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エッセイ 2000年1月
2000.1.30.
<今日の一言>
毎年同じ事を繰り返す年中行事には、人生を定点観測することができるという利点があるような気がします。4回目の「鍋コン」に出て、ここ数年の自分の変化を再確認することができました。
鍋コン
今年で4回目となる全国鍋物コンテストに出場した。メンバーは最近髭を伸ばしはじめた不良中年といつもお世話になりっぱなしの松崎さん、そして今年からメンバー加入の木村さんの4人。
鍋コンは創作鍋のオリジナリティを競うユニークな大会で、このチームも初回から参加。過去3回かなり変った鍋を創ってきた。去年はハンバーグをワインで煮込むという「ワインバーガー鍋」。あまりのユニークさに審査する方の理解を得られず、審査結果は惨敗だった。
今年は、題して「癒し鍋」。白菜と豚の3枚肉でシンプルに作った。詳しいレシピは師匠のページでご覧頂くとして、単純な白菜鍋と豚肉のトロミ鍋に最後にザーサイでトッピングをするというのがポイント。先週の木曜日深夜にかけての試作の時点ではトッピングが無く、不味くはないが「焦点のボケた味」とメンバー間で不評。そこでザーサイトッピングで味を〆るというアイディアが出てきた。結果的にはこれが大成功。中華風の寒い日には何とも病み付きになりそうな鍋が完成した。
審査員の評判も上々。そして参加チームの投票による審査結果は意外にも優勝。予期していなかっただけにあっけない感じであった。やはり、鍋はシンプルで飽きのこない味が大切である。賞品にもらった「鍋」の時の額縁入りの書を手に記念撮影。日頃の忙しさをふと忘れる事ができる、暖かい時間であった。
2000.1.21.
<今日の一言>
インターネットバブル論を語る人が増えたように思いますが、バブルだと言っている人がいるうちは大丈夫と思っています。もちろん玉石混交の中での淘汰はあるでしょうが。
『失われた10年』
作家の村上龍氏が編集長をしているメールマガジンJapan Mail Media(JMM)で「バブル発生前夜に何に金を使うべきだったのか?」というテーマでコメントを求められ原稿を掲載していただいた。
不動産に投資を行ったのは、キャピタルゲインが得られるという期待、その期待の源泉は他の人も買うから需給で下がることはないという幻想でしょう。期待収益率を考えるとき、その投資が将来産み出すキャッシュフローを割引いて投資価値が決まるという経済の基本原則からかけ離れたところで価格を決められた不動産の価格。
これはいずれ他の資産同様のプライシングに戻って行くのは自然の帰結ではないでしょうか。もちろん不動産には希少性という特別な価値がありますから、そのプレミアムを考える必要はあるでしょうが。あくまでも使用価値としての不動産という冷静な評価が必要だったのではないでしょうか。
では何に投資すれば良かったのか。
銀行の本業は直接金融が発達する以前の段階では、産業に対し資金供給のパイプとして機能することです。ところが殆どの邦銀には残念ながら融資先の事業性を評価する尺度が存在しませんでした。土地担保性が存在する中では不動産や預貯金の担保無くして資金を調達することは困難であったのです。逆に担保さえあれば事業に対するリスク評価は行われなかったのです。
本来、銀行とは企業に対する金融を行う際のリスクテイカーとしての機能が求められていたはずです。それは企業の事業を評価しそれに対応した金利水準での貸し出しを行い、多数の企業に分散して資金融資を行うことにより貸し倒れによるリスクを大数の法則によって吸収していく。そのような機能がこの担保主義で働かなかった。
金融機関が本来やるべきことをきちんとできなかったこと、これが日本の過去10年を作り出した原因の一つと思います。したがって今言えることは、本当に投資すべきだったのは、この土地担保優先主義によって資金調達の道を閉ざされていた有望な企業に対する資金供給だったと思います。
しかしこういう文章を書いていても何だかすっきりとした気持ちになれないのはどうしてであろうか。あの時こうしておけば、という反省は必要であるが、いつまでもそれにしがみついていては赤提灯のサラリーマンの愚痴と同じである。これからの行動に過去の反省を活かし、同じ過ちを繰り返さないようにすることの方がよっぽど建設的なのではないか。
さらに言えば、こうすべきだったと得意気に語ったところで所詮自分もその渦中で踊っていた一人であったという負い目である。客観的にバブルを批評する立場に自分は無いとの思いである。変わり身早く生きていく「良いとこ取り」の「世渡り上手」になることへの抵抗感である。
2000.1.10.
