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日記 1999年2月
1999.2.28.(SUN)
<今日の一言>
週末のネットへのアクセストラブルはあっけなく解決しました。
トラブル
金曜日の夜からプロバイダーへの接続がまた出来なくなった。先月末にも同じ事態が発生したが、良く調べてみると電話料金の引き落とし口座の変更に伴う料金未払いという情けない原因であった。今回は通常の電話は使用できるため少なくともNTTの料金未払いは原因では無い。
次に疑わしいのはプロバイダーである。私の契約プロバイダーはサーバーのメンテナンスやら機械の入替時のトラブルなど半日程度つながらなくなることもある。電話で問い合わせしても土日のせいか連絡はつかない。しかしもう3日間も経つのである。プロバイダーサイドの問題とすれば、それはそれで問題であり、可能性は低いようである。
もしかするとモデムやTA(ターミナルアダプター)の故障であろうか。Vaioでプロバイダーにつないでみればわかるのであろうが、あいにくモデムカードが修理に出しているモバイルに入っているので接続できない。
などと週末悪戦苦闘していたため、HPの更新は出来なくなってしまった。取り敢えず月曜日を待って調べてみるかと思い、何気なくTAの電源コードを抜いて、再び差し込んでみたら、何故だかあっさりとアクセスが出来るようになった。
きつねにつままれたような気持ちとはこういうことを言うのであろう。メカ音痴をさらすようで情けない話であるが、ハイテクメカとは意外に電源を切るとか叩いてみるといった原始的な対応によって正常化するというのが、今回わかったことである。
1999.2.27.(SAT)
<今日の一言>
東京都知事
選挙の前からテレビでは候補者の討論番組が目白押しである。
当然テレビ映り、マスコミ受けという要素によって不利になっている候補者もいる。しかし議論の過程でそういった要素より、都政に対する対応の真剣さ、政策のユニークさと実行可能性といった本質的な問題が浮かび上がってくる。残念ながら政党に頼まれて急に立候補することになった人のような一夜漬けの知識では討論中にボロが出る。
もちろん政策が支持できるかということと、実行してくれるかという信頼感は別である。有権者にどこまで具体的に実行可能なプランを呈示できるかと同時に現実に実行してくれそうだというイメージを確立することが、浮動票を集めるための鍵ではないだろうか。
政治家出身であれば実行力を期待できる。一方で従来の延長で変化が無いのではないかという物足りなさが残る。民間人であれば今度は青島知事の二の舞で孤立して政策実行が何も出来ないのではないかという懸念も残る。個人的には民間人の方が大胆な政策を期待できるという点で応援したいのであるが、では誰がいいかというと総合的な判断からすると選択に困ってしまうのである。それぞれが自分のスペシャリティを持っているわけで、誰かが言うように落選した人も副知事で頑張ってもらうのが良いのではないかと思ってしまう。
それにしても選挙の前にこれだけ真面目に議論をし、それを有権者が知る機会があるという地方選挙はそうあるものではない。恵まれた有権者の立場を有効に使いたいと思っている。
1999.2.26.(FRI)
<今日の一言>
寝坊により10分で日記を作成いたしました。
インフレが起きる時
日本の物価は下がり続けている。統計の数字を見ても、ものを買う時も実感することができる。世界的に物価は安定しているが日本の場合安定どころか下がっているのである。収入が一定であれば実質所得は増えているわけである。
金利は低金利が続いている。長期金利が上昇したといっても高々2%であるし、短期はほとんどゼロの世界に入ってしまった。預金金利も低いままであるが、物価が下落してれば実質金利は高いのである。
そんな中で日本の構造改革は少しずつ進んでいる。民間企業は遅まきながらリストラを始め、得意分野への経営資源の集中を開始した。しかし政府の対策は根本的な痛みを伴うものというより、問題の先送り的なものが多い。例えば公共工事は不必要なインフラを増やし、失業者を一時的に減らすが、結果財政赤字を拡大する。橋本内閣で挫折した行財政改革は今の政治体制では復活することはないであろう。
とすれば、恐らくどこかの時点で財政は破綻する。その時政府はどのような対応をするのであろうか。破綻する前にインフレになって借金棒引きというのがシナリオの一つとして考えられる。
インフレは自国通貨の価値の下落をもたらす。従って通貨安である。インフレになれば預金より株や不動産といった実物資産の方がメリットをもたらす。とすれば日本人がインフレを認識した時、外貨預金をして株を買い捲り、不動産を買うのであろうか。
デフレのときだからこそインフレになったときの準備をしておくべきである。世の中の変化は自分が思っている以上のスピードで起こる。変化が起こった後で変化に気が付いても遅いのである。とは言っても変化が起こるずっと前でも早すぎる。人より半歩先を歩くことが肝要なのだ。
1999.2.25.(THU)
<今日の一言>
健康診断
私が住んでいる調布市から手紙が来た。税金の請求かと思って慌てて開けてみると、今年35歳になる人は市内の病院で健康診断を無料で受けられるという。さらに希望すれば癌検診も受けられるようである。
