SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1999年4月

 

1999.4.30.(FRI)
<今日の一言>

休日前の飲み会というのは盛り上がり過ぎるというリスクがあります。帰宅は朝6時になりました。

ゴールデン・ウィーク

明日から5連休である。予定を立てて行動するのが苦手で込んでいるところが嫌いな私は最近旅行に行ったりするのは平日に休みを取って、ということが多い。料金が高くて、サービスの悪い時期に行くのは気が進まない。という訳で今回も5連休といっても家の近所でブラブラしているつもり、であった。

しかし、ひょんなことから下北沢「P」のマスターと常連のお客さんが別荘に行くというプランに乗らないか、と誘われ、せっかくのお誘いに行ってみることにした。誰の別荘かもどこにあるのかも良く知らないのであるが、マスターと仲良しのお客さんとで時々行く場所なのだという。

現地で買い出しをしてバーベキューをしたりワインを飲んだりして好き勝手に過ごすのだという。バーに来る人だから酒好きであろうし、趣味嗜好の似ている人たちだから食べ物の好みも似ているだろう。お店の雰囲気が好きな常連さんだから知らない人でもすぐに打ち解けられそうな気がする。

ネット上で知り合いになった人も面白いが、こんなフェーストゥーフェースのネットワークもなかなかに刺激的である。

 

1999.4.29.(THU)
<今日の一言>

GWの予定も何とか埋まりました。

東北沢「おかめ」

おでんの季節はもう終ってしまったが、家の近所におでんの美味しいお店を発見した。「おかめ」(渋谷区上原3−25−9)である。コスモス通りを東北沢に向かって歩いていくと、左手にひっそりと佇んでいる。入口が地味で狭いのでよっぽど気を付けていないと見逃してしまう。

ロケーションの割には有名な店らしく、「東京いい店やれる店」にも登場するし、芸能人などのいわゆる業界人も多いらしい。

それはともかく、店に入ると普通のおでんのお店、に見える。しかしビールを注文し、渡されたグラスの美しさを見た瞬間この店はただ者ではないと思った。何の変哲もないよくあるコップなのであるが、とにかくピカピカなのである。当然ビールの泡も木目細かくなって、非常に美味しい。お通しの野菜の煮物もやわらかく上品な味。つまみに頼んだそらまめ、穴子の揚げ物、もずく酢も秀逸である。この時点で満足度は80点を超えたが、一方でメニューに値段がまったく書いていないのが不安でもある。

おでんにはやはり日本酒である。熱燗を頼んで、大根、豆腐、玉子、がんも、タケノコといったネタを次々注文する。おでんのダシは関西風でスープは限りなく透明に近い。やはり外で食べるおでんは関西風の方が好みである。結局10品以上ぺろりと平らげた。もっと食べたかったがもう胃袋が受け付けない。銀座の「おぐ羅」や1月に行った「やす幸」(銀座5−4−6、03−3571−0621)と並ぶ名店と言えるだろう。(ただし「おぐ羅」のおやじは有名人をエコ贔屓するので頭に来て行かなくなったが)

イタリアンレストランチェーン「サイゼリア」の社長によると、人はワインを飲むと愚痴を言わなくなるが、日本酒を飲むとけんかが多くなる、という(証券アナリストジャーナル1998年5月号別冊)。しかし、この店に来れば少し考え方も変るのではないだろうか。久しぶりに日本酒を飲んで愉快な気持ちになった。

開店から1時間もするともう店は満席である。そろそろ店を出ることにした。最後の恐怖は会計である。2人で腹一杯美味しいものを食べた。恐らく1万円台の前半、下手をすると2万円近いかもしれない、と身構えると、「会計は6300円です」と言われた。

これはまた行くしかない。

 

1999.4.28.(WED)
<今日の一言>

「宇明家」と書いてうめえや、と読む一口餃子の店に行きました。味は「普通家」でした。

シブヤ系

大学生の時にめじろ台に引越して以来、東京での暮らしはめじろ台、東府中、調布、といった京王線沿線を転々とするパターンであった。京王線のターミナルは新宿駅である。買い物、食事、といった休日の生活は新宿で、というのがお決まりのパターンだった。昼飯はロールキャベツのアカシア、カツカレーの王ろじ、熊本ラーメン桂花、家族で会う時は伊勢丹近くの三笠会館と場所は大体決まっている。

駒場に引越して新宿に出る機会がめっきり減った。新宿に出ようとすると渋谷からJR、下北沢から小田急、あるいは代々木八幡まで歩いて小田急ということになる。距離の割に乗り換えが多く億劫になってしまう。結果、渋谷や下北沢で用事を済ませることが多い。

新宿にはフォーク世代の匂いが残っている。中央線沿線に共通する少し垢抜けない泥臭さが魅力の街である。お茶の水、新宿、そして中野から荻窪辺りには純文学の世界を感じてしまうのである。伊勢丹・バーニーズとパークハイアット、そして最近出来たフラッグス、あるいはビームスといったビルにはシブヤ系のエキスを感じるものの、基本は紀伊国屋書店であり、中村屋のカリーであり、ファッションの三峰、という全共闘世代の文化である。

一方で井の頭線の渋谷から下北沢にはチープでカジュアルな世界がある。ファストフードが似合う街。イタリア人がパスタと認めないような茹ですぎのパスタをコーヒー付きで680円で出してしまうような店が集まっている感じである。雑然としているが、不思議なことに下北沢は新宿より疲れない。肩の力が抜けた街だからであろうか。

新宿系の純文学を引きずっている私であるが、京王線から井の頭線に転居したことで表面上はシブヤ系の仲間入りである。

 

1999.4.27.(TUE)
<今日の一言>

8人でワイン10本は飲み過ぎ、でしょうか?

