SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

日記 1999年5月

 

1999.5.31.(MON)
<今日の一言>

新たな一歩

約2年間勤務したシュローダー投信投資顧問株式会社を本日付けで退社し、6月1日より株式会社マネックスに勤務することにした。3度目の正直である。

新聞雑誌等で報道されているのでご存知の方もいるかもしれないが、新しい勤務先となる株式会社マネックスはインターネット上での個人向けの投資商品の販売を行うビジネスを10月から行うための準備会社である。証券会社としての登録を行い、10月以降に予想される小口株式手数料の完全自由化に向けて今まで既存の証券会社が個人に提供できなかったサービスを展開する予定になっている。

日経新聞の一面に初めて報道され、この会社の事業内容を知ったのが3月の終わりであった。ソニーと松本大という個人が折半出資で始める、ネットと金融の融合による日本の個人投資家への機関投資家と同じレベルのサービスの提供、というコンセプトに共感し、何度かオフィスに足を運んでメンバーと話をしているうちに共感が一緒に仕事をしようという確信に変わった。

金融を生涯の仕事にしようと思っている私にとって、その中で自分がどうしたら貢献できるのかを模索してきた。住友信託に入ったのは不動産と金融というクロスオーバーが新しい付加価値を創ると考えたからであり、シュローダー投信投資顧問で仕事をしたのは、日本の運用会社によって行われていた横並びの非効率な年金運用に対する疑問が理由だった。

日本の金融に最も必要なことは個人が持っている金融資産を有効に活用することである。個人投資家が適切なリスクを取ってリターンを得ることにより個人の効用の増大と金融の効率化を進めることができる。低コストでリーズナブルなリスク・リターンが期待できる、小口でわかり易い金融商品の提供にインターネットは強力なツールになる可能性を秘めている。

もちろんリスクの高いビジネスであることは承知している。オンライントレードは大手証券から外資系まで30社近くが激烈な競争をする。また市場規模もアメリカに比べてまだ小さく果たして採算が合うのかという疑問も出ている。将来的には大きな市場になることは確実だろうが、それがいつになり、どんな会社が生き残るかは不透明である。

マネックスの武器は過去のしがらみが無い事とフラットな小人数の組識による極めて迅速な意思決定である。スピードとコストではこれ以上の効率化は不可能というくらいの極限のマネジメントである。

今、言えることは自分の進む道を真剣に考え、正しいと決めた道を選択できる幸せである。新しい会社での仕事を通じて社会に対して何らかの貢献ができればと思っている。

ホームページについて

1996年からほぼ毎日更新してきた日記であるが、本日より当面お休みを頂こうと思っている。もちろん日々考えていることはあり、読んでいただいている方とのコミュニケイションは毎日の生活の中で私の大切な時間である。

ただ、残念ながら新しい仕事は10月の営業開始予定を控え強烈な忙しさである。残り4ヶ月、自分の持っているエネルギーを仕事に集中し、悔いの無い結果を出したいと思っている。こんな雑文ではあるが、それなりに無い頭を毎日ひねっていることもあり、毎日更新するというのは今後いづれ不可能になる可能性が高い。ならば区切りが良いところで終了ではなく、一旦お休みという事にしたい。

今まで読んで頂いた方には勝手にやめてしまうのは失礼であるのは承知しているが、また何ヶ月か先に再開したいと思っている。その時にはこれから起るであろう多くの出来事に関してじっくり書きたいと思っている。

 

1999.5.30.(SUN)
<今日の一言>

タウンページで「便利屋さん」を見つけ、ウォシュレットの取り付けを頼んだら「うちはそういうのやってないんだよね」と断られました。何でもやります、って書いてあるんですけどね。

カルディ

下北沢に行くことが多くなった。いつも人だらけで余り行きたいと思う街ではないのだが、物価が安いということもあり、日曜日に買い物をするのは大体ここになる。その中でも行く店は決まっている。特にお気に入りは「カルディ」という食料品店である。

駅前のダイエーの近くにあるこの店はまず入口で紙コップのコーヒーをサービスしてくれる。そのコーヒーを飲みながら店内で買い物ができるのである。店内で買い物をしないときでもコーヒーが飲みたくなるとこの店に入れば取りあえず飲み物が貰える。いかにも下北沢らしいサービスである。

売っている商品はとにかく安い。たまに他より高い商品が紛れ込んでいるので注意が必要だが、トマトの缶詰が2個で100円、コーヒーが200gで420円とか破格の値段である。輸入品も多いが、品質は問題ない。

店員がKiroro顔の若い女性ばかりというのも不思議である。そして作業をしながらも盛んに声を出して景気付けをしている。そのイントネーションがまた独特で一種宗教かかった感じさえするのである。

エスニックの食材や調味料といったものの品揃えはかなりである。ドンキホーテと同じ過剰陳列のせいかつい寄って何かを買ってしまう雰囲気を持ったお気に入りの店である。

 

1999.5.29.(SAT)
<今日の一言>

赤ん坊がクネクネ踊る「ダンシングベイビイ」。遂にトヨタのCMにまで登場し始めました。

ピンスポット型転職族

土曜日の日経X(日経新聞31面)に「ピンスポット型転職族」というトレンドが紹介されていた。自分の好みの仕事以外は好条件を提示されても絶対にしないというやりがい重視の仕事選びである。就職氷河期を生き抜いてきた世代が妥協をして仕事を選ぶマイナスを痛感したことがこのような選択に走らせていると分析している。しかしこういった傾向はバブル時代に就職した世代でも共通の現象である。理由付けが何となくズレているように思う。

「ピンスポット型転職」が増えた理由は労働市場の流動化が進んだことと、産業構造の転換が始まったことの2つが原因と個人的には考えている。もちろんある程度仕事の選り好みができる世の中であるというのが前提の話である。

1986年に私が社会人になった頃、日本の銀行で中途採用を行っているところは無かった。住友信託銀行が邦銀で初めて中途採用を始めると発表したとき、かなりの反響があった。つまり当時は邦銀で働きたいと思えば、新社会人として就職する以外に入社する方法は無かったのである。

しかも中途採用で入社しても、終身雇用・年功序列のムラ社会で外から来た少数民族の中途採用組は入ってからもプロパー組に比べハンディをしょっていた。中途採用という異端を強みに変えるような「出過ぎた杭」にならなければ多数派のプロパー組のインフォーマルネットワークに飲み込まれてしまった。つまり中途採用がまだ割に合わない時代だったのである。

ここ数年、とくに山一証券の破綻以降、中途採用が市民権を得るようになり、日系金融機関の不振が続くにつれ、中途採用のスペシャリストの位置付けが重要視されるようになった。ようやく一人前として社内でのステイタスを得つつあるのである。こうなってくれば、本来自分のやりたい仕事をハンディ無くチャレンジ出来る環境が整いつつあるということでピンスポット型転職をしようとするインセンティブは高まる。条件整備がようやく出来たということである。

産業構造の転換もこの流れと同時に起った。金融に関していえば、間接金融(銀行融資)から直接金融(債券・株式の発行)への流れが銀行の花形セクションの融資・審査部門の凋落を招いた。そして、従来亜流と言われた資金運用部門・システム開発部門の重要性を高めることになった。

