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日記 1998年8月
1998.8.30.(SUN)
<今日の一言>
中国の洪水の被害を対岸の出来事とは思えない状態になってきました。いつになったら雨はやむのでしょうか。
休日出勤(2)
今日も休日出勤である。9時過ぎに会社につき黙々とプロジェクトを進める。誰もいないオフィスにも少し慣れてきた。昼過ぎになると隣の席の同僚も出社してきた。2人並んで黙々とお互いの仕事をこなす。
結局夕方6時近くまで仕事を続け区切りのいいところで取り敢えず終わらせた。普段会社で仕事をしているときよりパソコンを使っているせいか肩が凝った。
休日出勤をしたのは前の会社にいた去年の2月頃以来であろうか。当時は当局の検査資料を作成するために毎日深夜まで残業し休日も作業をしていた。休日出勤手当てやら深夜残業手当てやらで手取りの給料は増えたが、仕事に対する意味を見いだせずフラストレーションがたまっていた。それが転職を考える1つの契機になった。その意味では意味は無かったが意義はあったとも言えるが。
今回の休日出勤は残業代も休日手当ても付かない。しかし仕事に対する意義を見出せるだけフラストレーションは余り溜らない。唯一あるとすれば自分の能力の限界に対してであろうか。
それにしてもよく降り続く雨である。
1998.8.29.(SAT)
<今日の一言>
曜日の感覚が段々薄れてきました。
休日出勤
休日出勤をした。今の会社に入って1年経つが初めての経験である。取り掛かっているプロジェクトがはかどらずついに休みの日に会社でやるはめになってしまった。
土曜日の午後雨の中会社に向かって電車に乗るのは気が滅入る。蒸し暑いし体も少し重い。休みの日を楽しんでいるカップルや家族連れなど見ていると俺は何なんだという気分になってくる。
とはいってもオフィスに到着し、仕事に取り掛かると休日のオフィスは快適である。電話はかかってこないし、人から話しかけられることも無いので、自分のやりたい仕事に集中できる。空調も自分で調節、ティーバックの紅茶を飲みながらパソコンに向かうと驚くほど仕事がはかどる。スーツではなくカジュアルな格好をしているのも脳の活動にはいいようである。
夕方まで仕事を続け、帰りに会社近くの味方齋という薬膳台湾料理の店で牛肉麺というのを食べた。涼しくなるとこの店にランチに牛肉麺というのをよく食べに行く。腰のある麺にもやしと味付けしたやわらかい牛肉が乗っている。そしてスープは唐辛子や生姜、その他もろもろの漢方薬のような材料で真っ赤である。食べると辛い。麺を食べているだけで汗が吹き出してくる。
しかしこの辛さは単に激辛とうたって唐辛子だけで辛くしたような味とは根本的に違う。味に深みがあり、食べているうちに病み付きになるような中毒的な味なのである。漢方のエキスであろうか。麺も手打ちらしく表面はつるりとしているが、腰があって独特である。牛肉としゃきっとしたもやしもスープに合う。店は芝パークホテルの正面向かいの交差点角。日曜日はお休みである。レバー料理も秀逸である。
店を出ると何となく元気が出た。家に帰るともう8時である。残念ながら明日も出勤することになりそうである。
1998.8.28.(FRI)
<今日の一言>
今週も暑さと湿気に体調は最悪でした。
日経平均
世界的な株安は続いている。高値を更新していた欧米の株式市場はともかく、90年代に入ってから今までずっと冴えない動きをしてきた日本の株の下げはきつい。日経平均は1986年の水準になった。この年は私が社会人になった年である。全てが振り出しに戻ったような感慨がある。
1990年以降日本においては債券のリターンが株式のリターンを上回ってきた。株式はリスクが高くリターンが低いという異常な状態が続いていたのである。その理由はバブルによって発生した不良債権問題の処理の遅れ、規制緩和の遅れによる非製造業の生産性向上の遅れ、数度の経済対策による過剰供給体制であろう。
日本株式に対しては悲観的な見通しをもっている人が多い。確かにロシアを始めとするエマージングマーケットの混乱の収拾には時間がかかりそうである。商品価格の下落による影響も続く。株価下落による世界的な景気減速の影響も出てくるであろう。
それ以上に日本自身の問題はいつになったら解決されるのかという不安がある。景気対策や減税ではなく、構造改革と市場経済への対応を行わなければ時間の先延ばしになるだけである。
とは言っても日本は世界最大の債権国である。グローバルに活躍している企業も多い。また国内の非生産的な産業でも外資系企業の進出や規制緩和が始まれば勝ち組と負け組に分れ勝ち組は世界的な競争に挑むようになるであろう。
そして勤勉で教育された労働力がある。欠けているのは企業経営を正しい方向に導くリーダーの存在である。起業家精神あふれる経営者が自由に競争を行う環境が作られれば、世界一の労働力と組み合わせ21世紀に生き残る世界的な企業が生まれる事だろう。中期的には日本は割安で買い、である。
日経平均はまだ下落するであろうが、底打ちが近づいていると個人的には考えている。世界的な株安が一段落すれば日本の勝ち組企業の株価を安値で拾うチャンスが来るのではないだろうか。
「他の人が考えない正しいことを実行できたときマーケットは利益をもたらす」
問題は自分が正しいかどうかであるが。
1998.8.27.(THU)
<今日の一言>
暑いのも嫌ですが、横殴りの雨も嫌なものです。
川上
久しぶりに行った調布の川上は焼き鳥と地酒の店である。良心的な値段でおいしい料理とお酒を味わえる貴重なお店。何よりも商売っ気のないご主人の人柄が滲みでる店構えがいい。日曜日は休みなので最近行く機会が減って、半年以上ぶりで顔を出した。
川上のご主人はカウンターで焼き鳥の仕込みをしていた。顔を見るとニコニコしながら
「ああ、忍さんお久しぶりだねえ。元気だった?」
とちゃんと名前まで覚えていてくれる。何だか田舎の親戚の家に遊びに行ったときのような感じである。この店ではいつも頼むものは決まっている。焼き鳥はレバーが絶品。他にもねぎ間、ひなどりも脂がのっていて歯応えがあり美味い。皆塩焼きにしてもらう。そして手作りのおしんこである。酒は春鹿の超辛口で決まり。さっぱりとしていてすいすい飲める。日本酒は100種類近くあるだろうか。壁には「美味しんぼ」の原作者や石原プロの人達と撮った写真が飾ってある。味にはこだわるがウンチク野郎のたむろするような気難しい店ではないのが良い。
