SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1998年12月

 

1998.12.31.(THU)
<今日の一言>

Iさんの情報によればフレッシュネスバーガーのHPがここにあるそうです。ちなみに昨日の朝もまた行ってしまいました。

1年の終わりに

年末の日記がジャンクフードの品評会になっているのがお気に召さない方もいらっしゃるようで、一年の最後は少し堅い話で終らせることにしようと思う。

今年一年、公私共に多くの出来事があった。それぞれの出来事が自分や周りの人に大きな影響を与え、時には迷惑をかけたり、自分自身に降りかかってきたりもした。そんな中でいつも考えていたことは、自分とは何をしたいのであろうか、ということともう一つは自分にとって関わりを持ってくれた人達に対する感謝の気持ちである。

今までの自分にとって、明確に見えているように思っていた目標や夢といったものが意外に脆く簡単に目の前から消えていってしまったという事実は、すべての物事に永遠が無いという当たり前の事実を認識させられ、これから何を目的として生きるべきなのかという疑問を突き付けられる結果となった。

「自由」という言葉が今でも一番好きな言葉であるが、目的の無い自由というのもある意味ではぬるま湯のような物足りなさが残る。来年はこのぬるま湯の中に小さく光るものを見つけ出すのが一番の目標になりそうである。

そして、このHP、手紙、電話、会って話したりと自分が如何に多くの人と関わりを持っているかという事にも改めて認識させられた一年であった。毎日少しずつではあるが、一度も会ったことのない方から色々なことを教えていただいたり、愚痴を聞いていただいたりとお世話になることばかりであった。

来年は今まで関わりを持っていただいた方と更に交流を深めながら、自分が本当にやりたいことを探す「自分探し」の一年になるのではないかと思っている。

 

1998.12.30.(WED)
<今日の一言>

今日で仕事納めです。

年賀状

年賀状をやっと書き終えて投函した。恐らく元旦には到着しないのだろう。いつになってもクリスマスカードや年賀状を早めに作るということができない性格である。今年はついにクリスマスカードは一枚も書くこと無く終ってしまった。(きれいなカードを送っていただいた方申し訳ございません)

ところで毎年年賀状を書くときはその年の元旦に頂いた年賀状を見ながら宛名を作っていくわけであるが、見ていると年賀状を書く相手にもいろんなタイプがある。一番多いのが、親しいけど結局一年間会う機会の無かった人達である。こういった人には近況報告と、今年こそお会いしたいですね、といったメッセージになる。

次に多いのが、頻繁に会ったりメールのやりとりをしている人達である。こういった人には言葉は余り必要ない。別に年賀状が無ければ付き合いが途切れるわけでもなく、所謂気の置けない人達である。

そして、何となくお互いに年賀状のやりとりだけ続いている関係というのも結構ある。特に親しいわけでもなく、かといって無関係でもない、お互いにもらっているから返事を出すという相互依存的な関係である。こんな関係はどちらかが喪中になったり、転勤で住所が分らなくなったりするときに少しずつやりとりが消えていく。

印刷されたワンパターンの年始の挨拶にパソコンで印刷された住所、そして「ことしもよろしく」という意味の無い味気ない走り書きがされた年賀状より、近況報告を事細かにしてあるEメールの方がうれしかったりするがこれは天邪鬼の心理であろうか。

とはいっても年賀状はEメールアドレスのある人には送らないか、というとそういうわけにはいかないものである。人間自分の思ったことをやり通すと周囲に軋轢が発生する。

 

1998.12.29.(TUE)
<今日の一言>



フレッシュネス・バーガー

会社の近くに「フレッシュネス・バーガー」というのが開店した。アーリーアメリカン調の明るい店内で出来立てのハンバーガーを食べさせる店である。看板商品のフレッシュネス・バーガーというのを昼間に注文して食べてみた。

暖かいハンバーグの周りに野菜とトマトの輪切り、マヨネーズ味のソースである。この味はどこかで食べたことがあるなと思えば、モスバーガーの味に極めて似ている。注文を受けてから作るところもスープがメニュにあるのもポテトが皮付きで大きいのもそっくりである。

違うのは店員の年齢層と店内の雰囲気、そして立地であろうか。モスバーガーは若者もいるが店員の大半は中年の主婦である。そして店の感じもお洒落なハンバーガーショップというより地元の気軽な手作りの店という感じである。当然立地もちょっと田舎の意外な場所に展開している。

フレッシュネス・バーガーは店員がアメリカンカジュアルな服装に頭にバンダナである。店内も明るく清里のペンションのような雰囲気である。

実は今朝もフレッシュネスのホットドッグを食べていたのである。2食続けて同じ店で食事というのは余り記憶にない。ホットドッグを朝から食べると少しヘヴィであったが、お昼のハンバーガーは丁度お腹に良い量だった。近くでは65円でハンバーガーを売っている店もあるが、270円なら美味しいものを食べたいというのが私の結論である。

良い事尽くめのお店であるが唯一の難点は名前が覚え難いことでは無いだろうか。中年のおばさん同士が「このリフレッシュバーガーって美味しそうね」といいながら店の前を通り過ぎていった。

部屋探し

家探しについては何人かの方から情報を頂いた。ありがとうございます。まずはSYさん。

友人が芝公園に一時住んでいました。バブル後、生活基盤を変えた人たちがかなり撤収したので、その界隈は1DKがひとけた、1LDKが12〜14万くらいで借りれる穴場があると友人は言ってました。今でも個人オーナーの物件で半分部屋が空いていて交渉次第でディスカウント可能な物件が有るそうです。

私のニュアンスでお進めするエリアは「三田・芝公園・田町海側・麻布十番より慶応側」あたりです。自炊なら近所にスーパーがないと不便ですが、そうでなければコンビニはどこにでもあるし意外に住めるそうです。その付近は都バスの路線が充実しているので意外に便利なうえ浜松町のオフィスでしたら自転車通勤も可能かも。あと、その友人がポイントとしてあげていたのは

1、郊外に住んでタクシーで月に2〜3回帰るならその分の3〜4万は確実に浮き、家賃に転化できる。

2、休日が死ぬほど静か。(少し寂しすぎることもあるらしい)

3、近所に意外と「公園」とかあり優雅である。

といった部分です。ご参考まで。

そしてBBさんからも

蒲田は良い町ですよ〜。駅周辺はちょっと、ガラが悪いですけど、大森側にいくと、閑静な住宅街といった感じです。ちょっと北西に行くと田園調布だし(ちょっとじゃないかな(^^ゞ)、大森にも山王という、高級住宅街がありますから。それに物価も安い。もともと工場街なので、安いんですよね。

ただ、車を持っているとちょっと大変かもしれません。駐車場がなかなか無いですから。バブルの頃は、「駐車場は月4万円」と言われました。今はもっと安くなっていると思いますけど、車を持っているのなら、葛西とか、行徳のように千葉の方に行った方が良いかもしれません。

でも、それ以外を考えると、通勤も楽だし、お薦めの町です。JR蒲田駅は、始発電車が多いんですよ。その上、川崎より南に住んでいる人は東海道線を利用するので、電車はいつも結構空いています。

来月には何とか結論を出せそうである。

 

1998.12.28.(MON)
<今日の一言>

下北沢の「キッチン南海」はいい味出してる洋食屋さんです。

連休終了

2週間連休が終了した。今回は温泉に行って湯当たりした以外これといった事件も無い、冴えない2週間となってしまった。年賀状を書いたり、少し本を読んだりと知的な活動もしたかったのであるが、ほとんど出来ずしまいであった。