さらに大きな流れで見れば、調達の時代から運用の時代、デリバティブのコモディティ化、年金運用の規制緩和といった急速な市場環境の変化に金融機関が対応できず、同じ会社に留まっていてはやりたい仕事を見つけられないという状況になってきた。

これらの背景の中で「ピンスポット型転職族」は増えているのではないだろうか。好きな仕事を選ぶことによって収入が下がってしまうケースも多いだろうが、「好きで仕事をしている人とそうでない人の実力差は全く違う」(アーバンクラブの西山氏)のであれば、低い収入の見返りに将来への自己投資をしていると捉えることもできる。

はっきりしているのは大企業に入って終身雇用で「勝ち逃げ」するパターンは通用しなくなったということである。とは言っても、とにかく転職すれば良いと安易に考える人が増え過ぎるのも困ったことであるが。

 

1999.5.28.(FRI)
<今日の一言>

ホームページの改造をしようと考えていますが、果たしていつ実現することやら。

プレイングマネージャー

現場を知らないマネージャーでは仕事を管理できない時代になった。これも技術進歩と世の中の変化のスピードが速くなったからである。

かつては現場で仕事をし、年功序列で上の世代になると一線を離れて管理職に専念することが普通のホワイトカラーのパターンであった。管理職は管理にだけ集中し、実際の業務の内容の細かい部分は部下にやらせるという方法で通用した。自分がかつて現場で経験した知識がある程度まで当てはまり、業務の仕組みを過去の経験から類推できたからである。

また稟議書、報告書といった紙媒体の情報がピラミッド型の組識の中で機能していたため、上の人間が情報と権力を確保することができた。Eメールが出現するまでは、である。

時代は変わりつつある。3年前の知識でさえ陳腐化していると言われる現在新しい知識を現場と同じレベルで学ばなければマネジメントは出来なくなっている。しかもEメールによって能力の無い人間には情報の優位性が保てないようになってしまった。

マネージャーは単なる管理者ではなくプレイングマネージャーとして現場も知る必要がある。とはいっても部下の仕事に口を挟み過ぎても効率性とモラールの面から問題がある。

知識を身につけつつ人的資源を如何に効率よく使いきるか、がこれからのマネージャーの鍵になると思っている。残念なことにそのような資質を持った人は非常に少ない。

 

1999.5.27.(THU)
<今日の一言>

忙しさは曜日の感覚を麻痺させます。

スピード

仕事の関係でネット関係の広告代理店の方とお会いする機会があった。恐らく40代後半位の年齢と思われるその方は5年前からアメリカのプロバイダーと契約してアドレスを取得し、ホームページを作っていたという。ネットスケープが発売されたばかりで、モザイクを使っている人もいた時代だという。たった5年でも隔世の感がある。

失業がその方のパソコンを始めた理由だという。特撮関係のカメラマンをしていたのが、アップルコンピュータの出現によりCG(コンピュータグラフィックス)に仕事を奪われた。そこで悔しいからパソコンの勉強をしているうちにコンピュータも商売の一部になってしまったという訳である。

中高年の方の中には新しい技術は良くわからないといって敬遠する人がいる。しかし、考えてみれば新しいということは数年前には誰も知らなかった知識なのである。ということは少し勉強すれば、その分野の第一人者に比較的簡単になれるのである。必要なのは好奇心である。年齢は関係無い。

ただし、急速な技術進歩が続く限り、知識の陳腐化も早い。自転車に乗っているのと同じで、止まってしまうと倒れてしまう。前に向かって進んでいるのが一番安定しているのである。現状に安住してしまう人、変化を楽しめない人には辛い時代である。逆に失業さえオポチュニティとして前向きにとらえられるくらいの楽天性があれば何とかなるのである。

 

1999.5.26.(WED)
<今日の一言>

やはり酒を抜くと眠りが浅くなるようです。

快適

この時期になると通勤が苦痛だという事は何度も書いているが、その根本原因は暑さや湿気という気候にあるのでは無く、スーツとネクタイという服装にあるような気がしてきた。そもそもフォーマルな服装が嫌いなのである。

首をネクタイで密閉し、上着を着るというスタイルは高温多湿の気候には少し無理がある。そもそも日本の夏の服装として快適なのは浴衣のような開放的で空気の流れの良い服なのだからまったく逆を行っていることになる。快適な訳が無い。

雨の日はスーツが濡れると体にべたっと張り付いて、これがまた気分が悪い。しかし面白いものでスーツを着ていて雨が降ってくると非常に不愉快な気分になるが、ジーンズにTシャツといった格好なら雨に濡れるのも気持ち良かったりする。満員電車で私服と普通の電車でスーツという選択であれば前者の方がストレスは溜まらないように思う。

仕事の能率を考えれば、スーツを着てストレスを溜めているより、カジュアルな服装で良い仕事をする方が個人にも会社にもメリットがある。もちろん顧客に会う時などは礼儀としての服装は大切であるが、そういう時は着替えれば良い。スーツとは作業着である、という発想だ。

時差通勤を推奨するのも良いが、通勤問題は服装でかなり解決できると思う。それもカジュアルフライデーというゴルフウエアを着るような中途半端なものではなく、徹底的にやらなければ効果は薄い。短パンにTシャツで満員電車に乗るのは意外に快感かもしれない。

 

1999.5.25.(TUE)
<今日の一言>

毎日の生活はちょっとした考え方の違いで楽しくもつまらなくもなるものです。

夕食問題

独り者にとっては夕食をどこで食べるかというのは大きな問題である。お酒を飲まないで栄養のバランスのとれたものを一人でも食べれられる店、というのはありそうでなかなかないのである。

自宅は駒場東大前が最寄り駅であるが駅前にまともな店が殆ど無い。コンビニの弁当を部屋で食べるという究極の侘びしい状況を避けるため、外食をするとすれば渋谷駅周辺か、あるいは会社の近くということになる。といっても会社の近くで食べるのは食べて直ぐ電車に乗る気になれないので結局渋谷駅から自宅までで探すことになる。

渋谷にも大人がご飯だけを食べられるような「めし処あいざわ」のような店は無い。定食店に入ろうとしてもコギャルやガン黒のピアス君たちに占拠されておりスーツ姿で入れる雰囲気には無い。仕方が無いので渋谷の中心部を離れ、松涛に向かう道で探すことになる。それでも食事だけ出来る店はラーメン店位しか無いのである。

店を探しながらいつも曲がる道を何気なく真っ直ぐ歩いていると閉店間際の魚屋さんを見つけた。横を見ると併設の定食店があった。10時まで営業しているという。入ってみることにした。

カウンターだけの簡素な造りであるが、おばちゃんの愛想が良く、ビールとご飯なら刺し身の盛り合わせが安くてお得よ、とアドバイスされて言う通りにした。注文をすると隣の魚屋さんから新鮮な魚が運ばれてくる。

ビール、刺し身盛り合わせ、ご飯、シジミの味噌汁、小鉢3品で1990円だった。土日休みなのが難であるが、平日の10時前に予定がない日はここでご飯ということに決めた。店の名前は「魚力」(渋谷区神山町40−4、3467−6709)という。)

