雑記: 2007年2月アーカイブ
<業務連絡>
本日発売のこの雑誌の巻頭特集[投資脳]トレーニング。林康史さん、山口揚平さんとご一緒させていただきました。こちらのマネー検定も先着順ですのでお早めにどうぞ。
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結局、今年は雪を見ることなく季節が変わっていくことになりそうである。何だか間の抜けた冬だった。気がつかないうちに春野菜が段々出回るようになって食事はいつの間にか春到来になっている。冬のほっこりとした味わいとは違うさわやかで見た目にも楽しめる料理が増えてくる。
そんな何だか気持ちが浮かれてくる季節であるが、先週からもう一つの春の名物が本格化した。スギ花粉である。しばらく前からずっと薬を予防的に飲んで備えていたのであるが、ついに鼻だけではなく目のかゆみまで襲ってきた。病院に駆け込んだらやはり同じような人が多いようで待ち時間は1時間だった。
花粉症さえなければぽかぽかと暖かく、気持ちの良い外の空気を思いっきり吸い込みたいのであるが、そんなことをしたら後から恐ろしい結末が待っている。しばらくは外での活動は控えるようにしたい。
日曜日も名古屋のこの新しいビルでセミナーがあった。名古屋駅の真ん前に建つ出来たばかりのビルで、上の階にはトヨタが、下には証券会社などのオフィスが集まっている。普通のビルよりも天井が高いので開放感がある快適なオフィス環境であった。遠くを見渡すと北側には名古屋城や城北にある超高層マンションまで見渡せる。
昨日は丁度ルイヴィトンのグランドオープン初日だったらしく1階のショップの入り口には長蛇の列ができていた。驚いたのはこのビルに入っているブランドショップの揃い方である。このショップリストを見ると東京の銀座よりも密集度が高い。好景気がビンビン伝わってくる。
名古屋駅前は新しい高層ビルが次々に建設されている。少し前の駅前の雰囲気がすっかり変わってしまった。デパートとショップが立ち並ぶ買い物スポットに変貌した。名古屋の雰囲気は何だか東京に近くなってしまった。
でもエスカで山本屋の味噌煮込みうどんを食べ、貝新水谷新九郎の貝のつくだ煮を買っていると名古屋駅の逆側の地下街はあまり変わっていないのでほっとする。そう言えばエスカの中に行列ができているコメダ珈琲店というのがあった。朝から行列ができる喫茶店とは何かあるのだろうか?ここも次回来た時に行ってみたい。
セカンドライフといっても定年後の第二の人生ではなく、バーチャルなもう一つの人生のことである。アメリカのリンデン・ラボという会社が2003年から提供しもう400万人近い人が「住んでいる」このサイトのことである。3月に日本語版がリリースされるということでそのベータ版を見る機会があった。
1996年5月にはじめてインターネットの画面でホワイトハウスのページで揺らめくアメリカの国旗を見たときと同じような衝撃を感じた。実際にメンバーになって使ってみないとわからないことだらけであるが、不思議なことがたくさんある。
●米ドルをリンデンドルというサイト内で流通する通貨に換えることができるのだが、その換算レートは変動するらしい。今後大量に参加者が増えるとリンデンドルへの需要が高まる可能性があるが、その場合レートはどうなるのだろうか。リンデンドルで為替の投機を始める人も出てくるのではないだろうか。
●仮想空間上に数十万円出すと土地を買うことができる(月々固定資産税もかかるらしい)。企業はそこに自社のマーケティングツールを置いたり、リサーチをかけたりしているのであるが、これから参加する企業が増えると土地の価格は上昇するのだろうか。それともバーチャルに制限の無い土地が増えるとそれぞれの土地に対する価値は下がっていくのだろうか。土地で投機を始める人が出てこないのだろうか。
●サイト上にセンスの良いデザインで建物を作ったり、広告をするには制作ができるデザイナーが必要になる。3Dの世界なのでゲームの制作をしているような人に向いているらしいが、そんな人たちの中から有名デザイナーが生まれるのではないか。
●サイト内には警察はいないらしいが、参加者間のトラブルはあるようだ。サイト管理者が解決しなければならないトラブルは今後増えてくるだろうが、どういう方法、どういうルールで解決するのか。やり方によっては「住民」の不満につながる。
日本版ができたら日本人もはじめるか疑問視する人もいるが、普及する可能性は高いと思う。理屈抜きに画面を見ていると楽しくワクワクしてくるからだ。既に有名な名前の土地は企業が購入を始めており、ネットのドメインのような陣取り合戦もはじまっている。ただし、このバーチャルな世界で企業がビジネスとして何かをするなら、とにかく早くはじめることが重要だろう。時間が経てば経つほど新鮮味が無くなり、優秀なクリエーターの確保にお金と時間がかかるようになると予想されるからだ。
問題は現実社会だけでも忙しい人がセカンドライフで過ごせる時間をどうやってひねり出すかである。現実より楽しい、現実より役に立つ、現実よりビジネスになる、と思う人が増えればそれだけ住人が増え、滞在時間が長くなる。
現実世界とバーチャル世界の時間の奪い合いが起こるのである。
<業務連絡>
昨日プレスリリースされたマネー検定は3月31日開催、先着300名限定です。
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週刊ダイヤモンドの2月24日号(最新号)で野口悠紀雄教授が日本経済の問題点とその処方箋の問題点について超整理日記で取り上げている。
格差是正を目的とした低生産性部門の拡充とばらまき行政でも、成長率の底上げによる企業業績と賃金の改善による財政再建路線も問題の解決にはならないと説く。