銀行よ、さようなら

年金の運用担当者、年金コンサルタント、年金基金の方、といった年金運用の関係者8人で松涛のオーストラリアワインの店で集まる機会があった。8人が全員知り合いという訳ではなく、友達の知り合いの紹介、といったようなネットワークの世界である。

外資系投資顧問に勤務しているのが4社で6名、年金コンサルタントが1名、年金基金勤務が1名と、何だか年金基金のマネージャーセレクションのプレゼンテーションの人員構成のようになってしまったが、酒が入るとそこは同世代。共通の人脈から話は急速に盛り上がった。ワインを楽しむというよりは、会話を楽しむ会になってしまい、気が付けば時間は4時間を超える大宴会になった。

メンバー全員が転職経験者である。しかも前の勤務先は2名を除き、日系の銀行であった。今や国営となってしまった銀行やら、そこと提携しようとした銀行やら、出身は様々であるが。銀行に就職し、80年代後半のバブルを経て、90年代に年金の世界に入った経歴には偶然とは言え、重なる部分が多い。

そういった経歴の人が集まっているのを見ていると、産業構造の変化をリアルに感じることができる。かつて「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というキャッチフレーズがあったが、これは実現しなかった。今回は「銀行よさようなら、年金よこんにちは」ということになろうか。とは言え年金の世界が金融の主役になれるのかは疑問である。予想以上に金融の変化というのは激しいものになりそうだからである。

 

1999.4.26.(MON)
<今日の一言>

スーツが夏物に替わりました。

捨てる勇気

何という名前の会社に勤務しているのか聞かれる時代から、どういう仕事をしているのかを聞かれる世の中にようやく変りつつある。人にはできない何かが必要とされる。そういった時代の匂いを敏感に感じる人が多いせいか、最近は資格を取るのがブームだという。会計士やら司法試験といったものから、漢字検定やテクニカルアナリストといった新興勢力まで資格取得に目の色を変えている人が多い。

20代半ばが女性にとってお肌の曲がり角だとすれば、30代半ばと言うのはビジネスマン(ウーマン)にとって「キャリアの曲がり角」である。30歳そこそこまでは、いわゆる将来性、とか潜在能力といった未知の可能性に採用側が価格を付ける。学歴や前に勤務していた会社や部署名だけである程度の判断をして採用する訳である。しかしそれ以上の年代になるとそういったことだけでは求められれる人材では無くなってしまう。

こういった状況で浮き足立って、資格オタクになったり仕事を求めて転職を繰り返しても、キャリアに対するビジョンが無ければ無駄な投資になってしまうリスクがある。自分が将来どういうキャリアを歩みたいかというグランドデザインがあって初めてどんな仕事をし、どんな資格を目指すかという絵が描ける。無我夢中で仕事をし、手当たり次第に資格を何でも取れば良いというものでもない。

時間に限界のあることがわかってくる世代にとっては、この効率化という発想が非常に重要である。残された弾の数が限られているとき、無駄弾を撃ってはいけない。何をやるかも大切だが、何を捨てるかを考えることも必要である。人生の時間は無限ではない。その一方でやりたいことは多すぎる。

企業戦略同様、個人の行動にも「選択と集中」が求められるのである。

 

1999.4.25.(SUN)
<今日の一言>

アイロンとアイロン台を一緒に買ったのですが、何であんなにセンスの悪い柄ばかりなのでしょうか。

ラーメン山手

日曜日の夜、一人でワインとチーズなど食べながら、さて何か料理でも作ろうかと思い、材料が無いことに気が付いたらどうしようもない。コンビニに行って野菜や肉を買うことも出来なくは無いが、冷蔵庫を覗いた時点で作る気は完全に失せている。そんな時はほろ酔い気分で近所の「ラーメン山手」に腹固めに出かけることになる。

東大裏の山手通りから少し入ったところにある紺色ののれんが目印である。ラーメンは600円のゆき、ねぎ、にんにく、唐辛しの4種類と650円の醤油、味噌、海鮮があり、さらにトッピングや替え玉も注文できる。

スープは基本的にかなり脂が多い。しかし味は意外にしつこくない。でも脂の量は減らしてもらった方が私は好みである。そして麺はつるりとした真っ直ぐな自家製麺である。

個人的には縮れ麺と醤油味のいわゆる荻窪ラーメンのような味が好みであり、ラーメン山手の味は方向としては少し対象外である。そうは言いながらここ1月で何回行ったことだろう。最低でも週に1回は寄っている。好みと違うなどと文句を言いながら密かに次回は今までまだ食べていない醤油ラーメンを試してみよう、などと考えている(これで7種類全部制覇になるのである)。文句を言いながら結構気に入っているのである。

余り好きではないと言いながら一緒にいる機会が多くなった女の子が、知らないうちにいつしか気になる存在になっていたような気持ちに共通する妙な感覚が生まれてきている。ラーメンを女性に例えてはラーメンに、いや女性に失礼か。

 

1999.4.24.(SAT)
<今日の一言>

渋谷へ行き、生まれてから使ったことが殆どない、アイロンというものを買ってみました。

「忍」

大手製薬会社のアンケートによれば、単身赴任のイメージを漢字一文字で表わすと、「忍」が一位で以下「苦」「楽」「明」「暗」「耐」「独」と続く。(東京・大阪の単身赴任の20代から60代のサラリーマン400人の調査)

「忍」とは私の名前である。自分の名前が単身赴任のイメージに一番合っているというのも何だか嬉しくない話である。

子供の頃は女っぽい名前だといじめられたり、藤正樹という演歌歌手の唄の題名になったりと余り愉快な名前では無かったが、この頃は気に入っており、名付けてくれた親には感謝している。人とちょっと違った名前なので、割と覚えてもらい易いし、意味はともかく一文字の名前が好きなので丁度良い。

名前にも流行があるらしく、最近の男の子は大輔だの優作だの男くさい名前が多いときくし女の子は明日香とか零奈といった○○子の名前が減っている。少し前に悪魔という名前を認めるかどうかで騒動があったが、中途半端に時代に流された流行の名前を付ける親よりよっぽど主体性があると思った。(自分の名前が悪魔、だったら嫌だろうが)

ともかく、幸か不幸か私は名前とまったくかけ離れた性格に育ってしまった。名前が人を作ることもあるというが、私の場合それにはまだ時間がかかりそうである。

 