帰り際、会計をしていると
「そういえば忍さんの会社、今合併で大変だねえ」
といわれた。そういえばまだ会社をかわったことを話していない。もうそんなにご無沙汰だったのかと再度感じ、何となく申し訳ないような気がしてきた。こういう店は大切にしなければいけない。
1998.8.26.(WED)
<今日の一言>
久しぶりにお昼に「Manbow」夜は「川上」「いしもり」と調布の味を堪能しました。
退職金
銀行員のもらうお金について意見すると袋叩きにあってHPを閉鎖に追い込まれたりする。今のところHPは閉鎖したくないので言葉は慎重に選ばなければならないが、今回の長銀の過去の経営陣に退職金の返済を求める動きは何となく憂さ晴らしのような気がして後味が悪い。
大蔵出身のミスター住専が1億2千万円返したのはまったく個人の道義的な判断だというが、本当のところは良くわからない。今回の件はこの動きの延長にあるとは言え、公的資金導入への世論工作の道具のような感じがしてすっきりしないのである。
第一に過去の経営責任というが、背任や詐欺といった犯罪が立証されれば別であるが、政治家とマスコミが騒いで世論の圧力で追い込んでいくのは理が通らない。自主的に返納するなら話は判る。しかしそれはあくまで個人の判断によるべきである。返す必要はないという意見の人もいるだろうし、懸命に取締役の仕事を全うしたのに何故?と思っている人もいるに違いない。しかし他の人が払うというのに、自分だけそんなことを言えば、抗議の電話や嫌がらせを受ける事だろう。閉鎖的ムラ社会の発想である。
第二に急に返せといわれても困る話である。たくさん退職金を貰っていると言っても規定にしたがって当時は正当な金額を受取った訳である。不動産を購入した人は売却しても値下がり分は穴埋めしなければならないし、生活費に使ってしまった人もいる。どうやって返せばいいのか。そもそも退職金がもしかしたら返さなければいけないものになってしまったら、誰も怖くて使えなくなってしまう。こんなことがまかり通れば経営者になろうという人はその内いなくなる。
公的資金を入れるから退職金返せというのも乱暴である。では破綻すれば返す必要無いのかという事になる。拓銀の過去の経営者に退職金返せとは言っていないであろう。拓銀と長銀の経営者に何の違いがあるというのだろうか。
銀行の給料が高いとか、経営努力が足りないというのは護送船団のぬるま湯体質が抜けない限り変らない。しかしその問題と今回の話をヒステリックに結び付けるのは何か違和感があるのである。
考えれば考えるほど爽快な話ではなく、不透明な国「ニッポン」を象徴する不愉快な話に思えてくる。
1998.8.25.(TUE)
<今日の一言>
本日再度自宅にてSOHOしています。
誤解
最近芸能界を騒がせているのは斉藤陽子の恋人の40代ディーラーという人である。フェラーリを2台も持ち、年収が二億円なんて言われているが、その話をテレビで見ていて、
「外車のディーラーって何でそんなに儲かるんだろう」
とつぶやいた人がいた。ディーラーといっても車のディーラーではなく為替のディーラーである。
ぱっとサイデリアのCMに古谷一行と出演しているおばさんは小林亜星である。決して小林亜星によく似たおばさんではない。
前にも書いたが私の母は「月極駐車場」を「げっきょく」と読み、在日華僑の大金持の人だと思い込んでいた。「げっきょくさんてスゴイねえ。日本中どこにいっても駐車場持っているんだから」とよく言ったものである。
シューズメーカーのリーボックは李(リー)さんと朴(ボク)さんの韓国人コンビが創立した韓国系の会社というのも誤解であろうか。
世の中には誤解したまま真実を知らずに終る事が意外に多いものである。
1998.8.24.(MON)
<今日の一言>
総会屋で反省、ニッコーJAL軍団、というコピーに笑ってしまい、薄いのに高い、でも何故か結構売れている「AERA」を買ってしまいました。
左脳疲労
ロンドンから2日間の予定で投資資産配分の専門家がやってきた。まだ20代であるがしっかりした若者である。朝から晩まで2人で標準偏差だの、相関係数だの統計の話とデータの解析ばかりやっていた。
私の英語は20代後半に留学している時に学んだものである。わずか2年間海外で生活した位で決して十分な能力とは言えない。英語で会話する時はどうしても日本語→英語→英語→日本語、という変換を行っている。つまり英語で考えて英語で答えるよりも数倍脳を酷使しているのである。これに数学とパソコンが加わるともう脳はパニック状態である。
そのせいか一日普通に仕事をしただけなのに夜になると極度の疲労感がある。それも肉体的な疲労ではなく脳味噌の疲労感である。だから疲れているのに元気だという変な状態になる。所謂ハイな状態とでも言えようか。
こういう時は左脳ばかり遣っているので右脳を使いたくなる。つまり、思い切り馬鹿なことをしたり、好きな音楽を聴いたりと感情を刺激したくなる。本当に切れてしまわないうちに適度にバランスを取らねば、と真剣に考えている。
1998.8.23.(SUN)
<今日の一言>
高校野球の次はプロ野球。やっぱり私はサッカー世代ではなく野球世代です。
プライバシー
クリントンの下半身スキャンダルは取り敢えず峠を超えたようである。アメリカのマスコミ各社の取材攻勢に対し国民の多くはやり過ぎとの反応であった。経済が好調でそもそも支持率が高いこともあるだろうが、このアメリカ人の反応は意外である。フランスがマスコミの大騒ぎを冷ややかに見ているのは分かりやすいが、ディスクローズ大好きなアメリカ人でさえ行き過ぎと感じる何かがあるのだろうか。
今回の騒動はもっと身近なところでプライバシーはどこまで守られなければならないかということを考えさせられた。例えば会社における従業員のプライバシーの問題である。
前の会社にいたときは従業員調書という書類があって、プライバシーを会社に申告する必要があった。結婚して扶養者がいたり、子供が生まれたりすると各種の手当てが支給されたりするからである。逆に独身者は社内融資を受けられなかったりした。通勤経路まで申告すると会社が調査し最短距離かチェックまでしていた。
仕事以外でどのようなライフスタイルを選択しようが、基本的には自由なはずである。勿論、会社に不利益を与える行動を取らなければであり、犯罪などは論外である。社外で行う活動について干渉されると従業員は非常に不愉快な思いをする。これが過度になると社員はその会社を見切って辞めていく。