<今日の一言>
人に奨められて読んでいるヤマト運輸中興の祖が書いた「経営学」(小倉昌男)には板倉雄一郎の「社長失格」以来の感動を覚えます。もうすぐブレイクの予感です。
幸せの尺度
もちろん世界の至る所に未だ貧困は存在しているが、平均的日本人の生活は確実に豊かになっている。それは物質的にというだけではない。豊かさとは選択肢の多さである、選択できる自由が担保された社会という意味では10年前に比べ格段に豊かと言えるのではないだろうか。
選択の自由という豊かさの元になっているのは、多様な価値観を受け入れる社会の価値観の変化とやり直しが利く、敗者復活戦のある社会という2点ではないだろうか。多様な価値観とは一定のライフスタイルを強要しない社会ということである。男は良い大学に入り一流企業に勤め、家族を養い、女は25歳で結婚して家庭に入り子供を育てる。10年前には、こんな価値観が支配的だった。
敗者復活戦のある社会とは、キャリアチェンジによって新しいチャレンジができる土俵が整ってきた社会に変わりつつあるということ。学歴によって企業が従業員を選別し、終身雇用していた仕組みでは、18歳の大学入試が勝敗を決める人生最大の分岐点になっていた。今ではキャリアチェンジによって、あるいは社会人になってからの変化の圧倒的なパワーが過去の栄光を簡単にひっくり返してしまう。学歴ピラミッドも今や東大に行くよりデジタルハリウッドのCG(コンピュータグラフィック)デザイナーを目指した方が格好良いと思う人も出てきた。気力さえあれば何度もチャレンジできるのである。
そして、生活の為だけに働かなくても良い時代になった。ユニクロの1900円のフリース(私はもっていないが)を着て、吉野家の牛丼を食べていても惨めな気分にはならない。嫌いな仕事をしてブランド品を買ったり、見栄を張らなくても豊かな気分になれる。それよりも夢を追い続ける快感の方がずっと大きいからである。
そして、一般人だけでなく資産家の人達もそのうち、お金とは一定の金額以上を持っていてもそれ自体には意味が無くなってしまうということに気がつきはじめるのでは無いだろうか。金の為に何かをする必要がない人達が何かを始める時、従来の純粋な資本主義は生まれ変わる予感を感じる。
ネットによってデジタルな世の中に変るというハイテクな変化より、消費者主権と価値観の多様化による資本主義の根本変化の方が精神的にはインパクトが大きいのでは無いかと漠然と感じている。
2000.1.2.
<今日の一言>
新年、おめでとうございます。昨年御世話になった方々にはこの場を借りましてお礼を申し上げたいと思います。(年賀状、Eメールなどを頂いた方にはご挨拶を失礼しておりまして申し訳ございません。)
昨年は新しい仕事へのチャレンジ、プライベートでの様々な出来事と、35年の総決算の序章のような1年となりました。2000年は昨年の流れに結論を見出そうとする年になると思っています。
昨年以上に慎重かつ大胆にすべてにベストを尽くしていきたいと思っております。本年もよろしくお願いいたします。
年末年始に
仕事は30日で終りとなった。大納会の後は普通の証券会社のように、社員で集まり一本締め。少しアルコールの入った状態で午後もたまっている仕事と格闘し、夕方には帰宅した。
大晦日は実家に帰り、紅白などを見てのんびりと過ごした。カウントダウンも実家のテレビの前で迎え、2000年問題が大過なく過ぎた事を確認して布団に入った。元旦も両親とお節を食べながらのありがちな正月となった。2日間完全に仕事から離れたのも久し振りのことである。
2日は仕事始めである。貧乏性なのか、何かをしていないと落着かなくで精神衛生上よろしくないのである。8時前に起きてメールのチェックやら資料の作成を慌ただしく始めた。大掃除もしていない散らかった部屋で仕事を始めると正月という季節感はまったく無くなってしまう。このまま初詣も行かず、淡々と2000年が始まってしまうのかと思っても特に何も感じない自分にちょっと怖いものを見てしまう。
忙しいというのを理由に年賀状は結局書いていない。これから慌ててコンビニで買って出すのも余計に気分が乗らず、結局100枚近い年賀状の返事を出す予定も立っていない。頂いたハガキを読んでいると時代や自分の置かれている状況がぼんやりと見えてくる。残された時間の中で何をするべきなのか。選択と集中が引き続きキーワードになるのだろう。
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