1999.4.23.(FRI)
<今日の一言>

また週末が雨です。このパターンはいつまで続くのでしょうか。

リスク・リターン

日経平均の上昇や金融システム不安の解消、そして保証協会の資金繰り支援による企業マインドの改善などから日本経済は最悪期を脱したとの見方が増えている。しかし企業が今後収益性を向上させるためにリストラを行えば、失業率は更に高まり、個人の消費は落込むことになる。本格的な景気回復にはまだ時間がかかる。

企業がリストラを行う中で雇用を拡大するために公共事業を増やしても対処療法に過ぎない。新しい企業・産業を創り出し、そこから雇用を拡大させることが必要である。では新しい事業が拡大するにはどうしたらいいのか。

リスクリターンを適正化することではないだろうか。例えば大企業のサラリーマンが会社を辞めてベンチャー事業を興すとどうなるであろうか。借金をし、安定した収入を捨てて、死にもの狂いで働くことになる。もちろん成功すればリターンは大きいかもしれない。しかし失敗したらどうなるか。借金が残りと失敗者という烙印を押されその後の人生は悲惨なものになる可能性がある。

成功の報酬に成功の確率を掛け合わせ、失敗のマイナスに失敗の確率を掛けて足し合わせると期待値が計算できる。この期待値が現状を大きく上回る可能性がなければリスクを取るインセンティブは多くの人には無いだろう。じゃんけんで勝てば1億円もらえ、負けたら1億円払うというチャンスがあっても殆どの人は参加しないのと同じである。

しかし、こういったリスクを積極果敢に取る人が数多く現れなければ、雇用は拡大しない。そのためにはリターンを大きくすることも大切だが、リスクを小さくすることがより効果的である。じゃんけんで勝てば1億円、負けても1000万円ならチャレンジする人が出てくる可能性は大きくなる訳である。

失敗者にマイナスの評価をするのではなくリスクを取った勇気あるチャレンジャーという評価をする前向きな文化がアメリカの新しい企業群をもたらした。もちろん失敗の責任はきちんと取らなければモラルハザードが発生してしまうが、日本では失敗のコストが大きすぎる。

不幸にしてリスクテイクが失敗した時、敗者復活戦ができる環境であればそのリスクは取り易くなる。流動性のある労働市場がその役割を担うのではないだろうか。そこに行けば自分のマーケットプライスに応じた労働機会が提供されれば、待遇は悪くなるのかもしれないが、新たに自分の能力を生かせる仕事を見つけられる。

日本企業にも中途採用の動きが広がってきた。また山一証券の破綻以降、労働流通市場の厚みが増し、マーケットが成立するようになってきている。こういった動きが更に広がりやり直しがきく世の中になればリスクテイカーが増え、雇用問題への処方箋の1つとなるのではないだろうか。

 

1999.4.22.(THU)
<今日の一言>

ゴールデンウィークではなく皆が働いている時に休みたいものです。

痩せた

毎年Tarzanがダイエット特集をするのを見ると夏が近づいてきたという気分になる。毎年変わり映えのしない内容であるが、雑誌を買っただけで減量した気分になれるから買ってしまう人がいるのであろう。

ダイエットをしている訳ではないが、私も体重が増えることに対しては結構神経質である。食事は揚げ物を殆ど食べないし、肉より魚、そして腹8分目を目標にしている。しかし、酒は飲むし、その後でラーメンを食べてしまったりすることも多く、神経質な割には無神経であったりと、矛盾した行動を取ったりもする。

結局のところ、最近特に何が変ったということもなく生活しているのであるが、会社の同僚や久しぶりに会う友人から痩せたね、と言われることが多くなった。最初は喜んで聞いていたが、余りに多くの人から言われると不安になる。何か病気にでもなっているのではないかという恐怖である。

特に体調が悪いという事も無く、いたって健康であるが、体重を最近計っていない。実際に体重が減っているのか、それともスリムに見えるだけなのか。Tarzan的な努力もなしに簡単に痩せるというのも気味が悪いものである。

 

1999.4.21.(WED)
<今日の一言>

煩悩の数と酒量には明らかに正の相関関係が存在します。

通勤

会社の近くに引越してから会社に行く時間が遅くなった。調布時代は遅くとも8時過ぎには会社に到着していたが、今では何と8時半を超えることも珍しくない。勤務時間は9時からであるから別に問題は無いのだが、一度遅くなった出社時間というのはなかなか変えられないものである。おじさんが冬に一度モモヒキをはいてしまうと止められなくなるような感覚、であろうか。

考えてみれば大学時代も同じようなことがあった。当時八王子のめじろ台に住んでいた私は8時半から始まる授業に8時10分位には着いていた。ところが大学の近所に下宿している友人は8時半を過ぎて大学の教授が教室にやってくるころを見計らって教室に到着する。絶妙のタイミング。神業であった。

遠ければ遠いほど遅刻のリスクが大きくなる。その結果保険を掛けるため、出かける時間に余裕を持たせることになる。社会人になってもやっていることは学生時代と変わっていない。

 

1999.4.20.(TUE)
<今日の一言>

世の中どこを見ても藤原紀香だらけです。ファンでも無い私にはその魅力が理解できないのですが。

常連

美容院というのは常連率の高い業種だという。確かに毎回髪を切る店を替える人というのは聞いたことが無い。ほとんどは一度気に入った担当者なりお店を見つけると、その後はそこの常連になり、よっぽどのことでも無い限りそこに通い続ける。

そろそろ髪が伸びてきた。今までは調布の美容院で切っていた。しかし電車に乗ってまでという気がして近所のお店を探そうと思っている。はじめていくときは緊張するものである。まずどんなタイプの店なのかわからない。家の近所にはお洒落な美容院と化石のような美容院がある。石田壱成のような店員がやっている店と、20年以上も使っているようなお釜が未だに現役で活躍しているような店である。どちらもちょっと極端である。

お洒落な方に行ってみようかとおもっているのだが、店頭には値段が書いていない。ポップな雰囲気で私にはちょっと場違いな感じである。客も店員も何かが違うという感じなのである。かといって化石のような美容院も行く気はしない。週末に勇気を出して行ってみることにはしているが、会社に行けない髪型になっても困りものだ。