昨日は日曜日に「ふぉれんと」を衝動買いしてしまい賃貸物件を見ているうちに不動産屋さんに行きたくなり、年末なのに部屋探しをしてしまった。

ほとんどの業者はもう仕事納めで、下北沢と新宿の2軒を訪ねた。勤務地が浜松町で家賃は10万円台半ばの1LDKと条件を言うと、環境も考慮して考えられるのは井の頭線、文京区根津近辺、そして千代田線の代々木公園周辺と思っていた。

しかし話を聞いているとどうも下北沢という街は異常に人気が高く、それに引きずられて井の頭線や千代田線も割高であるという。やはり世田谷ブランドは未だ健在なのである。この地域ではこの期に及んでも家賃は下がらず、大屋さんも強気の家賃設定だという。15万円程度では40u弱のアパート物件が多い。

2軒めで勧められたのは蒲田である。蒲田といわれても土地勘が無く何となくガラの悪い街(住んでいる方、失礼!)という印象しか持っていないのだが、東急の終点駅で意外に便利であるという。どうやら自社の物件を持っているというのも勧める理由なのであろうが、確かに浜松町まで15分程で交通の便は悪くない。

取り敢えず世田谷エリアには未練を残しつつ、蒲田・大井町周辺も探してみるというスタンスで来月あたりを目処に引越ししようかと急に思いはじめた次第である。住んだことの無い街に住んでみるというのも結構面白いものなのかもしれない。

 

1998.12.27.(SUN)
<今日の一言>

お好み焼き

家の近くには広島風お好み焼きの店「みやじま」というのがあり、なかなかの味である。前の会社では近くに「たっちゃん」というこれまた広島風お好み焼きの店があった。お好み焼きは嫌いな方ではないが、どうも食べた後の気分が良くない場合が多かった。

下北沢というと若者の街で美味いものは余りないように思えるが、意外に名店があるものである。「広キ」(キは七が3つ、世田谷区北沢2−14−14)という店のお好み焼きは既成の概念を打ち破るような味を出している。例えばお好み焼きの上にレタスの千切りを乗せ、上からレモンを絞る。あるいは蛸、牡蠣、ネギといったトッピングである。お好み焼き自体が表面がカリッと中はホクホクに仕上がっているところにこのトッピングが入ると、味に深みが出る。

使っている材料も新鮮なせいか鉄板で焼くとさらに旨みが増すようである。レモンやレタスのさっぱり感と三位一体となってお好み焼きを超えた味になる。既存の脂っこい味とは異なる軽やかで食後感が良い店である。

そば入りレタスで1000円と値段もシモキタにしては強気であるが、夕方になると行列が出来ることからそれなりの評価を受けているのであろう。私の隣に座っていたのは香港からの観光客らしかった。片言の日本語で「オイシイ、オイシイ」を連発していた。

 

1998.12.26.(SAT)
<今日の一言>

来年の干支を先取りしたわけではありませんが、コンタクトの調子が悪く右目がウサギの目になってしまいました。

自殺論

インターネット上で自殺の方法を書いたページを見つけ、その人から毒物を送ってもらい自殺した、という事件が世間を騒がせている。こういったインターネット絡みの事件に対するマスコミの反応というのは、不気味なネット社会の落とし穴、といったネガティブな論調になる。

マスメディアからすればこういったネットの発達は脅威である。自分たちの報道という仕事が奪われる可能性があるからである。更に報道に対するチェック機能が働くことから、報道する側からすれば目の前のうるさい蝿というのが本音であろう。だからネガティブな対応になるだろうか。それは深読みで実は意外にネット社会を知らないという無知のなせる技なのかとも思ったりする。

自殺の方法をネット上で公開したところで、そのページを開くのは読み手の選択である。そしてその内容を実践するのも読み手の選択である。

犯罪の手引きを書いているページがあったとしてもそれだけで犯罪になるのであろうか。自殺が犯罪かどうかという議論もあるであろう。今回の問題はこうした自殺幇助のページが存在するということよりも、誰がそのページを作っているのか判らないという匿名性にあるのではないだろうか。普段は名前を明かす必要はないが、犯罪に巻き込まれたような場合にメールにせよURLにせよ発信者が誰か特定できることは必要ではないだろうか。もちろん普段は匿名性を維持しても構わないが、最終的には発信者が誰であるのか特定できるようになっているということが、発信内容に責任を持つために最低限必要だと思うのであるが如何であろうか。

知らない人

私のところにはほぼ毎週知らない人から、はじめましてメールがやってくる。自己紹介をしてくださる礼儀正しい方が多く何となくイメージは掴めるのであるが、実際に会うことはほとんど無い。

では知らない人ということになるかと言えば、日記で私のことをよく知っている。メールのやり取りなんかしていると学生時代の友人や会社の同僚よりも話が合ったりする。そこで疑問に思うのは、一体「知り合い」とはどういう人のことなのだろうかということである。

船や飛行機が物理的な移動を、電話やファクスが情報の移動を簡単でスピーディなものにした。印刷が情報の伝播を効率的にした。この2つの融合がネットである。

確かに時間を超える、空間を超えるというのもネットが普及した大きな要因であろうが、ネットの特徴はそういった効率性だけではない。匿名性のある知らないけど知っている人との出会い、が今までの世界と根本的に異なる。これがネットが今までの科学技術と根本的に異なる革新的な部分ではないかと思う。

交通手段が無い時は同じ村に住んでいる人だけが知っている人であった。交通・通信手段の発達で会ったことがある人は知っている人になった。インターネットによって会ったこともない人と知っている人になる可能性ができた。自分にとってHPを続ける最大の理由はこれなのである。

 

1998.12.25.(FRI)
<今日の一言>

宇多田カオルとかいう新人のデビュー曲が頭の中を回っています

修理

モバイルとVAIO、2台ともヨドバシカメラのメンテナンスセンターに持っていった。モバイルは前に書いたように突然まったく反応が無くなってしまったのである。電池を換えてもリセットボタンを押しても駄目である。

一方のVAIOは故障というほどではないが、内蔵のカメラの取り付けが緩く、はずれてしまいそうなので修理を依頼した。これは保証期間内なので無料であろう。

というわけで家にある稼働中のパソコン3台の内、2台が修理をいう事態になっている。モバイルが無いと電車の中で手持ちぶさたになってしまうので早く戻ってこないかと思っている。

一方エアコンは3度目の修理で何とか元に戻り動くようになった。寒いクリスマスイブの夜を前にギリギリセーフであった。家にある暖房器具はエアコンが2台だけである。それ以外は電気毛布が1つあるだけである。今回のエアコン故障で感じたのは、停電したときの凍死リスクは結構高い、ということである。

 

1998.12.24.(THU)
<今日の一言>

韓国のチョゲ寺のお坊さんにもメリークリスマス!