二十歳のときに役所から成人式の案内が来た時、人生の節目の案内だなと感じたが、今回もお役所公認の人生の節目案内のような感じがした。健康診断を受ける受けない以前に、中年の仲間入り認定をされたような心境である。
癌の検診などは、受けても受けなくてもほとんど死亡率に差が無いというような調査もあるらしいし、健康診断を受けたからといってもあの程度の検査では完全には調べきれないのであろう。とはいえ年に一回くらい体のチェックをするのは自動車と同じで長持ちさせるには良いことなのであろう。
1999.2.24.(WED)
<今日の一言>
いさざ、というさかなの踊り食いをしました。初めての経験ですが、はっきり言って生きたものを食べるのはかなり気分が悪いものです。
チェーンメール
最近(ここ2週間位であろうか)こんなメールが何人もの人から送られてきた。ネットをやっている人なら恐らく同じようにメールで受取られた方がいらっしゃるのではないだろうか。ちょっと長いが送られたまま引用する。
「ハイジのブランコは時速68km!」
アルプスの少女ハイジのブランコを覚えているか、と友人に尋ねられた。オープニングの歌に合わせて、ハイジが異様に長いブランコをこいでいたというのだ。言われてみればそんな気も・・・。
そこで筆者はビデオ屋に走った。確かに長いブランコだ。画面で測定したところ、前方の空中で一瞬停止してから後方で止まるまで、6秒もかかっている。通常の振子運動では、ロープの重さを無視して計算するが、それに当てはめると、長さは36m。これは長い! 身長40mのウルトラマンに迫らんとする勢いだ。
だがこの場合、ロープの重さを無視していいのだろうか?そこで今度は東急ハンズに走った。買ってきたのは、直径16mmの麻ロープ。ブランコとしては手頃な太さだ。1mの重さは170g。片方36mなら、結び目を入れても13kgだ。
これに対して、10歳の日本人女子の平均体重は37kg。やや太めのヨーロッパ人であることを考えて、ハイジの体重は40kg前後と見られる。13kgのロープの端に40kgのオモリをつけた振り子の周期は14秒。画面上の周期12秒に合わせて計算すると、ハイジのブランコの長さは27mとなる。
それでもブランコとしては異例の長さであり、落差も大きい。最も低い地点では相当のスピードが出るはずだ。画面を静止させて測ってみたら、最も高く上がった地点で垂直方向からの角度は70度もあった。こぎ過ぎである。落差18m。最高速度は、6階の窓から飛び降りたのと同じ、時速68kmに達する。
これはコワイ! ディズニーランドのジェットコースター・スペースマウンテンでさえ最高時速50kmだ。しかもシートベルトもなんにもなく、頼りになるのはシリの下の狭い横板と両腕だけ。シャトルループなどでもそうだが、特に後ろ向きに振られるときは、心臓が点になるほどオソロしいはずだ。さらによく見ると、足もとのはるか下界を教会の尖塔が行ったり来たりしている。どうやら100mぐらい上空で遊んでいるようなのだ。。歌の中で「口笛はなぜー遠くまで聞こえるの」などという素朴な疑問を漏らしているが、そりゃアンタがそんなに高いところにいるからだ! 音は全方位ドーム状に広がっていく。ヒバリやトンビの声がよく聞こえるように、障害物のない上空では地上より音が伝わりやすいのである。
上空ノおける時速68kmの振り子運動。常人ならとても耐えられないが、ハイジは天真爛漫に笑っている。恐るべき精神力だが、それより気になるのは、いったいどうやってこんなブランコに乗ったのかということだ。
歌に「教えてー、アルムのモミの木よ」という一節がある。ハイジの生活圏内に、有名な大木があるらしい。ブランコの設置場所として考えられるのはここだけだ。現在、世界最大とされているカリフォルニアのセコイアスギでさえ高さは110m。ハイジのブランコの木は地上127mに横枝を張っているのだから、楽勝で世界一だ。
ブランコに乗りたくなると、ハイジはこの世界遺産級の巨木にアタックをかける。127mの垂直登攀を達成し、間をおかずロープ伝いに27m降りる。続いて全身を躍動させ、ジェットコースターなみのスピードを満喫するのだ。遊びあきたら、むろん同じルートをたどって降りてこなければならない。
往復308mの垂直昇降。10歳前後の小ムスメが、いつここまで体を鍛えたのだろうか?教えて、おじいさん!ー
これ以外にもこの手の昔のアニメをオカルト風に解釈したものは多い。ドラえもんの最終回などもこの系列である。(これもチェインメイルになって作者は迷惑しているらしい)
こういった内容はナンセンスであるが面白いものは人に教えたくなる。ネットなら送信先を指定すれば簡単にたくさんの人に送ることができる。結果的にチェインメイルのようなものになってしまう危険がある。さらに露骨なチェインメイルも同じような内容で複数から送ってきた。例えばこんな具合である。
> >> おともだちから回ってきました!
> >> > ホントかな??
> >> >すがれるものは、何でもok!!
> >> >あなたにも幸せが訪れますように・・・
> >> >
> >> >
> >> > > ◎ノノ◎
> >> > > (・●・)
> >> > > 幸せコアラ
> >> > > 24時間以内に5人に送ると
> >> > > 99年が幸せにおくれるらしいよ!