それにしても、前の美容員で担当だった女性には何も言わないで引っ越して来てしまった。特に親しい訳でもなく、髪を切ってもらいながら馬鹿話をするだけの関係であるが、一応は5年近い常連だったわけである。事情を説明しないでいきなり行かなくなったら、何か気に触ることでもしたのではないかなどと心配するのではないか、などと余計な心配をしている。

 

1999.4.18.(SUN)
<今日の一言>

どうやら少し風邪気味です。もしかしたら流行遅れの花粉症でしょうか。

リストランテ Va Bene

東大裏から東北沢に抜ける道は通称コスモス通りと言われる。宇宙科学研究所があるからというのが名前の由来らしい。一時マスコミにも取り上げられお店も何軒かオープンしたが、その後三宿のようなお洒落な通りになる気配はない。フレッシュネスバーガーの1号店もあるのだが、未だに変らない平屋の山小屋風の店舗で営業している。

両親が駒場までやってきたのでコスモス通りにあるイタリアンレストラン「Va Bene」(目黒区駒場4−1−21、5478−9966)でランチをする。昔の雑誌を見ていたら偶然見つけたお店で広い窓からの広々とした眺めがウリの店とある。あいにく小雨が降っていたが、店内はゆったりとして郊外の住宅地にあるレストランという感じであった。カリフォルニアにでもありそうな雰囲気である。

ランチは休日は2千円のコースのみである。パスタとメインを数品の中からチョイスする方式である。前菜のエンジェルヘアーの冷製トマトパスタはさっぱりとして美味しかった。パスタは蛸とケッパーのパスタ。オリーブオイルで仕上げたもの。メインは牛肉の煮込み。とろりとした肉の味わいとソースが意外にしつこくなく上出来であった。

デザートまで付いて2千円は格安である。駅からは少し遠いが、天気のいい日など歩いていくのも良いのではないだろうか。

 

1999.4.17.(SAT)
<今日の一言>

休日も6時になると目が覚めてしまいます。何だか損した気分になりますが、一日を有効に使えるという意味では得をしているのでしょう。

富ヶ谷商店街(2)

土曜日の楽しみといえば、近所の富ヶ谷商店街を散策して買い物をすることである。狭い通りの一角にお店が数軒ならんでいる。先週、感動した魚屋さんでまた魚の切り身を買い、今度は「肉の田川」というお肉屋さんで地鶏と自家製ベーコンを買ってみる。

どの店の人も下町にいるようないい人ばかりである。親切で仕事熱心で商品にプライドを持っている。田川の御主人も聞いてもいないのに地鶏とベーコンが如何に美味しいかを一通り講釈してくれた。

地鶏は家で塩とブラックペッパーをふり、グリルで焼いた。焼けてくると身が引き締まっているのが良くわかる。そのまま食べるだけでジューシーでプリプリしたコクのある鶏の味が口中に広がる。幸せな味である。ベーコンはほうれん草とサラダにする。これも自家製というだけあって、香りが素晴らしい。生でも食べられそうな極上品である。

これらの商店ではスーパーの大量仕入れ大量販売では出来ない差別化が行われている。毎日店頭で顧客のニーズに触れて、それを瞬間的に品揃えに反映させていく。売った商品のフィードバックも顧客から得ることができる。

さらに鮮度と品物のクオリティが要求される生鮮食料品は何でも揃う店ではなく良いものだけを仕入れるという絞り込みをしている。例えばマグロが買いたいと思っても売っていないかもしれないが、それは仕入れの段階でクオリティが低いと判断したからであろう。その代り別の美味しい魚を仕入れ、店頭で勧める。そしてそれは恐らくスーパー買ったマグロより圧倒的に美味しいのであろう。

スケールメリットを追求できないためコストによる競争力の無い小売店でも差別化によって競争に打ち勝つことが可能なのである。富ヶ谷商店街の人はマイケル・ポーターの企業戦略に関する著作を読んでいなくても本能的にその内容を実践しているのである。

 

1999.4.16.(FRI)
<今日の一言>

シティバンクは住所変更を電話で受付ましたが、日本の金融機関は印鑑を押して書類を郵送しなければ出来ないそうです。こうして顧客を失っていくのでしょう。

下北沢「P」

最近また少し酒量が増えているようである。煩悩のかたまりのような性格のせいか悩みは次から次へとあらわれ、酒に逃避しているのかも知れない。いわゆる味わう酒、ではなく酔うための酒、である。

会社の帰り道、渋谷駅から井の頭線に乗るわけだが、各駅停車と急行が交互に走っている。電車が急行なら下北沢まで行ってしまう。各駅で2つ乗れば自宅である。最初に発車する電車にしようと思ってホームへ行くと急行であった。というのを自分への言い訳にしながら下北沢まで行き、「P」というバーに久しぶりに寄る。

「P」は私が最も落ち着けるバーである。そして自分の本当に好きな人(男でも女でも)にしか教えない店である。(だから名前はイニシャルしか書かない。)マスターのTさんの作るジントニックを飲みながら特製のピザを食べ、馬鹿な話をしていると時間を忘れる。家が近くなったせいか12時近くまで長居をしてしまった。一人で行くことは滅多にないバーで一人でいると心地よい孤独を感じたりする。

考えてみれば自分の今までの人生は過去とのしがらみを断ち切ることの繰り返しであった。家庭も仕事も住居も変化の連続である。いつも今が一番良いと思えるような生き方をしたいと常に理想を求めてきた結果であるが、裏返せば永遠に満足ができないということなのかもしれない。果たしてどこかに結論は存在するのであろうか。

 

1999.4.15.(THU)
<今日の一言>

相変わらず家では2台のパソコンを使っています。

失礼

Eメールと言うのは実に便利な機能である。どちらかが寝ていても留守電のようにメッセージを残すことができる上に、同時に何人もの人に同じメッセージを残すことも可能である。グループで会合を開いたりする場合の連絡には非常に便利である。一昔前には会社や自宅に電話で確認していたことを考えれば格段の進歩である。