中田もどき

街を歩いていると、最近見かけなくなったのが江口洋介に似た男性である。その多くは髪型のみが似ているので、後ろから見ると似ているのだが、正面から見るとほとんど似ていることは無い。最悪の場合、むしろ武田鉄矢の方に似ていたりする。

最近見かけるのはサッカーの中田に似た男性である。ふちのある黒いサングラスをかけて、髪を短く刈り込み髭をはやしている。江口洋介とは異なりこの場合、正面から見ても結構似ている人が多い。

しかし、正直言って中田というのはサッカーが出来るからカッコイイのであって、普通の若者であったらただのもぐら顔の陰気な男である。世界に通用する数少ない日本のスポーツ選手ということでファッションにも注目されているわけである。とすれば、見た目の真似ばかりしたところで本質的な価値を真似しなければ意味が無いのではないだろうか。いくら天童よしみが人気があるからといって唄は真似してもファッションは真似しない。天童よしみは唄が上手いから人気があるのである。

そういえばデパートの福袋で藤原紀香と同じファッションができる、というのがあるらしい。靴から洋服一式が入っていて、これであなたもフェロモン系という訳である。しかしこれも何だかピントがずれている。確かに藤原紀香はファッションセンスも人気の一因であろうが、服装よりも本人の容姿が人気の根本である。藤原紀香のつもりで同じファッションにしたところで一歩間違えればただのウォータービジネスのお姉さん、である。

見た目を憧れの人に近づけたい心理は理解できるが、外見だけにこだわってもしょうがない。形から取り敢えず入れば簡単ではあるが、オリジナリティのない外見だけの模倣の虚しさに気が付くには馬鹿すぎる、いや若すぎるのだろう。

楽しいクリスマスを!

気分が滅入っていたので甘えた日記を書いたら、一度もお会いしていない方から励ましのメールを頂いてしまった。そんなちょっとしたことでも気分が変わってくるから不思議である。いくら強がりを言ったところで所詮人間は一人では生きていけないものなのである。

中村雅俊の青春ドラマの世界が照れくさくて苦手な私であるが、実は根本で求めているのはああいった人間臭い関係なのかもしれない。

いずれにせよ、今日はクリスマスイブである。夜も仕事の方には申し訳ないが、気の置けない仲間と気の置けない夜を過ごすのが一番の楽しみである。パークハイアットNYグリルでカップルで過ごすのも幸せには違いないが、それと同等の価値のあるものは他にいくらでも存在する。

 

1998.12.23.(WED)
<今日の一言>

今年救急車の出動回数が2番目に多かったのが22日だそうです。1番は1月14日、そういえばみぞれ混じりの雪が冷たい日に朝帰りしたのを覚えています。

躁鬱

どうも感情の起伏が激しいようである。今週に入り、気分的に落込む日々が続いている。体に一定のリズムがあるようでしばらくするとまた回復するのであるが、どうも気分がすぐれない。

躁(とまでは行かないが)の時は、目先のことしか考えない。毎日起っていることが楽しく思え、嫌なこともどこかの本のように、しょせんすべては小さなこと、と割り切って考えられる。

しかしダウントレンドに入ると、目先よりもっと先のことを考えはじめる。人生とは、30年後どこで何をしているのだろうか。考えても結論が出ないようなことを思い巡らせると気分はブルーである。

となれば、目先のことを考えていればこの状態から脱出できることになるのだろうか。そう言えば明日はクリスマスイブである。

 

1998.12.22.(TUE)
<今日の一言>

家での料理に凝っています。

電化製品

エアコンが突然動かなくなってしまった。リモコンのスイッチを入れても反応が無い。リビングルームの暖房器具はこれ一つなので困ってしまった。取り敢えず寝室のエアコンをつけてリビングまで暖めるようにしてしのいでいるが、部屋が寒くて凍えそうである。

地元の電気屋さんを呼んで修理を頼んだが、今やエアコンというのはインバーターやらファジー制御やらで街のお店の修理では手におえないらしい。次にやってきたメーカーのサービスセンターの人も1時間以上格闘して結局もう一度出直しということになってしまった。相変わらず寒い部屋である。

こんどはモバイルギアが突然動かなくなった。電池切れかと思ったが主電池、副電池両方換えても反応しない。モバイルは買って数ヶ月したときも同じような故障があって保証期間だったので新品に換えてもらった記憶がある。しかし今回はもう一年間の保証期間も過ぎている。

その前は電子レンジが金具の損傷で修理という事態になった。こんなことが続くだけでも何だか最近はツキに見放されていると感じてしまう。

牛肉カルパッチョ

近くの肉屋さんで生で食べられる肉をなるべく薄くスライスしてください、と頼んで買ってきた。丸い大きな皿にニンニクを半分に切って香りだけを皿にこすり付ける。その上に買ってきた肉を一枚づつ丁寧に並べて、その上から塩とブラックペッパーをかける。更にエクストラバージンオイルをかけ、レモンの絞り汁をふりかける。最後にパルメジャーナの薄切りをのせて出来上がり。

牛肉のクオリティで80%以上の勝負が決まる。逆に言えば肉さえ手に入れば誰でも簡単に作れる料理である。

ラタテュイユ

オリーブオイルにニンニクのみじんぎりを炒め、香りが出たら玉ねぎを入れて一緒に炒める。火が通ったら、セロリ、茄子、ズッキーニ(なければキュウリ)、赤ピーマンなどを入れて、イタリアトマトのホール缶を丸ごと入れる。ブイヨンを1つ入れてふたをし、ひたすら煮込む。

野菜の切り方は好きなように。火が通ってきたら塩、好みの香料を入れる。冷めても暖かいままでもおいしく食べられる。

野菜スープ

鍋に水を入れ、ブイヨンを入れる。ベーコン、キャベツ、セロリ、玉ねぎ、その他冷蔵庫に余っている野菜やキノコを全部適当に入れる。火が通ったら塩、胡椒で味を整える。トマト缶を入れればトマト味、パスタを入れればミネストローネにもなる。

以上、最近作った簡単料理でした。

 

1998.12.21.(MON)
<今日の一言>

充実した医療制度

先週の温泉旅行でまた湯当たりしてしまった。一泊で温泉に入りまくっただけなのに体中がムズムズし、顔も春スキーで紫外線にやられた時のようにカサカサに乾燥してしまった。放っておけばいずれ治るのであろうが念の為皮膚科の医者に行った。

調布駅前にある皮膚科のクリニックは月曜日の午後だというのに大混雑である。受付番号をとると約25人待ちである。時間を聞くと40分くらい待つというので近くの本屋に行って暇をつぶす。

40分経って戻るとまだ順番は回ってこない。人は相変わらず多くまだ20人以上待っている。受付をしてから1時間、ようやく診察室に入ることが出来た。しかしまだ中にも患者がたくさんいる。どうやら一人の医者が患者をさばいているようである。

診察室で待つこと10分順番が回ってきた。「温泉で湯当たりしました」というと医者は「では、この2種類の塗り薬を塗って下さい。ビタミンBとかゆみ止めの飲み薬も2週間分出しておきます」と薬を塗ってもらい診察は終る。診察時間は2分位であろうか。

診察料を払うと今度は薬の処方である。薬局に行って指定された薬を出してもらう。5分ほどで2週間分の薬を受取る。保険を使っても2千円であった。

5種類の薬を2週間分といえば結構な量である。どうせ3日くらいで使わなくなるのであろうが、3日分づつもらいに行くのでは医者が儲からないのだろうか?これで2週間は通う必要が無い、という意味では充実した医療制度なのだろう。気が付くと受付をしてから1時間半が過ぎていた。

 

1998.12.20.(SUN)
<今日の一言>

個人消費

久しぶりに休日に買い物に出かけた。例によって新宿のバーニーズNY、ビームス、ユナイテッド・アローズ、SHIPS、LLビーン、GAP、といったお店を巡る。クリスマス前の最後の土日ということもあってか、どこも大混雑である。