 

1999.5.24.(MON)
<今日の一言>

ネットサーフィンをしていると、世の中にはすごい人がたくさんいることに驚きます。情報の非効率の解消にはまだ時間がかかりそうです。

夏バテ

この季節になるとどうも調子が悪くなる。まず何だか知らないが、流行遅れの花粉症にかかってしまい、鼻水と涙が止まらなくなる。そして目の周りが異常に痒い。日中も気分がすぐれないが、寝ている時も調子が悪いらしく眠りが浅くなり更に調子を崩すという悪循環である。

更に追い討ちをかけるように気温が上昇し電車の通勤が苦痛になる。特に井の頭線は「コスト意識の高い」京王電鉄が冷房費をケチっているらしく冷房の導入時期が遅い。混雑した車内は冷房も効かないのに窓を開ける人も居らずムッとするような暑さである。

そしてトドメは雨である。湿度が高くなって蒸し暑くなるともうどうしようもない。特に霧雨のような雨が生暖かい気温の中で続くと最悪である。スーツは体にべったりと張り付き外の雨と内の汗で不快指数は頂点に達する。

いっそのこと早く真夏になって車内の冷房が効いている方がどんなにマシかといつも思うのがこの時期である。弱冷房の車両がどの電車でも設置されているが、個人的には普通の冷房車両と強冷房車両を設置して欲しいと思っている位である。私は早くも夏バテ状態である。

 

1999.5.23.(SUN)
<今日の一言>

セブンイレブンのいちごジェラードははまる味です。

アクティブ運用とパッシブ運用

「日本は金持ち、あなたは貧乏、何故」「敗者のゲーム」を読んでいると、アクティブ運用の有効性に関して大きな疑問が湧き上がる。アクティブ運用とはファンドマネージャーがリサーチや分析に基づいて判断を行い投資をしていく手法である。一方これと対照になるのがパッシブ運用と言われる方法である。これは市場の平均的なポートフォリオ(インデックスと言われる)と同じポートフォリオを作り市場平均と同じリターンを目指す。

アクティブ運用はリサーチやファンドマネージャーの運用能力で市場平均を上回るリターンを目的とする。当然運用するのに(調査や分析の)コストがかかるので投資顧問料や投資信託のフィーは高くなる。一方パッシブ運用は市場平均と同じものを作るだけの世界である。コストはアクティブに比べ安い。ただ仕事は市場の平均を忠実に追っていくだけの地味な運用である。

アクティブ運用がパッシブ運用より高いパフォーマンスになるにはコストの差を上回る運用能力が要求される。例えばアクティブ運用の投資顧問料が0.5%でパッシブ運用のそれが0.1%とする。その場合アクティブ運用がパッシブ運用を0.4%上回る運用をしてもコストが0.4%余計にかかっているのでチャラである。むしろ運用の安定性を考えればパッシブ運用を選ぶ方が良い。つまりアクティブマネージャーの課題はコスト差し引き後でパッシブ運用を長期的に上回るリターンを達成することである。これは可能なことなのだろうか。

情報の効率化が進むとアクティブ運用によって市場平均を上回るリターンを上げるのは難しくなる。情報の歪みによって他の投資家より優れた意思決定をしなければ超過リターンは得られないからである。プロの投資家の比率が高まれば高まるほど、また情報の効率化が進めば進むほど歪みは小さくなっていく。

プロの投資家といっても得ている情報の殆どは素人でもインターネットなどから入手できるものと差はない。後はそれをどう解釈しどのような投資行動に結び付けるかが腕の見せ所になる。つまり人と同じような情報を同じくらいのレベルでしか解釈できなければ長期的には高いリターンは達成できない。アクティブ運用を成功させるためには情報の質で劣後しない環境で継続的に独創的で合理性のあるアイディアを出し続け、投資行動に反映させるという条件が必要になる。

しかし残念ながらこういった条件を満たすアクティブ運用を行っているプロフェッショナルは少ない。最も大きな問題はファンドマネージャーに運用に専念する時間と能力が無いことではないかと思う。真に優れたファンドマネージャーは少ない。しかも十分な時間とインセンティブが与えられた人となると更に少ない。中途半端に出来る仕事ではないのである。

ウォーレン・バフェットもバークシャーハサウェイの年次報告で個人投資家はパッシブ運用をするファンドを買うことを勧めているという。アクティブ運用で超過リターンを達成することは不可能では無いが、それを可能にする条件はかなり厳しい。真に優れたアクティブ運用かどうかは長期間に渡る運用成績を比較しなければ結論を出せない。この議論は検証に時間が掛かることが問題の所在を曖昧にしている。

 

1999.5.22.(SAT)
<今日の一言>

天気が良くすがすがしい一日でしたが、花粉症は更に悪化しています。

判断基準

テクノロジーの進歩と社会構造の急速な変化に伴い人の行動にも変化が生まれている。従来安定的と言われていた雇用も終身雇用制が事実上崩壊した。若者の労働市場は流動化し大企業であるというだけでは従業員のロイヤルティを維持できなくなっている。

家庭に於いても結婚制度により強固に守られてきた家族制度が社会風潮の変化と共に崩れはじめている。定年の夫に離婚を迫る「濡れ落ち葉離婚」や考え方や人生観の違いを理由にした「カジュアル離婚」など従来では考えにくかった現象かもしれない。

こういった現象を後押しするのがマスコミである。既存の大企業にネガティブキャンペーンを張り、店頭公開やベンチャー企業に熱い視線を送る。既成の価値観に疑問を投げかけ変化を賛美する。しかしそれだけで良いのであろうか。

一つの仕事を一生を賭けてやり遂げるのも、好きな仕事を求めて仕事を変わるのもどちらが正しいという結論は無い。結婚して一人の人間を愛し続けるのも選択であるし、そんな人に出会えるまでさまようのも間違っているとは言えない。

最終的な判断基準は自分が納得できるかどうか、である。一つの会社で仕事を続けるという現象は同じでも、仕方なく嫌々続けているのと好きで熱中しているのではその価値は異なる。好きでも無い人と惰性の結婚生活を続けることは決して幸福とは言えない。

現象だけから物事を判断するのは危険である。

 

1999.5.21.(FRI)
<今日の一言>

花金の夜、自宅の部屋で一人寛ぎました。

Iモード

広末涼子のCMが白々しいのでどうも好きになれないIモードであるが、売れ行きは好評のようである。集中的なCMの効果もあるが、実際に使い勝手の良いサービスが増えたのも原因であろうか。FM局のHPに飛ぶと今かかっている曲のアーティスト名や曲名が表示されるサービスなどなかなか他にはない独創性がある。

銀行振込も電話の画面でできるとあるが、本当にそこまでやるひとはいるのだろうか。営業時間外であれば仕方ないが、テレホンバンキングの受付時間であればIモードの画面を触るより電話して取引した方が便利で安心だと思うが。

一番便利な機能はEメールが携帯電話で受けられる機能であろう。パソコンを常に持ち歩いていてもしょっちゅうメールの着信確認をする訳ではないから、短いメールであればIモードで受信するのは便利かもしれない。