しかしEメールにも弱点はある。一番問題なのはメールの返事の書き漏れ、である。せっかく頂いたメールを読み忘れたり、あるいは読んだまま返事を書き忘れたりする。一旦忘れてしまうとその後に来る大量の新しいメールに埋もれてしまい、永遠に忘れる可能性が高い。

出した方からすればメールに返事が来ないと言うのは結構気分を害するものである。特に返事を期待している場合は尚更である。返事を忘れるということは話し掛けられて無視するのと同じくらい失礼だと思われたりしているのかもしれない。

きちんと返事を書こうとしているメールに限ってこういう事態になることが多いので厄介である。自分でも気がつかない間に、多くの人にこんなことをしているのではないかと時々不安になるのである。

 

1999.4.14.(WED)
<今日の一言>

ブラインドが取り付けられ、ようやくシャワーを浴びた後、気楽に部屋を歩き回れるようになりました。

日経新聞

富ヶ谷の新聞販売店は商売っ気が無いらしく、引越してから未だに新聞の勧誘は無い。日経新聞を配達してほしいと思っているのだが、未だに駅で買わなければ新聞は手に入らない。

朝の電車も井の頭線は2駅だけだし、山の手も混んでいると新聞どころではない。そんなわけで日経は夕方に朝刊を読んだり、ひどい時は翌日に読んだりすることになる。しかし今のところ何も不便は感じていない。

ニュースはテレビでおおよそわかるし、金融関係の相場情報はインターネットの方が速報性がある。会社に行けばブルームバーグを始めとして情報端末もあるし問題はない。

ではなぜ日経新聞を購読したいのか。日経新聞の価値とはどこにあるのであろうか。交遊抄の年寄りの自慢話を見たい訳でも、私の履歴書の都合の良い自分史を楽しみにしている訳でもない私はコラムやインタビュー記事をたまに切り抜く1日20分程度の付き合いである。もちろん前から書いているように夕刊の文化面には時代性が感じられると評価しているが。

もちろん取引先との会話の中で今朝の日経に出てましたね、というのはある話だが、それを読んでいなかったということはそれほど致命的なことなのだろうか。人事異動も出ているし法人営業の人には必要不可欠なのだろう。ただ、読まないとやばい、というある種の強迫観念をそこに感じてしまい、それに反発したくなるのである。

 

1999.4.13.(TUE)
<今日の一言>

歩く時間が増え、健康的な食生活と充分な睡眠。ヘルシーな生活になりました。

常連

荷物を整理していたら昔のSPAの切り抜きを見つけ、その中に「八竹亭」(渋谷区神山町16−3、3469−1773)を見つけた。カウンターだけの家庭料理の店とある。家から近いということもあり取り敢えず行ってみることにした。

渋谷駅から予約しようと電話をかけると店主の声はやる気がない。少し不安になる。道順を教えてもらうと東急本店の裏にお店はあった。外から見ると何だか冴えない定食屋さんといった風情である。更に不安になる。とは言え、中に何人か客もいるので入ってみる。

店内は独自の雰囲気である。まずカウンターのみの席で照明が妙に暗い。そして逆に厨房は蛍光燈に照らされて妙に明るいのである。普通の店とは逆である。調理人は愛想の良いオヤジと悪いオヤジがペアである。「さっき電話した人?ここは初めて?」とだけ聞くと、愛想の悪い方のオヤジは奥に行ってしまった。

メニューは魚が中心、金目の煮付けと鯛の塩焼き、それにポテトサラダを頼みビールを飲んで料理を待つ。客席を見ても店に劣らず個性的な客層である。若い女性2人組や一見「その筋の人」かと思うようなカップル、一番奥には怪しい雰囲気のカップルといった具合である。

いきなりポテトサラダと普通のサラダが出される。サラダがどうやら突き出しのようである。そして頼みもしないのに魚と共に出てきたのはご飯と味噌汁。メニュには書いて無いが、どうやらここは勝手に定食にされてしまう店のようである。常連には当たり前のことなのだろうか。

変な店だが味はなかなか良い。感動的という訳ではないが、魚もそれ以外の料理もすべて平らげてしまった。店の雰囲気に違和感を感じつつ満足できた。会計もリーズナブルだった。頼みもしないご飯と味噌汁もちゃんとチャージされていたが。

帰り際、愛想の悪いオヤジが近寄ってきて、「あの奥にいたカップルの男の方はSM○Pの稲○吾○だよ」という。「うそでしょう」というと「これ携帯の番号。俺、友達だから」と040−XXXX−XXXXというメモを無愛想に見せる。更に「稲○吾○のサインあげるよ」とメモ用紙に書いたサインをくれた。それにはサインと共に「おいしゅうございました」と書いてあった。

稲○吾○はこの店の常連らしいが、あんまり言わないでね、と釘をさされる。しかし無愛想なおやじが急に能弁になっておいて喋るな、というのも勝手な話である。

SM○Pファンと一風変った雰囲気を味わいたい人は一度行ってみてもいいかもしれない。

 

1999.4.12.(MON)
<今日の一言>

留守電にしていても新しい番号にはメッセージはまったく入っていません。

モラル

東京高検検事長が辞任することになったようだ。金銭的な問題は取り敢えずは無かったようだが、「清廉であるべき検察への信頼を損ないかねない行為だった」という理由から厳重注意処分となり、本人から「結果的に法務・検察に多大な迷惑をかけ、国民の信頼を損ないかねない事態を招来したことは、不徳の致すところ」との理由から辞職が申し出された。

この事件に対する識者コメントを見ていると、検事には普通人以上のモラルが要求されるという当たり前のことと、恋愛の自由といった権利を混同して話す評論家がいることに驚く。検事に求められる高いモラルと、恋愛の自由は両立しない。恋愛は自由とか浮気でなく本気ならいい、といった論調など言語道断である。検事という職にはその程度の個人生活の犠牲があるものではないだろうか。

では普通の人なら同様の行動が許されるか。これも厳密には良いわけない。あくまで主観によって異なる問題ではあるが、正面から不倫を正当化できるのはタレントの石田純一位のものであろう。誰しも多かれ少なかれ罪悪感を持っているのである。検事のモラルではなく日本人のモラルとして恋愛の自由などとほざいている人の気が知れない。