> >> >
> >>
これ以外にも画像で同じような内容のものもあった。面白いメールを人に送りたくなる気持ちは理解できるし、実際私もいくつかのメールは友人に送ったりしたのも事実である。しかし明らかなチェインメイル(何人に送ることと指定してあるようなもの)はやはり増殖を抑えるのが良いのではないかと思った次第である。あるいはこうやってHPで紹介する程度にしておくのがチェインメーラーの罠にかからない方法の一つであろう。
1999.2.23.(TUE)
<今日の一言>
都知事候補者の野末珍平はかつて「老人栄えて国滅ぶ」という本を出していたと思いますが、出版したことをちょっと後悔しているのではないでしょうか。
学級崩壊
最近週刊誌の中吊りを見ていると学級崩壊という言葉をよく見る。どうやら一部の集団生活のできない生徒によって学校の授業が成立しない状態を指しているようである。
私が中学生の頃は校内暴力という問題があった。生徒が先生に暴力を振るったり、教室で暴れたりと当時もマスコミでは大変な問題になった。その後今度はイジメの問題になり、これに加えて今度は学級崩壊である。学校の先生も本当に大変である。
学級崩壊の原因とは何なのであろうか。恐らくケースバイケースで多くの要因が重なり合って起っていることなのであろう。教師が悪い、家庭が悪い、社会が悪いと責任を押し付け合っても意味はない。全てが責任の一端を担っているのである。
個人的には無責任社会という風潮が甘えの構造を許し、過剰な「結果の」平等主義が努力をしないことを正当化する隠れ蓑になってしまっていることが根源の問題であろうと思う。義務教育という義務を果たせない子供は、然るべき方法で果たせるように更生させるのが教育の役割である。
もう一つ、食生活の変化というのも意外に要因としてあるのではないだろうか。専業主婦が減り核家族化した結果、食事を家で作る機会が減った。コンビニや惣菜店のような中食へのシフト、あるいはファミレスやファストフードの利用は栄養のバランスを崩す要因になっているのではないだろうか。でんぷんと動物性脂肪とタンパク質の過剰な摂取、清涼飲料水の飲み過ぎなどから来る肥満やカルシウムの不足は精神的な落ち着きを無くさせる。
自分には子供がいないから、などと他人事ではいられない。少子化に加え、学級崩壊で日本の教育システムが崩壊すれば将来の国力の低下につながる。中長期的には日本人が日本を捨てるリスクファクターの一つなのである。
1999.2.22.(MON)
<今日の一言>
日本インフレシナリオを描いてひそかに不動産を購入している人が結構いることに気が付きました。
賃貸と持家(2)
せっかちな性格の私は行動をはじめると止まらない。早速不動産販売会社の人と会い、現在のマンション市場について話を聞いてみた。
私のイメージは1992年位の頃のものであるから、驚くことが結構多い。例えば住宅ローンである。30年ローンで支払いは元本の倍位払うのかと思っていたら今や変動金利の銀行ローンは2%台の金利である。当然金利上昇リスクはあるものの、返済金額に占める金利の割合はかなり低い。そして年収5百万以上なら年収の6倍が借入れリミットだという。もちろんそんなに借りるつもりは無いが、金利が下がると借入れ余力も増えるものである。
都心の物件は思った以上に下がっている。特に中古のマンションはひどい(私から見ればおいしい)。例えば広尾のマンションなんてかつては住むことなど永遠に無いと思っていたが、今や手の届く価格レンジに入ってきた。ローンを組んでも家賃と比較できる水準である。
不動産も男女関係と同じようなものである。旬の時期があるし、慌てても間違えを犯してしまう。そして縁が大切である。持家が結婚だとすれば、賃貸は恋愛みたいなものだろうか。買替えをしようと思えば出来なくもないが、そのコストは甚大である。
1999.2.21.(SUN)
<今日の一言>
窓から朝焼けに浮かぶ新宿高層ビルを見ていると、太陽にほえろを思い出します。
賃貸と持家
都心に賃貸物件を借りることに決めていた私であるが、ここに来ていっそのことマンションを買ってしまっては、という選択を考えはじめている。ついKioskでふぉれんとではなく今度は「週刊住宅情報」を買ってしまった。
パラパラと読んでみると久しぶりに見るマンションの価格は数年前に比べてかなり下がっている。ただ家賃より安い毎月のローンでマンション購入、という不動産会社のキャッチフレーズは正確には正しくない。家賃も上昇するかもしれないし、それ以上に変動金利の住宅ローンは支払い金額の変動リスクがある。しかも賃貸ならその時々で狭い家に引越したり、郊外に転居したりと自分で家賃のコントロールが可能であるが、購入した場合、そう簡単には買い替えはできない。取引コストが高すぎるからである。
それでも敢えてもう一つの選択を考えはじめたのは、賃貸住宅のクオリティの問題である。良質な物件の供給が少ないせいか、都心のしっかりしたマンションは賃貸料金が下げ渋っている。
デフレの時期に借金するのは理屈では愚行である。東京の不動産の価格も今後当面上昇は期待できないだろう。東京には地震リスクも存在する。個人のバランスシートは軽くして流動性を高めるのが今の状況であれば正解なのかもしれない。
一方で特に中古マンションは極端な買い手市場になっているのも事実であろう。マンション成約率が高いといっても物件を見る目は厳しくなっており、良い物件が手に入りやすい。
不動産は多くの人にはナンピン買いができない。株式投資であれば値段が下がれば買い増して平均コストを下げられるが、不動産は一発勝負である。そして実際に住むということによる効用が存在するからややこしい。不動産は投資という単なるお金の計算だけでは決まらない。
お金が貯まって、キャッシュで家を買おうと思った時、広い持家なんか必要なくなっているのも間抜けである。ライフステージという発想も大切である。最近家を買うことにした人にでも相談してみようか。
1999.2.20.(SAT)
<今日の一言>
早くも花粉症になっている人がいるようです。花粉症の人にとっては春は来て欲しくないものなのでしょうか。
今日も人生の一食なり