まあ、持ってもいないのに聞きかじりの話を寄せ集めてもわからないので、光通信のHIT Shopでも覗いて見ることにしようと思っている。果たして3万円程度と言われる実売価格を払ってまで手に入れる価値はあるのであろうか。

 

1999.5.20.(THU)
<今日の一言>

新しい人との出会いは自分の固定観念を流動化させます。

ハイチオールC

医者は嫌いではないが、薬はなるべく飲まないようにしている。風邪を引いても薬よりは酒を飲んで熱い風呂に入って直そうとする方である。どうも薬漬けになることに抵抗があるのである。ビタミン剤なんかも飲んでもそんなに効かない気がする。それよりも普段からバランスの取れた食事をする方が大切だと思ったりする方である。

そんな私であるが、連夜の宴会が続いていると言ったら、ある人からハイチオールCをすすめられた。二日酔い、全身倦怠に効果があるという薬であるが、その人のアドバイスは酒を飲む前に、用法で指定された量の2倍の4錠を飲むという方法である。Lシステインは体に害のある物質ではないので、問題は無いと思い言われた通りやってみた。

実際に飲んでみると確かに翌日は酒がまったく残っていない。そして目覚めが非常に快調である。本当にハイチオールCの効果か判らないが、取りあえず「飲む前に飲むハイチオールC4錠」をしばらく続けてみることにした。

 

1999.5.19.(WED)
<今日の一言>

ミストサウナのような天気の日の井の頭線はスーツ姿で乗るには辛すぎます。

AIBO

AIBOと言って、今の時点でピンと来る人は相当の情報通か機械オタクである。ソニーが限定5000体で6月1日に発売するエンターテインメントロボットである。

見た目は金属の塊だが、感情や本能を持ち一緒に暮らし育てていくことにより学習していくたまごっちのようなバーチャルペットの一種と言えようか。ただし今回は実際に体が動くというのがミソである。

値段がオプションも入れると30万円と言うのがネックであるが、5000体位のニーズはあるだろう。いずれ値段も下がりより進化した商品が発売されれば爆発的な人気になることは間違いない。

それにしてもSonyというのは話題作りが上手い。今回の商品も、世界で初めてのユニークな商品であり、21世紀への夢を与えるSonyのイメージとピッタリ合ったものである。これからしばらくはマスコミもこの話題でちょっとした騒ぎになることだろう。

 

1999.5.18.(TUE)
<今日の一言>

プロバイダーを替えようかと思いましたが、都内にアクセスポイントが出来たので使い続けることにしました。

一番

デジタル社会になってウィナー・テーク・オール(勝者一人勝ち)経済と言われるようになって久しい。しかし一番にならなければビジネスとして成功しないという状況は、こういった限界効用逓増のビジネスに限らない。情報化社会になると消費者の行動も正しいかどうかは別として一方向にブレやすくなる。従来の限界効用逓減と言われるビジネスでも一番になることは重要なのである。

新しいビジネスで一番になるためには先行者メリットというものが大きな比重を占める。日本で最初の、世界初といったキャッチフレーズである。しかもマスコミもそういった企業・商品にスポットを当て、消費者の知名度が更に上がるという好循環を生む。ウォークマンや宅急便は未だに商品名にも関わらず定着したがこれらはネーミングも含めて独創的なサービスを最初に提供したからである。

後発の企業は同じようなサービスを提供している限りに於いては、トップにはなれず独占による弊害を防止するという意味以外にそれ自体の存在価値は無い。完全競争市場であれば中期的には淘汰されてしまう。ただしコモディティでなければ、商品サービスが完全に同一ということは有り得ない訳であるから差別化は程度の差はあれなされている訳であり、潰れない程度に生き残ることは可能であるが。

しかし最初に参入したというだけでは一番にはなれない。任天堂のファミコンやシャープのパソコンは後発に抜かれてしまった。ソニーのパソコンやプレイステーションはなぜ後発なのにトップシェアまで上り詰めたのだろうか。

一番になるには一番早く市場に参入することももちろん重要であるが、それは十分条件ではない。一番のサービスを提供し続けることの方が継続的なビジネス展開には重要である。宅急便が未だにマーケットリーダーであり続けるのは、クール宅急便や時間指定サービスといった顧客ニーズに合った商品をスピーディに提供し続けているからである。

スピードも大切であるが、スピードを出し過ぎて違う方向に走っていったりすると、F1サーキットでは勝者になれないのである。そして一番と2番以下の間には天と地ほどの大きな差が存在するのである。

 

1999.5.17.(MON)
<今日の一言>

酒を飲まない日々が続いてます。といってもまだ2日目ですが。

朝型

生まれてからずっと朝型の生活を続けている。中学時代に深夜放送を聞きたくて12時まで起きているのに、つい油断して布団の中でいつも寝てしまった。お陰で深夜放送の話題にはいつもついて行けなかった。

大学受験の直前も11時には寝る準備をしていた。それ以降の時間になると勉強していてもまったく頭が働かなくなってしまうのである。その代り朝は7時には起きていた。

社会人になってからも基本的には変らない生活パターンである。いやむしろ最近になってさらに早く起きるようになった。最近は外が明るくなることもあり、6時前には目を覚ますことが多い。

思うに同じ1時間でも朝の1時間は中身が濃いように思う。終わりの時間が決まっているという緊張感がある。また人によっては低血圧で活動出来ないという人もいるのだろうが、私は朝の方が脳の活動がまだフレッシュな状態ということで能率が上がるのである。

ダラダラ物事を続けるより、細切れにしてそれぞれの時間で効率よく処理していく方が気分も良いし、メリハリもつく。朝型の方が時間を効率的に使えると思うが如何であろうか。

朝起きるのは体力が無くなった証拠で老化の前兆と言う人もいるが、私は個人差によって夜型朝型という生活パターンが違うだけだと思っている。それが先天的なものなのか、環境によって決まるのかは判らないが。

 

1999.5.16.(SUN)
<今日の一言>

酒を控えると寝つきが悪いように思います。適度なアルコールは健康に良いということでしょうか。

リスクとは

相場の世界にはリスクという考え方がある。ここでは変動率(ボラティリティ)をリスクとしてとらえ、これを最小化するのがリスクコントロールだと言うことになっている。ここで問題になるのは将来の変動率をどうやって予想するか、である。過去の変動率はデータを集めれば計測可能であるが、それを将来の予想値として使うことには無理がある。相場の環境は大きく変化するからである。未来は過去の延長線上に無い。

また予想収益率というのも良く聞かれる言葉である。これはそれぞれの資産の予想利回りを加重平均して求め、さらにシナリオをいくつか用意して期待値を求める方法である。例えばシナリオAは確率30%で平均で10%のリターン、シナリオB確率70%で5%のリターンなら加重平均して6.5%の上昇を予想するという方法である。これもそれぞれの予想利回りと確率が正しくなければ加重平均しても意味が無い。