ただし問題はそういったモラルの問題と仕事を辞める辞めないということとどこまでつながるのかという点である。例えば一般人が仕事とはまったく別の世界でやっていることにどこまで干渉できるかという問題である。法律を犯していなければ良いのかという疑問である。

いずれにせよ、少なくとも結婚している人には自由恋愛を正当化する権利はない。結婚していなくても恋人がいるのなら自由に恋愛することはモラルに反する。恋愛の自由などといって中高年の既婚者が騒いでいるようだが、自分を安全な場所に置いた上での自分勝手で自己中心的な行動は、マスコミの作り上げたブームに踊らされているだけの虚しい喜びであろう。

 

1999.4.11.(SUN)
<今日の一言>

雨が続くと憂鬱な気分になります。

富ヶ谷商店街

家の近くにある、富ヶ谷商店街に関しては日曜日は休みでお客は年寄りばかりではっきり言ってあまり期待はしていなかった。魚屋さんが一軒、八百屋さんも2軒しか無いし、豆腐屋さんに至っては週休4日という殿様商売である。歩いていても何だか活気が感じられない。

ところが、週末にその魚屋さんで金目鯛とさわらの切り身を買って驚いた。買ってきた魚をそのままグリルで焼いただけなのにご飯と一緒に食べると、これがたまらない美味である。魚がこれほど美味しいと思ったのは東北に旅行に行ったとき以来であろうか。一緒に買ってきた八百屋さんの品揃えもただ者ではない。値段も破格で静かな商店街にさりげなく凄い店が揃っている。

考えてみればこの富ヶ谷商店街のライバルは下北沢の大丸ピーコックであり、渋谷の東急百貨店の食品売場である。良いものを安い値段で売らなければ客は皆商店街の外に行ってしまう訳である。

一見廃れたわびしい商店街ではあるが、その実力は調布にいた時のレベルを遥かに上回る。侮れない。

 

1999.4.10.(SAT)
<今日の一言>

富ヶ谷商店街の魚屋さんのクオリティに感動しました。さりげない名店があるものです。

ネット

電話はつながったが、相変わらずネットスケープコミュニケイターのメールの受取りと圧縮ができない状態である。BさんやKさん(ありがとうございます)からアドバイスを頂き色々試してみるが、未だ解決せず、である。仕方がないので、相変わらずメールの送受信だけはVaioを使って携帯でやるという情けない状況になっている。

メールの保存容量がキャパシティを超えたというのが原因なのだろうが、メールの消去もごみ箱に入れてもエラーが出るという訳で手の付けようがない。恐らく全て消去してもう一度ソフトをインストールすればいいのだろうが、それでは過去の記録が消えてしまう。

もう一つの悩みは、プロバイダーをどうするか、である。今までは調布のANNIEを使っていた。使い放題で月2500円と良心的で、アットホームな雰囲気が気に入っていたのだが、アクセスポイントが03地区に無いのが致命症である。どこか別のプロバイダーに入ろうと思っているが、どこが信頼できてリーズナブルなのか探す必要がある。

ネットのトラブルは解決していく過程で学べることも多いと、割り切って気長に対応していきたいとは思っている。

 

1999.4.9.(FRI)
<今日の一言>

新人歓迎会の待ち合せでごった返す渋谷駅前を見ると、この国の景気が悪いというのがどうしても信じられなくなります。

なじむ

先週の日曜日に引越しをして、ほぼ1週間が経とうとしている。何日か会社を休んでいたこともあり、部屋の中もようやく落ち着いてきた。ダンボールもすべて無くなり、家具の位置も決まって、住んでいる実感がでてきた。

まだブラインドはないので外から丸見えだし、洗面用具の置き場が無かったり、フローリングに敷くラグがない、など不備はあるが、今日から電話もつながった。前の家に比べると20平方メートル以上も狭くなったが、住んでみれば丁度良い広さである。風呂が狭いというのが唯一の不満であるが、これも慣れの問題であろうか。

周辺のお店は日曜日はほとんどやっていない。土曜日に街を散策してみようと思っているが、調布のようにいつでも何でも近くで揃うというわけにはいかなそうである。都心の方が郊外より不便で人が少ないのである。そう言えば道ですれ違う人もお年寄りが多い。

調布に残りの荷物を取るために出かけると、もう何だか懐かしい気分になった。新しい土地に馴染んだわけでもないのだが、前の住居は既に自分の頭の中では過去のものとして整理されているようである。

 

1999.4.8.(THU)
<今日の一言>

マンションの階段から新宿の高層ビルの夜景が見えるのを発見し、何だか得した気分です。

楽しい仕事

仕事というと西洋では神から与えられた罰、という捉え方をするようである。そういった考え方とは少し違うが、日本では仕事とはお金を得るための手段と割り切る考え方が増えている。どちらも仕事がつまらない苦痛であるというネガティブな見方に基づいている。

一方で生き生きと仕事をしている人達もいる。彼らにとっては仕事が生きがいであり、オフィスで働くことが楽しくて仕方がない。同じ仕事なのになぜ違うのだろうか。

個人的には仕事が楽しくて仕方無い時と、つまらなくて苦痛な時期の両方を経験してきた。それぞれの時期を比べて見ると楽しい仕事には2つのポイントが関係しているように思う。

一つはやっている仕事に意義があると思えるかである。自分のやっていることが社会的に貢献する仕事だ、と思えなければ仕事に誇りを持つことはできない。しかも単に意義のある仕事というだけではなく、競争相手に比べサービスの質が高い、あるいはコストが安い、といったアドバンテージが無ければ存在価値を信じることができない。もちろん組織として生き残っていくことも難しくなる。競争優位を維持するには経営戦略も大切であるが、人事政策、チームワーク、リーダーシップ、インフラといった組織内の運営が重要になる。これらがうまく運営されていれば人間関係に悩むこともなく快適な環境で働くことにもなる。