歯医者で虫歯と歯石の治療を続けている。週末に予約を取って通うのは結構億劫でもあるが、何とか続けている。何故そこまでして歯医者に行くのか。
もちろん虫歯になれば歯が痛いだろうし、歯石で口の中が不衛生になるのも気分が悪い。しかし一番大きな理由は美味しいものをいつまでも自分の歯で食べたいということである。
芥川龍之介は人生で読める本の冊数を計算して、5千冊しかないと嘆いたというが、私の場合食事の回数を計算してしまう。あと30年生きるとして、30年*365日*3回=約3万回の食事の機会があることになる。3万回といってもイメージが湧かないのかもしれないが、限られた回数であることは確かである。この3万回を自分の歯で味わいながら食事をすることが、豊かに生きる大きな要因の一つになると思っている。
今日も生涯の一日なり、と毎日を充実させることも大切だが、今日も人生の一食なり、という気持ちも私にとっては同じくらい重要である。
1999.2.19.(FRI)
<今日の一言>
金曜日
久しぶりに夜の予定の無い金曜日になり、仕事を終えて真っ直ぐ家に帰る。赤ワインを飲みながら食事を自分で作り「Shall We ダンス」を見ながら寛いだ。何だか怠惰で安直な週末の過ごし方のようだが、ワインと好きな料理を作り、週末の予定に思いを巡らすのは意外に楽しい。
会社を出るとき、同僚の独身男性は合コンがあるとかで、浮かれ気分で会社を去って行った。そんな彼を見ていても、「楽しそうで羨ましい」と思うより、「虚しいな」と思うようになってしまった。
枯れているのであろうか。金曜日の夜に外で飲んでいるのが何だがつまらなく思えてきた。気の合う仲間とたまには良いのかもしれないが、無理に予定を埋める必要は無い。誰にも気を遣わず、家に帰ってのんびりと寛いでいる方が気楽で良いのであろう。あるいは自分の行きつけのバーでマスターと話でもしながら酒でも飲む。独りになれる時間が欲しいのかもしれない。
「予定を入れなければ安心できない症候群」の時期もあったが、自分が人からどう思われるかより、自分が好きなことを大切にした方が良いという割り切りが出来た瞬間から考え方が変ったように思う。
これが、私自身の「人生の方向転換」によるものなのか、単なる時代の気分に流されているだけなのか、今のところは判らない。ただ自分の好きなことをリラックスしてしている方が精神衛生上好ましいことだけは事実である。30代半ばにしてここまで枯れてしまって良いのだろうかという一抹の不安は取り敢えず心の片隅に置き、ここまでくれば好きなようにとことん生きてみるつもりである。
1999.2.18.(THU)
<今日の一言>
久々に家で料理を作りました。
確定申告
会社を休んで確定申告をしに、調布市役所まで行った。もう6年近く続く年中行事である。フォスタープラン協会に寄付している金額を課税対象額から差し引いて、還付をしてもらう手続きである。
市役所に行っていつも感心するのは、市の職員の人の応対が丁寧で親切なことである。行政がサービスであるという当たり前のことがここでは実践されている。
確定申告をする度に思うことであるが、確定申告することによって税金に対する感覚を養うことができる。源泉徴収では毎月税金を払っているという感覚になりにくい。自分の年収と課税金額の計算を手で計算することによって、納税の感覚を養えるように思う。源泉徴収されている人で納税額がいくらか知っている人はなかなかいないものである。
本来の目的は払い過ぎた税金の一部を戻してもらうことであるが、結果として自分の年収や納税額を確認する機会ができるようになった。金は出すが口を出さない怠慢ボランティアであるが、これもボランティアが人の為にするのではなく自分の為にする、という一つの例と言えるのだろうか。
1999.2.17.(WED)
<今日の一言>
急に春に近づいたような雰囲気を感じます。陽の光を見て思ったのであって、花粉症でくしゃみをしている人が増えたからではありません。
20年ぶりの同窓会
Fという男からいきなり電話があった。変なセールスの電話かと思っているとそうでも無いようである。しばらく話しているうちにようやく思い出した。中学時代のクラスメイトである。声も喋っていることも何だか昔を思い出させる。懐かしくなってしばらく電話で話し込んだ。
聞いていると9月に中学時代の同窓会をやる予定だという。私の出身中学は中野にある弟7中学という区立の中学であった。彼は当時7組(だったと思う)あったクラスの一人一人に電話をかけて現在の状況を確認しているのだという。全部で280人。何とも大変な作業で頭が下がる。
引越しをしたこともあり、中学の友達とは卒業以来ほとんど交流が無い。大学の友達は皆、一部上場企業でサラリーマンである。高校の友達もほとんど大学に行って堅気の生活である。しかし中学のクラスメイトは違う。話を聞いているとプロのカメラマンからサーフィンショップの店長、さらには生活保護を受けている奴までバラエティである。会うのが楽しみなような怖いようなワクワクドキドキの不思議な心境である。
全国5万校の同窓会の情報を集めたサイトとしてこの指とまれがある。自分の出身の学校を探してみるのも面白いのではないだろうか。
1999.2.16.(TUE)
<今日の一言>
ピチカート5系のテイ・トワという人の音楽にはまっていますが、この人は日本人なのでしょうか?
共栄堂
共栄堂(千代田区神田神保町1-6 サンビルB1、03-3291-1475)という変った名前のカレーの店に行った。スマトラカレーの店と言うことで大正時代に創業したという老舗である。神保町のスキー店と古本屋街の地下一階にある。この店に入るのは大学時代以来であろうか。
店のウエイトレスの応対はキビキビとして、気持ちが良い。注文も相談すればお薦めをサジェスチョンしてくれる。チキンカレー(1000円)を頼んだ。出てきたのは黒くてサラサラした一見普通のカレーである。食べていると何だか不思議な気分になってくる。懐かしい味なのだがそれだけではない。口当たりは甘いのだが食べているとスパイシーな感じである。といっても単に辛いだけではない。何とも形容しがたい複雑な味である。これがスマトラの味なのだろうか。昔、包丁人味平という漫画があったが、その中のカレー対決で出てきたブラックカレーとはこんな味なのではないだろうか、などとふと思ったりした。