これを人生に当てはめるとどうなるだろうか。安定した仕事は変動率の低い資産で運用するのと同じである。しかしそれはあくまで過去のデータだと言うことである。変動性の低い仕事であった銀行員は環境が大きく変化したし、役人の仕事も今後変動率の上昇が予想される。予想収益率も人生では計算困難である。シナリオの数と決定する要因が多すぎて単純化することが困難だから、である。しかもそれぞれのリターンを求めることも難しい。

結論を言うと、将来のリスクやリターンは相場でも人生でもわからない、ということである。数値化すると前提条件の微妙な変化が大きな結果の違いをもたらす複雑系の世界だからである。

だから相場では投資哲学というものをしっかりと持って運用することで短期的な数字に惑わされない運用をしようと心がけた方が良い。人生においても同様である。自分の人生哲学に基づいて行動すれば長期的には高い満足が得られるのである。

 

1999.5.15.(SAT)
<今日の一言>

また富ヶ谷の魚屋さんでかますを楽しませていただきました。

35歳

トンネルも半分を過ぎると出口が見えると言うが、人生も70年とすれば半分の35歳になると見えてくるものがある。まだ30年位は働くのであろうが、自分の進むべき道を絞り込むのもこの時期だろうし、大きなリスクを取ることができるのもそろそろ限界であろうか。

別に焦る必要はまったくないが、20代の頃のようにあれもこれもと手を出してやってみるという時期は完全に過ぎた。やりたいものがたくさんあったとしても、「選択と集中」をする時期になっている。つまりピストルの中に弾が1発しか残っていないときにどこに弾を撃つのかを考えろ、ということである。

無限だと思っていた時間にも限りがあることがわかり、資源の有効配分を真剣に考えていかねばならない。時には物事を大胆に切り捨てる勇気も必要である。

幸いにして大胆に切り捨てることに関しては余り抵抗の無い性格である。価値観は時代と共に変わっていく可能性があると思っており、フラストレーションを溜めながら過去にしがみついたりはしない。となれば、後は最後の1発をいつどこに撃つかを決めるだけである。

 

1999.5.14.(FRI)
<今日の一言>

相変わらず花粉症は治りません。

「世紀末の経営術」

レゾナンス出版がまた快作を発表した。「世紀末の経営術」(1500円)は風俗業界のマーケティングとヒューマンリソースマネジメントをMBA流に分析している。切り口の斬新さと内容の真っ当さが売りである。

私は風俗業界には詳しくないが、次から次へと顧客のニーズを掘り起こしビジネスに結び付けていると言う点では日本の産業に於いては最もマーケティングが発達した産業の一つと言えるのではないだろうか。また人材の獲得が困難な業界において、如何に女性従業員のクオリティ確保と男性従業員の定着率アップを図るかの工夫は企業全体に共通する法則が隠されている。

風俗とは「癒し」がキーワードという経営者の発言には驚いた。つまり、若い女性に話を聞いてもらったり、やさしくしてもらうことでヒーリングを受けに来ているという発想が大切なのだという。また品質管理や風俗初心者に顧客を絞るターゲットマーケティングなど、なるほどとうなづく指摘が多い。

どんな産業であれ成功している企業には差別化をする要因が存在する。漫然と事業を進めていても競争相手には勝てないということである。それを達成するのはMBA流に言えば、マーケティングでありヒューマンリソースマネジメントなのかもしれないが、風俗産業の凄い所はそういった手法を勉強では無く、「必死に努力すること」によって体で覚えこんでいるということである。

 

1999.5.13.(THU)
<今日の一言>

今日からしばらく会社はお休みです。

酒量

最近酒量が増えているように思う。飲みに行く回数は変らないが、一回に飲む量が増えている。

酒の目的は酒自体を味わうことと、酒を飲んで酔っ払いたいということの2つの目的があるが、量をたくさん飲んだところで前者の目的の比率は減り、後者の目的が増えていく。つまり酒量が増えているという事は酔っ払いたい状況に自分があるということを示している。

欲求不満がある訳ではない。むしろやりたいことは全て自由にやっているので、昔に比べればストレスは少なくなっている位である。

強いてあげるとすれば、自分のやりたいように行動し続けることに対する不安であろうか。やりたいようにやるということでリスクが増加することがある。変化を好み、筋を通しながら生きていかないと気が済まない性格と臆病で保守的な性格という分裂した構造をバランスさせるのは意外に難しい。

 

1999.5.12.(WED)
<今日の一言>

カレーとラーメンが好きなのでいっそのこと美味しいカレーラーメンを探して見ようと思ってます。タイのチェンマイのカレーラーメンがとても美味しかった記憶がありますが、日本でも食べられるのでしょうか。

仕事とは

ある人からこんなメールをもらった。

仕事ってなんでしょう。やっぱ自分のこの世での存在価値なんだと思う。会社で役に立ってる、っていうことでとりあえずは満たされる。でも、ふと視界を広げると、会社はこの世で存在価値あるかってとこにいく。今の日本のどんより感は、ここが見えないんだと思う。バブルで過剰な消費をし、過剰な生産をする、出し入れ過剰なぐるぐるまわすことによる経済成長を終え、今消費の過剰を反省した個人は、生産側についても疑問を感じ、自分の仕事の存在価値を疑い、自分の仕事に誇りを忘れてる。

仕事のはじまりってなにか。10人の人が無人島に漂着しました。だんだん自分の得意分野を生かし分業をはじめます。家を作る人、食料を探してくる人、料理する人、火をたく人、遊びを演出する人、、、。得意分野を分業するのが仕事のはじまりかな。自分の得意分野を使って、社会に役立ち、報酬をもらうのが仕事です。

そして望むべくはマズローの欲求5段階説の一番上の自己実現欲求を満たすものだと思う。もうひとつ追加するなら、その上に人に役立ちたい欲求というのがあるのかと思う。(以下省略)

もちろん仕事をしてお金を貰わなければ生活できないので、生活するための収入を得るというのが、仕事をする第一の理由である。しかし生活のためだけに仕事をしているのでは少なくとも私は満足はできない。

仕事には仕事自体の存在価値と自分がその仕事をすることに存在価値があるか、という2つの存在価値が無ければ究極的には納得できない。自分の勤務する会社のやっているビジネスが無くなったらどうなるか考えればいい。その会社が存在価値を持つのは差別化されたサービスを提供しているか、同業他社と同じサービスを廉価で提供できるかのいずれかであろう。競合他社と同じサービスを同じ値段であるいは高い値段で提供する会社は規制が無ければ中期的には消滅する運命にある。

企業の利益とは社会に対して提供しているサービスに対し顧客から支払われた報酬であり、自由競争の中で利益が上がっているということは顧客の満足度が高いということを意味する。そしてその社会からの報酬を社員に配分するのが給料である。つまり給料は会社の存在価値が高ければ高いほど、その中で自分の存在価値が高ければ高いほど高くなる。給料の配分は市場原理ではなく経営者の裁量であり、これを間違えれば過少評価の人材が流出し会社のサービスが低下、最終的には企業の利益の減少につながる。