買い物の前にまずは腹ごしらえである。久しぶりにロールキャベツのアカシアに行った。この店はもう何十年も続いている洋食の老舗である。ロールキャベツが未だに580円ということで今では昼になると行列ができる。幸いなことに10分程度で中に入ることができた。ロールキャベツとオムライスを注文。どちらも昔懐かしい味である。

続いてショッピング。特に買うものを決めていたわけではないがビームスでネクタイとコートを衝動買いし、後はひたすらジャストルッキングであった。1日で7万円近く使って少しは個人消費に貢献したかという気分である。

クリスマス前でどこの店に行ってもカップルがプレゼントを選ぶ姿が見られる。皆キラキラと輝いて本当に楽しそうにクリスマスの気分を満喫している。かくいう私も今年のクリスマスは何とか楽しく過ごせそうである。余り良いことが無かったこの一年、最後くらい幸せな気分に浸ったとしても、決してバチは当たらないだろう。

 

1998.12.19.(SAT)
<今日の一言>

「社長失格」

本屋で立ち読みをして腕が痛くなったのは初めてである。気が付くと立ち読みを始めてから、1時間以上が経っていた。残り3分の1をこれ以上立ち読みしているのがしんどいのと、これほどまでに惹き込まれる本にはきっと買うだけの価値があるのだろう、と読みかけの本をレジに持っていった。「社長失格」(板倉雄一郎著、日経BP、1600円)である。

取りつかれたように残りの100ページ余りを一気に読み終るともう夕方になっていた。何故これほど惹き込まれてしまうのであろうか。ベンチャービジネスの経営者の栄光と挫折の記録、リアリティがあるから、ネット関係のビジネスで親しみがわくから、そのどれでも無いような気がする。

いい加減なように見えて自分の譲れないものを頑なに守ろうとする著者の考え方に共感したから、というのが惹き込まれた根本理由だと思う。フェラーリを乗り回し、クラブ活動で見つけた女と暮らす。ベルファーレ、ビルゲイツ、孫正義、派手で時流に乗った活動が目を引くが、その一方で電通とのトラブルで自分の論理とプライドの為に仕事を失ったこと。2億円の銀行融資と引き換えに3千万円のゴルフ会員権を買ってしいゴルフ嫌いになってしまったこと。器用そうで不器用な筋を通したがる生き様(これが失敗の原因なのかもしれないが)に共感したのである。

そして随所に見える、ユーモアのセンス。破産してこんな文章を書いているのは債権者から見ればふざけた奴となるのかも知れないが、この余裕があればこそこれだけのビジネスを産み出すことになったのだろう。

本人が言うように組識というもの、マネジメントに対する理解の欠如が致命傷になったが、起業家としては天才であろう。そして実際に数々のアイディアをビジネスとして実現してきた。しかしそんな才能溢れる男であっても、銀行の土地本位制脱皮の中でのマルチメディアブーム、第3次ベンチャーブーム、そしてBIS規制による銀行の貸し渋り、といった時代の流れには呑み込まれてしまった。個人の力では超えられない時代という流れの非情さ。「狂言回し」という例えも的外れではない。

とにかく面白い本である。本人のHPを見れば一度会ってみたくなる。かつては魅力溢れるカリスマ経営者だったのであろう。失敗は余りに大きすぎるのかもしれないが、真剣に努力する者には再度チャンスを与える社会であって欲しいと思う。

 

1998.12.18.(FRI)
<今日の一言>

入試はギャンブルか

山口大学の理学部数学科では2000年からセンター試験と二次試験の配点パターンを試験後に受験者が選択できる「配点自己申告制」を導入するという。試験前ではなく試験後に選択できるというのがミソである。

この方式の場合、受験者はテストの後で自分の出来が良かったと思う方へ配点を厚くすることができる。しかしその場合問題になるのは自分の出来が良かったというのはあくまで相対的にでなければならない、ということになる。自分が出来た気になっていても、他の受験者がそれ以上に出来が良かったら相対的には出来が悪いということになるからである。受験後、配点を自分で決める間に他の受験生と比べた自分の相対的な出来はどうやって知ることができるのだろうか。正確な情報を得ることは恐らく無理であろう。他人に情報を漏らす人はいないからである。とすれば普段の自分の得意不得意と当日の手応えから自分の相対的な位置を推測するしかない。

このシステムは一部では入試のギャンブル化につながるという意見もあるようだが、果たしてそうであろうか。点数配分が固定の場合、受験前に自分で選べる場合、受験後に自分で選べる場合でどのような変化が起きるのだろうか。

もし受験前に自分で配点を選べるなら、一種の一芸入試である。自分の得意科目に配点を厚くすることになる。そして得意科目以外はまったく勉強しないというバランスの悪い勉強をしてしまう。得意科目が特にない場合、試験前に配点を決めるのに頭を悩ませ、勉強に没頭できない可能性もある。

その点入試後に配点を決めるというのは2つの長所がある。一つは試験当日のアクシデントによる失敗を配点選択でリカバリーできるということだ。得意科目でも当日体調が悪かったりして実力が発揮できない場合がある。今までの固定配点方式はそういったアクシデントも実力と見なしてきた訳である。しかし当日の不可抗力で試験に失敗し、そのペナルティが1年というのは厳しすぎる。

二つ目のメリットは試験の出来と共に自分の置かれた状況を判断する能力が問われる。つまり周りの人との相対的な位置を自分で推理する、という今までに無かったものが合否に影響するようになる。

ほとんどの入試で採用されている固定配点は受験生を同じ条件にして公平に順位を付けていくという明快さはあるが、運も実力という部分は排除できない。当日電車事故に巻き込まれて遅刻するのが実力が無いからとは思えない。ヤマがたまたま当たってラッキーな受験生というのも存在する。

このように考えれば、もともと入試とはギャンブル性のあるものなのであり、この山口大学の入試制度はそれを助長するようなものではない。

大学サイドから見れば、少なくとも大学のPRにはなり、個性のある学生が受験し、合格する可能性が広がったという点だけでも導入の価値はあるのではないだろうか。

 

1998.12.17.(THU)
<今日の一言>

加仁湯で湯あたりしたようです。

高齢者虐待

日経の夕刊に深田佑介が書いている。米国ではレイオフは若手からで高齢者は最後、職場に復帰するときも高齢者からで若者は最後だ、と。これが本当なのかどうかは疑わしいが、少なくとも日本の高齢者に対する十把一からげの無能扱いの風潮に対する怒りの意見には大いに賛成である

そもそもリストラというと日本ではすぐに50代の人たちが対象になっているようであるが、50代の人が本当に会社にとって最も価値が低い人なのであろうか。もちろん吸収力や適応能力では若手にはかなわないのかもしれない。しかしそれを補うだけの経験や人間的成熟、調整能力といったものを持っているはずである。とすればなぜ日本では高齢者ばかりがリストラされるのだろうか。

年功序列の賃金制度に問題があるのではないだろうか、というのが私の仮説である。年功序列ということになれば、当然年齢が高い人のほうが賃金も高くなる。したがって同じ生産性を持った人の場合若ければ若いほど割安な労働力と言うことになる。

日本の企業では若いうちは能力以下の賃金、年齢と共に能力以上の賃金へと上昇していく。だから終身雇用を前提とすれば、なるべく長く働かないと後半のおいしい部分を味わえないのである。個人的経験から言えば退職金も10年で辞めたらほんの1回分のボーナス程度であった。

今や終身雇用が崩壊しつつあり若い時に会社に奉公しても中高年になったとき御恩があるとは限らない。この仕組みは御恩と奉公の封建制度同様双方の信頼がなければ成立たないが、もう限界である。そんな中、企業はかつて割安であったが今や割高になった中高年をカットしているのである。