OLに結婚しないの?、と聞いたり、既婚者に子供はまだ?、などと聞くのは、聞いている方は親しみを込めているのかもしれないが、聞かれる方は結構不愉快だったりする。神戸の少年殺人事件の通っていた中学の校長がストリップ劇場に行ったといって非難されていた。仕事が終った後、合法的な場所に出かけていって何が悪いのであろうか。こんな正論も日本ではなかなか通らない。
組識の中で与えられた業務を全うできるかどうかが人の評価になるべきであり、仕事以外のことはなぜ放っておいてくれないのだろうか。
米国大統領のケースで言えば、能力のあるプライベートに問題のある大統領と、能力は無いがプライベートに問題の無い指導者、どちらに仕事をさせるべきかという究極の選択であった。アメリカ国民はクリントンという能力を優先して人を選んだ。日本は小渕という人格が円満で「総合力」という能力しかない人を指導者にした。仕事の能力より人格というどちらかといえばプライベートな要素を優先である。どちらがよい結果を出せるのか。考えなくても答えはすぐに市場が出してくれるであろう。
極端といわれるアメリカ人の行動だが本件についてはまともな判断と思った次第である。
1998.8.22.(SAT)
<今日の一言>
ようやく涼しくなってきました。この時期になると稲垣潤一の「夏のクラクション」を聞きたくなります。
歯
新宿のタカベデンタルクリニックに行った。別に虫歯がある訳ではないか非常に評判の良い歯医者だというので紹介してもらった訳である。
最初に歯の並び具合を見てもらい、その後レントゲンを撮る。その写真を見ながら医者が懇切丁寧に状況と治療の方針を説明してくれる。私の場合歯石の除去をきちんとすること、歯の根本のコーティングをした方が良い事、などがアドバイスされた。
最近歯が変色していると思ったら紅茶とコーヒーの飲み過ぎだと言われた。確かにお茶を飲み過ぎというのはあるかも知れない。歯石と表面の汚れを取り敢えず除去してもらう。これだけでも歯の表面は真っ白になった。とても気分が良い。
歯の治療というのも日進月歩で進んでいるようだ。単に歯磨きを毎日して満足していても歯は確実に劣化する。信用できる掛かりつけの歯医者を持って定期的にチェックをしてもらうようにするのが良いと思った。
1998.8.21.(FRI)
<今日の一言>
冷房をかけて寝たら、調子を崩しました。
調布牛丼戦争(2)
一人で久しぶりに「げんき家」に行ってみた。調布の地元でやっている吉野屋のようなお店である。調布にはここ数ヶ月の間に、松屋、吉野屋が相次いで出店し、げんき家は厳しい競争にさらされている。
行ってみるとやはり客は激減している。昔は大学生や高校生のグループで満席になっていることも多かったのに、2人しか客はいなかった。店員も手持ちぶさたといった感じである。
それより驚いたのは、400円の牛丼の並が土曜日はセールで300円になっていることだった。なんと25%オフである。それも毎週土曜日一日中の割引にする。牛丼もハンバーガー同様価格競争が始まった。
ハンバーガー業界では価格競争はマクドナルドの一人勝ちになった。仕入れのノウハウが違うから勝負にならなかったわけである。他のファストフードは価格競争をあきらめ、差別化競争に活路を見出そうとしている。変りメニューや有機野菜などの素材の高級化などである。
しかし牛丼の場合、変りメニュは作り難い。やはりあの素朴な牛肉と紅しょうがそして七味唐辛子を口の中にかき込むのが定番になってしまっている。素材の高級化などむしろしない方が庶民の味で美味しいのである。
げんき家には何とか今後も生き残って欲しいと応援しているが、活路を見つけるのは厳しいかもしれない。
1998.8.20.(THU)
<今日の一言>
長銀の延命工作。日本崩壊のリスクがまた高まってきました。
目黒電池
大学の先輩、前の会社の後輩、最近合併した投資顧問の人、それに私の4人で南青山の夏バテ防止鍋を食べる。蒸し暑い残暑は絶好の鍋日和。冷房の効いた部屋で食べる鍋は元気の素である。
最近合併した会社は英系の会社が米系の会社に買収されるという形であった。現在社内で合併の作業をしているが、やはりかなり大変らしい。日本では買収される英系の方が圧倒的に大きな運用残高である。それがお互いの会社の立場を微妙にしているようである。
米系サイドにいた方は英系のカルチャーの洗礼を受けたわけである。外資系といってもかなりの差があるようだ。米系は設備投資は必要であれば支出を惜しまない。PCも最新のマシンを導入しインターネットアドレスも全員に配布である。一方の英系は一言で言って慎重だということ。機械は古いし、インフラには少しずつ金を使う。
英系は一見おとなしい人が多いらしい。米系はその点は表面上はフレンドリーで明るい。その代り仕事の実績に対するアピールはアグレッシブ。年末のボーナス査定に向けこれからが彼らの最後の追い込みである。英系はその点のんびりしていて皆優雅に休みを取っているらしい。英系は集中して仕事を終える人が多いが、米系は上司への付き合い残業をしたり結構体力勝負だったりする。
何かにつけどちらに合わせるか決めるのもしんどいことだろう。メールの文章のスペルを英国式にするか米国式にするか、そんなことも結構気にする人がいそうである。
ちなみに目黒電池というのは某証券会社の人が飲食店で領収書を書いてもらおうとして会社名を言ったらお店の人が書いてくれた名前だそうである。目黒電池と松田聖子のレコード会社が合併したと思っているのだろうか。外資系の認知度なんてそんなものである。
1998.8.19.(WED)
<今日の一言>
体重は66.8kgと少し増えました。
スタートライン
今の会社に入ったのが去年の8月15日だったから、早いものでもう1年が過ぎた。外資系投資顧問というのは今尚成長が続いており私が入社してからも社員の数は増加し毎週新しい社員が入ってくるような状況である。
これは、今まで規制により信託と生保に独占されていた資金が少しずつ投資顧問にシフトしているという規制緩和の影響が大きい。もちろん投資顧問間の厳しい競争があるのは事実であり、投資顧問会社間でも資金が集まっているところと苦戦しているところがある。ただし業界全体では追い風が吹いていることは事実であろう。