ただ給料とは市場のそして会社の評価という結果であり、目的では無いと考える。だから仕事を選ぶ上では給料が高い会社ではなく、会社とその中にいる自分が最も存在価値があると「評価される場所」を探していく必要があると思っている。給料は高いに越したことは無いが、衣食住が維持できるレベル以上であればそれほどこだわりは無い。

企業も変わっていく。前に勤務していた会社は入社当時は革新的な商品を開発し差別化されたサービスを提供していたが、いつしか規制の中で凡庸なサービスしか提供できない会社になってしまった。社会も変わっていく。東京証券取引所の場立ちの仕事は無くなった。技術進歩やライフスタイルの変化によって仕事の存在価値も変化するのである。

いつまでもこんな理想論ばかり振りかざしていても仕方が無いのかもしれないが、理想論を語れなくなった自分を想像するのも寂しいものである。ただ衣食住のためだけに仕事をしなくても良い世の中に巡り会えたことは感謝しなければならないとも思っている。

 

1999.5.11.(TUE)
<今日の一言>

金融界の人と話していると世の中が狭いことが良くわかります。悪いことはできません。

メールの作法

ここまで電子メールが普及してくると電子メールのルールというのも社会人の礼儀作法として学んで置く必要がある。不愉快なメールというのは幸いにして殆ど受取ったことが無いが、作法を学んだ方が良いな、と思うメールはある。

多いのが、改行をしないで横に長いメールである。パっと見ると何だか文章が続かないと思ってみると横にスクロールするようになっていて、一覧性が無いので読みにくい。ものの本によれば、38文字以上は改行すればこういったことを防止できるという。

そして異常に長いメール、異常に重いメールというのも困ったものである。添付ファイルが画像で10枚などと言うと、開くのだけでも結構な時間がかかる。これらは本当に必要な人を選んで送る必要がある。

またCCとBCCの使い分けも大切である。CCで多くの人に送ると受信者同士でアドレスが判ってしまう。会社のメールはBCCを使うと密告しているみたいで後からバレると気まずいことになるので基本的にはCCしか使わないのがルールであるが、プライベートではCCとBCCは使い分けをきちんとする必要がある。不特定多数に送る時は送信先を自分のアドレスにして送り先を全てBCCにすれば受信者がお互いのアドレスを知ることは無い。

名刺にEメールアドレスを書いたということはそのアドレスで通信が可能というメッセージである。だから名刺に書いたメールアドレスを長い間チェックしないのは使われていない電話番号を教えるようなものである。そしてメールの返事はなるべく早く返すのがルールである。例えば答えるのに時間がかかるような内容でも、取りあえずメールを受取った旨の返事を送ってくれる人がいる。メールを使いこなしているな、と思わせる気配りである。

こういった受信者から見て改善すべきと思うメールは送信者がなかなか気が付かないということに問題がある。こうやって偉そうにメール批評をしている私にしたところで送ったメールが誰をどんな風に不愉快にさせているのかわからない。

 

1999.5.10.(MON)
<今日の一言>

酒を飲まないと寝つきが悪く寝不足気味です。やはり適度な飲酒は健康に良いのでしょうか。

料理

基本的に料理を作るのは嫌いではない。結構な気分転換になる。ただしレシピを見ながら忠実に作るのは苦手である。ある程度の作り方をマスターしたら、自分なりに考えてオリジナリティを追求するのが楽しいのである。結果的には失敗することの方が多かったりするのであるが、一人で食べているぶんには「自己責任」ということで納得できる。

先週末は家にいることが多く、毎日料理をした。新しく作ってみたのが、キャベツのスープという奴である。料理というのがおこがましいほど簡単な料理である。玉ねぎのみじんきりとベーコンを炒め、玉ねぎが透明になったらキャベツを丸ごと1個十字に切り込みだけ入れて鍋に入れ、水を8分目まで入れる。ブイヨンと30分ほど煮込み塩と胡椒で味を整える。

この料理のポイントは材料である。キャベツが新鮮で柔かければ失敗は無い。味は後から好きなように調整できるし、煮過ぎても問題は無い。何とも便利な料理であるが、難点は量が多いので、その後数日間このスープを食べ続けなければならないことである。毎日微妙に味が変化していきそれはそれで興味深いのであるが、さすがに3日目ともなれば飽きてしまう。

 

1999.5.9.(SUN)
<今日の一言>

流行遅れの花粉症に悩まされはじめました。

藤田田(デンと発音して下さい)

「藤田田語録」(ソニーマガジンズ、1500円)を読んだ。「ユダヤの商法」「勝てば官軍」(どちらも一読の価値あり)の2冊の本によって強気で合理的なタフネゴシエーターのようなイメージ、あるいは奇人といった印象を持たれがちな経営者であるが、その実が合理性と浪花節の絶妙な合わせ技によって成果をあげるまっとうな経営者であることがわかる。発言は過激であるがその言葉はいつも本質をついている。

人間はカネと使命感の為に働く。

凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前に在り

といった言葉には実績が伴うだけに重みがある。

この本で面白いのは藤田田と共にマクドナルドの成長を支えてきた役員のコメントである。藤田田という人物の魅力に惹かれ、勤めていた大企業を家族の反対を押し切り辞めて、小さな外食産業に夢をかけた人達である。カネと使命感から本気で働いている人は他人をも動かす力を持つのである。

京セラの稲盛和夫氏は事業を始める時にはいつも「動機、善なりや」という問いかけをしているという。藤田田も根本ではこの考え方を持っている。ただその表現力が過激で真っ当すぎるので、日本人の標準から見ると異端視されるだけなのである。良く聞いていると彼の発言は物事の本質を突いている。

正しいと思うことを正攻法で有言実行する。日本の経営者では希有な才能である。

 

1999.5.8.(SAT)
<今日の一言>

土曜日恒例、富ヶ谷商店街の魚屋さんでキングサーモンとさんまを買って焼いて食べました。600円で至福の時間を味わえました。

SMOKER

髪を切りに行った。家の近くにある、「SMOKER」という店である。電話で予約をしたが、いつも満杯で予約できなかったり、休みで電話が通じなかったりと、何だか繁盛している店のようだった。電話の応対も何だか愛想が無くタカピーなお店なのかな、と思っていた。

店構えからして変わっている。看板は派手な色使いで名前が書いてあるだけで外から見ると美容室かどうかわからない。内装も赤をベースにし、工具がつるしてあったりしてバイクの修理工場のような雰囲気である。実際テレビの「変な内装の美容室」という特集で取材されたこともあるらしい。

予約の2時半に行くと前の客がいてしばらく待たされる。何と髪を切る人は1人しかいない。予約が取れない訳である。話を聞くと普段は2人いるらしいが、他の仕事も入ってしまうと1人になったり店を閉めたりしてしまうらしい。何とも自由である。カットの腕前はなかなかである。雑誌のヘアデザインやCM関係の仕事もしているというだけあり、切り方はちょっと今風だ。実際に髪を切ってもらっていると別にタカピーでもない、気さくなお店である。ただ応対が素人くさいだけなのである。

何で看板に美容室と書かないのかと聞いたら「だって、何か格好悪いじゃないですか」という。広告の仕事も美容師の仕事も面白いからやっているだけだという。美容師の人生観も私好みのいいお店を見つけることが出来た。