つまり中高年は無能なのではなく、適正な価格付けがされていないだけなのである。能力に応じた賃金体系を企業側が提示し、これを労働者サイドが選択するというようになれば、中高年の雇用難は賃金の下落という副作用はあるものの、能力に見合った仕事を見つけやすくなるのではないだろうか。

勿論、子供の教育だの、住宅ローンだのそれぞれの家庭によって環境は異なり、一概に給与ダウンといって受け入れられるとは限らない。しかし給与が経済状況や家庭環境によって異なるという制度は、本来企業が考えるべきものなのだろうか。

子供をたくさん育てて、住宅ローンを抱えるのも、一人暮らしで気ままに暮らすのもそれぞれの人の人生の選択の結果である。高齢者虐待という状況は、適正な労働市場の成立と、教育費や住宅といった高コストな支出構造が原因、というのが私の結論である。

 

1998.12.16.(WED)
<今日の一言>

この世に永遠というものが存在しないのなら、何かが始まるという事は終わりに向かって走り出すことを意味する。

高速道路

高速道路の料金は高い。料金が高いから、逆に空いているのだという論理もあるのだろうが、そうであれば通行料に応じて料金の設定を変えるべきである。高々、栃木の温泉に行くだけで、高速道路代が1万円近くかかってしまった。

地方に行くと今度は専用道路が料金を徴収する。それもほんの数キロなのに500円以上という暴利である。かかった建設費用を回収するためなのであろうが、たったこれだけでこんなに払うの、という感覚になる。

高速道路が高いと思うのは、単に値段自体が高いという以上に合理化の努力をしているとは思えないところにある。無駄な設備を作ってコストを利用者に全部負担させているようなところがある。サービスエリアにある、お茶や地図の無料サービス。そして案内所にいる暇そうなコンパニオン。こんなサービスは要らないと思うのであるが。無料サービスといっても結局は高速道路代の一部なのだから無料ではないのである。

サービスエリアのサービスにも不満がある。食堂に競争原理が導入されていないので、味が良くない。どこも社員食堂のようなメニュで料金だけは一人前である。不味いコーヒーにフランクフルトを食べるのも旅の思い出であるが、やっぱり選択の幅が広い方がいい。

一ヶ所だけパーキングエリアにドトールコーヒーが入っている所があった。道路公団批判をかわすための市場開放であろうか。帰り道同じパーキングエリアを探して見たが、ドトールは見つけられなかった。仕方が無いので530円でカップヌードルのようなラーメンを食べた。これがサービスエリアで食べる名物佐野ラーメンと知って悲しくなった。

 

1998.12.15.(TUE)
<今日の一言>

秘湯の旅に出かけてまいります。

加仁湯

栃木県の奥鬼怒川温泉の一番奥にある「加仁湯温泉旅館」(0288−96−0311)に一泊で出かけた。沢カニが昔たくさんいたことから名づけられたという名前である。車で川俣・女夫淵温泉という一つ前の温泉集落まで行き、そこから宿の迎えのバスでさらに20分ほど奥に入る。関東では最も不便な場所にある温泉である。

シーズンオフということで宿泊客はわずかに20人。定員の1割という少なさで、ゆっくりと寛ぐことができた。宿は新館ができたということで、予約の時に勧められた新館にした。広さ12畳の立派な和室である。部屋が立派なのはいいのだが、秘湯の鄙びた宿を期待して来た私にとっては豪華すぎる造りである。

部屋に行く途中にカラオケボックスがあったりして、更に興ざめする。どうやら旅行会社の団体客もかなりとっているらしく、鄙の宿というより温泉ブームにあやかろうとしている商売っ気のある旅館といった風情である。

しかしさすがに露天風呂は最高であった。混浴の広い岩風呂があったが、誰もいない。20畳近い風呂が貸切り状態である。硫黄泉であるが、それほど色も匂いもきつくなく、お湯加減も丁度良く横を流れる川の音を聞きながらの風呂は今まで入った中でも屈指のレベルであった。別の場所にある内風呂もきれいで良い。

宿に着いて一風呂浴びると早速夕食である。山菜やきのこを中心としたシンプルでヘルシーな夕食である。食事の内容は余り期待していなかったのでまあこんなものか、といった感想である。ただ、マタギの里なのでクマやシカといった鍋でも味わえるのかと思えば、これらはまた別料金とのことである。問題は食事の場所である。広い宴会場に集められて明るい照明で食べる夕食は何だか落着かない。隣のお客さんがお互いに気になってしまうのである。落ち着いて食事をするというよりそそくさと食べて部屋に戻れと言われているような感じである。天ぷらも前に揚げられた冷めたもの、サービスも今一つであった。

夜と早朝、そして朝食後と更に3回も入ったが、ほとんど人に合わず最高の温泉を独占することができたのはラッキーだった。一泊2食で1万5千円。電話予約のときに部屋は9千円、1万2千円、1万5千円と言われ、一番いい部屋を勧められたのでこの部屋にしたら千円サービスしてくれると言っていた。それなのにフロントの請求は1万5千円。電話の話をしたら何も言わずに千円引いてくれた。騙されそうになったみたいで、何だかこれも後味が悪い。

風呂は120点だったが、その他は60点。全部で75点といったところか。宿泊代を1万円にして部屋を半分の広さで鄙びた感じにして、薄暗い囲炉裏の周りでのんびりと食事、となれば良いのだが、新館を建てて、費用回収に熱心そうな経営者には思い付かないアイディアであろう。

 

1998.12.14.(MON)
<今日の一言>

連休

今日から2週間お休みである。会社の規定で2週間休みを年に1回取らなければいけないルールになっている。今回もまた年賀状やら、大掃除やら、忘年会やらで何となく過ぎてしまいそうな気がしている。

取り敢えず明日から温泉にでも行ってみようと思っている。10月の長期出張以来、公私共に忙しく、12月に入ってから疲れがドッと溢れ出しているような感じである。例年に無く忘年会の数も少なく、所謂義理で出るような会も無いのでストレスは無いのであるが、肉体的にはしんどいというのが実感である。

来週はもうクリスマスである。宗教心は特に無いので教会に行くわけでも無いし、大晦日に初詣に行く予定も今のところは無い。そうはいっても年の瀬の慌ただしくも華やかな雰囲気を見ていると、何となく自分までせかされているような錯覚に陥るのも事実である。

そんな流れに呑まれないように、じっくり一年を振り返る2週間にしたいと思っている。

 

1998.12.13.(SUN)
<今日の一言>

年賀状の準備を始めました。

資格オタク

ショートスリーパーの人の中に資格オタクの人がいた。ボイラー技師から小型船舶までといった具合にありとあらゆる資格に挑戦しているチャレンジャーである。そんな話を聞いていて思い出したのは最近の資格ブームである。

日本語関係では、漢字検定というのが有名であるが、日本語話し方検定なんていうのもあるらしい。正しい敬語など話し方に関する検定を行うというが、会社が新人セールスマンなんかに強制的に受けさせている。

自分の仕事に関連する分野では、テクニカルアナリスト検定というのが始まることになった。アメリカのテクニカルアナリスト協会と提携して来年から始めるらしいが、3次試験は内容がまだ未定というお粗末な検定である。しかも1次に合格すると検定会員になれるのに2次試験に合格しないと会員であることを名刺などに記載してはいけないという。要するに1次試験は会員費集めの為のカネヅルだと言っているようなものである。