共栄堂といえば、JR神田駅の近くにも同じ名前の洋食のお店がある。ここはカツカレーも美味しいが、あくまでもメインはメンチカツ、ばら肉のしょうが焼きといったニッポンの洋食である。「いらっしゃいまし」と客を迎える江戸っ子の御主人と奥さんと思われる人がテキパキと店を仕切っていた。そして1万円で会計をするとお釣りのお札がいつも切れるような新券で戻ってきた。もてなしの極みのような店だった。
2つの店には美味しくてサービスが良いという共通点がある。暖簾分けかあるいは兄弟店か、残念ながらお店の人が忙しくて聞くことはできなかった。
1999.2.15.(MON)
<今日の一言>
8時間睡眠の健康な生活をしています
モバイルまた故障
会社の帰り道またヨドバシカメラのメンテナンスセンターに行った。ほとんど毎月のようにここに通っている。モバイルギアが今度はパソコン本体とケーブルでつないでもデータの送信ができなくなってしまったのである。
年末に故障して修理に出して、マザーボードを交換したのに治っておらずまた修理に出し、一応ワープロ機能などは復活したと思ったら今度は通信機能の不良である。
ここ1年半で3回も故障しているが、単なる機械の「はずれ」ということなのであろうか。それとも私の使い方が激しすぎるのか。(そんなに激しく使っている方では無いと思うが)
いずれにせよ段々マシンに対する愛着が無くなってくるのが恐ろしい。人間同様、期待を裏切るものには次第に期待をしなくなり、疎遠になってしまうことがありがちだからである。
1999.2.14.(SUN)
<今日の一言>
週末はアッという間に終りました。
バレンタイン
バブルの頃に比べればその勢いは弱まったが、相変わらず週末はどこもかしこもバレンタイン商戦である。しかし、踊っているのはお店の方で消費者は意外にクールな反応のように(少なくとも私には)見えた。
去年は遂に誰からもチョコレートは貰わなかった。生保のおばちゃんからさえ、である。だからという訳ではないがこの手のイベントにはネガティブである。今やイベントとしての楽しさよりお歳暮お中元の世界に近いような気がする。愛よりもお金という仕掛けの見える行事だからだろうか。
大体、愛の告白の日だというが、本当に好きな人なら別にバレンタインまで待って告白する必要はない。スピードの経済の世の中、そんな悠長なことではライバルに出し抜かれる。
ネガティブな私であるが別にイベントをやめろというつもりも無い。くれる人がいれば拒否する理由も無い。前の会社の独身男性でバレンタインデーの当日机に「私はチョコレートを受取りません」と書いた紙を張り出していた人がいたが、別にそこまで意固地になる必要もないだろう。
こうしてホームページの日記で軽く触れる程度の関わり方が自分には丁度良い。
1999.2.13.(SAT)
<今日の一言>
夜、車でラーメンを食べに行く。大学生気分です。
山ちゃん
高校時代の友人Yとは不思議な人間である。高校卒業以来4回位しか会ったことが無いが、何故か会うと昔とまったく変らない関係でいる。そしてお互いのやっていることも高校生時代から変わっていないように思う。彼は私のラーメンの師でもある。ALTAにある京風ラーメンあかさたな、に最初に連れていってくれたのも、新宿の熊本ラーメン桂花を教えてくれたのも彼である。
最近はメールで日記の感想を送ってくれたりしていたが、そんな彼から週末に彼の勧める西荻窪の「山ちゃん」というラーメンの店に行こうと誘われ出かけることにした。気まぐれな店で開店は夜の9時であるが、やってない日があったりするという。調布まで愛車で迎えに来てもらい車で青梅街道に向かう。

「山ちゃん」は地味な看板で地味な店構えをしていた。行列が出来ているわけでもない。しかし店内はほぼ満席。次から次ぎえと客が入れ替わっていく。メニューはラーメンが醤油、塩、味噌と3種類。ニンニク入りとチャーシュー麺といったバリエーションがある。そして200円のシューマイ。値段とクオリティが見合っているので許せる味である。メニューの左端に餃子と書いてあったのがバツ印で消してあるのが歴史を感じさせる。
ビールとシューマイでラーメンが出来るまで待つ。

ラーメンは醤油を頼んだが極めてシンプルなものだった。スープは透明に近く、醤油というよりは塩に近い。もちろん味は醤油味であるが。豚の背脂が表面にあるが、ギトギトした臭みは無く、意外にあっさりしている。麺はやや太く延びているようにも見えるが丁度良い弾力である。あっさりと一杯平らげてしまった。食べた後から病み付きになりそうな味である。
周りの客はカップルが意外に多い。そして注文で一番多いのはにんにく味噌ラーメンというメニュである。にんにくもどんぶりの上からクラッシュさせたものを2個分降りかけるという豪快な作り方であった。次回はこれを食べることにしよう。
1999.2.12.(FRI)
<今日の一言>
久しぶりに下北沢に行きました。
哀しきポーンショップ
ポーンショップというのが最近の流行らしい。要は質屋さんのことである。質流れになった品物を安く買うのが最近の賢い若者のライフスタイルらしい。確かにほとんど新品の品物が格安に買えるのだから、お金の節約にはもってこいである。日用品や家具なんかは少々の中古品でも気にならない人なら問題ない。
この手のポーンショップで一番のヒットはブランド品であるという。プラダのリュックやらエルメスのバーキンといった人気ブランドの人気商品が定価より安い値段で売られていて人気らしい。ロレックスやカルティエといった時計も中古でも人気だという。
しかしアンティークならまだしもブランド品を安いからとポーンショップで買い求める姿には何か違和感を感じる。安いものを買うのは資本主義の基本と言われればそれまでだし、買う人の勝手ではあるが、ブランド品とはそんなものなのだろうか。