食塩水と水を膜の両側に入れると浸透圧で同じ濃さの食塩水ができ上がる。今資産運用業界で起っている事はこれと同じ現象である。つまり今はスタートラインの修正を行っているのである。
ただし日系の信託や生保から外資系投資顧問への資金シフトは当然の流れとも言える。特に海外資産の運用体制に絶対的な格差があるからである。日本の機関投資家は国内の資金の運用体制はあっても海外の資金運用のインフラはまったく無い。外国債券や外国株式に投資するには対象国のマクロ・ミクロ経済に分析を行い投資判断につなげるリサーチ体制が絶対に必要であるが、そのインフラは貧弱である。
東京から人事ローテーションで派遣された日本人が、NYに駐在して外資系証券会社の日本語のレポートを読んで投資判断をする。あるいは東京にいる数人のスタッフが欧米市場の調査・投資を行う。こんな体制では百戦錬磨の競争相手には絶対に勝てない。日本語もろくにできない運用経験の浅いイギリス人が日本株の運用をロンドンで2〜3人で始めるようなものである。
今後海外資産の運用を外資系投資顧問に委託する日系運用会社が出てくるのではないかと思われる。今更莫大な投資をするより自分たちは国内資産の運用に専念し、海外の運用はアウトソーシングするほうが効率的だからである。
本当の競争はスタートラインの修正が終ってから始まるのではないかと思っている。やはり最後の結論は明日は我が身、運命も自己責任、である。
1998.8.18.(TUE)
<今日の一言>
ストレスのせいでしょうか。酒量が増えてます。
スピードの経済学
日経新聞で新しい連載が始まった。その名もスピードの経済学。どこかで聞いたことのあるような名前である。
「いま、「スピード」が経済のキーワードになってきた。」ということで為替ディーラーの話が紹介されている。為替ディーラーは反射神経が勝負だそうで、大学時代に体育会で鍛えられたような人が体で勝負をする世界なのだという。
何だか時代遅れでステレオタイプの連載である。「スピードの経済学」という名前からして師匠のスピードの経済のパクリであるし、為替ディーラーの話と政府予算の硬直性の話を同じレベルで扱っているのもズレている。そもそも為替ディーラーは10年前から瞬時のタイミングで限界的な収益を上げるディーリングをやっている。それにそんな体育会出身者がテレビゲームのスピード競うような仕事だけでやっていける世界でもない。あえてスピードの経済学という仕事では無いのである。
もしかしてこの連載は最後に自分たちマスコミ業界の反スピードの経済学ぶりを懺悔するという落ちがついた、ブラックジョークなのでは無いかという気さえしてくる。昨年の夏には認識されていた経済におけるスピードという概念。今頃持ち出したのにはもっと深い意図があるのだろうか。やはり日経新聞は夕刊と文化面のクオリティが一番高いようである。
1998.8.17.(MON)
<今日の一言>
残暑でまたバテてます。秋が来るのが待ち遠しい。
百人町屋台村
残暑厳しきおり、朝、浜松町駅からオフィスまで歩くだけで一日のエネルギーを使い果たしてしまう。食欲不振回復のため百人町屋台村(百人町2−20−25)へエスニックを食べに行った。
大久保と新大久保の間というディープなロケーションだが、店構えも客層もさらにディープである。屋台村といっても屋台ではなく、バラック小屋の風情である。50人ほど入る中央のテーブル席を取り囲むようにタイ、インドネシア、台湾、中国といった料理店が並んでいる。
席に付くと、注文を取りに来る人が3〜4人一斉に押しかける。メニュは1冊なのだが、それぞれのお店のメニュがまとめて載っている。自分の店の注文を取らなければ商売にならないので皆必死である。カタコトの日本語と日本人の激しい売り込み合戦が始まる。かつて一人旅をした時のバンコクのチャイナタウンを思いだした。ここはアジアの縮図なのである。
タイのお店からヤムウンセン、トムヤンクン、ベトナムの生春巻き、台湾のマーボートーフなど注文。出てくる料理はすべてホンチャンの現地味である。トムヤンクンなど辛みよりはむしろ海老の旨みが出た深い味で感動。マーボートーフも日本の味とはかけ離れている。ビールはやっぱりタイのシンハであろう。激烈な競争をしているだけあって料理はどれも水準以上である。
ちなみに店の電話番号は5386−3320であるが、昼間かけても日本語は通じないとのことである。夕方になると何人か日本人スタッフが予約を受け付ける。
スーツではなくTシャツと短パンで汗ビッショリになりながら豪快に食べまくる。そんな感じが似合う店である。朝5時まで年中無休で営業。これもアジアっぽい。
1998.8.16.(SUN)
<今日の一言>
一日家に篭って仕事しました。
どんぶり勘定からの脱皮
2極化という言葉がある。同じように見えていたものが別の方向に分れていく現象である。トヨタと日産、マクドナルドと森永ラブ、ミスドとダンキン、、、皆企業の2極化の典型例である。株価は日経平均やダウを見ていても判らない。個別の株の動きを見る必要がある。日経が下げていても上昇している株式は探せばいくらでもある。
自動車保険では最近年齢や車種で料金を細分化した商品が発売されはじめた。ドライバーというのも事故率によって分類され、リスクに応じた保険料を負担するようになってきたわけである。
銀行預金でもDKBのハートのエースに代表されるような、顧客のレベルに応じてサービスに差をつけるのが時流になりつつある。大口預金者や振り込み口座指定をすると特典を受けられる仕組みである。JRや航空運賃も早割りや往復割引など料金の細分化の動きが見られる。
これらはすべてどんぶり勘定からの脱皮とまとめられるのではないだろうか。つまりこれからは木を見て森も見ることが必要になる。
今時の学生は、とか、最近のファッションはといった一般化が困難になって、個別性が強くなる。だからワンサイズ・フィット・オール型の商品は消費者から個性の無い商品とみなされて売れなくなる。
年功序列というのも一人一人の能力を正確に査定せず皆一緒というどんぶり勘定である。能力給の導入や労働市場の多様化(第2新卒、フリーター)によってどんぶり勘定では対応できなくなってきた。
こんな時代でも「大体、女というものは、、、」「銀行なんてどこでも一緒だ。」「今日も日経下がったな」なんて一般論ばかり言っているどんぶり勘定人間は存在する。彼らは自分が被っている不利益には永遠に気が付かないのであろう。
1998.8.15.(SAT)
<今日の一言>
夕方の風は秋を思わせます。
イカレた?