そう言えば、鉄道検定とかいうのまであるらしい。時刻表や鉄道に関する知識をテストするらしいが何の目的なのであろうか。試験によって誰かに認定してもらえなければならないようなものなのだろうか。ちょっとやり過ぎのような気がする。

景気が悪くなり、労働市場が流動化すれば頼りになるのは肩書きという事になり、資格に人が殺到するのもわからないでもない。しかしこういった心理を悪用して、金儲けしようとする魂胆がミエミエの検定が増えているように思う。

テストはできるが、仕事はできない。資格ブームがこんな人をのさばらせるような世の中になったら困ったものである。

 

1998.12.12.(SAT)
<今日の一言>

28日まで2週間連休で仕事はお休みです。

香港ガーデン

MITスローンスクールの同窓会が西麻布の香港ガーデン(03−3486−3711)であった。外苑西通りに今年突如として現れた巨大中華料理店である。予約が6時前でないと取れないということでスタートは5時半。

4千円で飲茶が食べ放題、しかも時間制限無しという破格の値段が人気らしく、席は完全に埋まっていた。6時以降は店の前に行列である。食べ放題というとクオリティに問題がある場合が多いが、ここの中華はそれなりに水準以上の味であった。もちろん食事を楽しむだけが目的ではないので、回ってくるワゴンから自由に選んで好きなだけ食べるこのシステムはグループには最高である。

夫婦子供連れも入れて総勢20人の大宴会であった。日本人の同窓生は企業派遣が半分以上であったが、もう半分以上が転職してしまった。特に金融関係者は外資系に移った人が多い。留学当時のバブルの雰囲気とは異なり、厳しい日本経済の現実を感じるような話が多かった。

留学に行ったのが1989年であるからもう10年である。当時30歳の人はもう40歳という事になる。子供が高校生という人もいれば、まだ独身という人もいる。軽井沢に自宅を持って新幹線通勤している人もいれば、ハワイのオフィスに勤務している人もいる。留学という一つの目的に向かっていた頃に比べると、それぞれの人生の方向性が様々に別れていくのを感じた。そんなことより、どういう方向に向かうかさえ、まったく定まらない自分を再認識させられる夜であった。

 

1998.12.11.(FRI)
<今日の一言>

切れる人

日本語はややこしい。切れる人と言った場合2つの意味がある。シャープな頭脳を持った人という場合と自分の感情のコントロールが出来ない子供のような癇癪持ちという意味である。前者は理想の上司、後者は仕事を一緒にしたくないタイプ、というのが一般的解釈だろうが前者の切れる人にも盲点はある。

頭のいい人というのは1をきいて10を知るというような全体を鳥瞰できる能力にある。人より先に物事を理解し、あるいは普通の人が気が付かないようなことに気づき対応を行う能力がある。所謂切れ者を言われる人達である。

そのような人と仕事をするのは大変ではあるが非常にやりがいはある。前の会社でも、今の会社でもこういった人に数は少ないながら幸いにも出会うことが出来、大きな刺激を受けた。

しかし彼らに共通しているのは自分の能力と同じ程度の能力を自分の周りの人が皆持っていると思っていることである。したがって周りの人に求める要求は高いものになる。

周囲の人が自分と同じ頭脳明晰さで仕事をすればもちろん素晴らしい仕事を達成できる。しかしほとんどの組識では自分とは異なる能力を持った人がチームを構成する。そんな中で自分と同じ能力を要求すれば、切れる人にとって満足できない状況が発生する。

磯崎新が言っていたように、能力のある人に求められるのは他人の痛みがわかる能力である。人が自分とは違うのだと認識し、そういった人達をどうやってまとめればいいかを考えることである。本当に切れる人とはそこまでわかっている人なのであろう。

 

1998.12.10.(THU)
<今日の一言>

神楽坂に久しぶりに行きました。相変わらず情緒のある魅力的な街です。

マクロとミクロ

今年の流行語大賞には選ばれなかったものの、貸し渋りは社会現象として知らない人がいないくらい有名になった。私の周りには融資関係者もいないし、貸し渋りされている中小企業の経営者もいないから知ったようなことは言えないが、貸し渋りとは今までの異常な日本の銀行融資の水ぶくれからの正常化を指しているのではないだろうか。

もちろん回収目標だけを決めてやみくもに回収に走る銀行は何も考えず収益さえ削ってしまう愚かな行為である。しかし今までの日本の間接金融に頼り過ぎた金融構造が融資偏重をもたらしひいては銀行のリスク管理無き拡大主義につながったのである。

そういった意味でマクロでは貸し渋りは日本経済の効率化にプラスである。しかし一方でミクロを考える必要がある。個別の企業を見れば、毎日の資金繰りや設備投資に必要な資金を理不尽な回収によって得られず、潰れていく堅実で優良な企業もあるという。そんな経営者からすれば、マクロでプラス、などと言っても怒りは収まらないであろう。なぜ無駄なところにお金がまわり過ぎた(バブル)と思えば、今度は必要な所にお金が行かない(貸し渋り)と極端に振れるのだろうか。市場が未成熟で非効率だからでは無いだろうか。

具体的には日本の社債市場の未整備とリスクマネーの不在が貸し渋りを良い方向につなげられない理由である。日本の社債市場は1年前に比べれば格段にリスクリターンを反映する効率的市場に近づいた。しかし残念ながら市場の規模の拡大とそれに伴う流動性の充実はこれからの課題である。

また社債の発行できないような零細企業にはリスクマネーの存在が必要である。規模は小さいが確かな技術やノウハウを持っているような企業であれば社債や銀行融資ではなくベンチャーキャピタルのような資金がサポートすればいい。

こうした投資資金の厚みが無いのに、融資のリスク管理能力の無い金融機関の融資の回収だけが先行してしまったのが今回の貸し渋りの悲劇である。

 

1998.12.9.(WED)
<今日の一言>

日本政府もついに宇宙人の研究を始めた、と東スポではなく日経が報道したらしいですが、本当でしょうか?

しきい値

昔、しきい値という言葉を聞いたことがある。ある一定の水準を超えると物事ががらりと変わってしまう限界値のようなものである。例えば飛行機の主翼というのは、乗っていると良くわかるが、いつもしなっている。一定の範囲でしなっているのなら問題無いが、あるしきい値を超えるとポッキリと折れてしまうという。

携帯電話が最初に登場したときはショルダーバッグのような大きなもので携帯とは呼べるような代物ではなかった。その後小型化が進んだが、一般に普及したのはここ1〜2年で料金が急激に下がったからである。ある一定の時期を境にして携帯電話を持つのが当たり前になってしまった。今や家に電話をする人より携帯で連絡し合う方が普通になってしまった。

パソコンも今やしきい値を超えたようである。会社の女性に聞いても最近はパソコンを買ったとか買いたいという人が圧倒的である。そして予定を確認したり、連絡を取るのもEメールが必須になりつつある。メールアドレスが無いと携帯同様不便な時代に入ってきたのである。

Eメールが普及すればどうなるか。Eメールの気安さから「微熱のコミュニケイション」が活発になり、メールトラブルが当面は頻発することになるのであろう。

 

1998.12.8.(TUE)
<今日の一言>

寝坊により日記は途中で断念しました。

ベニスの商人

大臣の一人が金貸しは所詮金貸しでベニスの商人以来変わっていないと日本の銀行が融資保証を悪用したことを批判しているらしい。日本の金融機関が今度は何をしでかして、それがどんな問題なのかには興味はない。興味があるのは日本の大臣と言われる人の金融に対する知識レベルの低さと、もう一つは日本の金融機関を金融全体に一般化してしまう思考のアバウトさである。

