SHINOBY'S WORLD SHINCE: SEPTEMBER 30, 1996




エッセイ

2002/08/03 (土)

ランニングシャツとつまようじ

大学時代の友人や前の会社の同僚と会う機会が多い。先週の大学時代の友人に加え、今週は銀行時代の同僚、大学のゼミの先輩、洋一師匠、前にいた投資顧問会社の知人、とランチにディナーと久しぶりに色んな人と話をすることができた。

仕事中もTシャツにスニーカーのようなカジュアルな服装でいるせいか、再会した瞬間、「昔と変わらないね」などと言われることが多い。そういわれると嫌な気はしない。いや、もっと正直に言うと嬉しかったりする訳であるが、考えてみれば大学生の頃からもう20年も経っている。変わっていない訳は無い。それは相対的な感想に過ぎないのである。そして追い討ちをかけるように横から聞こえてくるのは、Tシャツで仕事は卒業していい加減大人になったらどうだ、というもう一方の自分の声である。

大人とはオヤジのことだと思っている。オヤジになりたくない、と思っているということは大人になりたくないのである。大学生の頃、食事の後でつまようじを使うようになるか、Yシャツの下にランニングシャツを着て透けて見えるようになったらオヤジだな、と思っていた。そんな脅迫観念から、未だにランニングシャツは持っていないし、ツマヨウジも使わない。しかしそんな形式に関係なくオヤジはオヤジである。ランニングシャツとつまようじだけにこだわっても仕方がない。では、オヤジとは何なのだろうか。

年齢や自分の置かれている地位や立場に縛られて、世間の常識に沿った行動しかできなくなる。そんな風になったらオヤジの仲間入りだと思っている。こんな歳にもなって、とか逆にもう歳だから、といった年齢で行動を規定してしまったり、自分には家庭があるから、とかそんな器ではないから、なんて思ったら大人、つまりオヤジである。

オヤジになりたくないと思いながら、同時に自分が勝手に作り上げているかもしれない世間の常識や年齢や分相応の行動、といったものから開放されて行動できれば、気持ちよく生きられるのに、とも思う。人と違ったことをしたがる天邪鬼でありながら、人からどう思われているか人一倍気にしてしまう分裂した性格に気付く度、自分はオヤジになり切れない中途半端なコヤジではないかと不安になる。

<最近の一言> 風邪をひいてから冷房をかけると喉が痛くなるようになってしまいました。かといって冷房をつけないで部屋にいると暑くて何もできなくなってしまいます。どうしたらいいのか悩ましい状態です。


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