最近人のメールを紹介したり、書いている内容が変ってきたせいか、暑さで頭がイカレたのではないか、と心配のメールが届くようになった。暑さでバテているのは事実だが、頭までは行っていないと思っている。今、イカレているとすれば元々イカレていた訳であり、自分自身昔と変ったところはない。
最近女性からのメールを紹介することが多くなったが、これを実は私が書いていると思っている人も結構多いようだ。これについては真相を明らかにしない方がいいだろう。もし私が書いているとしたら気味が悪いだろうし、実在の人物からメールをもらっているとしたらその人が誰か知りたくなる人がいるだろうから。
世の中全てのことを知りたくなるのが人間の好奇心であるが、知らない方が幸せなこともあるのである。
公共工事
小渕政権は積極財政によって現状の日本の景気低迷からの脱却を目指すつもりのようである。公共工事を復活させ成長率を押し上げようとするらしいが、これは正しい選択であろうか。
公共工事とは資金源は国民の税金である。国債の発行によって行うとしても最終的なツケは増税という形で将来の国民負担になる。公共工事によって新しい事業が育ち結果として税収を増やすという効果があれば国民負担を減らす事にはなるのだろう。
つまり公共工事だけを永遠に続けていても最後は借金だけが残る。民間企業の事業発展を後押しするような経済波及効果の高いものを規制緩和などと同時に実施しなければ中期的な景気回復にはつながらない。
殆ど人通りのない過疎の村に道路や橋を造っても誰も使わなければ意味が無い。穴を掘って埋めているのと同じである。見た目には立派な施設があったとしても使われなければあっても無くても同じだからである。むしろ施設ができるとその維持をするコストがかかる。
このような公共工事が大部分を占める現状で公共工事を増やすとどうなるのだろうか。公共工事の発注によって一部ゼネコンは潤う。そしてGDPは押し上げられ、経済成長率は改善する。しかし波及効果がなければそれで終りである。しかも借金は残る。会社でいえば売上を伸ばす為に商品を売ったことにしてゴミ捨て場に運んでいるようなものである。その時の売上は伸びてもその後問題はさらに悪化するだけである。
もしどうしても公共工事をやるというなら波及効果を考えて内容を吟味する必要がある。地方に採算の取れない高速道路を作り腐食の構造を温存する位なら、首都高速の3車線化でもやる方が効果は高い。一人当たりのインフラが最も劣悪なのは東京なのである。
政府の国債の増発はもう一つの問題を持つ。非ケインズ効果といわれるものである。政府債務が高い状態で景気対策を行うと将来に対するコンフィデンスを悪化させ逆に景気後退を深刻化させる現象である。(「選択」1998.8月号)
恒久減税、公共工事といった甘い蜜を振りまけば振りまくほど国民の不安は高まる。国民は政府を信用していないのである。また騙されるのではないかと疑心暗鬼である。マルチ商法のおいしい話を紹介されたときのような心境である。大多数のまともな国民は胡散臭いと思う。こんな状況では甘い蜜は個人消費マインドを逆に悪化させる可能性が高い。
主要19行は潰さないといって拓銀は潰れた。株価が3月末に上がらなければ責任問題と言って誰も責任を取らない(市場の価格水準に責任を取るということ自体経済を理解していない)。桜の花の咲く頃景気は回復するといった。そして長銀は「現状では」債務超過ではないと言っている。誰が信じるのだろうか。
政府にとって積極財政より大切なことは、早く国民に本当の事を言う事であろう。問題は問題として正直に教えてもらえれば最悪のシナリオを個人が考える事ができる。今の日本はベルリンの壁が崩壊する直前の東欧諸国と同じである。政府の言うことと外から聞えてくる情報が違っている状態である。そして政府は嘘をついていると国民は感じはじめている。
今のやりかたでは政権交代という無血革命の可能性が高まるだけであろう。
1998.8.13.(THU)
<今日の一言>
またバテそうな気候が復活です。電車が空いているのが救いですけど、、。早く秋にならないかな。
日本の男
NYオフィスのオーストラリア人の女性ファンドマネージャーが1週間東京に出張している。外国人の女性とまともに話をするのは久しぶりであったが、言うことがはっきりしていて面白い。
日本の男は外国では評判が悪いという。仕事が終ると毎日酒場に繰り出し、女性がいるバーに行って家には遅くならないと帰らない。家庭を顧みない勝手な男ばかりだ。これが彼女のイメージらしい。随分ステレオタイプであるな、と言うと今度は質問攻勢である。
結婚しているのか、と聞かれたので「MBAだ」と冗談を言ってみた。「Married、But、Available(結婚しているけどOKです)」の略だと言ったら、ひっぱたかれそうになった。結婚しているか聞く方が悪いと思ったが、、、。
「あなたは家で週に何回食事を作るのか」
「週に1回位かな」
「洗濯と掃除は週に何回するか」
「うーん、手伝うけどあんまりしないかな」(実はほとんどしない)
「じゃあ、家事は彼女にさせているということでは」
「でも、うちはお互い家では食事しないことが多いし、あんまり一緒にいることがないから」
「???別々に食事??」
「そう、夫婦というよりパートナーみたいな関係なんだ」
「進んだ夫婦なんだ、、、、(理解不能)」
日本の男のイメージを更に落としてしまったようである。夕食を食べた後赤坂の街を歩いているとパチンコと回転寿司に異様な興味を示す。明日の昼は回転寿司にでも連れていって反論して汚名挽回を目指すとするか。
1998.8.12.(WED)
<今日の一言>
久しぶりに、古内東子、B’z、アニタ・ベーカーと聞きました。田中真紀子流に言えば古内の「恋」は秀作、B’zは力作、アニタ・ベーカー「リズム・オブ・ラブ」は駄作でしょうか。
お盆休み
一日会社を休んで家でくつろいだ。といってもやらなければならない仕事を一つ抱えているので家に持ち帰ってのSOHO気分である。
一人でパソコンに向かって思考しながら進めるような仕事(例えばレポート作成)の場合、会社でやると大変能率が悪い。考え方がまとまりそうになると電話がかかってきたり、誰かに話し掛けられたりと中断してしまう。会議室に一人で篭ってやれば邪魔は入らなくなるが、今度はパソコンが使えない。