その商品の品質を理解した、分相応の人が買うべきだといったら幻想の総中流社会である日本では差別だと糾弾されるのであろうか。単にキムタクがしているからというだけでロレックスの同じ品番を買い求めたり、流行っているからとプラダを買いあさる人を見ていると愚かさを通り超えた哀しささえ感じる。4畳半のアパートに住んで見栄でベンツを乗り回すようなアンバランスな「一点豪華主義」の匂いを感じるのである。そこには自己の価値観は無く、あるのは人からどう見られるかだけの「張り子の虎」の世界である。
ミラノ出身のイタリア人と話していたら「ミラノに来た日本の女性は何故プラダ以外の店には入らないのだろうか。他にも同じくらい品質の高い店はたくさんあるのに。」と質問された。人気があるから、といえばそれまでだが、品物本来の価値に興味を示さず、ブランドマークにしか目に入らない貧乏性はいつになったら治るのであろうか。
1999.2.11.(THU)
<今日の一言>
夜8時に就寝。2時起床という変則パターンになってしまいました
適度な不安の心地よさ
大人は皆、安定した生活が一番という。しかし、一生が安定して何の事件もなく淡々と終るとしたら果たして幸せと言えるのであろうか。平凡な家庭に生まれ大学を卒業して役人にでもなって結婚し幸せな家庭を作り、郊外に一戸建てを買って、子供を育てる。満ち足りているのかもしれないがそこには意外性も事件もない。
何も不安がないということは裏を返せば驚きも無いという事である。昨日の延長に今日があり、明日もその延長にあるような生活。果たして楽しいのであろうか。
何か不安なこと、不確定なことがあるから人生は楽しいのではないだろうか。もちろんその不確定さにも限度はある。戦争で明日空襲かもしれない、というような不確定さは恐怖以外の何物でもない。飽くまで適度なという条件付きではあるが、緊張の無い所に喜びは無いし、成長も無い。
明日何が起こるか判らないからこそ一生懸命生きようと努力したり、あれこれと考えを巡らして喜んだり悲しんだりする。それは決して気分の悪いものではない。あしたも今日と同じと判っている退屈さの方が苦痛ではないだろうか。
適度な不安がある人生の方が味わい深い。
1999.2.10.(WED)
<今日の一言>
今頃インフルエンザに脅える、流行遅れの私です。
インフルエンザの恐怖
先週の風邪がようやく良くなったと思っていたら、火曜日の午後からどうも胃の調子が悪い。変なものも食べていないのでおかしいな、と思って夜寝ようとしたら強烈な寒気が急に襲ってきた。震えながら眠りにつき、翌朝起きるとどうも体がだるい。
取り敢えず会社に行くとやはり悪寒と関節の痛みが始まった。薬局でカコナールを飲んだが効き目はない。前回の風邪とは違い今回はかなり手強そうだ。インフルエンザの感染力の強さに驚く、というより恐怖感を感じた。
夕方早めに帰宅して風呂を沸かして入る。そしてロンドンで買った風邪薬(かなり効く)を飲んで電気毛布をつけて布団に潜り込んだ。
2時間ほど眠って起きると、下着もパジャマも濡れ雑巾のようになるくらい汗をかいた。起きると随分スッキリしている。もう一度風呂に入り赤ワインを飲みながら夕食を食べて早めに寝た。
取り敢えず小康状態を保っているがまだまだ油断は禁物である。祝日は家でのんびり養生しようと思っている。
ダイオキシンの恐怖
ニュースステーションで報道された所沢の野菜のダイオキシン関する内容が事実と異なると日本テレビがキャンペーンを張っている。公表された数値が野菜の濃度ではなく他のものであったと指摘している。
ニュースステーションも日本テレビのニュースも断片的に見ただけであるが、ニュースステーションを見ると所沢の野菜のデータは何かを隠蔽しようとしていたのではないか、という感じがするし、日本テレビを見れば特に大騒ぎする必要は無いようにも思われる。
しかしこの論争(と言えるのかどうか判らないが)が白けるのは、焦点がテレ朝のデータが正しいかどうかといった些細な点に集中し、果たして所沢の野菜は安全か、ひいては日本中の野菜は安全なのか、という視聴者が一番知りたいことに触れていないことである。
こういった問題に余り関心を持たない私も、安売りで買ってきた家にあるほうれん草の産地を調べようとした。使う時は入念に水洗いである。エイズ問題以降行政に対する信用は全く無い。マスコミもあげ足取りにしか興味が無いとすれば、結局は市民団体のような機関にしか真相は解明できないのであろう。
1999.2.9.(TUE)
<今日の一言>
明日は祝日。働いているようで結構休んでいる、変な感じです。
加ト吉冷凍讃岐うどん
最近、感動するほど美味しいものに出会ったことが無い。食べた瞬間体が溶けてしまうような美味しいものというのはそう滅多にあるものではないが、最近はその感覚すら忘れてしまうくらい遠ざかっている。
世の中そこそこ美味しいものというのはたくさんある。今や冷凍食品もレトルトもそれなりに味の方は改善されている。週末何となく買ってみた加ト吉の冷凍讃岐うどんというのもその辺のまずいうどんの店なんかよりまともな味であった。
麺もスープも冷凍になっているのでお湯を沸かし、冷凍のうどんとスープを入れ再度沸騰すれば出来上がる。刻みネギとかつお節を入れほうれん草とかき玉子を入れて見たが、味は薄味で麺も歯ごたえがあっていい味である。
冷凍食品に満足している訳ではないが、こんな簡単なものがこれだけの味だという事が驚きである。技術の進歩なのかあるいは私の舌の退化か。いずれにせよまた一つ困った時の即席メニュが追加された。
1999.2.8.(MON)
<今日の一言>
確定申告が近づいてきました。といっても私の場合、寄付金控除の還付請求という慎ましい目的ですが、、。
ダイエーとマクドナルド
マクドナルドを選ぶ人の一番の理由が「安いから」だそうだ。そして嫌いな人の一番の理由は「まずいから」だそうだ。つまりマクドナルドというのは余り美味しくないが、安いから他のファストフードより支持されているということができる。
スーパーで同じ安売りをして天下を取ろうとしたダイエーは今や沈没寸前である。価格破壊を合言葉に徹底した安売りをしていたのになぜ消費者に受け入れられなかったのであろうか。