そしてもう一つは自分が仕事に対し付加価値をつけていると思えるかである。自分がいることによって自分が所属する組織にメリットを与えているとすれば、自分に存在価値があるということになる。いてもいなくても同じ、ひどい場合いない方がマシ、などと言われてその組織にいることは苦痛である。

つまり、社会的に意義のあると信じられる仕事を、効率的で競争力のある組織で行い、その中で自分の存在価値を実感できれば仕事は楽しいのである。一日の大半を過ごす仕事が楽しいか楽しくないかは大きな問題である。単に収入を得る手段と言うだけでは勿体無い。日本のビジネスパーソンでワクワクしながら仕事をしている人は一体どのくらいいるのだろうか。

 

1999.4.7.(WED)
<今日の一言>

フローリングの床は何も敷かないととても寒いことが判明いたしました。

いもや2丁目店

神田・神保町界隈に出かける機会が何回かあった。今週も夕方人に会うために神田に行き、帰り道神保町の「いもや2丁目店」(3265−0922)に寄って、とんかつ(700円)を食べた。

いわゆる、揚げ物というのはほとんど食べる機会がない。余り好きではないのである。とんかつ、てんぷら、フライ、串揚げといったものは食べた後の重い感じと太ってしまったのでは、という罪悪感からか足を遠のかせる。

それでも「いもや2丁目店」に入ったのは田中康夫氏の新作「それでも真っ当な料理店」で紹介されていたから、である。例によって、独特の振り仮名で書かれた本作も田中康夫氏(かたりべ)の本領(レゾンデートル)は小説(ものがたり)ではなくこういった現代(いま)を切り取る感性(パースペクティブ)にあるということを再認識させてくれる。ただし本作の後半部のひらまつ・Kihachi物語を始めとする付録はいつもの切れ味に陰りが見える。田中康夫氏からこの切れ味が無くなったらどうなるのか。

ともあれ「いもや」のとんかつは満足できる味であった。700円という値段が意味するところを理解する店である。白木のカウンターに無言でてきぱきと仕事をする従業員が4人。無駄な動きが無い。出てきたとんかつはさくっとして中はジューシーな肉。付け合せのキャベツ千切りと食せばそれほどの重みは感じない。

神保町、下北沢、といった雑然とした学生街にはこういった名店が点在する。いもやのカウンターに座ると両隣ともタクシーの運転手であった。学生、社会人、そして「業界人」。安くて旨いものを知る人が集う店である。

 

1999.4.6.(TUE)
<今日の一言>

ダンボールがようやく部屋から消えつつあります。

大人と子供

NHKの「クローズアップ現代」で駅のアナウンスについて放送していた。阪急電鉄では駅や車内の放送を極力少なくし静かな環境に配慮した乗客サービスを行っていると言う。特にマナーについての放送は廃止した。英断である。

私が使う京王電鉄はその逆を行っている。前にも書いたので余り繰り返したくないが、過保護の親に口やかましく言われる子供のような心境になる。電車に乗ると車内での携帯電話の使用禁止、暑い場所は窓を開けて車内換気に協力する、7人掛けのいすには詰めて座れ、優先席は体の不自由な人に譲れ、バッグは前に抱えて、とまあ盛りだくさんのアナウンスである。そのアナウンスを聞きながら携帯の呼び出し音が車内にこだまする。効果があるのだろうか。もちろんやらないよりはましなのだろうが、そのアナウンスが携帯の音とあいまってさらに不愉快だったりする。

車内のルールはアナウンスしても守れない人は守れない。いくら言っても相変わらず携帯電話を使っている人はたくさんいるし、席を詰めて座らない人もいる。つまり教育というか礼儀の問題で、そういった言ってもわからない人の為に車内アナウンスで関係無い人が騒音公害を受けているということである。

阪急電鉄も京王電鉄も結局、車内で携帯を使う人の比率はそれほど変わらないのではないだろうか。だったら静かなほうが良い。京王電鉄はサービスのレベルは日本一の私鉄である。戦後私鉄で初めて運賃を値下げした、そして複々線計画を諦めホームの延長で対応した経営センスのある会社である。もし過保護なアナウンスもサービス向上の一環として行っているのなら、その勘違いを早く修正し顧客にとって本当に必要なものは何かをもう一度考えて欲しい。

 

1999.4.5.(MON)
<今日の一言>

渋谷まで歩いて往復しましたが、松涛の豪邸街に圧倒されました。

富ヶ谷商店街

朝から近所を散策する。コスモス通りを一本入って並行に走っているのが富ヶ谷商店街である。この街を歩いていると20年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。昔から変わっていないお店がたくさんあるからである。

本屋さんは木造の渋い造りで文房具も扱っている田舎にありそうな雰囲気である。美容院は派手なローマ風のピンクの建物であるが古さは隠せない。中華料理店も一昔前の朱色のラウンドしたカウンターがありそうないぶし銀の世界である。コンビニなどもあるにはあるのだが、これらの古いお店が圧倒的な存在感を示している。

こういったレトロ感覚は嫌いではないのだが、問題なのはほとんどの店が日曜日と祝日休んでしまうことである。豆腐屋さんに至っては週に3日しか営業しないという。平日仕事をしている者にとっては土曜日以外は用が足せないということになる。特に問題なのはクリーニングである。

幸い朝の7時からやっているというクリーニング店を見つけ、ここを使ってみることにした。お肉屋さんや魚やさんといったわくわくするお店もあることだし週末は早速買い物をしてみようと思っている。

 

1999.4.4.(SUN)
<今日の一言>

カーテンの無い部屋では日の出と共に目が覚めてしまいます。

引越し

引越し当日であった。土曜日に近くのジーンズメイトやらファミリーマートでもらってきたダンボールに荷物を詰めていく。土曜日の夕方から始めたがこれがなかなかの量である。結局半分くらい仕上げたところで諦め、日曜日の朝5時に起きて最後の追い込みとなる。

不要になったものを分けたり、思い出の品を見つけては読みふけったりして、作業が中断したが、朝の8時に引越し業者が来るまでに何とか滑り込みセーフで完成した。ダンボール20数箱に膨れ上がり、引越し先のアパートに入るのか心配になる。