というわけで家にフロッピーに落とした資料を持って帰り仕事をするのが一番能率が上がる。しかも好きなBGMをかけながらリラックスして作業を進めると、会社で何でこんな簡単なことを考えなかったのだろうと思うくらいアイディアが浮かんでくる。
通勤電車に揺られ会社に行くのはそれに見合う価値があるからである。しかし毎日行っていれば良いというものでもないという事がわかってきた。たまにはルーティン業務から少し距離を置いてまとまった仕事を一気に片づけるのも大切なのである。マンネリの中からは従来の殻を破る発想は生まれない。
1998.8.11.(TUE)
<今日の一言>
長銀の時価総額は900億円程度だそうです。3月に公的資金を1800億円投入したのにどういうことなのでしょうか。
再会
お盆のせいか電車は空いている。おまけに最近は余り気温が上昇しないので通勤は快適である。京王線の各駅停車で仕事の書類を読みながら吊り革につかまっていると、3人組の親子が乗ってきた。帰省で帰るらしく大きな荷物をかかえていた。
するとその中の母親らしき人がいきなり、「もしかして内藤君(私の本名)?」と話しかけてきた。よく見ると高校時代の同級生であった。といっても高校2年の時に同じクラスになっただけでそれほど親しかったわけではない。でも2人ともすぐに思い出せた。
すっかり母親の雰囲気が身についているが顔を見れば昔と変わらない。向こうもきっと同じことを思っているんだろうなと思った。実は彼女とは10年近く前にも山手線で偶然会ったことがある。その時も同じように話しかけられた記憶がある。
片や親子仲良く田舎に帰省する幸せそうな家族。片や夏バテしながら電車で立って仕事をしている会社員。お互い変わらないねえといっていながら、高校卒業後の10数年は確実にお互いの立場に変化をもたらした。表面上はただ少し歳をとっただけなのだが。
見せ金
金持ちは一般にケチだという。ケチだから金持ちなのかも知れない。鶏が先か卵が先かは別として金持ちが節約するのと貧乏な人が節約しているのでは気分が違う。
金持ちは節約していても心に余裕がある。別にお金はあるのに敢えて節約しているからである。使えない訳ではなく使おうと思えば使えるのである。つまり節約を趣味として楽しんでいるようなものだ
貧乏な人が本当に苦しくて節約しているのは辛い。心に余裕も無いし、お金によって制約されるのは嫌なものである。
会社も同様である。同じケチな会社でも、成長している会社とリストラで不景気に苦しんでいる会社では節約に対するイメージが違う。会社が儲かっているのに裏紙を使ったり、紙コップを節約しろなんて言われると、悲愴感より効率的、環境にやさしいといったポジティブなイメージになる。でも逆に景気の悪い会社で電気をまめに消せ、などと命令されればケチな会社、と情けない気持ちになる。置かれた状況で見方は変わるものである。
お金とは使うためだけにあるのではない。使うことは無くても持っているだけで気分が豊かになれるということがあるのだ。人生お金が全てではないがお金が無いと得られないものがあるのも事実である。
1998.8.10.(MON)
<今日の一言>
このまま夏は終ってしまうのでしょうか。
精神衛生
社会を取り巻く状況が変化してきたせいか、精神面の健康管理に問題を抱える人が増えてきている。職場での人間関係や、友達や家族との付き合い、仕事のプレッシャーといった問題である。
私が心がけているマインドコントロールはやってしまったことはあきらめるということに尽きる。くよくよしても始まらない。考えても変わらないことは考えないというスタンスが無駄なストレスを受けないように自分をコントロールする。
例えば仕事で重大なミスをしてしまった。それがもうやってしまって取り返しのつかないことであれば、悔やんでも仕方ない。大切なのは第一にそのミスが自分の怠慢からもたらさせていないと自分で確信できることである。つまりベストを尽くしての結果であるということであれば自分に納得がいく。そうすれば後はやってしまったことのリカバリーを考えることと、今回の失敗を繰り返さないように学習しておくことだけに専念できる。
こう書くと、人からはクールだとか、人間そんなに割り切れるもんではないなんていわれるが精神衛生上はこれが一番だと思っている。あきらめられるためには悔いの無いように行動していることが必要である。そうすれば終わったことを悩んでも何も変わらないと達観できるのである。ただしこれはクールなだけでは出来ないことである。公園の池で優雅に泳ぐあひる同様、水面下では必死の努力をする必要がある。
必要なことは同じ失敗をしないためには何をすべきか考えることである。つまりは過去を悔やむのではなく過去を未来のための学習の機会と捉えられれば良い。
考えても変らないことを延々と思い悩むのは負のエネルギーの消費である。マゾヒスティックな快感に浸りたいならそれもいいが、私は正のエネルギーに使いたい。
1998.8.7.(FRI)
<今日の一言>
いよいよ出版記念パーティー当日です。
牛丼
味にうるさいグルメな私は牛丼が大好きである。仕事が忙しく外に昼食を食べに行けない時、弁当を会社の近くの吉野屋に買いに行ったりする。牛どん弁当(並)である。たった4百円ではあるが、吉野屋の牛丼は侮れない美味さがある。この値段で一瞬ではあるがお昼の忙しい時間を小さな幸せを感じながら過ごせる。
私の住む調布にも一年ほど前に牛丼店ができた。げんき家(0424−98−2941)というローカルなお店であるが、値段とサービス、そして味も良く休日一人で過ごしている時などよく利用している。大学生が多い割りにこの手の店が少なく大変な繁盛であった。
ところが先月、近くに松屋が開店した。牛丼戦争勃発である。松屋は牛丼以外にもカレーや定食もメニュにある。果たしてげんき家は大丈夫か、と心配したが杞憂だった。松屋は残念なことに味がイマイチだったのである。メニュを広げ過ぎてしまったせいなのであろうか。安かろうまずかろうの世界である。これなら地場のげんき家も大丈夫だろうと思っていた。
するとさらに大変なことが起こった。駅前にあったダンキンドーナツが閉店し8月8日から吉野屋になるという。新聞折り込みも大々的に行われ、開店セールで100円引きの殴り込みである。数年前には一軒も無かった牛丼店が今や三つ巴の陣取り合戦である。