もちろん品揃えが消費者の好みと離れていたというのもあるだろうが、一番の理由は買い物をするのが楽しくなかったからではないだろうか。ダイエーがやろうとしたのはプライベートブランドの導入や包装の簡易化など、何となく貧相しいことばかりだったように思う。買い物とは便利で楽しくなければならない。安いというのも楽しさの一つである。他の店より安いものを見つける喜びがあるからである。トクをした、というのは消費者にとって最大の喜びである。
ダイエーは消費者が経済学で想定する合理的な人間のように安くさえあればモノを買い求めると思っていたのではないだろうか。もちろん合理化によって価格競争力をつけるのも重要だが、品揃えや陳列方法、接客、サービスなどの非価格要因はスーパーといえども大事なのではないだろうか。これらが充実してトクをした気分になり満足度が高まる。
安売りイメージの強いマクドナルドであるが、ただ安いだけではない。ディスカウントキャンペーンで安売りにもメリハリをつけ、月見バーガー、グラコロバーガーといった季節限定商品で客の目を飽きさせないようにしている。噂であるがケチャップの味も毎年わからなように変えているとも言われている。
ダイエーにドンキホーテの過剰陳列をしろ、とは言わないが、貧しい気持ちになる店舗の雰囲気は変えるべきではないだろうか。不況だからこそ買い物の時位豊かな気分になりたいのが消費者心理である。
1999.2.7.(SUN)
<今日の一言>
新しいブラウザーをインストールしてから到着メール数が激減しています。単なる偶然でしょうか。
禁携帯電話車
携帯に関してはやはりマナーについて関心が高いらしく、携帯を使えないようにする車両のアイディアには何件かメールを頂いた。電脳美女のAさんから
禁携帯車両の話、私とおんなじ意見に出会えて超ウレシイです。弱冷房車や禁煙車と同じように、電波の入らない車両があればペースメーカー付けてる人だって安心ですよね。なぜ携帯がむかつくのかといえば、きっと電話している人の一方的な発言しか聞こえなくって会話が見えないからイライラするからムカツクんじゃないかしら。 酔っ払いオヤジの会話の方が声のボリュームははるかに高いというのに、携帯ばっかりやり玉に上げられるのはなぜでしょうかね。
私としては、携帯より酔っ払いオヤジとか痴漢の方が迷惑指数は圧倒的に高いと思うのですが・・・。(マイナス100アハンという感じですか?)
とのご意見である。
外国でも同様のことがあるらしく、Shira教授からも、アメリカでも携帯使用者は車内で白い目で見られているということである。
どこかの私鉄が禁携帯車両を他社に先駆けて導入すれば拍手喝采されると思うのであるが、運輸省やら郵政省やらの規制とかいろいろややこしいことでもあるのであろうか。
ところで白い目で思い出したが、白い目で見る、は英語で言うと「See with white eyes」ではない。真っ赤な嘘も「red lies」でもない。さんまのからくりTVを見ていたら、女王様を英語で言うと?と聞かれ「SMプレーヤー」と答えている若者がいたが、そこまでいかなくても英語とは難しいものである。
1999.2.6.(SAT)
<今日の一言>
風邪が相変わらず抜けません。
ムルギー
渋谷は栄えている街であるが、美味しい店というのは意外に少ないものである。センター街のジャンクフードや激安回転寿司といったコギャル世代をターゲットにした店が伝統的な名店を駆逐してしまった。最近はあまり渋谷に行くことも無くなったので更に店が良くわからなくなってしまった。
「ムルギー」(渋谷区道玄坂2−19−2)はそんな中で昔ながらの雰囲気と味を変わらずに守っているノスタルジックなお店である。かつて道頓堀劇場というストリップ小屋があった道を上がり、左に折れるとのどかな雰囲気が漂ってくる。
店内は昔のまま。ラジオが流れて相変わらずおばあちゃんがカレーを作っている。玉子入りムルギーカレー(950円)が一番人気である。カレーライスに茹で玉子がスライスして載っている。
カレーはインド風と言っているわりにビーフが入っているようで、何だか矛盾しているが、味はまろやかで独特である。インド風でもなく日本のカレーでもない中間のような感じとでも言おうか。ご飯が私好みのかために炊かれ、エッフェル塔のように盛り付けられている。自分で作れそうだが、作れないようなきわどい味わいである。
常連の客が多いらしく、外観からは入るのに勇気が要る店の割に店内は込んでいる。といっても席がゆったりと配置してあり、雰囲気とあいまって何だか居心地の良い店である。一瞬渋谷にいることを忘れ、昭和40年代にタイムスリップしたような錯覚を味わえる。
ムルギーの近くにある「喜楽」というラーメン店もかつては風情のある建物であったが、しばらく前に建替えられ、味気ないビルになってしまった。ムルギーは味だけでなく店構えも今のまま変らないで欲しいものである。
1999.2.5.(FRI)
<今日の一言>
今度はネットスケープコミュニケーター4.5をダウンロード。これでメールも読めます。
引越し
引越しの候補地が決まってきた。先週渋谷の不動産屋さんで紹介された、渋谷区の富ヶ谷というところである。駅で言うと井の頭線の駒場東大前ということになる。ほろ苦い思い出の多い東大の駒場キャンパスを抜けて裏口から出ると数分の所。
この東大裏というのは最近コスモス通りという名前も付いて洒落た店が少しずつ増えているエリアでもある。渋谷にも代々木公園にも歩いて行けるし、下北沢や代官山にも歩こうと思えば行けなくはない。駅から少し遠いが贅沢は言っていられない。
今住んでいるところに比べ広さは3分の2位になってしまうが、今は少し広すぎと思っているので丁度良いのではないだろうか。造りもしっかりしていて、礼金ゼロ敷金3ヶ月というのも良心的である。
この物件難点は3月末まで住んでいる人がいるので中が見られないということである。人気のある物件というのは住んでいる人が契約更新をしないということが決まった時から次の入居者を探し、あっという間に決まってしまうものだという。だから賃貸情報誌に載ることも永遠にないという。
この物件も全室空き無しでたまたま私が行った日の直前に空くことが決まったという。3月に退室して中を見てから最終決定できるというので取り敢えず押さえてもらうことにした。