 

1999.5.7.(FRI)
<今日の一言>

銀行の店頭案内の人に「学生さんですか?」と聞かれ、嬉しくなりました。

真の金融革命

家賃の支払いを自動振り込みにしようと、メインバンクのBTM銀行に行ったら、他行の口座に毎月振り込む場合、振り込み手数料と自動にする手数料で一回600円以上かかるという。振込先のD銀行の渋谷支店に行くと、同じ支店の口座から振り込みなら、1回100円だという。仕方が無いので印鑑を持って行きD銀行に新しく口座を開きそこから家賃を振り込むことにした。家賃支払いだけの為にまた一つ銀行口座が増えてしまった。口座開設の景品としてボディソープとキティちゃんのフェイスタオルをもらった。

次にD証券にMMFの入金に行った。私の口座は浜松町支店にあったが、支店統合により銀座支店に勝手に移管されている(当然通知はあったが)。渋谷支店の店頭で入金をお願いすると、面倒くさいらしく他店の入金は機械の方が便利です、と婉曲的に店頭入金を断られた。仕方なく機械で入金手続きをしようとすると「カードが使えません」とメッセージが出る。再び店頭で聞くと、店舗統合により私が持っているカードは使えなくなっているのだという。結局店頭で入金をお願いすることになった。

それから別の銀行で投信窓販のカウンターに行き、投資信託の手数料や税金について説明を受ける。販売手数料、信託報酬、有価証券取引税、所得税・地方税、信託財産留保額、といった複雑かつ不明瞭なコストがかかる。そして運用するアクティブマネージャーのクオリティはまったく保証されていない。商品ラインアップも系列の投信会社の商品に外資系の商品を申し訳程度にいくつかまぶしてあるだけの貧弱なもの。選択の幅は狭い。銀行は投資信託は元本が保証されていないことを執拗に強調しているが、私に言わせれば選択の自由と運用のクオリティが保証されていない方が問題である。これではリスクをとってもリターンで報われるかどうか判断のしようがない。

金融革命とはデリバティブや高度な投資理論を振りかざすことだけではない。日本の金融で一番遅れているのはやはり個人に対する利便性の向上とリスクリターンに見合った多様な商品の供給ではないだろうか。

日本では当たり前の、金融機関の横並び営業時間、店舗主義による同一金融機関内での支店間の融通性の無さ、異常に高く歪んだ手数料体系、など既存の金融機関に変革をしようとする動きは見られない。また資産運用から言えば、投資信託の低迷は日本人の臆病でリスクを取らない投資行動が原因のように言われている。しかし日本の個人投資家は臆病でも安全性重視でも無い。リスクリターンに合った質の高い多様な商品が提供されていないだけなのである。

当たり前のことが出来るようになることが真の「金融ビッグバン」といえるのではないだろうか。問題はそれを誰がいつ始めるかである。

 

1999.5.6.(THU)
<今日の一言>

「敗者のゲーム」(日本経済新聞社)はファンドマネージャーのやるべき仕事について考えさせられる本です。

味源

ラーメンとは実に不思議な食べ物である。食事にもなるし、おやつに食べることもできるし、酒を飲んだ後にも食べたくなる。しかも嫌いな人は聞いたことが無い。

更に様々なバリエーションがある。スープ、麺、トッピング。それぞれに店の売りがあって細かな差別化がされている。そして店にも流行がある。かつてはトンコツラーメンが流行っていたが今や旭川だの和歌山だの新しいラーメンがテレビで紹介され、それらの店に客が殺到する。

つまり、どれが一番美味しいかは結論が無く、情報が細分化され常に更新されているから誰でもウンチクを簡単に語ることが出来る。人畜無害の便利な話題なのである。

トルコに住んでいる弟からメールをもらった。日本のラーメンベスト3という内容である。彼のお薦めはげんこつラーメンの塩ラーメン(天然塩をうたっててめちゃくちゃおいしいらしい)、じゅんれん(すみれ)の味噌ラーメン(これは東京には無いようだ)、味源の味噌ラーメン、ということらしい。(ただし車で行く店は除く)

会社の帰り道、渋谷駅を歩いていると味源というラーメン店の看板が目に入った。弟のメールを思い出し、ふらりと入ってしまい、味噌ラーメン(680円)を食べてみた。出てきたのは札幌に行った時に食べたことがあるようなラーメンだった。麺は西山ラーメンのような黄色くて固めのちりちりした縮れ麺、スープはこってりとしたかなり甘い味噌の味。砂糖が入っているのかと思うほどの甘さである。玉ねぎで甘みを出し、トッピングは長ネギともやし、チャーシューである。

決してまずくは無いし、そこそこの味なのだが、感動的というところまでは到底行かない。果たしてこれが彼のお薦めという味源の味噌ラーメンと同じモノなのだろうか。当然同じチェーンでも店によって、作り手によって味は微妙に異なるのであろうが。

トルコで日本のラーメンに思いをはせる。海外生活をしていると日本の食べ物を思い出し、無性に食べたくなる時があるものである。私の場合もアメリカに暮らした時、牛丼とラーメンが食べたくて仕方ない時があった。ラーメンはある意味ではご飯に味噌汁といった純粋な和食などより、日本人の心に染み入っている食べ物なのかもしれない。

 

1999.5.5.(WED)
<今日の一言>

連休中、1日だけ酒を抜くことができました。

連休総括

いつものことながら、何をしていたのか良くわからないまま連休は終ってしまった。今回は旅行にはいったものの、それも食べて飲んで寝た、というもので旅と言うには程遠い。それ以外にやったことといえば、読書位であろうか。

「根本から学ぶパソコン活用講座5(電子メール編)」は日経PC21が編集しただけあって知識の整理に丁度良かった。巻頭の電子メールの作法は気が付かないポイントが指摘してあったりして、役に立つ。メールのマナーというのは意外に誰も教えてくれないものである。こうしたコンパクトな企画はなかなか良い。CD−ROMも付いて933円は「今が買い」である。

「ゴミ投資家のためのビッグバン入門」(主婦の友社)。この本はタイトルで損をしている。内容は極めてまともで実践的な良心的作りであるのに、どこかの自称経済評論家が書いているような、これで絶対儲かる○○、といったいかがわしい本と同じ扱いをされてしまう。日本の金融商品の税金、手数料のからくりについて極めて具体的な指摘があり、本当に投資している人が書いていることがわかる。後半のタックスヘブンの話は更に具体的である。「ゴミ投資家」シリーズとして何冊か出版されているが、タックスヘブンの部分ばかり強調され脱税の手引きのような扱いをされているのは残念である。

それ以外にも3冊の本と現在格闘している。そしてCDはSarah Brightmanの「Time to say goodbye」、Pat Metheny&Jim Hallのギターの共演アルバム。特に前者は2年ほど前に日本でヒットしたものらしいが、オペラというよりはポップス調の仕上がりで連休中に聴きまくった。

もうすぐ5月と思っていたらもう5日も経ってしまった。

 