松屋はともかく吉野屋にげんき家は勝てるのだろうか。今心配しているのは、今まで頑張ってきたげんき家が潰れないかどうかである。
1998.8.6.(THU)
<今日の一言>
通勤電車は随分空いてきました。いつもこれくらいの込み具合ならいいのですが。
フェミニスト
ナルシストだと言われたかと思えば、今度は会社でフェミニスト呼ばわりされてしまった。フェミニストとは女性に優しいキザ男のようなイメージがあるが、私自身そんなタイプではない。封建的な教育を受け、その呪縛から逃れようとしてもがいているというのが自分の精神構造の原点ではないかと思っている位である。つまり古いタイプの人間に西洋合理主義を接ぎ木した分裂タイプというのが自己分析する自分である。
辞書を引くとフェミニストとは男女同権主義者と書いてある。その意味なら私はフェミニストであると言われるのは光栄である。日頃、男女差というものを意識しないで仕事にせよプライベートにせよ過ごしているつもりであるからである。でもそんな風にしていると、日本のスタンダードからすると女性に甘い、と見られてしまうのだろうか。
もちろん男女にはそれぞれの長所短所があり、まったく同じだと思っている訳ではない。ただ、男だから、とか女のくせに、といった性差を前面に出すような考え方は余り好きではないのだ。
世の中に男性と女性の2つのタイプがいると余り意識したことはない。むしろ、世の中には自分が好きになれる人と好きになれない人の2つのタイプがいると考える方がすっきりする。自分が尊敬したり、面白いと思ったりする人は別に男性だろうが女性だろうが関係ないのである。
1998.8.5.(WED)
<今日の一言>
「ビッグバン時代のネット活用術」への反応は値段以外は概ね良好のようです。
リーダー
日本の首相を見ていてもわかることだが、リーダーシップという能力を発揮するのはつくづく難しいものだと思う。周りの意見を聞くと決断力が無いと言われ、トップダウンでやると独善的と非難される。例えば会社においてリーダーとなる人に求められる能力としては何があるのであろうか。
組識においてリーダーに求められるのは、第一に業務に対する正確で豊富な知識とそれに基づく真っ当な意思決定能力であろう。豊富な知識はかつては経験年数がものを言う世界だった。それに対応したのが年功序列という仕組みである。しかし世の中が変化する現代においては年齢イコール経験とは言え無くなっている。新しい事に対する貪欲な吸収欲がなければ知識は陳腐化する。
第二に人の気持ちを掴むことだろう。部下の気持ちを理解すれば、彼らを如何に動機付けできるかを見つけられる。人間とは意外なことでやる気を出したり、能率が落ちたりするものである。給料や待遇といったことではカバーできない心の機微に触れなければ人の能力は引き出せない。そしてそれをメッセージとして伝えられれば組識のレベルは格段に上昇する。
しかし要望ばかり聞いているだけではただのいい人に終る。決断が組識のメンバーから嫌がられる時でも必要な意思決定であればリーダーシップを発揮して遂行していくのが真のリーダーである。ただそのような強力な指導力は普段のマネジメント能力に対するメンバーの信頼があって初めて成功するものである。
日本の会社では未だに年功序列が主流である。つまり年さえ取ればいずれは誰もが課長、部長となりリーダーになったのである。しかしマネジメント、リーダーシップという能力も年功だけではない尺度で測っていくことが必要ではないだろうか。所謂ゼネラリストとは何にもできない人、という意味ではなくゼネラルマネジメントができるスペシャリストなのである。
一つの仕事においてマネジメントができる人は他の業種にあってもその能力はつぶしがきく。ただし正確な業務への知識を短期間に吸収できる能力は必要ではあるが。マネジメントの原点は人を動かすということなのである。
1998.8.4.(TUE)
<今日の一言>
行き帰りの通勤電車で体力の殆どを使い果たします。真剣に会社の近くに引越しをしようかと考える今日この頃です。
梅雨
相変わらず湿気の多い気候が続いている。気象庁によれば関東地方はもう梅雨明けしたと宣言されている。それにも関わらず天気は梅雨明けとは思えない相変わらずの状態である。
そもそも梅雨明け宣言とは何の為にあるのだろうか。梅雨明け宣言が無いと何かを始められないとか、具体的な影響があるのだろうか。それとも単なる夏の始まりを告げるセレモニーのようなものなのだろうか。
先週から日本に来ているイギリス人が「日本政府は梅雨が明けたというのにまた雨が降っている。やっぱり政府の言うことは信用できない」と言うので「確かに梅雨明け宣言はされたが、それは雷シーズンに入ったということなのだ」と説明しておいた。
どうせ大した意味も無くマスコミのネタ提供の為に惰性でやっているなら、もう気象庁に梅雨入り梅雨明け宣言してもらう必要は無いと思うのだが。
ナルシスト
本のページの為の写真を送ったら師匠からはナルシスト呼ばわりされてしまった。
「第四章を書いたのは四番目の写真の、自他共に認めるナルシスト。名前が「忍」なので、ときどきくどき、セクハラのメールをもらっている。(でも、この写真はどうにかならんかの〜〜)」 これは「本のページ」の私の紹介文である。自他共にというのはどうも違和感がある。確かにそうなのかもしれないが、前にも書いたようにHPを持っているような人は大体においてナルシストなのである。
自分の日記を晒し、知識や経験を披露する。やっていることに自分が自信を持っていなければ書けるものではない。
ちなみに今回の写真はLuna SeaのRyuichiを意識して変な目付きになったのではなく、朝起きてデジカメを使って自分で自分を撮影したので変な角度で写ってしまったのである。変な写真でも送らないとイタチの写真になってしまうので仕方無く使っている。
1998.8.3.(MON)
<今日の一言>
遂に体重は6月に比べ4キロ近く減りました。ダイエットもしていないのに不気味です。
「ビッグバン時代のネット活用術」
仲間内のHPでさんざんしつこく宣伝しているので、ちょっと食傷気味の方もいらっしゃるかもしれないが、また本の話。