トラックへの詰め込みはプロの手さばきで約3時間かかった。つみ終わると引越し先に移動である。12時前から積み下ろしを始めて、2時頃には積み下ろし完了。作業員2人が5時間働いて引越し料金は5万円ととてもリーズナブルであった。

引越し業者が帰ってからが大変である。ダンボールからものを取りだし配置していく。調布の家に比べると広さが3分の2ということで収納は今まで以上に効率的に行わないと入りきらない。狭くなったとはいえ一人で住むには丁度良い広さである。

夕方になると疲労感による睡魔と筋肉痛(そして腰痛)が襲ってきた。眠いのはともかく、筋肉痛と腰痛はしばらく悩みそうである。高々ダンボールを20箱運んだ程度で体がガタガタになるとは肉体の衰えはかなり深刻である。

まだ関東大震災に遭遇した家のような部屋の散らかり具合である。電話もついてないし、テレビやビデオの接続もしていない。周辺の環境もこれからチェックである。駒場の東大キャンパスを歩いていると新入生のオリエンテーションが行われていた。満開の桜の中、一緒になって歩いていると自分も新入生のような気になってきた。大学生ではなくかなり老けた大学院生にしか見えないだろうが、新しい環境で何かが始まるかもしれない、ということでは同じである。

 

1999.4.3.(SAT)
<今日の一言>

引越しの準備はこれからです。間に合うのでしょうか?

次長

4月1日をもって課長から次長に「昇格」した。前の日本の銀行にいた時は、次長と言えば部長の横の通称「ひな壇」というところに座り、実務の一線から退き、椅子に悠然と座って新聞を読んでいるというイメージであった。今回自分がその「次長」になっても机が大きくなるわけでも部下が増えるわけでも手当てが付くわけでもない。やっている仕事も権限も以前と同じである。

「昇格」自体、会社から一応の評価をされている訳だから、しないよりは良いのかもしれないが、ひねくれているのかどうも斜に構えてしまう。邦銀が相談役を廃止して顧問を増やしたのと同じ事ではないか、との思いである。

そもそも外資系におけるポジションとは何であろうか。従業員である限りにおいて大切なのは、年俸がいくらなのか、そしてレポーティングラインがどうなっているか、の2点である。この2点が変らない限り、課長だろうが次長だろうが同じである。

例えば極端な場合、昇格に価値があると思う人のポジションを上げ年俸を下げれば会社は人件費を引下げ、モラールを維持することもできる。あるいは昇格させて年俸も変えずに責任ある仕事をやらせることも可能である。

ポジションが上がり、例えば部下が増えたとするとこれは喜ぶべきことなのだろうか。もちろん業容拡大と共に人も増えていくなら良いのだろうが、人件費をカバーできる収益も無く部下が増えるというのは不景気の中小企業の社長と同様の厳しい環境になる。

つまりポジションと待遇がリンクしない場合、昇格は必ずしも喜ぶべきことではない。これが結論である。そういう意味では今回の昇格で具体的に良いことと言えば、名刺を渡した時に両親が息子が偉くなったと勘違いして喜んでくれること位、であろうか。尤もこれにしてもインフレの国で名目賃金が上がったような錯覚であり、本質はいずれ明らかになるのであるが。

 

1999.4.2.(FRI)
<今日の一言>

天才は努力無くしては生まれない。昨夜、大学時代のクラスメイトに会って実感しました。

Monex

金曜日の12チャンネルのビジネスサテライトでも紹介されたようであるが、いよいよソニーと松本大(Oki)氏の共同出資のMonexが活動を本格化するようである。HPが金曜日からリリースされ、採用も事業も詳細もこれから急加速して動いていく。

大きなリスクがあると共に大きな夢のある事業である。スカイマークが航空業界を変えたように規制産業は新しい独創性のある企業によって規制緩和の中で革新されていく。株式手数料自由化という流れの中で規制されてきた証券業に大きな風穴を開ける可能性は高い。

しかしこの会社の目指すところは、チャールズシュワッブのような単なるディスカウントオンラインブローカーでは無いような気がする。それは会社の名前にも表れているのではないだろうか。MonexとはMoneyのyをxに変えた造語である。Moneyというものより1つ前にあるもの、だからMonexなのではないだろうか。だとすれば彼らが目指すのはMoney(お金)が今まで扱ってきた領域にMoneyより一歩進んだサービスを提供する、ということなのかもしれない。

同い年で大学のクラスメイトという関係を超えて、ソニーという数少ない本当の企業経営をしている日本の企業と対等出資で個人が事業を進めるこの壮大なプロジェクトには大きなエールを送りたい。

 

1999.4.1.(THU)
<今日の一言>

カレーフリークからラーメンフリークに「変化の胎動」が見られます。

別れと出会い

ようやく、日曜日に引越せることになりそうである。不動産会社とも話がついて、必要金額を振り込み、引越し会社にも予約を入れて取り敢えずもう逃げ場は無い。電話、ガス、水道、新聞などはこれからである。何せまだ荷造りをまったくしていない。

引越しセンターに電話で料金交渉をすると、2千円まけるという。もっと割引交渉しようかと思っていたら、ダンボールを引越し会社で買わないで、コンビニに行ってもらった方が良いなどと言い出す。客に自分の商品を売り込まない商売っ気の無さが何となく気に入って、その値段で決めてしまった。早速ダンボールは近くのファミリーマートに「予約」しておいた。

NTTに電話すると電話移転は転居がシーズンということもあって数日かかることもあるらしい。しかも土日は営業していないという。さすが親方日の丸である。最悪来週のしばらくの間は電話は携帯のみという状態になる。後は土曜日に慌ただしく荷造りをして日曜日に引越しという日程だが、荷物も少ないし何とかなるであろう。

8年近く住み慣れた調布だけに離れるとなるとそれはそれで何となく名残惜しいものでもある。しかしこの別れの時に感じる切ない気持ちというのは、引越しに限らず今までに何度も味わってきた。切ない気持ちになってまで別れを決断するのは、その先により大きな出会いがあると信じているからである。


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