そもそも金貸しとはいかがわしい職業なのであろうか。少なくとも資本主義の世の中には無くてはならないものであるのは確かであろう。では何故金貸しは必要なのか。ここからの話は前の会社にいたときにさる先輩に教えていただいたことである。金融とは空間を超える金の運び屋と時間を超える金の運び屋があるという。空間を超えるとは例えば東京に金を預けたい人がいて、北海道に金を借りたい人がいるとする。全国に支店を持っている銀行ならこの2人を結び付けてお互いがハッピーになれる。これが空間を超えた金の運び屋である。

一方時間を超えたお金の運び屋とは資金運用の世界である。現在のお金の価値と将来のお金の価値の差を示すのが金利である。金利が上昇するという事は将来の名目価値の方が現在より高くなるということである。それが行き過ぎていると判断すれば資金運用者は債券を購入する。銀行であれば資金を放出したり、スワップの固定金利受取りのポジション(レシーブポジション)を作ったりする。つまり将来から現在にお金を運ぶのである。こうして金利は最終的には適正な水準(そんなものはあるのかわからないが)に到達する。

つまり金貸し(=銀行)はその活動を通じて資金の融通、金利構造の正常化といった貢献を社会に対してしているのである。決してモノを作っていないからと卑下される仕事ではなくむしろ誇りを持つべき仕事である。大臣がそんな大事な仕事を見下すような発言をしていいのだろうか。

批判すべきは金融業一般ではなく横並びで審査能力もリスク管理能力も無いような金融機関である。日本の金融業でも某クレジット会社のようにバブルには一切手を出さずに今や邦銀より高い格付を取っている見識ある会社も存在する。海外の金融機関でもVARだ何だとリスク管理を誇っていたのに実際の管理は市場に大変動が起きたら意外にお粗末だったりする。

きちんと役割を果たしているのなら、金融業は立派な商売である。安易な一般化は止めて欲しいものである。

 

1998.12.7.(MON)
<今日の一言>

ベッドから抜け出すのが辛い季節になりました。

人は何の為に働くか

日曜日の日経一面にリナックスというソフトを開発した人の話が載っていた。このソフトはウィンドウズを脅かすかもしれないといわれているらしいが、無料の所謂フリーウェアで世界中のプログラマーが無償で改良を重ねているという。

マイクロソフトはストックオプションや給与によって従業員のインセンティブを上手く引き出し会社を成長させていった。一方こういった非経済的動機によってマイクロソフトと同様の結果を生み出せる可能性が出てきている。このインセンティブこそ慶應大学の金子郁容教授が提唱するボランティア的な動機に基づく非経済的行動ではないだろうか。

人は何の為に働くかという問題提議がここにある。もちろん生活できなければ始まらないが、お金をたくさんもらって世の中に貢献できない、あるいはやりがいを感じない仕事をしている人にとって、経済的には割りが合わないがやりがいだけはある仕事は魅力的なのではないだろうか。そこには自己実現を感じることができるからである。

自分の仕事なり存在感を何らかの形でどの程度の価値があるのか知ってみたいと思う。高い報酬を与えられれればそれなりに満足感はある。しかし自分でやっていることに手応えを感じるというダイレクトな感動に比べればその喜びは小さい。

やりたいことをやって楽しく生きられればやはりこれほど快感を感じることは無いのであろう。

温泉・食べ物・セックス情報

同じ日経の19面では関川夏央がこんなことを書いている。「温泉、食べ物、セックス情報の流行のしぶとさは、他人だけがいい思いをするのは許せないという、結局「情報」に名を借りた嫉妬の商品化の定着ではないか」。

温泉も好きだし、人間の基本的欲望も人並みに持っている私は、東京12チャンネルがやっているような情報グルメ番組や温泉番組は結構好きである。しかしこれは他人がいい思いをするのは許せない嫉妬心で見ているのだろうか。自分では単にいい温泉や美味しいお店は無いかな、という位の軽い気持ちで見ているだけだと思っているが。

そもそも他人が幸せか不幸かには興味は余り無い。どちらかと言えば自分の周りの事にしか興味の無いナルシストである。自分の満足度を高めていくために情報を集めているのであれば嫉妬心ではなく、好奇心ではないだろうか。

「すべての価値は等価である」と言ったのは田中康夫である。人間の基本的欲求に訴えかけるものであれ、純文学を読んだときに感じる感動であれ、人間にとっては脳内にアドレナリンが放出されるという化学的反応は同じなのである。温泉情報と純文学の歴史、セックス情報とクラシック音楽の理論、どちらがレベルが高いと決めるのは勝手な思い込みである。その人にとって快感であるものはその快感の度合いにおいて等価なのである。

温泉、食べ物、セックスにも文化があり探求すれば深い味わいのある世界なのである。嫉妬心で片付けてしまうのはコラムの筆者が自分で認めているようにただの老人の繰り言であろう。

 

1998.12.6.(SUN)
<今日の一言>

休日出勤の次の月曜日は曜日の感覚が狂います。

ラスト・リゾート

変化の大きな時代になると、どこにいても安全と言うことは無くなってしまう。有名大学に入っても、大企業に就職しても、資格をとっても、資産を貯め込んでも、安心はできない。かつては役人になれば一生安泰、大企業なら安定した生活、といった保証があった。今やそんな何十年も先まで見越せるポジションは無い。技術や能力を身につけても陳腐化するリスクがある。そして新しい知識を求めて走り続けなければならない。つまりここでもう大丈夫という、プロフィットのロックインが出来なくなってしまった。どこにいても不安な、安全な防空壕のような場所が見つけられない世の中で何を拠り所にすればいいのであろうか。

個人的には、結局は最後に頼りになるのは金融資産でも、資格でも、地位でも能力でも無く、自分の周りにいる仲間であると思っている。仲間といっても友達とは限らない。それは家族かも知れないし、同性の友達かも知れないし、異性の相手かも知れない。ラスト・リゾートになり得るのは人間関係になってしまうのではないだろうか。

ラスト・リゾートと言うからには、いかなる場合にも安心できなければならない。非常事態に裏切られるのではと、不安になるようではラスト・リゾートとは言えないからである。そんな自分のラスト・リゾートを作っておけば、どんな非常事態にも対応できる。そして普段から不安を感じることなく落ち着いて生活できるのである。

さて、自分にとってのラスト・リゾートは何、いや誰なのであろうか。これが見つからない限り、不安感を原因とした躁と鬱を繰り返すことになるのであろう。

 

1998.12.5.(SAT)
<今日の一言>

引き続き9時間睡眠が続いております。

日債銀が中央信託との合併を検討中というニュースが先週報道された。中央信託は北拓の本州の支店を吸収し、今や日本最大の支店網を持つ信託銀行になっている。そして今度は行動する頭脳集団とまで言われた銀行を吸収しようと言うのである。

日債銀と中央信託を比べれば、失礼ではあるが日債銀の方が格上の銀行であった。興銀・長銀の次にくる3番手の銀行ではあったが、10年前には有名大学の学生の人気企業であったのだ。中央信託は信託銀行では下位信託と言われ、地味で証券代行業務に強いという以外あまり目立たない銀行であった。