あと2月、引き続き物件探しは続けようと思っているが、一つ決まってしまうと何となく気合が入らなくなるものである。
1999.2.4.(THU)
<今日の一言>
ブラウザーをNスケープ2.02から4.0に交換しました。メール機能が見つからず困っています。
携帯電話
先週大阪に行く機会があった。環状線という東京で言えば山の手線のような電車に乗っていると、車内アナウンスが面白いことを言っていた。
「携帯電話をお使いの方は、周りの方の迷惑にならないように小声でお願いします」
大阪では携帯電話を車内で使っても良いということになっているようだ。さすが大阪、やり方が現実的である。
個人的には電車内で携帯を使いたいとは思わないが、携帯は電車の中で使えなければ不便という人もいるだろう。とはいっても大声で話すのも周りの迷惑である。結果として東京の電車ではほとんど車内アナウンスで、車中の携帯の使用を禁止している。でもこれは本末転倒のような気がする。
携帯の使用を禁止します、と繰り返すアナウンスの方がよっぽどうるさいからである。マナーに訴えるのは理想論としてはいいが、実際余り効果はない。携帯を使う人はアナウンスをしたところで使うし、彼らにモラルを求めても無駄である。正直者が損をする、こうした状況の方がよっぽど不愉快である。
前から書いているように何故禁煙車と同じように、禁携帯車を作らないのだろうか。その車両だけには電波が入らないようにして、携帯が使用不可能にすればいい。そして携帯で話したい人はそれ以外の車両で心ゆくまで話し込めばいいではないか。技術的に難しくはないと思うが。
価値観が多様化した社会で多くの人が気持ち良く暮らすには、価値観に応じて区別をしていくことしか解決法はないように思う。通勤電車に一両位、携帯の音だけではなくアナウンスも一切無い静かな車両があってもいい。
1999.2.3.(WED)
<今日の一言>
やっと冬らしい寒さになってきました。
モバイル復活
年末から修理に出していたモバイルギアがやっと戻ってきた。修理は2週間ほどで終ったのであるが、家に持ってかえると電源が入らずもう一度修理という事態になった。結局1ヶ月以上もモバイル無しの生活となったが、無ければないで何とかなるものである。といってもやはりあれば便利だなあと思うことは何度かあったが。
それにしてもここ数ヶ月トラブル続きである。前にも書いたが、年末から電子レンジが温めができなくなり修理、エアコンが暖房が作動しなくなり修理、Vaioがカメラの取り付けが悪く修理、そしてモバイルもマザーボード交換である。
更にガスの警報装置が誤作動して急にシャワーのお湯が水になってしまったり、先週は電話のラインカットである。
ある人からはおはらいを勧められた。私は迷信を信じないし縁起を担いだりはしない方であるが、これで事故にでもあって入院したらさすがに真剣に考えてみようかと思っている。
1999.2.2.(TUE)
<今日の一言>
風邪は随分回復しました。インフルエンザでは無いようです。
父親とパソコン
先週の週末に父親とヨドバシカメラに行って、ノート型のパソコンとプリンターを買った。父はもうすぐ70歳という年齢であるが、相変わらず好奇心は衰えていないようである。東芝の20万円台前半でCDドライブ、MSオフィス、モデムが全て入っているA4サイズのマシンを選び、プリンタは沖電気のレーザーを買った。
家に帰ると早速組立てである。といっても今のマシンは本当に簡単である。ウィンドウズも簡単にインストールでき、プロバイダーもあっさりとつながった。プリンタは弟がつないだようだが特に問題は無かったようだ。
それから一週間、父親のメールアドレスにメールを何回か出したが、返事はまったく来ない。嫌な予感がして家に電話してみると、どうやらパソコンは余り、というかまったく使っていないようである。今までのワープロがどうしても手に馴染んでいるようだ。父のようなキーボードアレルギーがそれほどないひとにとってもパソコンというのは扱いが難しいもののようだ。
そしてもう一つの問題はパソコンを使わざるを得ない状況に追い込まれていないということであろう。ワープロが無くなってパソコンしか無くなれば使わざるを得ないがそんな状況ではない。Eメールにしたって孫の写真でも貼付されていれば喜んで見るのだろうが、息子の味気ないメールでは余り見る気にもならないのだろう。
とはいえ、Eメールの返事が来るまでしつこくメールを送り続けてみようと思っている。
1999.2.1.(MON)
<今日の一言>
風邪には熱燗と風呂、そして睡眠が良いようです。
ホームページ
最近は手抜きと批判されることもあるこのページであるが、本人としては別にいい加減に書いているつもりも無いし、飽きたということもない。相変わらずいつものペースでやっている。内容がつまらなくなったとすればそれは私自身の好奇心の衰えの証拠なのかもしれない。
最近このページのレイアウトが開設以来ほとんど変わっていないということに気が付いた。日記は毎日更新されてはいるが、それ以外のページはほとんど更新していない。しかもデザインもシンプルな味気ないものである。
今悩んでいるのは、ここで一念発起してホームページのデザインを根本的に変えてみようかということである。コンテンツも東京の美味しい店の紹介や料理の作り方、安くて美味しいワインなど考えていることは結構ある。
一方で今のページにも愛着がある。1996年の秋に自分で作ったページを最初に見た時の感動というのは未だにネットをやっていた中で一番の思い出である。それにこの素人っぽいページデザインとこの日記のようで日記ではない文章は合っているように思う。毎日100人以上の人にアクセスしてもらっているし、別に何も不満はない。
デザインを新しくするとすれば、ソフトを買うなりデザイン会社に頼むなりということになる。またドメイン名も例えばshinoby.comのように変われば便利にはなるだろうしアクセスも増えるかもしれない。それはそれで何か新しいことが起こりそうで興味がある。
今も良いけど、違う世界も覗いてみたい。いつもながら欲張りな性格である。
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