日本経済の根本的な問題は従来の産業構造で付加価値の低いコモディティ化された業務に産業が偏っているからだと説く。世界経済の構造変化によって従来の産業構造のままでは「中国人、インド人並の賃金になる」という現実が待っている。そこから逃れる唯一の方法は「中国やインドにはない産業に転換することだ。」
この指摘は産業全体だけではなく個人の仕事についても同じことが言える。ここで指摘したような仕事のプライシングの方法の変化が起こっているのである。
企業も個人も自分にしかできないこと、それも簡単には真似できないもの、に特化することによってのみ自分のコモディティ化を防止することができる。
野口氏が指摘するように日立製作所とグーグルには一人当たりの企業価値に500倍の差があるが、それはグーグルの社員が500倍優秀なためでも500倍の時間余計に働いているからでも無いのである。
銀行時代にお世話になった大学の先輩にお会いする機会があった。年金運用の世界でアナリストの仕事を続けていたが、社内の人事異動で本部の管理職になってしまったので、好きなことをやりたいと外資系の証券会社にアナリストとして転職。その後自分が担当する業界の会社に移り、IRを担当している。銀行の人事ローテーションを嫌い、自分がかつてアナリストとして担当した業界での仕事を続ける選択をした訳であるが、仕事に手ごたえを感じているようだった。
先週会ったまた同じ銀行時代の同期もファンドマネージャーの仕事を続けるために銀行を辞めて投資顧問会社に転職した。そこで運用チームのヘッドをやっていたのだが、突然辞めて、国会図書館で仕事をしている。国会議員の調査をサポートする仕事らしいが、自分の価値観を追求したらその仕事に出会ったらしい。本人曰く年収は半減した、らしいがやりたいことをやっている満足感があるようだ。
さらに銀行時代の上司でバードウォッチングが好きで、趣味が高じて軽井沢に家を買った方がいらしたが、その方も会社を退職。何と軽井沢で古本屋を開店し店主としてセカンドライフを開始するらしい。お会いしたことが無いので真実はわからないが、好きなことを極めた結果なのだと思っている。
彼らのライフスタイルを見ていると自分の好きなこと、やりたいことを素直に見つけ、その中に飛び込んでいく思い切りの良さを感じる。その選択の結果がどうだったのかは本人にしかわからないが、少なくとも自分で選択した、という行為には悔いは無いように見える。
好きなことを極める方が短期的な損得で意思決定するよりも長い目で見れば人生の満足度は高いように思える。なぜなら仕事とは収入を得る手段であると同時に自分が楽しいからであり、社会に貢献できるという満足度を求める行為であるからだ。
大学時代の友人は教養学部時代の語学のクラスメイトと経済学部に進学してからのゼミナールの同僚の2つのグループがある。語学のクラスメイトは毎年年末になるとみんなで集まって同窓会を開いている。50人ほどのクラスなのに毎回30人近くが参加するという結束の固さである。一方のゼミナールの方は11名の少人数であるが、10年以上ご無沙汰であった。
この違いはどこにあるかといえば、幹事を仕切る人材の有無である。クラスメイトの中にはF君という人望を集める名幹事がいて、彼を慕ってみんなが毎年集まってくるのである。
ゼミナールにもK君という名幹事がいてまとまらないゼミ生を引っ張っているのであるが、仕事の関係でロンドンに行ってしまいその間は空白期間ができてしまった。
今回K君が東京に戻り、久しぶりにそのまとまらないゼミ生がほぼ全員集まった。10数年ぶりに集まった面々はやはりお互いに年輪を重ねているのを感じる。体型が変わった、髪型が変わった、髪の色が変わった、それぞれである。しかし話しているうちに何だか20年前の学生時代が蘇ってくる。話し方、性格、口癖・・・時間が経っても変わらない。
どちらの友人たちも時代は変わっても本質は変わらない。きっと相手も自分のことをそう思っているのだろう。
飲酒運転に対する日本国内の意識はこの1年で大きく変わった。飲酒運転は元々犯罪であり、許されるものではないにもかかわらず、数年前までは何となく寛大な風潮があったように思う。ところが酒気帯び運転による悲惨な事故の報道などをきっかけに飲酒運転は犯罪行為として本来あるべき形で世の中に認識されるようになってきた。
公共の場における喫煙エリアが狭くなってきている。JR東日本も車内を全面禁煙にすることを決定したようであるし、方向は分煙、禁煙への流れが続く。タバコを吸わない者にとっては良い流れであるが、喫煙者の肩身はどんどん狭くなっていく。
テレビのデータ捏造問題が厳しく糾弾されている。今までも同じような事件がテレビ、雑誌、新聞などで繰り返されてきたが、今回のマスコミ他社からの攻撃はいつにも増して厳しいように思える。そもそもテレビの健康番組の健康法を本気で信じていた人はどの位いたのか見当がつなかいが、今回の件でテレビ局は情報番組という報道とバラエティの良いとこ取りをすることができなくなった。
企業のコンプライアンス(法令順守)にも厳しい目が向けられるようになった。不祥事があると徹底的に断罪されるようになった。
どれも規律ある、ルールを守る社会を作るために必要なことであるが、世論の軸がこの1年で大きく変わっているのを感じる。犯罪は厳しく断罪されなければならないが、世の中の価値観の急激な変化は何が原因なのだろうか。
このような世論の一方で給食費を払えるのに払わない親がいる、といった報道を聞いたり、ゴミ捨て場のルールを守らない出し方をする人を見たりすると、この国のモラルは本当に向上しているのか疑問に思ったりするのである。