住友信託が長銀を吸収合併することを検討した時も、長銀サイドでは関西の信託銀行ごときに合併されるとは情けない、という感情的反発があったと聞く。

しかし今やそんなこと言っていられる状況ではなくなった。格上か格下かを判断するのは歴史でも伝統でもなく市場であり顧客である。銀行同士で格がどうこうと大騒ぎしている内に今度は消費者金融が銀行を買収するようになるだろう。銀行にあらず、という意味のノンバンクという差別的扱いを受けているオリックスは山一信託を買収し、銀行業務を始めた。会社の格などという過去のしがらみにしがみつくより、将来の自分のことでも考えた方が良い。

 

1998.12.4.(FRI)
<今日の一言>

大幅に寝坊しました。一日が半分になってしまいました。

何もしない能力

日経新聞の投信特集の連載を読んでいたら、ぼぶべっくさんの名前が載っているではないか。名前だけ載せてもほとんどの読者にはどこの国の人かさえ分からないだろうが、それにしても日経の一面に名前が載ることなんて滅多に無いことである。

同じ記事にGS投信の山崎氏の紹介もあった。GS投信は残高が今や一兆五千億円だという。ここ3年余りでの驚異的な販売実績である。山崎氏はこの実績が認められて40歳にしてGSのパートナーになった。

もちろん会社の戦略、トップの経営判断、人材、など成功の要因はいろいろとあるだろう。しかし最も大きな理由はタイミングではないだろうか。円安と日本の金融機関に対する信用の低下というマーケット環境がなければここまでの成功はあり得なかったのではないだろうか。例えば今から同じ経営資源を投入したとしても、結果は随分違ったものになっていたであろう。

ビジネスにおいても、個人生活においてもタイミングを捉えるためには普段から体制を整えておかなければならない。急にビッグウェーブがやってきてもサーフボードも技術も無しに波に乗ることは困難である。知識・人格・体力を養い、チャンスをじっと待つ忍耐力が大切なように思う。

フランスに「忍耐の果実は甘い」というような諺があるという。またゲーテは「行動する無知ほど恐ろしいものはない」といっている。何かをいつもしていなければならないという脅迫観念は本来得られるものまで失わせることになりかねない。何もしないということも立派な意思決定なのである。

TETE

久しぶりに家の近くにあるTETEというワインバーに行ってみた。開店2周年だという店内は10時過ぎにはほぼ満席である。1年ほど前に行ったときはほとんど客がいなくて潰れるのではと心配していたが嘘のような復活である。

店自体は何も変わっていないように見えるが、日々改善が行われている様子がある。カレー部というクラブ組織を作り(単に皆でカレーを食べるだけらしいが)、固定客同士のコミュニケイションの場を作ったり、メニュもかなり入れ替えて人気メニュを増やした。そして一番の改善はワイングラスである。

開店当時のワイングラスは色のついたレイジースーザンで売っているようなグラスだった。一見お洒落ではあるが、ワインを飲みたい人にとっては口当たりも悪く美味しく味わうには不向きだった。ところが今回行って見るとワイングラスは透明なクリスタルにかわっていた。そしてワインの種類も増え、店員がテスティング会で仕入れてきたというオーストラリアのマイナーなワインなど珍しいしかもこだわりのあるワインが充実していた。

付近にはワインを出すバーは少ない。マイクロソフト・某銀行のシステムセンター・アメリカンファミリーなど以外に大きな企業のオフィスも多い街である。当面この店の繁盛は続きそうである。

Me−Room

進化する店、と言うことになれば新宿御苑のMe−Room(みーるーむ)を忘れてはいけない。元信託銀行員のオーナーはなかなかの商売人である。料理の味もさる事ながら、次々と企画を出し、反応があったものをどんどん採用して行く。

月次でメニュの人気投票を行い、人気のあるメニュを中心に品揃えを充実させていく。またメニュを手作りの小冊子のようにして持ちかえれるようにし、リピーターを作ろうと努力している。もちろんメニュの中には周辺のお店の広告や割引券なども入れている。

週替りの素材対決というのも売りの一つである。毎週、牛肉とか大根と言った具合に素材を決めて、3人のシェフがそれぞれの分野で新作メニュを作るという料理の鉄人をヒントにした企画である。

さらに究極は固定客同士のマッチング企画である。知らない顧客同士を紹介して、一緒にお店でパーティをしてもらおうという企画である。どの程度の実績があるのかわからないが、一種の「お見合いおばさん」である。店はお店を使ってもらえ、顧客からすれば雑誌で紹介しているねるとんパーティみたいに無責任に変な人を紹介される心配はない、というお互いのメリットがある。

不況の中でも知恵を絞れば店は繁盛するのである。何よりも面白いのは、まずやって見て結果は市場の判断に任せるという手法である。コストのかからないものであれば取り敢えずやってみて駄目ならすぐ別のものに代える。市場調査だの総合計画だのといった大企業の発想は無い。小回りを効かせニッチを走り抜ける爽快感がこの店には感じられる。

 

1998.12.3.(THU)
<今日の一言>

久しぶりに5時半に起床しました。それにしても寒い朝です。

寝坊

どうしても毎朝起きられない状態になってしまった。ここ2年位で滅多にない経験である。特に疲れているわけでも無いし、やる気が無い訳でもない。しかしいつも5時過ぎに合わせている目覚し時計は無意識に止められており、気が付くといつも6時半になっている。

そんな1週間を過ごしていると、日経ヘルスの「さらば、惰眠」という記事が目に留まりついまた買ってしまった。先月号の週末断食の特集も買ってしまったし、これでは完全な健康オタクである。

短時間で睡眠を済ますことができる人達をショートスリーパーと呼び、彼らの短時間睡眠の秘訣・共通点を探ろうとしている。

短時間睡眠のコツは、少食にして酒を余り飲まないこと、ウォーキングなどの適度な運動、ストレスを溜めないといったことらしい。そして目を覚ましたらサッと起きて少々眠くても行動を開始する。

しかしショートスリーパーとして紹介されている人を見ると何だか人生が勿体無いと思い込み過ぎているような人ばかりである。美味しいお酒を飲んでボーっとしたり、朝暖かい布団の中でウトウトしたりするのもまた人生の楽しみである。短時間睡眠で人生を充実させるというのも一つの選択であろうが、短時間睡眠至上主義に脅迫されるのも貧しい人生である。

睡眠も人生の楽しみ、という人にとっては、起きているときの楽しみと、睡眠のどちらが価値を持つかの選択であろう。ショートスリーパーはやりたいことが明確にある人がたどり着く終着駅なのだ、というのがこの記事の結論である。

 

1998.12.1.(TUE)
<今日の一言>

寝坊続きでEメールの返事が書けません。メールを頂いた方すいません。

たばこ

私はたばこの先から出る煙が嫌いである。通勤で道を歩いているときに前の人が歩きながらたばこを吸っていると後ろに煙が回ってきて最悪である。こんなたばこ嫌いにとって今日からたばこの値段が上がったというのは朗報である。これで少しは吸う本数も減ることであろう。

と、思ったものの値上げの理由を聞いてぶっ飛んだ。国鉄清算事業団の債務を穴埋めするためにたばこに税金が掛けられたことによる料金値上げというではないか。旧国鉄とJT。昔の公社、国有企業という類似点はある会社同士だが、喫煙者と昔の国鉄の負債にどういう関係があるというのであろうか。

JRに追加負担を求めたという話も呆れたものであるが、今回のたばこ税の話も何だか安易な解決策である。JRの駅員は喫煙する酔っ払いからしばらくからまれることを覚悟した方がいいだろう。これもいい迷惑であるが。


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