのまま行けば自民党過半数の可能性が高いように思う。その時新しい日本を創る大胆な政策が実行できるのだろうか。

手後れになれば円安とインフレが悪魔の解決策になる。外貨資産シフトだけでなく、円資産は金融資産から不動産へのシフトを真剣に考えはじめようと思いはじめた。


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