1999.5.4.(TUE)
<今日の一言>

GWも残り一日。買い込んだ本と格闘しようと思っています。

恋愛志願

師匠の日記を読んでいたら、最近転職したばかりのBさんが大量の仕事から寝不足になり、疲労で倒れたという。待ち合せ場所に来ないのでおかしいと思っていたら、ベッドで寝ていたらしい。幸い単なる寝不足による過労で大事には至らないとのことで、一安心である。しかしその時Bさんの健康を案じると共にもう一つ別のことを考えていた。

働きすぎで倒れた経験など多くの人には無いだろう。私自身もそんなことは社会人になって以来一度も無い。会社では朝早くに出社して必死に効率的に仕事をし、なるべく就業時間内に仕事を終らせるようにしている。自由にマイペースで仕事をやらせてもらえ、良好な職場環境で順調に仕事が進んでいる。充実した会社生活である。が、何かが足りないと思うのも事実である

Bさんの話を聞いて思い出すのは、高校生の時の学園祭の準備である。映画の製作をしていて上映当日に間に合わせるために友達の家に泊まり込み数日間徹夜に近いような状態で準備をした。肉体的にはしんどかったが、目標に向かって皆で力を合わせている状態は苦痛というよりは快感であった。

会社に学園祭の準備と同じ環境を要求するのは無い物ねだりの非現実的なことなのかもしれない。それにBさんにしたところでどういう心境で仕事をされているのかは私にはわからないことである。ただ、仕事にも満足している、とか順調であるといった状態よりさらに突っ込んだ死にもの狂いで夢中になれるような時期をどこかで求めているのも事実なのである。

私は今の仕事とは仲の良い夫婦のような状態になっているようだ。特段不満も無いし、それなりに満足も感謝もしている。空気のような心地よい関係である。家庭第一の真面目な中年が燃えるような恋愛をしたくなってしまうのはこういう心境からなのだろうか。

夢中になれるものに一度でも出会えることは幸福なことである。そしてその中に勇気を持って飛び込んでいくか、今の安定を取るかはそれぞれの人生観の問題である。

 

1999.5.3.(MON)
<今日の一言>

プロとアマ

別荘地での食事は全て手分けをして皆で作る。といっても私は調理自体にはまったく関わらない。プロが2人もいるので彼らのやっているのをまわりで眺めているだけである。お店で料理を作っている人と一緒に買出しにいったり、料理を手伝ったりしていると、プロとアマの違いを認識させられる。

作ろうとするものが例えばパスタという同じものであっても、麺の茹でるタイミング、ソースに香りとコクを豊かにする工夫、といったものが違う。そして手際が良く8人分でもあっという間に完成してしまう。

さらに材料を無駄なく使うというのもアマにはできない芸当である。今回も2泊3日で上手く材料を使い切るように肉や野菜の買出しを行った。しかも皆が家から持ち寄った缶詰やらそば粉といった材料も臨機応変にサラダやお吸い物に化けてしまう。

2日目の夜もおいしい食事と楽しいお酒で深夜まで話題が尽きなかった。外部の情報から隔離された世界で新しく知り合ったばかりの人達と自分が知らなかった世界の話を教えてもらうのは本当に楽しいものである。料理に留まらず、文学、音楽、落語、グルメ、芸能、恋愛、一回り自分の活動領域が広がったように感じた。

 

1999.5.2.(SUN)
<今日の一言>

別荘

別荘に出かけた。といっても前にも書いたように自分の別荘ではない。知り合いの知り合いの別荘と言うことで、所有者本人はお会いしたことも無いのだが、とにかく8人で2泊の旅に出かけることになった。

レンタカーで9時前に東京を出発する。ある程度の渋滞は覚悟の上であったが、関越の入り口から渋滞は始まった。その後思ったよりはスムーズに進んだが、現地に到着したのはもう4時になっていた。昼からバーベキューというのを目標に昼食も抜いていたのだが、究極の空腹の中で夕食のバーべキューが始まった。

集まった8人のうち、お互い顔見知りは数人である。酒が入ると自己紹介をし、後はひたすら食べまくる。飲食関係者が2名、出版社、会社社長、外資系の人、などバラエティに富んだ人たち。年齢も20代から50代まで幅広い。唯一の共通点は酒が好きだということだろうか。ホテルオークラ出身の和食のプロやバー「P」のマスターが作る手料理もあってついつい食べ過ぎてしまう。

テラスでのバーベキューは8時にはかたつけ、今度は居間にある暖炉に桜の木を燃やして2次会となる。何とも贅沢な時間である。始めて会った人たちなのに行き付けのバーで偶然隣り合わせに座った客同士のような不思議な親密さが存在する。お互いに気を使うことができる大人の人達とのひとときは知らない人同士でも心地よい。

1時過ぎまで話しこんでから2階の部屋で寝させてもらう。3次会の人達のリビングの声を聞きながら知らないうちに眠りについた。

 

1999.5.1.(SAT)
<今日の一言>

カフェで偶然聴いたSarah Brightmanの「Time to say goodbye」。早速家で聴いてはまっています。

パソコン

先月にデスクトップでメールの受信ができなくなってから、メールはVaio、それ以外はデスクトップパソコンと2台のパソコンを毎日使っていた。立ち上げも2台やらなければならないし、何より気難しい機械に振り回されている気分で、あまり愉快ではなかった。

ところが昨日、ふとしたことでメールのInboxのプロパティを開き、ファイルの圧縮というボタンを見つけたので駄目モトで押してみた。10分ほどでメールの圧縮が終わり、何とメール機能が正常に作動するようになった。きつねにつままれたような話とはこのことだろうか。

ホームページを持っています、というとパソコンに詳しいオタク系の人と思われるらしいが、私はパソコンに関する知識は乏しい。携帯電話の機能も掛ける、受ける、留守電を聞く、位しか使えないような男である。パソコンの機能もその大半はマニュアルを読んでというより、むしろ使っているうちに何となくできるようになったというものばかりである。

ここ10年、いやここ5年でパソコンは飛躍的な進歩を遂げた。私がホワイトハウスのホームページの星条旗が動くのを見て感動したのはわずか3年前である。10年前にウィンドウズを開けて下さいと言ったら殆どの人は家の窓を開けただろう。今そんなことをするとパソコン笑い話で紹介されてしまう。

しかし社会人の人には会社で研修を受けるか、自分で学校にでも行かなければこの急激に進歩した技術を理解することは難しい。学校教育でもパソコンに対する教育は不十分である。

今や社会のインフラとなりつつあるパソコンに関する知識は常にアップデートしなければ陳腐化する。学校で勉強する歴史や地理とは異なり学び続けることが必要なのである。しかしパソコンの本一つとっても本屋に大量に陳列はされているが、体系的に勉強しようとするとどこから手を付けていいのか判らない。

進歩が急激すぎて、体系化することができないのかも知れない。まず手始めに大学受験にコンピュータという必須科目を入れてはどうだろうか。ただし10年やっても喋れないという日本の英語教育が犯した失敗を繰り返してはならない。10年やってウィンドウズを立ち上げられないなんていったら大変なことである。英語もパソコンもそれ自体が目的ではなく手段である。遠くにあるバナナを猿がとる時に使う棒と同じ働きをするものなのである。


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