朝、会社に宅急便で刷り上がったばかりの本が編集者から送られてきた。装丁の写真は師匠のページで見ていたので知ってはいたが、実物を見ると細かい作りまでわかってまた新しい発見がある。ライトブルーの軽快な感じはきれいな本だな、と感じた。でもネットの本ってわかってもらえるだろうか。
思ったよりも全体にカジュアルな感じである。厚さも思ったより薄いし、活字も紙の色もポップで読みやすい。東洋経済にしては(失礼)センスが良いのではと思ってしまった。
著者の一人ということにはなっているけど、4章の10数ページとコラムをいくつか書いただけだし、それも師匠に大幅に筆入れされ原型を留めない位になったわけで、自分で書いたという感慨には今一つ浸れないのも事実。今後また本の執筆に参加する機会があるかわからないが、それまでにまたアウトプットのためのインプットをしっかりしておく必要があると思った次第である。
もし本を手に取る機会がありましたら、是非ご意見を頂ければと思います。この本が出来たのはまえがきに師匠が書いたとおり「ホームページ読者との双方向の関係」が大きく貢献しているのです。この日記を読んで頂いている方、感想やご意見を送って頂いた方に感謝したいと思います。
1998.8.2.(SUN)
<今日の一言>
遂に出版されて一部店頭には並んでいるようです。ライトブルーの軽快な表紙です。
教育
アナリストジャーナルの修学社の社長の話を読んでいたら、面白いことが書いてあった。この会社は中学受験の塾をチェーン展開している会社である。最近は不景気と少子化で売上が伸び悩んでいるという。少子化による生徒数減少は仕方ないとしても、不景気で教育費を削りはじめたというのは教育に対する消費者のニーズが変わりはじめたからではないかというのが社長の推理である。今までは不景気でも教育費は減らさないというのがパターンだったから大きな変化である。
2002年には大学定員は卒業者数を上回るという。つまり大学全入時代に入るのである。当然大学の淘汰も進むだろうが、受験戦争という言葉は死語になるのである。受験のテクニックを教えている塾も当然同時に淘汰される。
では塾は何をすればいいのか。今までは良い学校に入れることが塾の使命であったが、これからは才能=タレントを伸ばすことがテーマになるようだ。また教育の多様化が海外で教育を受けようとする子供を増やしていくことも考えられる。受験テクニックからの脱皮が必要なのである。
少子化という教育に対する需要の減少が供給者側の競争の激化という形になり、多様なサービスが提供されようとしている。これは消費者サイドからは望ましいことである。良い大学に入れば良いという単純な思考では将来に対するビジョンは生まれない。自分に何が向いていて何をしたいのかを真剣に考える世の中になれば多様性を容認する社会へ日本は変貌するのではないかという期待がある。
学習塾のライバルは劇団ひまわりであり沖縄アクターズスクールなのである。
1998.8.1.(SAT)
<今日の一言>
焼き肉を食べに行ったら夏の間はレバ刺しは出さないとのこと。無いと言われると余計食べたくなるのが人情です。
マスコミ
マスコミというのは相変わらず日本経済悲観論を煽り、売上を伸ばすことが使命であると思っているようだ。
宮沢蔵相の就任は自分で「判断ミスを犯すことがある」と公言した人を選んだ訳であるからそもそもその過程からしておかしな話なのであるが、早速失言である。しかしそれに対するマスコミの反応は相変わらずのレベルであった。
宮沢蔵相の「マーケットのことはマーケットに任せればよい」というのは揺るやかな円安容認という自らの考えを述べたものであろう。しかしその発言直後円は1円以上の円安に振れ、さらに週末にかけて144円台後半まで下げた。揺るやかではなく急速な円安になってしまった。
ここで2つの点が問題になる。第一は本当に円が緩やかに下落していくのを政府は容認していていいのであろうか。第二はもしその円安容認政策が正しいとして、それを蔵相という立場で発言した場合、市場にどういう影響が出るかを見極めなかったのか。である。
第1の点については議論があろう。私は個人的には円安以外に日本経済を浮揚させる手段はないと思っている。しかしグローバルな経済に与える影響、国内資産の急速な国外流出など考慮すべき点は多い。専門家の意見を聞き正しい判断を蔵相がすればいいことである。これは結果責任である。
問題は第2点である。緩やかな円安を自然に任せることにしたとしてそれを記者を前に堂々と語ってしまう。これによるインパクトは考えられなかったのだろうか。結果として介入警戒という重しが取れてしまい円は急落した。これはやろうとしたことが自身の発言で出来なくなった訳で失言ではないだろうか。
マスコミは円安が悪いというところから出発し、宮沢蔵相が円暴落の原因と非難している。しかし円安が悪いことだと誰が判断したのだろうか。日経平均とドル円の為替レートをニュースで見慣れた人にとって、株が下がり円が下がるだけで大騒ぎである。かつては円高になる度に大騒ぎだったのに、である。
新聞休刊日同様記事の内容まで横並びにしないで、円安賛成を論調にするマスコミがいてもいいのでは無いだろうか。
パクリ
服部某の作った歌が自作の「どこまでもいこう」のパクリだとして小林亜星が法的手続きを取ると騒いでいる。
何度かテレビで2つの歌を比較して聴く機会があったが、個人的には確かによく似たメロディーだと思った。
しかしこれは犯罪と言えるのだろうか。百歩譲って真似をしてあるいは参考にしてメロディーを作っていたとしてもである。確かにメロディーは似ているのだが、まったく同じではないしリズムや曲調、アレンジなど随分違ったものである。
どこまでが似ていて、どこまでがオリジナルなのかの線引きは非常に難しい。化学薬品の成分分析のように定量化できないからである。結局誰が判断するにしても主観的な要素が入りこんでしまう。
小林亜星のコメントを聞いていると問題は金銭的なことではなく、感情的なことのようだ。ならば、裁判所に決めてもらわなくても音楽ファンが聴いてみてから判断すればいいだけのことではないだろうか。裁判官の判断など一般人の判断能力とはズレている訳だから、法的に解決したところで本質的な納得は得られない。裁判で認めてもらうより音楽ファンに支持される方が本人の希望に沿っていると思うのだが。
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